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魔法のいろは  作者: ほろほろほろろ
第一幕
5/27

入れたのは、君への愛情だけよ

 たまに長い回があるので気をつけてください。

 変わらない朝、変わらない教室。この風景の中に白峰彩葉の存在はない。もしかしたら、このまま何事も起こることなく、日常に帰れるのではないか。そんな淡い期待を心の片隅に抱いていた。

 しかし、それは唐突打ち砕かれる。チャイムが鳴り多くの生徒が学食へ詰め掛ける、昼休みの時間での出来事だった。


「朝陽、学食行こうぜ」


 堂島が陽気に呼びかけてくる。あぁ、と返事を返しながら教室をぐるりと見回せば、既に詩織の姿は無かった。一足先に友達と学食へ向かったのだろう。

「じゃあ、行くか」と、椅子から腰を持ち上げたときだった。


「桐江君」


 ふと、女子から声を掛けられた。振り返れば、その人はこれまでほとんど話したことがないクラスメートの一人だった。

 一体何の用かと思えば、彼女は僕の返事を待たずに言葉を続けた。


「教室の外で白峰さんが呼んでるよ」


 彼女は教室の入り口を指差す。それに促されて視線を向ければ、教室の外から白峰さんがこっちを覗いていた。彼女と目が合ったかと思うと、白峰さんは胸の前で小さく手を振ってきた。


「げっ」


 まさか学校内でも接触してくるなんて。そんなことをされたら変な噂が立ってしまうじゃないか。ただでさえ白峰さんは男子からの人気が高いというのに。「桐江のやつ、白峰と仲いいのか?」などと勘繰られてしまったら、僕はこの学校に居辛くなっていまう。

 ど、どうするべきか。いや、僕には端から選択肢などない。ここで彼女の呼び出しに応じなければ、一体何をされるか。昨日の彼女の強引さを目の当たりにした今なら、その想像は難くない。

 僕は深呼吸をし、覚悟を決める。


「わ、わかった。教えてくれてありがとう」


 と言うと、教えてくれたクラスメートはさっさと踵を返してどこかへ行ってしまった。

 僕は後ろの堂島に振り返る。


「すまん、急用ができた。学食へは一人で行ってくれ」


 手を合わせてそう言えば、堂島は「お、おう、わかった」と心ここに在らずな様子。あの白峰さんが僕に用があるということが余程衝撃的だったのかもしれない。

 しかし、今は堂島に構っている時間はない。僕は身を翻し、白峰さんのもとへ向かう。彼女はハンドバッグを片手に持ちながらにこにこしていた。


「……で? 一体何の用?」


 睨みながらぶっきらぼうに聞けば、白峰さんは昨日の放課後に見せたようなあどけない顔でくすくすと笑った。


「もう、そんな怖い顔しないでよ。ただちょっと、一緒にお昼なんてどうかなって思っただけ」


「昼?」


 一緒に昼ご飯を食べるなんて、それこそ勘弁してくれ! 彼女と学食で一緒にいたら、一体どれほどの男子たちに目撃されることか!

 しかし、そう思った時には既に遅かった。僕の右手首はしっかりと白峰さんに捕まれ、逃れることができない!


「さぁ、早速行きましょ」


 ここは校内。無闇に暴れることも、騒ぐこともできない。僕はこれから起こるであろう危機の数々を想像しながら、俯いて彼女の後ろについて歩くしかなかった。

 しかし、意外にも僕の予想は外れ、学食に向かうどころか僕らはどんどん階段を上っていく。そして気付けば一枚の白い扉の前に来ていた。屋上へ出るための扉だ。

 もちろん、この扉には普段鍵が掛かっていて屋上には出られない。それは白峰さんも知っているはず。一体ここに来てどうするつもりなのかと睨んでいると、彼女は制服のポケットに手を突っ込み、光る何かを取り出した。それを覗き込もうとする僕の視線に気がついたのか、彼女は振り返り、それを顔の高さでひらひらと振ってみせる。それは、一本の鍵だった。


「実はね、こっそり複製しておいたの」


 彼女は口元に悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 鍵を複製? それって、もしや犯罪じゃないのか。そんな僕の心配とは裏腹に、彼女は何のためらいもなくそれを鍵穴へ差し込に、回す。音を立て、扉の鍵は開いた。

 白峰さんは細い腕に力を入れて扉を押し開ける。金属の軋む音と共に、屋上の景色がゆっくりと見えてきた。


「さぁ、行きましょ」


 またも僕は白峰さんに手を引かれ、屋上へ上がる。勿論、ここに来たのは初めてだった。初めての場所に足を踏み入れたからか、それとも校則を破ろうとしているからか、心のどこかでわくわくしているのが分かった。

 屋上へ上がり、彼女は再び扉の鍵を閉めた。ガチャリと、重い音が空に響いた。

 彼女は振り返り、僕に微笑みかける。


「こんなところに連れてきて、一体何のつもりだ?」


 問えば、彼女は軽い足取りで僕に近づく。そして、僕の目の前で手に持ったハンドバッグを突き出した。


「何のつもりって、言ったじゃない。一緒にお昼ご飯を食べましょうって。わたしね、桐江君の為にお弁当を作ってきたの」


「弁当!?」


 まさかの手作りか。予想だにしていなかった返答に思わず声を上げてしまった。そんな僕の手を掴み、彼女は屋上の端、フェンスの側まで引っ張っていく。


「さ、ここに座って。一緒に食べましょう」


「ちょ、おい! やめろ! やめろって!」


 無理矢理座らせようとしてきた彼女の手を振り払い、素早く後ろへ退く。彼女を睨みつける僕に対し、白峰さんは怪訝そうな眼差しを向ける。


「……どうしたの? 一緒に食べてくれないの?」


 どうしたもこうしたもあるか! 急にこんな所に連れ出したかと思えば、弁当を作ってきたから一緒に食べようって!? 何か裏があるはずだ! でなければ、あの白峰さんが僕に弁当など作るはずがない! そもそも、彼女とは昨日一悶着あったばかりなのだ。昨日の今日で信じられるはずがないだろう。


「食べるも食べないもない! そもそも、僕らは一昨日顔を合わせたばかりのはずだ! それなのに急にこんな……な、何が目的だ!」


 そう、目的があるはずだ。弁当を作ってきたというのは、きっと僕を貶めるための口実に過ぎない。では彼女の目的は一体何か。それは明白だ。昨日彼女自身が言っていたように、僕を何かの計画に協力させることに決まっている。

 もしかしたら、あの弁当には何か催眠薬的なものが入っていて、僕が眠っている隙に……なんてこともあるかもしれない。屋上の鍵を勝手に複製するような人だ。有り得ない話じゃない。

 あれこれと彼女の裏を勘繰る僕に対し、しかし彼女は目を細めて笑っていた。一歩一歩、彼女が近づいてくる。湿気を持った微風が、彼女の髪を優しく揺らす。


「ふふ、言ったはずでしょ? わたし、君に興味があるの。君とお友達になりたいの。仲良くしたい人と一緒にご飯を食べたいっていうのは、普通のことじゃない」


「そんなの信じられるか!」


 友達になりたい。もし、全男子の憧れである女子からそんな言葉を言われたら、それこそ断るなんて馬鹿な選択肢を選ぶ男はいない。しかし、昨日の今日でそんな言葉を信じられるほど僕は単純じゃない。

 僕は彼女の持つハンドバッグを指差す。


「作ってきたっていうその弁当、何か入ってるんじゃないか!? その、薬的なものが!」


「むぅ、心外だなぁ。わたし、そんなヒドいことしないよ? 今回のは自信作なんだから、是非とも、桐江君に食べて欲しいな。もしそんなに心配って言うなら、先に毒味をしてもいいよ?」


 くッ、そんなことを言われたらいよいよ逃げ道がなくなってしまう。どうすればいい? どうすれば、彼女の言葉から逃げられる?

 焦る思考の中、ふと、彼女が呟くように言葉を漏らす。その一言に、僕の思考は一瞬にして消え去った。


「わたし、頑張って作ったのに、食べてくれないなんて悲しいな。悲しすぎて、いろんな人に愚痴を零しちゃうかも」


「なッ!?」


 こいつ、分かってて言ってやがる! 自分が男子からも女子からも人気だってことを。もし変な噂を流されたら、男子からは拳によって物理的に、女子からは陰口によって精神的に攻撃されるに決まってる! そうなったら、詩織も堂島も敵に回るだろうか。そうなれば、学園内に僕の居場所はない。

 強ばらせていた全身から力が抜ける。僕は胸の内で白旗を揚げた。元から僕に勝ち目など無かったのだ。

 一つ、大きくため息をついた。


「はあぁ、分かった、分かったよ。食べる、食べます、食べさせて下さい」


「やったっ! ありがとう、桐江君! ささ、ここに座って!」


 屈託の無い笑顔を浮かべ、彼女はぺたんと座って隣をぽんぽんとたたく。僕は肩を落とし、彼女と少し距離を開けてのっそりと腰を下ろした。


「えへへ、桐江君と一緒にご飯だなんて嬉しいな」


 その言葉の通り、彼女は満面の笑みを浮かべながらハンドバッグから弁当箱を二つ取り出す。一つは小ぶりで、もう一つは普通サイズ。彼女は普通サイズのほうを僕に手渡す。


「はい、どうぞ」


「あ、ありがと……」


 受け取った僕は、恐る恐る、震える手を蓋へと伸ばす。これを開けたとき、一体何が飛び出すか。もしかすると、開けた途端催涙ガスが噴射し、僕は瞬く間に眠りの底へ、なんてこともあるかもしれない。鬼が出るか蛇が出るか。ええい、どの道もう逃げられないんだから、こうなりゃ自棄だ。

 僕を目を瞑り、思い切って蓋を開く。しかし、特に音も聞こえなければ何か異変を感じることもない。うっすらと目を開いていけば、そこには、何の変哲もない弁当があった。


「もう、なにやってるの?」


「あぁ、いや、別に……」


 隣で白峰さんが笑っている。僕はくすぐったいような恥ずかしさを覚えた。あぁ、本当に一人で何をやっていたのだろう、と。

 いやいや、まだ気を抜いてはいけない。この弁当の中に一体何が入っているとは知らないのだから。

 じっくりと弁当の中身を観察する。弁当箱は二段になっていて、一段目には白米が一杯に詰められている。一方の二段目にはこれまたおかずがずっしりと。厚焼きタマゴに小ぶりのから揚げ、隅に盛られたポテトサラダときんぴらごぼう、中身の分からないコロッケ、そして極めつけは、顔のついたタコさんウィンナー。

 見れば見るほど普通の弁当だ。これを白峰さんが作ったのか。僕のために。

 昼休みの屋上、二人きりで過ごすラチタイム。食べるのは、女の子が作ってきてくれた弁当。

 なんだこのシチュエーションは! これじゃまるで、僕と彼女がそういう関係みたいじゃないか!

 僕は頭を左右にふり、雑念を振り払う。もしや、これも作戦の内か? 手作り弁当を食べさせることで僕を餌付け&篭絡し、彼女の魔法布教計画に協力させるという。くっ、そんな手には乗らないぞ!


「どうかな、それ、わたしの手作りだよ。きれいに盛り付けられてるでしょ」


「え? あ、うん、そうだな」


 彼女の言葉で我に返り、再び視線を手元へ移す。不思議なことに、見れば見るほど、それが美味しそうに見えてくる。

 ごくりと、生唾を飲みこむ。


「頑張って作ったんだから、ね? 食べてみてよ」


 そうだ、彼女の思惑は別として、弁当自体に罪はないんだ。食べないのは申し訳ない、もとい、勿体無いじゃないか。


「じゃ、じゃあ、いただきます」


 手を合わせ、箸を手に取る。まずはタマゴへ。それを抓んだ瞬間、箸の先からそのふわふわ具合が指先に伝わってきた。

 割れ物を扱うようにそっと口元へ運び、半分を口にする。手に感じた通りのふわふわな食感。そして、口いっぱいに広がる仄かな甘み。こうして噛みしめている間はこんなにも口の中がタマゴで支配されているのに、一度飲み込めば後を引くことはない。

 おいしい、素直にそう思った。これは父さんの料理にも引けを取らないかもしれない。


「おいしい?」


 白峰さんがこちらを覗きこむようにして聞いてくる。ここで無理に意地を張ることはないだろう。


「おいしいよ、すごく」


「ほんと!? えへへ、嬉しいなぁ」


 白峰さんが頬に手を当てながら恥ずかしそうに笑っている。あのクールな白峰さんもそんな顔をするんだ。そう思うと、なんだか彼女の存在がもっと近くに感じられるような気がした。


「ほら、タマゴ焼きだけじゃなくて、他も食べてみてよ」


 白峰さんに急かされ、僕は次々と箸を動かしていく。どれもおいしいと思った。それこそ、これでお金が取れるんじゃないかというほどに。

 弁当の中身はみるみる無くなってゆき、気付けば空になっていた。


「ごちそうさま、とっても美味しかったよ」


「こちらこそ、お粗末様でした」


 手を合わせてそういえば、彼女も知らぬ間に自分の弁当を食べ終えていた。彼女がニコリと微笑みかける。思わず心臓が跳ねる。

 何となく彼女と目を合わせられず俯く。空になった弁当箱を見つめ、ふと思い出す。結局、白峰さんの弁当を終始美味しくいただいてしまった。それなのに体には何も異常はない。これは本当にただの弁当だったのか。


「だから言ったでしょう?」


 隣で白峰さんがくすくすと笑っている。


「変なものは何も入ってないって」


 彼女はそっと首を伸ばして僕の耳元へ口を近づける。その間僕は不思議と体を動かせないでいた。

 耳元で、彼女は囁く。


「入れたのは、君への愛情だけよ」


「あ、あい……ッ!?」


 その瞬間、弾かれたように立ち上がり彼女から距離をとった。焦り、心臓が高鳴る。彼女は目を細め、妖しい笑みを浮かべている。その表情は、いつもの彼女のそれだった。

 野生の勘か、何故か早くここから離れないといけない気がした。


「べ、弁当ありがと。それじゃ、僕はこれで行くよ」


 弁当箱を彼女の前に置き、出口の方へ足早になる。しかし、僕の足は彼女の一言によって止められた。


「待って、桐江君」


 彼女が僕の名前を呼ぶ。恐る恐る、後ろへ首を回す。


「ま、まだ何か用かな……?」


「お昼休みが終わるまでにはまだ時間があるし、少しお話しない? あなたも取り立てて用事があるわけでもないでしょ?」


 僕の勘が告げている。この人には関わらないほうがいいと。けれど、僕は彼女の弁当を食べてしまった。今彼女の言葉に背けば、後で一体何をされるだろう。


「わ、分かった」


 やはり、僕に逃げ道などなかった。女子の手作り弁当をタダで食べられるなんていう美味しい話がある訳は無かったのだ。

 僕は体の向きを180度変え、彼女の隣へ戻っていく。少し距離を開けて座ると、彼女の方から体を寄せてきた。彼女の肩が、僕の肩と触れた。


「ねぇ」


 その呼びかけに僕は答えない。じっとまっすぐ前を見据えたまま、彼女の言葉の続きを待つ。

 話の内容は、やはり昨日のことだろうか。だとしたら、僕は既に答えは決めている。彼女に協力しない。魔法を世界に広めるなんて、そんなバカげた活動に協力できるはずがない。

 僕は彼女の言葉に内心おびえつつ、しかし確かに腹を括っていた。

 だから、彼女の言葉を聞いた僕は、その予想外な問いに思わず絶句してしまった。


「桐江君って、本当は魔法のこと、好きなんじゃないの?」


「……え?」


 今、何て?


「だから、魔法のことが嫌いなんて嘘で、本当は好きなんじゃないの?」


 白峰さんは、まるで僕の心を読んだように言葉を繰り返した。

 しばらくの沈黙が降りる。

 僕が本当は魔法が好きだって? そんなことは有り得ない。あの過去を経験した今、どうして魔法を好きになれるのか。

 次第に、ふつふつと怒りが沸き起こってきた。僕は彼女へは向かず、しかし自然と語気が強くなる。


「……何も知らないくせに、人のことを分かったような口を利くのは止めてくれ」


「ううん、わたしには分かるよ」


 しかし彼女は、僕の言葉を一切意に介さなかった。隣へ顔を向ければ、彼女はこちらをじっと見つめていた。先ほどまで浮かべていた笑顔は一切消え、冷たい無表情が張り付いている。

 僕の目をじっと見つめたまま、彼女は無機質に言葉を続ける。


「わたしには分かる。一昨日、わたしと桐江君が会った日。わたし、君の前で魔法を使って見せたでしょう? あのときの桐江君、自分がどんな顔してたか覚えてる?」


 あの時の顔? 白峰さんが広場の雨を止ませた時の? ……覚えていない。けれど、とても胸がざわざわしたのは覚えている。だが、それが今更何の関係があるというのか。


「いや、覚えてない。でも、それが今になってどうしたっていうんだ」


「そう、やっぱり覚えてないんだ」


 意味深な言葉。背中に冷や汗が伝っていく。

 その含みのある言葉の続きは何なのか。自然と、僕の視線は彼女の口元へ集中していた。

 やがて、彼女の梅色の唇が、しっとりと言葉を紡いでいく。


「あの時ね、桐江君、笑ってたんだよ?」


「……笑って?」


「そう。だから、てっきり桐江君は魔法が好きなんだって思ったもん。なのに、そのあと魔法が嫌いだなんて言うから」


 白峰さんは無表情を破り、くすくすと笑いだした。けれどこっちは一切笑える気分じゃない。

 僕が笑っていただって? そんなこと、それこそ有り得ない。だって僕は、魔法をこんなにも忌み嫌っているのに。いっそのこと、無くなってしまえばいいとさえ思っているのに。


「適当なことを言うな!」


 気づけば僕は声を荒げていた。しかし彼女は、一切取り乱すことなく上品な笑みのまま。

 彼女はそっと身をこちらへ乗り出し、人差し指を立てて僕の胸を突く。


「適当なんかじゃなわ。あの時の桐江君の顔は、絶対魔法が嫌いな人がするものじゃなかった。ねぇ、桐江君。本当に貴方は、魔法が嫌いなの?」


 そのまま、白峰さんが顔を寄せてくる。彼女と目が合って逸らせない。体が動かない。いや、動かそうという気が起きない。彼女に見つめられ、まるでその澄んだ瞳に吸い込まれるような感覚。鼓動が早まり、呼吸をすることすら忘れそうになる。

 すぐ近くに彼女の存在を感じる。鼻と鼻が触れるほど近い。彼女の息遣いすら感じられる。香水のものか、花の香りがふわりと漂ってきた。

 考えがまとまらない。思考力さえ奪われているかのよう。


「君は、本当は今でも魔法が好きなんじゃないの?」


 魔法。再びその単語を耳にし、はっと自我を取り戻した。

 咄嗟に立ち上がって彼女から距離を離す。一方の白峰さんは、特段変わった様子もなく、落ち着き払った目で僕を見ていた。

 行こう。これ以上関わっても碌なことが起きる気がしない。


「もう十分に話したから、僕は行くよ。じゃあ」


 話を切り上げて、僕は一切後ろを振り向かず屋上を後にする。その間、背中に視線は感じつつも、白峰さんが声をかけてくることはなかった。

 屋上から校内へ戻り重い扉を閉じる。すると、急に力が抜けるような感覚になり、扉を背に大きくため息を吐いた。

 結局、何が目的だったんだ? 今回は協力を仰ぐ話は無かったが、けれどその代わり、本当は魔法が好きなんじゃないかと言ってきた。白峰さんは僕に一体何をさせようというのか。

 考えても分からない。分からないが、今はどのみち考える暇などない。今から教室へ帰れば、堂島のヤツがあれこれと絡んでくるに違いない。だから今か、僕が白峰さんと昼休みを過ごすことになった理由を考えなければ。


「はあぁ……」


 僕はまた一つ、別の意味のため息を吐いた。




 その後、昼休みも終盤に差し掛かった頃の教室に戻るなり、堂島の奴が僕の胸倉を掴みにかかってきた。よろける僕を強引に教室の隅まで引っ張り、声を落とし、しかし凄みを利かせて堂島がまくし立ててくる。


「おい朝陽、白峰とお昼をご一緒たぁどういうことだ。一体白峰とどういう関係だってんだおらぁ」


 声は大人しいものの、その図体で迫られたらこうも威圧的なものか。堂島の勢いは、このまま僕に殴りかかりそうなほどだった。まあ、実際にそんなことは起こらないとは分かっているけれど。

 僕は笑顔を作り、堂島を刺激しないように何とかこの場を乗り切ろうとする。そのための言い訳も、ここまで戻ってくる道すがらしっかり考えてきたのだ。


「まぁまぁ、落ち着けよ堂島、誤解だ」


 僕は前で両手を上下してなんとか堂島の気を落ち着かせようとする。その甲斐あってか、堂島は固めた拳を少し緩め、きつく上がった眉尻をそっと下げた。


「な、なんだよ誤解って。お前、白峰とお昼をご一緒したのは変わんねぇだろうが」


「いやいや、それが誤解なんだって。僕は別に白峰さんとご飯を食べたわけじゃない」


「なに? じゃあ、さっきまでどこで何をしてたってんだよ」


 訝し気な表情を浮かべる堂島を前にし、僕は目を瞑って思い出す。僕が考えた、完璧な言い訳のストーリーを。


「実はな、白峰さんはただ僕を呼びに来ただけなんだよ。用があったのは担任の増田先生。書類の整理を手伝ってほしかったみたいでさ。ほら、今日って僕が日直だろ? そこで、たまたま近くにいた白峰さんに僕を呼んできてって頼んだらしいんだ。だから、あの後すぐに白峰さんとは離れたし、もちろんお昼もご一緒してない」


「そうか、そうだったのか……誤解して悪かった」


 堂島は僕の胸倉から手を放し、上げた腕を力なく下げた。勝った。僕はそう確信した。僕の考えた完璧な筋書きにより、堂島を見事欺くことに成功したのだ。我ながら、自分が誇らしく感じる。

 満足感に浸りつつ、僕は堂島に笑いかける。


「ほんとだよ。僕が白峰さんと何のご縁があって一緒に昼休みを過ごすんだよ。あはは、全く有り得ない話じゃないか」


「全くその通りだな、ははは……って、俺がダマされると思ったかァ!」


「ごふぅッ!?」


 その瞬間、堂島の握った拳が風を切り、僕の腹に捻じ込まれた。その衝撃のあまり、僕の足が床からわずかに浮いた気がした。

 痛む腹を抱えながら、僕は混乱していた。

 何故、どうして嘘だとバレた!? ありきたりだが、誤魔化すには完璧だと思ったのに!

 うずくまる僕の頭上に、堂島のデカい影が差す。見上げれば、堂島の鋭い眼光が僕を真っ直ぐに見下ろしていた。


「見たヤツがいるんだ」


「み、見たって……なに、を……」


「お前と白峰が、一緒に屋上への階段を上っていくところを」


 僕は絶句した。誰もいないと思っていたのに、まさかその場を目撃していた人がいたとは。絶望が後頭部の方からじわじわと脳内を支配する。よもや、この戦いに初めから勝ちが無かったとは。

 一人俯きうずくまる僕を堂島は無理矢理に立たせる。こいつの体格だ。何をしても力では逆らえない。僕はまだ鈍い痛みが響く腹に片手を添えながら大人しく立ち上がる。


「朝陽、言え。白峰と何があったのかを」


 初めよりも低いトーンで僕に問い詰める。これはもう、正直に事の顛末を話すしかない。僕はすべてを諦め、事実を堂島に打ち明けた。

 しかし、そのすべてを話したところで一体誰が信じてくれるだろう。これまで接点がなく、話したこともなかった女子から急に誘いを受け、手作りの弁当を食べたなんて、そんな話があるだろうか。少なくとも、僕は聞いたことが無い。

 ということで、もちろん堂島がそれで納得するはずもなく、かと言って僕も事実をありのままに告げる以外のことはできないので、事態は一向に収束せず。さらに悪いことに、学食から戻ってきた詩織が一体何事だと首を突っ込んできた。そしてまた同じ説明をすれば、詩織も急に機嫌が悪くなり、もう何が何やら。

 そんないざこざは、五限の始まりを告げるチャイムが鳴るまで続いた。

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