女の子にはね、たっくさんヒミツがあるの
(∪^ω^)わんわんお!
「魔法なんて、嫌いに決まってる」
放課後の、海辺の広場。大雨の中、白峰さんの広げる魔法の傘の下で僕は吐き捨てるように言った。
魔法、その単語を耳にしただけで変な気持ちになる。胸の奥がムカムカするような、モヤモヤするような。言葉に表せない感情が、僕には気味が悪かった。
僕をそうさせた元凶である彼女を睨みつける。しかし彼女は、その綺麗な顔を笑顔で歪めた。
「そう? わたしは好きだなぁ。魔法って、ロマンがあって、とってもわくわくするんだもの」
魔法がわくわくする。彼女の言葉の一端が、僕の耳奥でこだまする。
その響きが、余計に嫌悪感を増大させる。
「わくわく? 魔法が? アレはただの半端物だ。無価値で何の役にも立ちはしない」
「あはは、全く、君の言葉にはロマンもなければ根拠もないなぁ」
彼女は笑う。学園では見たことのない、普段の澄ました態度とは対極のあどけない声で。
しばらくころころと笑いを零すと、彼女はおもむろに空を見上げた。空には暗く厚い雲がへばりついている。
「君はそんな夢も希望もないことを言うけれど、わたしは違うと思うな。だって、魔法があれば、ポケットから無限に甘いお菓子を取り出せたり、自分を綺麗なドレスで着飾ってお姫様気分になれたり、後は、恋が叶う魔法なんてものいいよね。世界中の女の子の憧れが魔法には詰まってるんだよ?」
「ばかばかしい」
一体何を言い出すかと思えば、とんだ絵空事だ。それは、魔法を操る彼女自身が一番理解しているはずなのに。
僕は彼女の言葉を鼻で笑った。
「そんなこと、魔法で出来るはずがないじゃないか。魔法は無から有を生み出せないし、人の感情を操ることだって出来ない。何も無いところから菓子やドレスを取り出すのは手品だし、恋の魔法に至っては、ただの洗脳だ」
「くふふ、面白いことを言うね、君は。恋の魔法が洗脳かぁ。まあでも、確かにその通り。お菓子もドレスも魔法じゃ作れないし、恋の魔法だってありえない。叶えたいことの半分すら、魔法じゃ叶えられないかも。でもね?」
彼女は真っ直ぐな視線を僕に向ける。先ほどまでの少女のような笑みはすっと消え、普段の大人びたすまし顔を彼女は浮かべていた。
「この広場の雨を止ませたのは魔法の力。そのお陰で、この子は寒い思いをしなくて済んだ。それに――」
ふと、彼女の腕に抱かれた小犬が首をもたげた。彼女はゆっくり姿勢をかがめると、小犬を濡れた石のタイルの上に放す。小犬は一頻り辺りを駆けると、やがて軽快な足取りで僕の足元へ駆け寄り、頬を擦り寄せてきた。
「その子がこうして走り回れるようになったのも、魔法のおかげよ?」
「魔法の……」
小犬が彼女の言葉に同調するように一度鳴いた。その声は、雨の止んだこの広場にこだまするように響き渡った。
しゃがみ、小犬の頬に手を当てる。すると、小犬は自分から僕に手の平に顔を擦り付けてきた。広場の外は土砂降りなのに、その毛はふさふさと気持ち良い。
野良のくせに、よく人に懐いたものだ。小犬をやさしく撫でながら、視線を足へと移動させる。つい昨日まで、そこには切り傷があった。応急処置にと水で洗い包帯を巻いていたが、今ではそれがさっぱりなくなっている。血の痕もきれいに取り除かれており、もはや何処に怪我を負っていたのかすら判別できない。
魔法で治したんだ。白峰さんが。
「桐江君は、明日もここに来てくれる?」
ふと彼女に言葉を掛けられる。見上げると、彼女はそっと歩き出す。
「わたし、君に興味があるの。だから、もっと君とお話がしたいな。もし君もわたしに興味があるなら、またここで会おうよ。わたし、待ってるから」
言葉を紡ぎながら、僕の隣を通り過ぎる。ひたり、ひたりと、靴音が後ろへ遠ざかる。
「じゃあ、また明日」
その言葉を残し、靴音はぴたりと止んだ。それと同時に、止んでいた雨が一斉に降り出した。
僕は傘を差すことを忘れて後ろを振り返る。雨が視界を塞ぐ向こう、そこにあるはずの彼女の後姿はどこにも見当たらなかった。
これが昨日の放課後に起きた、白峰彩葉とのファーストコンタクト。それまで会話をしたことがなければ、顔もろくに合わせたことが無かった。そんな彼女と過ごした、今思えば不思議な放課後。
そして今、僕は学園の校門をくぐる。授業が終わり、放課後が訪れたのだ。
白峰さんは待っている言っていた。僕と彼女が初めて会ったあの広場で。僕は今、その広場へと足を向けている。
「もしわたしに興味があるなら、またここで会おうよ」と、彼女は言い残して去って行った。別に、彼女の言葉に惹かれたわけじゃない。僕はただ知りたいだけだ。昨日は突然のことで問いただせなかった幾つかの疑問の答えを。
一つは、何故僕が魔法使いであることを知っていたのか。もう一つは、これまで一度も話したことのなかった彼女が、どうして急に僕の前に現れたのか。そこにはきっと、何か目的があるはずだ。
これらの疑問に対する答えを訊きに行くだけ。決して、彼女の言葉に従ったわけではない。
今日は珍しく晴れた日だった。僕はリュックを背負いなおし、夕日の赤に染まる裏道を歩いていく。
十分もしないうちに住宅街を抜け、景色が一気に開けた。見えるのは淡い赤に染まる空と海、そして水平線に半分沈んだ夕日。西日の眩しさに目を背けると、その先の空に数羽の鳥の陰がかたまって飛んでいた。
「もうすぐだ」
独り言を漏らし、僕は正面へ目を向ける。白いタイルで敷かれた道の先には、緩やかな下り階段が見える。目的地の広場は、その階段を下った先だ。
一度大きく深呼吸をし、再び歩き始める。一歩一歩踏み出すたびに鳴る靴音が、やけに大きく聞こえた。
階段の手前まで来ると、その先の光景が一望できる。眼下に見えるのは小さい広場。地面には赤、青、緑のタイルが円形に敷かれている。丁度、色の乏しい虹が円を成しているように。広場の中心には何も置かれておらず、隅へ目を向ければ数台のベンチと一本の時計台が見えるだけ。何とも味気ない風景だ。
広場を一望し、僕ははっと思った。白峰さんはここで待っているといっていた。しかし、広場には人の影一つ見当たらなかった。白峰さんはまだ来ていなかったのだ。
ため息をつく。彼女と会うのに緊張でもしていたのか、途端に脱力感を感じた。
なんだか肩透かしを喰らったような気分になりながら階段を下っていく。一つ、二つ。合わせて十段もない。短い階段を下り終え、白峰さんがいないなら小犬と戯れていようと辺りを見渡したその時だった。
「やっぱり来てくれたね」
後ろから、彼女の声が聞こえた。その瞬間、一際大きく心臓が跳ねた。
反射的に振り返れる。ついさっきまで、この広場には誰にもいなかったはず。それなのに、さも初めからいたかのように、彼女はベンチに足を組んで座っていた。
突然のことで言葉が出てこない。そんな状態の僕をまるで笑うかのように、白峰さんは目を細めた。
「待ってたよ、桐江君」
***
「こらこら、もうごはんはあげないよ。怪我はもう治ったんだろ?」
ここ最近ずっと世話をしてきたせいか、野良犬のクセに人にご飯をねだるようになってしまったようだ。あげないと何度も言うけれど、小犬は僕の前でピョンピョンと跳ねてアピールを重ねる。
「そうとう懐かれちゃったみたいだね。元から人懐っこいみたいだったし。いっそのこと飼ってあげれば?」
後ろで様子を見ている白峰さんが面白そうに言葉を漏らす。僕は振り返ることなく、独り言を呟くように答える。
「うちは、父親が犬アレルギーだから」
「へぇ、そうだったの」
自分から訊いてきたのに、白峰さんはいかにもどうでもよさそうに相槌を打つ。
そうしているうちにとうとう諦めたのか、小犬はアピールを止めて近くのベンチの上で丸くなった。 その様子を見届け、僕は立ち上がって彼女と向き直る。さて、今日の本題だ。
白峰さんも、さっきまでとは雰囲気が違う。昨日と同じく、僕をどこまでも人の心を見透かすような目をしていた。
「じゃあ、ひと段落ついたみたいだし」
初めに切り出したのは白峰さんの方だった。
「昨日振りだね。来てくれて嬉しい」
彼女の目が笑う。その目を見返し続けると、まるで心の中を覗かれているようで不安になる。
「まあ、来てくれるってのは初めから分かってたことだけど。昨日の光景を見たら、わたしのこと、無視できないもんね?」
「それは違う」
そうだ、僕は白峰さんが魔法使いだろうが何だろうが、そんなことに興味はない。勿論、彼女自身にも。僕はただ知りたいだけ。僕の日常を壊しかねない要素を少しでも取り除きたいだけなんだ。
一度、心を落ち着かせるように大きく深呼吸をする。
「別に、白峰さんに興味があってここに来たんじゃない。ただ、訊きたいことがあるだけだ」
「訊きたいこと? いいよ、何が訊きたいのかな?」
僕は頷く。
「昨日、僕と君は初めて顔を合わせたはず。それなのに、君は僕が魔法が使えると言い当てた。一体何処でそれを知った?」
生ぬるい熱と共に潮風が吹き、彼女の艶やかな黒髪を揺らす。西日に照らされ陰の落ちた彼女の口元は、僅かに笑っていた。
「ん~、それは答えられないなぁ」
「どうして?」
彼女のふざけた態度にふと怒りが湧いた。その感情を表に出さないようになんとか堪える。
「女の子にはね、たっくさんヒミツがあるの。ダメだよ? 乙女のナイショを詮索しちゃ」
秘密? 内緒? 下らないことを。
でも、彼女の様子を見る限り、この質問には答えてはくれないようだ。僕は次の疑問へ切り替える。
「答えてくれないならいい。訊きたいことはまだあるから。白峰さん、さっきも言ったけど、君と僕はこれまで学校でも接点が無かったはずだ。それなのに、どうして昨日急に僕の前に現れた?」
「もぉ、今日の桐江君は知りたがりさんだなぁ」
彼女のおどけた態度に、思わず拳を固め彼女を睨む。しかし、白峰さんは相変わらず余裕を持った態度を見せた。
「これは答えてあげる。わたしが君の前に現れた理由。それは昨日も言ったことだけど、君に興味があるからだよ」
「興味? 一体僕の何に?」
「わざわざ訊かなくても分かってるくせに~。君の『魔法』に、だよ」
「僕の、魔法……」
彼女の言う通り、この答えは彼女が僕が魔法を使えると言い当てた時点でなんとなく察しがついていた。けれど、実際に答えを訊かされると胸の奥に戸惑いが湧く。どうして、僕の魔法に興味があるのか。
そんな僕を見つめる彼女は、ふと口元に笑みを浮かべた。
「知ってるよ。桐江君、相当魔法の才能があるって」
「……」
白峰さんがどこで僕の魔法のことを知ったのかは知らない。けれど、今の発言で分かったことが一つ。彼女は僕を利用しようとしているということ。
「質問はそれだけ?」
「いや、もう一つだけ」
彼女の言葉に、僕は食い気味に答えた。彼女の表情は笑ったままだ。
「白峰さん、君の目的は何? 僕と会って、一体何がしたいんだ?」
そう問えば、口元は笑ったまま、彼女はぱっと目を見開いた。いかにも嬉しそうに、彼女は声を弾ませる。
「よくぞ訊いてくれました!」
彼女は一歩前に出る。距離を詰められ無意識に若干体を退くも、そんな僕に構わず、彼女は言葉を続ける。
「わたし、魔法が大好きなの。だって、魔法ってすっごいわくわくするでしょ? 魔法でなら、いろんな不可能を可能にできるもの。あぁ、これは昨日も言ったことだね」
魔法がわくわくする。そんなのは個人の勝手な感想だ。それと僕とに何の関係があるのか。一体彼女は何がしたいのか。
僕は何も言わず、彼女の言葉の続きを待つ。
「でも、わたしはとっても悲しいの。だって、今の世界ってどんどん魔法が忘れられているでしょう? このままじゃ、本当にいつか魔法がなくなってしまう。魔法はとってもステキなものなのに、沢山の人を幸せにできる力なのに、それが永遠に失われるときが来るわ。
だからわたし、魔法が忘れ去られないように、世界に広めたい。魔法はこんなにも人を幸せにできるんだ、こんなにステキなんだって。それに気付ける人が増えれば、その子みたいに救われる人がもっと増えるはず。だって、魔法は他人を助ける為にあるものだと思うから」
ベンチの上で丸くなる小犬へ目を遣る。
他人の為の魔法。他人を助ける力。
「だからわたし、そのために魔法屋を開こうと思うんだ。桐江君も知ってるでしょ? その昔、魔法を売る職業があったって。わたしもね、自分の魔法で多くの人の役に立ちたいの。そして、魔法をもう一度世界に広めるんだ」
……ん? 魔法屋?
「それでね、桐江君には是非とも協力してもらいたいのよ! 何せ今のところメンバーはわたし一人だし、それにね? 君が協力してくれるなら、どんな依頼だってこなせる気がするの!」
協力? メンバー? 待って! 何か大変な話の飛躍を見た気がする。一体何がどうなって、僕がそんな訳も分からない集まりの手伝いをする話になったんだ!?
僕は右手で頭を抱え、左手を前に出して待ったをかける。
「ちょ、待って! 全然話が見えない。急に手伝え、だって? そんな訳のわからん活動を?」
すると、彼女は頬を膨らませ、あからさまに怒った表情を見せた。彼女の怒った顔も初めて見た気がする。
「ちょっと、訳が分からないってどういうこと? ちゃんと説明したじゃない。魔法で人助けをしつつ、世界に広めるんだって」
「それが分からないんだって! 魔法で人助け? 意味が分からん。別に魔法を使う必要なんてないだろ」
「あるわよ! 魔法を使わなかったら名前詐欺になっちゃうじゃない! 魔法って名前がついてるのに魔法を使わないなんて! そもそも魔法を使わなかったら、みんなに知ってもらえないじゃない!」
「そんなこと、僕が知るか!」
僕は踵を返し、ベンチに置いていたリュックを引っ掴む。彼女へ背を向けたまま、僕は来た道を引き返そうとする。すると、後ろからキンキンとうるさい声が飛んできた。
「ちょっとちょっとちょっとちょっと! 桐江君、何処に行くのよ!」
「何処って、帰るんだよ」
そう、もうこんな訳も分からない話に付き合う必要なんてない。白峰さん。学校では全男子の憧れだったけど、その正体がこんなめちゃめちゃ人だったなんて。昨日と今日の短い付き合いだったけど、これで彼女と関わるのは止めにしよう。きっと碌なことが起こらない。
さっさとその場を去ろうと足早になり、階段を上ろうと足を掛ける。が、そこで腕を掴まれ、強く引っ張られた。危うく転びそうになりながら何とか堪える。
「お、おい! 急に引っ張るな! 放せ!」
「やだ! 協力してくれるまで放さない!」
白峰さんは僕の右腕に完全に抱きついてきた。引き剥がしたいのは山々だが、何せ相手は女子。自分から彼女に触れるのはいけない気がする。しかし、早急に離れなければ僕の身が危ない。早く何とかして逃げなければ! ひしひしと、いや、ふにふにと感じるこの感触から! 二の腕に押し付けられた、彼女の胸の感触から!
「ええい! いい加減にしろ! 放せ! 放すんだァ!」
夕暮れの赤い空に、一人の男の叫びがこだまする。
僕にしがみ付き、必死に入部をせがむ彼女。白峰彩葉。彼女の出現によって僕の日常が崩れていく音を、遠くに聞こえるような気がした。