中二病ってヤツですか?
追われるばかりの人生だ。平穏が欲しいだけなのに、後から後から困難が湧いて出る。
いっそのこと、全てを投げ出してしまおうか。
ふと、そう思うときがある。そんな勇気もないくせに。
魔法と聞いて、人はどんなイメージを脳内に思い浮かべるだろう。業火に稲妻、洪水などを引き起こし、町や国を破滅に追い込む災厄をもたらす力か。それとも、ありとあらゆる傷や病を瞬く間に癒してみせる奇跡の力か。はたまた、ポケットからお菓子を無限に出したり、自分ぴったりのキレイなドレスを瞬時に仕立てられるような、可愛らしいものを想像する人もいるかもしれない。そんな人たちは、実際の魔法を聞けばさぞがっかりすることだろう。現実にある魔法なんて、みんなの想像するような華やかなものじゃなく、単なる役立たずなのだから。
その昔、人々は日常的に魔法というものを使っていたらしい。かまどの火種を熾したり、暗い場所を光で照らしたり、暑い時は微風を吹かせたり。全員が全員魔法を使えたわけではなかったようだけど、そんな何気ない日常の風景の中に、魔法はさも当然のように溶け込んでいた。魔法屋という職業が存在し、魔法を売っていた時代もあったほどだ。
しかし、現在は違う。科学技術の発展の波はそれまで確立していた魔法の地位を奪っていった。体力を消耗する魔法をわざわざ使う必要などない。より楽な科学の力に頼ろう。そんな社会の考えの結果、魔法は次第に衰退し、魔法自体を使える人の数も減り、果ては魔法が現実のものであることを忘れてしまう人が多くなっていった。僕たちのような、一部の人間を除いて。
それが、僕が生きる現代。魔法がメルヘンやファンタジーの中のものとされる世界。 勿論、全世界の人々がそう思っているわけではない。ただ、多くの人が魔法の存在を認知していないだけだ。今、僕の目の前にいるコイツのように。
「おい、朝陽! そいやぁ昨日のアレ、見たか!?」
鼻息を荒くしながら、堂島隆志は身を乗り出すように訊いてきた。その声の大きさに向かいに座る僕は顔をしかめ、それとなく周囲を見渡す。数人の見知らぬ人と目が合った。まったく、こんな大勢の中で大声を出さないでほしい。
ここは学園内の学食。僕と堂島はテーブルに向かい合って座っている。今日のメニィーは、僕は日替わり定食、堂島は大盛りのカツ丼だ。
僕は小さく息をつき、目の前のコイツへ視線を戻す。
「昨日のアレ? アレって何のこと?」
「アレといったら決まってんだろ。『マジカル名探偵ノゾミ』だよ」
今回は堂島のヤツも場を弁えたらしい。今度は少し声を落とし、しかし興奮を隠し切れないようで目を見開いている。
言われ、はっと思い出す。あぁ、そういえばそんなの、コイツの勧めで惰性で見てたなぁ、と。
『マジカル名探偵ノゾミ』。毎週水曜に放送のテレビドラマ。内容は至ってシンプルで、名探偵の少女ノゾミが、謎多き事件を次々に解き明かしていくというもの。そんなありきたりな内容だが、このドラマは他とは決定的に違う点がある。それは、題名にマジカルと銘打っている通り、主人公であるノゾミが魔法使いであるというところだ。本編では必ず、魔法を使って事件は解決される。それはもう、とびきりファンタジーな魔法で。
「あぁ、ノゾミか。うん、見たよ。昨日のも面白かったね」
「そうか、見たか!」
適当に返せば、堂島は再び興奮を取り戻してしまったようだ。手にはどんぶりを持ったままデカい図体で身を乗り出し、顔をにやけさせている。急に厚い壁が押し迫ってきたような錯覚を覚え、無意識に体を後ろへ引いた。
そんな僕に構わず、堂島は饒舌に話し出しす。
「いやぁ、昨日のノゾミちゃんも良かったよな! 何てったって最後の犯人を言い当てたシーン! 激昂した犯人がノゾミちゃんに襲いかかるところを、魔法の力で身体強化して返り討ちにしちまったもんな! あのアクションは痺れたな! それと、中盤の違法取引を目撃するシーン! 犯人に見つかりそうになるところを、まさか魔法でウサギに変身して免れるとはな! あれは驚いた! 魔法ってのは便利なもんだな! それから――」
「ちょ! ストップストップ! もういいよ、分かった、十分分かったから」
このままだと止まりそうにないことを察し、急いで堂島を止めにかかる。すると、堂島ははっと我に戻ったように落ち着きを取り戻した。
「おっと、いけねぇ、また熱くなっちまった。すまんな」
そう言って、ヤツは申し訳無さそうに頭の後ろをポリポリ掻いた。その様子を見て、僕もほっと安堵の息を漏らす。
『マジカル名探偵ノゾミ』は今最も人気あるドラマシリーズだ。人々の興味を惹くのは、やはり何と言ってもあのファンタジーな魔法の数々だろう。動物に変身したり、ただの砂糖を甘いお菓子に変えたり、時には過去や未来を見たりする。
まさにファンタジー、空想の中の世界。堂島を含め多くの人は、魔法をそういうものとして認識している。
まあ、好きなものは好きでいいのだけど、毎度のことながらコイツのノゾミ好きにはほとほと呆れる。それほど熱中できるものがあるとは、逆に尊敬できるほどだ。
「はあ、お前のノゾミ愛には尊敬の念すら覚えるよ。そんなにノゾミの女優さんが好きなんだな」
何となくその言葉を返し、僕はぬるくなった味噌汁をすする。すると、一方の堂島は箸を進めることなく、考えるように右上を向いた。
「好きっちゅうか、何ちゅうか。似てるんだよな」
「……ノゾミが? 誰に?」
「誰って、白峰にだよ」
その言葉を聞いた瞬間、僕は思わず口に含んだ味噌汁を噴出すところだった。何とか堪えたものの、気管の方へ味噌汁が行ってしまい、僕は口を押さえて激しくむせた。堂島が焦ったように声を掛けてくる。
「お、おい、お前大丈夫か?」
「ゲホッ、ゴホッ、だ、大丈夫。それより、白峰って……」
「おう、我らが二年のマドンナ、白峰彩葉だ」
白峰彩葉。まさか、ここでその名を聞くことになろうとは。
ぱっと昨日の光景が目に浮かぶ。唐突に僕の前に現れ、まるで見せ付けるように魔法を使う彼女の姿を。
「腰まで届く長い黒髪、きりっとした眉、すっきりした顔の輪郭、慎ましやかな胸、華奢で白い手足。性格は、ノゾミちゃんは活発で白峰はクールビューティーって感じだが、外見だけなら似てるだろ?」
「うぅん、言われてみれば」
確かに、似ていると思った。それと同時に、合点がいったように心の中で手を打った。なるほど、コイツはノゾミが好きというより、白峰が好きなんだ。
コイツの言う通り、白峰さんは二年のマドンナ的存在だ。彼女の存在を知らない男子はいないし、その多くが彼女に憧れる。その美貌に併せ、普段あまり口を開かないところも、彼女の神秘性を高めていることだろう。
それにしても、クールビューティーか。普段の印象ならその言葉が当てはまりそうなものだけど、昨日の彼女はとてもそうは見えなかった。
「おっ、噂をすれば」
堂島が呟き、僕の背後を顎で指す。腰を捻って後ろを振り向けば、向こうのテーブルにこちらに向くように座る白峰さんの姿があった。彼女の前には僕と同じく日替わり定食。今日の白峰さんは一人なようで、周りには誰も座っていなかった。
「今日の白峰もいいねぇ。いつもと変わらず、キレイだ」
堂島が後ろで下卑た声で呟く。いつもの僕だったら、冗談で「本当にな」の一言でも言ったかもしれない。けれど、昨日のことがあった今、僕にそんな気は起きなかった。
確かに、白峰さんは女子の中で一番の人気を誇っていた。少女のような無垢なあどけなさを残し、かつどこか大人びた雰囲気を醸している。普段は寡黙で人を寄せ付けないように見えて、いざ話してみればやわらかな物腰だ。その外見と性格、その二つがあってこそ、彼女は男子からも女子からも人気が高いのだろう。
とても、昨日の彼女と同一人物とは思えない。
そのとき、彼女がふとこちらの視線に気が付き、顔を上げた。しまったと思った時には既に手遅れで、僕と彼女はばっちり目が合ってしまった。
目を逸らせず、かといって強く睨み返すこともできないでいると、ぱっと、彼女は僕に微笑みかけてきた。
「おおおおぉい」
後ろで堂島が声を震わせた。その声に引き戻されるように、僕は堂島を振り返る。
「なんだよ。急にヘンな声出して」
「な、なあ今、白峰がこっち見て笑いかけてこなかったか? 俺に笑いかけてきたよな?」
そんなわけがあるか。
どうやら、堂島はあの微笑を自分に向けられていたものと勘違いしてしまったらしい。それは悲しい男の性。しかし、その悲しい勘違いを正すのも友の務めか。
僕は堂島の背後へそれとなく目を向ける。
「どうかな、向こうに友達でも見つけたのかもしれないよ?」
「そうだよなぁ、俺に笑いかけるなんて有り得ないよなぁ。だって俺、白峰と話したことないし」
大男はがっくしと肩を落とす。図体は無駄にでかいはずなのに、今は妙にその体が小さく見えた。何とも哀れな姿だ。可哀想な堂島のため、なんとか話題を変えようとする。
「なあ、堂島」
元気のなさそうにもそもそと食べる堂島に問いかける。
「なんだ?」
「ちょっと話は変わるんだけど、もし、仮の話だけど、現実に魔法が使えるなんて言い出す子がいたら、どう思う? ほら、ノゾミみたいに」
僕の言葉に堂島はしばしぽかんとしていたが、やがて困ったように小さく笑った。
「現実に魔法かぁ。小さい子供だったら可愛らしいと思うよ、うん。ほら、サンタクロースを信じてるのと同じ感じで」
「いやいや、小さい子じゃなくて、例えば、僕らと同じ高校生とか」
「高校生でかぁ。そりゃちょっとイタイ子だな」
堂島は何とも言いがたい微妙な表情を浮かべていた。
やはりそう思うか。当たり前といえば当たり前だ。高校生ともなれば、そんな夢を見る年齢ではないのだから。この年でサンタを信じてる人はまずいないだろう。
「はろー、二人とも」
話の途中、横から急に呼びかけられた。驚きつつ顔を上げれば、僕の隣に学食のプレートを持った女子生徒、柳瀬詩織が立っていた。
「あぁ、詩織か。珍しいな、今日は一人?」
訊けば、詩織はいつもながら眩しい笑顔を浮かべた。
「そうなの、氷川たち今日委員会の用事があるみたいで。あ、ここ空いてる?」
「空いてるよ」
僕が頷けば、彼女はすっと僕の席に腰掛けた。彼女のプレートの上には大盛りの掻き揚げ丼が載っていた。一度手を合わせると、詩織は堂島と同様、丼を掻きこみ始めた。
「んで、何の話してたの?」
口をもごもごさせながら、詩織は僕と堂島に交互に視線を移す。僕たちは一度目を合わせると、堂島が先に口を開いた。
「それがな、朝陽が急にヘンなことを言い出したんだよ」
「ヘンなこと?」
「おう、『現実に魔法が使えるって人がいたらどう思うか』って」
その一瞬、詩織の明るい笑顔に陰が差したのを僕は見逃さなかった。が、その後すぐさま笑顔を取り戻し、詩織が僕の背中を軽く叩いた。
「現実に魔法が使えたらって、なにそれぇ。あさひ、どしたの急に? もしかしてアレですか? 中二病ってヤツですか?」
ヘラヘラ笑いながら、詩織が何度も僕の背中をパシパシ叩く。僕は恥ずかしさ半分になりながら、何とかその手を捕まえた。
「痛いな、やめろよ。ってか、そんなんじゃないって。ただ、ほら、最近魔法を題材にしたアニメとかドラマとかが多いし。だから、ただのもしもの話だって」
「そんな顔真っ赤にしながら言われても、言い訳にしか聞こえないって。あはは」
詩織は愉快そうに笑っている。居たたまれなくなった僕は、隣を無視して箸を動かす。そんな僕ら二人を前に、堂島も豪快に笑う。
「はっはっは、早速夫婦漫才を見せ付けるとは、相変わらずお前らは仲が良いな」
「め、夫婦っ!?」
堂島の言葉にいち早く反応したのは詩織のほうだった。詩織は素っ頓狂な声を上げ、耳まで真っ赤に染めていた。
「だ、誰が夫婦よ! あたしとあさひはただの幼馴染で、全然、そんなんじゃないんだから!」
よくぞ言った、詩織。だが、女子にばかり言わせるのも男が廃る。ここは僕も加勢しよう。
「そうだぞ! 僕と詩織はただの腐れ縁ってだけだ。それに漫才なんかじゃない。一方的な虐待だ」
「なっ!?」
詩織に同調すると、何故だか今度は僕のほうを睨みつけてきた。一体何かと思ったが特に何を言われるでもなく、急に不機嫌になった詩織はそのまま手元のどんぶりにがっつき始めた。う~ん、なんだか良くわからん。
詩織がご機嫌斜めになったところで、ふと堂島の丼を見れば中は既に空になっていた。一方、僕の定食は半分ばかり残っている。少しお喋りに夢中になりすぎたようだ。
詩織も堂島同様食べるのが早い。僕もさっさと食べてしまおうと箸を伸ばそうとしたところで、向かいに座る堂島が立ち上がった。
「んじゃ、俺は食い終わったし、先に行くわ。まだ時間はあるし、二人でゆっくりしってってくれ」
「えっ、お、おい、堂島……」
そして、堂島は何を思ったか、僕たちを置いて一人先に席を立ってしまった。気持ち悪いウィンク一つを残して。
「どうしたんだ? 別に用事があるわけでもあるまいし、なぁ?」
それとなく詩織へ水を向けるも、詩織は箸を止め、何かを考え込むように俯いていた。
「詩織?」
どうしたのか。彼女の名を呼ぶと、詩織はふと顔を上げて僕の目を見据えた。その目には、先ほどまでとは打って変わり、真面目な眼差しが宿っている。
ほんの一瞬の間を置いて、詩織はおずおずと口を開いた。
「あさひ、何かあった?」
「何かって、別に何も無いよ」
「そんなの嘘。だって、あさひから魔法のことを話すなんて……」
やっぱりその話か。話題が話題だけに、勘付かれないはずはないよな。
神妙な面持ちの詩織。普段の明るさが嘘のよう。それほど、彼女は僕のことを気にかけてくれている。それをありがたいと思うと共に、やるせない罪悪感を胸の奥に感じる。
やっぱり、あの話題は出すべきじゃなかったか。
僕は笑顔を作り、声の調子を整える。
「僕は大丈夫。いつも通りだから。……でも、心配してくれてありがと」
「ううん、こっちこそ。お節介でごめんね。でも、あさひが大丈夫ならいいの」
自然と空気が重くなる。詩織と魔法の話題が上がるといつもそう。詩織は魔法に対して過敏すぎるんだ。それはきっと、僕がずっと昔のまま、脆い人間だと思っているからだろう。
けれど、それは案外当たっているのかもしれない。魔法のことを思うたび、自分の昔を思い出す。そして考えるんだ。これで良かったのか。自分の歩んだ道に、果たして後悔はなかったのか、と。
僕はまだ、その答えを出しあぐねている。