わたしと恋人になるのはイヤ?
ナイアガラフォールズも驚きの急展開
それは、無事白峰さんが復活を果たしてから数日後のこと。カレンダーは八月のページに移り、暑さもいよいよ頭打ちとなる中、僕のスマホがブルブルと電話の着信を知らせる。画面を見ると、白峰の字が書かれていた。
一呼吸置き、通話ボタンをタップする。
「もしもし」
『あ、もしもし? 桐江君? 白峰です』
電話口からやけに快活な声が響く。初めはその声の主が白峰さんとは思えなかった。普段はもっと落ち着いた声だったから。
『ごめんね急に。今、時間よかったかな』
「あぁ、大丈夫だよ。で、こんな時間にどうしたの? 何か用?」
ちらりと時計を確認すると、針は九時を指していた。魔法屋が普段活動するのは午後。なのに、こんな時間に電話を掛けてくるとは、何かあったんだろうか。
そう訊ねてみれば、彼女の声は一際大きくなった。
『そうそう、聞いてよ。この前ね、デパートの懸賞で宿泊券が当たったの。それでね、そのホテルの場所が丁度有名な海水浴場の近くだから、今日友達と一緒に旅行に行く約束してたんだけど、さっき急にドタキャンされちゃってさ』
「お、おう」
白峰さんが旅行? 新情報に思わず戸惑う。
そして、なんとなく展開が予想できるぞ。そしてこれは断れないやつだ。
その予想通り、彼女は次にこう続けた。
『ホテルは当日キャンセルできないし、だから桐江君、一緒に旅行に付き合ってくれない? ほら、まだ短い付き合いとはいえ魔法屋のよしみでさ』
壁に掛けられたカレンダーを睨みつける。今日、明日どころか一面が真っ白。これは幸か不幸か分からない。ただ、確かなことは一つ。断ろうとすれば間違いなく面倒なことになるということ。
『まさか、用事があるわけじゃないよね?』
そう言われれば、よもや断れるはずがなかった。電話を片手に、天井を見上げる。
「あぁ、分かった。行くよ」
そう告げると、白峰さんは電話の向こうで嬉しそうに声を上げている。少しして気分が落ち着くと、詳しくはメールで伝えるね、と残して電話は切れた。
糸が切れた操り人形のようにベッドの縁に力なく腰掛ける。メールはすぐに着信音とともに届いた。開いてみれば、短い挨拶と持ち物、今日の集合場所だけが書かれていた。持ち物はお金と着替え、それと水着など。集合場所は今日十三時、駅前の時計塔付近。
突然過ぎるイレギュラーな事態。まさか急に小旅行に行くことになるとは。いや、それ自体は何も問題はない。問題はゆずだ。もし僕が白峰さんと一緒に出かけると知れば何を言い出すか分かったもんじゃない。理由は分からないが、ゆずは彼女を目の敵にしているようだから。
まあそこは、男友達と泊りがけで出かけてくると父さん経由で伝えてもらえばいいか。幸いなことに、ゆずは今学校の部活動に勤しんでいるはず。
不安は残るが、先ずは準備をしないと。如何せん出発は今日なのだから。
僕は手始めにキャリーケースを探そうと、ベッドの縁から重い腰を持ち上げる。
***
指定された駅前に着けば、そこは多くの人で賑わっていた。両親と手を繋いで笑っている子供たち。恋人同士と思しき男女のペア。数人のグループもいくつか見える。そんな人込みの中を掻き分けて進むと、大きな時計塔の下に白峰さんの姿が見えた。彼女は塔に背中を預けて、周りの喧騒には目もくれず空を見上げていた。
風に吹かれ、髪が靡いている。無表情な彼女、その周囲だけ不自然に切り取られているような、そんな感覚がした。
少し躊躇いを抱きつつ、その横顔に声をかける。
「や、やあ白峰さん」
その声にはっと振り向くと、彼女はそれまでの表情が嘘であったかのように笑顔を咲かせた。
「あ、やっと来た。もぅ、女の子を待たせたらだめでしょ?」
「待たせたらだめって、まだ集合時間になってないだろ」
彼女の頭上の時計を見上げると、まだ針は一時の五分前を指している。待ち合わせは一時。ちゃんと五分前集合を守ったというのに、白峰さんはどうやら不満らしい。
「そう言う問題じゃないの。全く、桐江君は本当に女の扱い方がなってないんだから」
白峰さんはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。その後姿を半目で睨み、ため息をひとつ。
彼女はそう言うけれど、この世に白峰さんの扱いが上手い男などいるのだろうか。いや、いないだろう。我がままだし、強引だし、若干高圧的だし。
「ちょっと、今失礼なこと考えてたでしょ」
「いや、別に……」
彼女の視線が鋭く突き刺さる。まさか心の中でも覗かれたのかと一瞬驚いたが、しかし冷静になればそんなことは不可能だ。これが女の勘というやつなのか。
そういえば、前に堂島が変なことを言っていたな。確か、
『女とデートするときはな、初めに彼女の服装なり何なりを褒めるのがコツだ』
とか言ってたか。まともに彼女できたことがないはずなのに、そういう知識だけは一丁前なんだよな、あいつ。
まあ、僕らは別にデートに出かけるわけではないけれど、女の扱いが下手だと言われたままは癪だ。少しからかってやろう。
「ただ、今日も白峰さんは普段より綺麗だなと思っただけ」
「……」
彼女は目を丸くして僕を見つめている。まさかそんなことを言われるとは思わなかったことだろう。驚いたような照れたような顔がいつもの彼女に似つかわしくないことこの上ない。流石に笑いを我慢しきれなくなった僕は「なぁんてね」とおどけて見せようかと思ったが、先に口を開いたのは白峰さんだった。
「そ、そう、ありがと……」
彼女は僕に背を向けて指先で髪をくるくるしている。
なんだろう。この変な気分は。彼女の反応と仕草に妙に心が焦る。これまでこんなことは無かったのに。
喧騒の中、僕らの間に沈黙が流れる。何か話さないと。そう考えるほどに言葉は出てこない。そんなとき、周囲に鐘の音が響き渡った。一時を知らせる音だった。
我に返ったように彼女は頭上の時計へ、そして僕へ視線を移す。
「も、もうこんな時間。さあ、行きましょう。もうすぐ電車が来るわ」
***
多くの人々でごった返す中、乗り込んだ鈍行は案外人が少なく、僕らは丁度空いていた二人掛けの席に座ることにした。白峰さんが窓側で、僕が通路側だ。
「座れて良かったね。特急に乗らなくて正解」
隣で彼女が笑っている。これから遠足に出かける小学生みたいな無垢な笑顔だ。彼女のそんな顔はやはり新鮮で、僕は思わずその横顔を見つめてしまう。
「ん、なに? わたしの顔に何かついてる?」
「あぁいや、何でもないよ」
「……そう」
視線に気付かれ、すぐさま顔を逸らす。その挙動不審さは自分自身で呆れるほどだった。が、彼女はあまり意に介していない様子。彼女はそのまま窓の外へ目を向けている。何となく、僕もその視線の先を追ってみる。流れる建物、電柱、雲。移り変わる風景の中、まるで遥か遠くまで来てしまったかのような錯覚を覚えた。知らない景色ばかり目に映るからだろうか。
「ねぇ、桐江君」
「ん?」
ふと、彼女が口を開く。
「今、すっごいドキドキしない? 何だか悪いことしてるみたいで」
そう語る彼女の口調は、詩織やゆずと話すときに似ている気がした。軽快で声のトーンが少し上がっていて、何より楽しそう。そして、彼女の言うある単語が僕の心を強く惹きつけた。
「悪いことって?」
白峰さんは窓の外へ向いたまま言葉を紡ぐ。
「男の子と二人きり、荷物を持って別の街へ。これだ聞くと、駆け落ちする恋人っぽくない?」
「えぇ!?」
こんな公共の場でなんてことを! 僕と白峰さんが恋人だって!? よしてくれよ。冗談でも、学園の男子共に知れたら殺される。
それに、そもそも僕と彼女がそういう関係になれるはずがない。僕と彼女が釣り合うはずがないし、そもそも彼女は僕をそんな目では見ていない。いつかの放課後のようにからかって遊んでいるだけだ。
「変な冗談はやめろよ。僕らはそんな関係じゃないんだから」
「……桐江君は、わたしと恋人になるのはイヤ?」
「イヤとかそんなんじゃなくて、その……」
だから、そんな思わせぶりな言葉もすべて嘘だ。分かってる、理性では理解しているのに、鼓動がどんどん早さを増していく。それをすぐ隣の彼女に知られたくなくてつい腕組みをするが、彼女は僕の顔を覗き込んでニヤニヤしていた。
「イヤとがじゃなくて、なに?」
「……君のことはそんな風には見れないっていうか、ほら、僕ら友達だから」
が、その言葉が墓穴を掘ったようだ。彼女は目を細め、「しめた」という表情をしていた。
「そんなこと言って照れ隠ししても、耳が真っ赤なのは隠せないよ?」
手を耳元にあてがうも時既に遅し。彼女はころころと笑い、僕は隣で顔から火が出る思いだった。
何故だ。僕は我がままに付き合ってあげている側だというのに、どうしてこんな辱めを受けなければいけない。一体僕が何をしたというのか。
そんな心の叫びは届かず。しかし代わりに、一頻り笑い終えた彼女は落ち着いた口調で続ける。
「でも、そっか、桐江君はわたしのこと、友達って思ってくれてるんだ」
「伊達に一緒に子供たちと遊んでないからな」
さっきとは違う、遠い目をしながら笑みを零す。
「嬉しい。わたしね、実はこういうの憧れてたんだ。家族とじゃなくて、友達と旅行に行くの」
「……悪いことをしてるみたいだから?」
「違うよ。単純に、友達とどこか遠くへ行くことが無かったから。今日が初めてなんだ。だからね、すっごい楽しみなの」
その弾む声から、彼女の気持ちが伝わってくる。
ころころと変わる白峰さんの表情。いつもの冷静な彼女とは全く違う。これが素の白峰さんなんだろうかと思うと、自然と笑みが零れた。そうか、白峰さんも普通の女の子なんだ。
「ねぇ、桐江君はどう? 一緒に旅行、楽しみじゃない?」
白峰さんが目を輝かせて訊いてくる。僕は天井を見上げ、少し逡巡する。
「まぁ、家でごろごろしてるよりかはいいかもしれないな」
そうだな。いつもの彼女の強引さに付き合わされているだけだけど、こんな週末もたまにはいいかもしれない。
再び窓の外へ目を向ける。移り行く景色。最早その光景の中に僕らの日常はない。こうして二人で電車に乗る光景も、これが最初で最後なのだろうか。
電車が揺れるたびに肩が触れる。彼女をこんなに近くに感じるのは初めてのことだった。お互いの息遣いさえ聞こえてしまいそうなほど。そう意識し始めたら止まらなかった。僕は通路側へ視線を逃がした。
早く着いてくれないかな。そうでないと、こっちの精神が持たなくなる。しかし残念なことに僕らが乗り込んだのは各駅停車の鈍行。人混みを避けた代償は思いの他大きかった。
この二人だけの時間は、まだまだ終わりそうにない。
***
それからどれほど時間が経過したことだろう。出発時点では天高く輝いていた太陽が、今では赤く輝いている。鈍行とは恐ろしいものだ。
この時点でこっちは一仕事終えたくらいに疲れているのに、一方の白峰さんはむしろ元気そうだった。
「んぅ~! はぁ、着いたぁ!」
空高く伸びをして、彼女は振り返る。電車の中で何度も見た笑顔を浮かべながら。そして僕の顔を見るなり彼女は小首を傾げる。
「あれ? 桐江君、元気ない? 流石に五時間の電車の旅は疲れたかな」
「そういう白峰さんは元気そうだね」
「わたしは普通に楽しかったよ? 桐江君と沢山お話できたし」
まあ、僕にとってはそれが疲労の主な原因なんだけど。女子とこんな経験をしたことがない僕にとって、肩を寄り添って交わす言葉の一つ一つが心臓に悪かった。それを五時間も続けていたんだ。そりゃ疲れるわけだ。
「さあ、わたしたちの泊まるホテルまでもう少しかかるわよ。行きましょう」
切り替えとばかりに彼女は一度手を叩く。夕日の空に白峰さんの澄んだ声が染みていく。空を見上げれば、丁度カラスが二羽夕日に向かって飛んでいる。一つ深呼吸をして、カラスの飛ぶ方へと歩き出した。
***
それからバスを乗り継ぎ、街から遠ざかること数十分。夕日の赤が夜の闇に変わるころ、僕らは今日泊まるホテルの玄関口へ到着した。宿泊券と言うので正直期待はしていなかったのだが、それは僕の予想を大きく超える佇まいだった。もちろん、いい意味で。
「でっか~」
階数を数えるのも億劫になるほど大きなホテル。天辺はどこかと背中を反って見上げるも、最上階は夜の闇に紛れて見えない。こんなでかいホテルにまさか自分が泊まれるのか。
「どう、びっくりしたでしょ。ここが今日のお宿よ」
「あぁ、驚いたよ……」
その言葉に生返事を返すと、白峰さんはため息を一つついて足を踏み出した。
「もう、そんな上ばっか見上げてたら田舎もんだと思われるよ。さ、こんなとこで突っ立ってないで、早くお部屋に行きましょう」
その言葉に引っ張られるようにして、白峰さんに続いてエントランスへ足を踏み入れた。
チェックインは白峰さんに任せ、僕はロビーの丸いソファに腰を下ろす。僕の他に数人がぽつぽつとソファを占めている。そのまま周りを見回してみる。高い天井から釣り下がる仄暗い橙の明かり。白い壁と黒く艶やかな柱、そして滑らかに敷き詰められた大理石の床。ロビーの内装だけ見ても、このホテルのレベルの高さが窺える。そしてその中ポツンと一人で座る僕は、身の丈に合わない場所へ来てしまったことに若干の落ち着きなさを感じている。
膝の上で組んだ指をもじもじさせて気を紛らわせていると、思いのほか早く白峰さんがカウンターから戻ってきた。
「チェックインは済ませたわ。早速お部屋に行きましょう」
僕らはエレベーターに乗り、五階のボタンを押す。エレベーターは途中で止まることなく、やがて五階のランプが点灯し扉が開かれた。そこで一組の夫婦と入れ違いになった。
「えぇと、わたしたちの部屋は、513、513……」
白峰さんは手元の鍵番号と部屋の番号を交互に照らし合わせながら進んでいく。その後ろについて歩いていると、彼女はあるドアの前で足を止めた。
「ここだわ」
鍵穴に鍵を差し込んで回せばガチャリと響く開錠の音。彼女は鍵を抜くと、そのままドアノブをひねってドアを押し開ける。
その先は暗く何も見通せない。僕らは二人して壁にぺたぺたと手の平を這わせて電気のスイッチを探す。それはすぐに見つかった。
「電気のスイッチ、あったよ」
呼びかけると同時にパチンとスイッチを入れると、ワンテンポ遅れて部屋中が明かりに満たされる。その瞬間目に飛び込んできたのは、ザ・高級ホテルの一室だった。寝室とリビングが一続きになったような広い空間。リビングサイドには豪華な絨毯の上にこれまた立派なテーブル、テレビ、くの字に曲がったソファなど。そして寝室サイドには、
「見て見て! このベッド、すっごいふっかふかだよ!」
二つ並んだ白いベッドの一方にダイブする白峰さんの姿があった。
何やってんだ、子供じゃあるまいし。と、心の中で呆れてため息をつきつつ、しかしふと疑問が浮かび上がる。
ベッドが二つ?
「な、なぁ、白峰さん。一つ確認したいんだけど」
「ん、なに?」
「僕らって部屋は別々だよな? この部屋で一緒に泊まるなんてことないよな?」
僕の問いかけに、彼女はにっこりと笑う。良かった。やっぱり別々だよな。男女が同じ部屋で寝るなんてありえないよな。
しかし次の瞬間、僕の幻想はいとも容易く打ち砕かれた。
「ううん、一緒の部屋だよ。だって、貰った券、ペアチケットだもん」
「……」
思わず耳を疑った。白峰さんと同じ部屋で寝る? しかも隣だと? いやいや有り得ない。だって僕たち、そういう関係じゃないだろ。ただの友達だろ。ただの友達同士の男女が並んで寝ちゃダメだろ。
「桐江君、おどおどしちゃってどうしたの? もしかして、わたしと並んで寝るのが恥ずかしい?」
「んな訳あるか!」
つい認めたくなくて、反射的に返事を返してしまう。それをいいことに、彼女は得意顔でこっちを見つめてくる。
「ふふん、そうだよね。わたしたち友達だもん。同じ部屋で寝るくらいおかしなことじゃないよね?」
「うぐぐ」
きっと彼女は心の中で僕のことを笑っていることだろう。しかし、今更発言を覆すことはできず、悔しさに奥歯を噛み締める。
そんな僕を余所に、白峰さんは立ち上がって窓際へ。そのまま振り返らずに僕に言葉を掛ける。
「このホテル、海の真ん前に建ってるから海がすっごく綺麗に見えるんだって。今は夜だからあんまり見えないけど。……ねぇ、折角だから夜の浜辺に散歩に行かない?」
散歩かぁ。少なくともこの部屋で二人きりになるよりかは気が楽なきがする。
僕は返事とともに頷く。
「あぁ、いいよ。行こうか」
「よし、決まりね。じゃあ早速」
旅の荷物を部屋に残したまま、僕らは部屋を後にする。
夏の夜の風は、火照った頬に思いのほか心地いい。昼間の日差しと喧騒が嘘であったかのような静けさ。聞こえるのは細波の寄せる音と、草木が微風に擦れる音。穏かな浜辺の上を、波打ち際に沿って歩いていく。
「何だか夢みたい」
隣を歩く白峰さんが俯きながらそんな言葉を零す。
「家からずっと遠い、全然知らないこの場所で、桐江君と一緒に歩いてるなんて」
「……夢じゃないよ。なんなら頬を抓ってみるといい」
「ふ~ん」
冗談で言うと、彼女は自分のではなく僕の頬を抓ってきた。
「えいっ」
「いひぇひぇひぇ! お、お前何すんだ!」
「あはははっ、だって、ほっぺ抓ってみたらいいって言うから」
「誰が僕のを抓っていいって言った! 自分のに決まってるだろうが!」
「ふふ、ごめんね。でも、これが夢じゃないってことは分かった」
痛む頬をさする傍らで彼女は愉快そうに笑っている。そんな顔をされては気勢を削がれる。怒ってる自分がバカみたいだ。
「そうだ。夢で思い出したんだけど、わたしね、やりたいことがあるの」
再び口を開く彼女に、僕は疲れた声で返す。
「えぇ? 今度は何」
「夏と言えば花火。だから、花火を一緒にやりたいなって」
「はなび……」
これまた唐突な提案だ。唐突すぎて理解が追いつかない。夜の熱に当てられたか。
「そうか、花火か。どうぞ満足するまでするといい。火くらいならいくらでもおこしてあげよう。で、肝心の花火はどこかな?」
「むぅ~」
隣で白峰さんがふくれているのが分かる。まずい。ちょっとおちょくりすぎたかな。さっきみたいに暴力を振るわれるかもしれず身構えるも、彼女の行動は意外なものだった。
「ちょっと桐江君、君は魔法使いとしての自覚が足りないんじゃないの? わたしたちの花火は市販のやつなんて使わないんだから。しっかり見てなさい。わたしたち魔法使いの花火を見せてあげる」
いきなりそう意気込むと、白峰さんは手の平を向かい合わせ、その間に光の球を生み出した。いや、これまで見てきたただの球じゃない。より小さく、より高密度。鈍く光るそれはたまにバチバチと筋を走らせている。
その光景を目の当たりにし、思わず口元が引きつる。
「え? 白峰さん、まさか」
「いっけぇ~っ!」
彼女はくるりと一回転し、その勢いで球を空高く投げ上げる。音を立てずにひょろひょろと昇っていくそれは、やがて速度を失い、僕らの頭上で爆ぜた。
「ど~ん!」
それはまさに打ち上げ花火だった。白峰さんの声と共に激しく音を立て、円を描くように散った光は七色に変化し、ちろちろと夜空へ溶け込んでいく。
その様をあんぐりと口を開けて見ていると、彼女はきりっと僕へ振り返る。
「これがわたしたち魔法使いの上げる花火よ。さあ、今度は桐江君の番。どっちがより綺麗な花火を打ち上げられるか勝負よ!」
「えぇぇ」
どうしてこうなったのか。この勝負の果てになにがあるのか。そんなことを考えても無駄だ。彼女がやると言えば僕は付き合わなければいけない。何より、彼女の目が訴えかけている。さっさとやれ、と。
「わ、わかったよ。やればいいんだろ」
仕方なく、僕は手の平の上に意識を集中させる。浮かぶ球にエネルギーを詰めるだけ詰めこみ、圧縮する。赤、青、緑、黄。球の中に多種多様の色模様を想像する。
「はぁぁッ!」
それを思い切り空へ投げる。僕らの斜め上まで上がったそれは静かに弾け、色を周囲に飛ばす。しかし、白峰さんのそれとは違い、随分不細工な形に色が広がっている。
「ぷぷ、桐江君ったらへったくそ~」
「なに!?」
初めての見よう見真似でこの完成度なのだ。むしろ褒めてほしいくらいだ。
そして白峰さんも、なんだかんだ笑いつつもコツを教えてくれる。
「桐江君はとにかく詰め込みすぎなんだよ。風船の中にゴツゴツした石を目一杯詰めてるかんじ。もっと均さないと。ほら、タマネギみたいに」
「タマネギ、かぁ」
アドバイス通り、脳内でタマネギをイメージする。一層目、赤。二層目、橙、三層目、黄。周囲からエネルギーを掻き集め、層状に積み上げていく。やがて出来上がったそれを見ると、なんだが形までタマネギを模しているようだった。
まあ、気にせず投げ上げてみる。よろよろと昇っていくそれは、さきほどと同じ位置で弾ける。しかし今度は、白峰さんのものより劣るが、色が均等に周囲へ散り、大きな花を夜空に咲かす。
「うまいうまい!」
手をぱちぱちと叩く彼女の傍らで、僕は肩で息をする。
「はぁ、これ、思いの外疲れるな」
「当たり前じゃない。花火を人力で作ってるんだから」
それもそうだった。しかし、だからといってここで終わりではない。彼女は言った。どちらがより綺麗な花火を打ち上げられるか勝負! と。
「じゃあ、今度はわたしの番ね!」
そして彼女は意気揚々と肩を回し、同じように手の平の上に光を集めていく。
それからどれだけ時間が経っただろう。あれからお互い交互に花火を上げるたびに、ああしてはどうか、こうしたらどうだと、花火の知識もあまり無い中アドバイスを出し合った。やがて僕の花火も白峰さんのクオリティに近づき、そこからはお互いがお互いに負けじと花火を上げた。勿論二人とも実物には遠く及ばない。けれど、その時間はとても楽しかった。お互いが気付けば笑っていて、相手の花火を見ては感嘆した。
「それっ!」
白峰さんの何十発目かの花火。勢い良く空へ昇っていき夜空に咲かせたのは、花ではなく赤いハートだった。ここにきて形を変えてくるとは、さすがは白峰さんだ。僕は感心を隠すことなく手を叩く。
けれど、少し彼女の様子がおかしい。
「ケホッ、ケホッ」
咳をして胸を押さえつけている。我に返った僕はすぐさま側に駆けつける。
「だ、大丈夫? どこか痛む?」
そう呼びかけると、彼女は首を横に振った。
「ううん、平気。もう、大丈夫だから」
その言葉通り咳は止んでいる。けれど、一度脳裏を過ぎった不安は消えない。
「花火大会はここで終わりにしよう。病み上がりで無理をしたらダメだ」
花火は一発一発が重い。それを身をもって体験した。それを何十発も打ち上げたんだ。少し前まで寝込んでいた人には堪えるだろう。
「……そうね、わかった」
表情を曇らせながらも彼女は頷き、揃って歩き出す。
海の方角とは対極に、向かう先には光が溢れている。けれど、どれも彼女の光には遠く及ばない。
「それにしても、やっぱすごいな。さっきの勝負は白峰さんの勝ちだ」
もう変に強がることもない。僕より白峰さんのほうが魔法の才能がある。素直にそう認めれば、彼女は照れたようにはにかんだ。思えば、その表情も初めて見る気がする。
「えへへ、そうかな。……ちなみに、どの花火が一番綺麗だった?」
「どれが一番か? う~ん」
その質問に、斜め上を見上げて少し逡巡する。どれも綺麗だったけど、印象的という点ではやっぱり、
「最後のかな。ハート型のやつ」
まさか、あんな複雑な形を魔法で表現できるとは思わなかったから。
そう答えれば、やっぱり照れたように笑っている。街から漏れる薄い光の中でも分かるくらい彼女の頬は赤かった。
「うふふ、嬉しい」
その顔を直視するのが気恥ずかしくなり、僕は視線を前へ戻す。
「……ありがと」
ふと、小さく白峰さんが呟く。花火に付き合ったことへの言葉か。それだったら、これくらい何てことない。むしろ、あんな綺麗なものが見れて嬉しいくらいだ。
「いいよ」
僕も小さく笑って呟いた。
***
帰る道すがらにコンビニを見つけて夕飯を買い、部屋に戻った僕らは夕食を済ませた。そして、その後はもちろん風呂に入るのだが……。
「ふんふふ~ん」
シャワーの音とともに聞こえるのは白峰さんの鼻歌。僕はそれに吸い寄せられるように顔を向けてしまう。リビングから出てすぐの場所。ほんの薄い半透明のドアの先に一糸纏わぬ姿の白峰さんがいるのだ。たとえドア越しでもそのシルエットは見えてしまうことだろう。
白く滑らかな素肌。熱を持った頬は赤く染まり、艶やかな髪から滴が伝う。うなじへ、背中へ、お腹へ、太ももへと。人の手の触れられぬ場所に手を滑らせる様が目に浮かぶ。
「……はっ!? 僕は一体何を。し、しっかりしなきゃ」
頬を思い切り叩き正気を取り戻す。一度深呼吸をし、白峰さんに言われた言葉を思い出す。
『じゃあ、先にお風呂いただくね。言っとくけど、覗いたらだめだからね?』
その顔こそ笑っていたが、あれは挑発なんかじゃない。僕の本能が危険信号を出している。それなのに、なるべく考えないようにしているのに、白峰さんの上機嫌な鼻歌が僕の意識を引っ張ろうとする。どうしても彼女の裸体を脳内から追い出すことができない。
くそっ。音には音。テレビでも付けて気を紛らわそう。妙案を思いつき、テーブル上のリモコンに手を伸ばそうとしたときだった。
「桐江く~ん」
「はひぃ!?」
いきなり風呂のドアが開かれ、白峰さんの声が届いた。僕は何も悪いことをしていないはずなのに、その呼びかけに飛び上がった。
急に呼びかけてきたということは、まさか僕の妄想に勘付いたのか? 相手が白峰さんならそれも有り得るような気がする。
「何驚いた声出してるの? もしかして、わたしの荷物漁ったりしてないでしょうね」
が、どうやらそうではないようだ。胸を押さえる手の平にはまだ激しい動悸の振動が伝わっている。
「し、してないしてない! それで、どうしたの?」
「えっとね、洗顔クリームを持ってくるの忘れちゃって。取ってもらえないかな。わたしのバッグの中の、白い容器のやつなんだけど……」
「あ、あぁ」
僕は右へ視線を流す。隣のソファに置かれたベージュの、白峰さんのバッグ。一度唾を飲み込み、恐る恐るそれへ手を伸ばす。
開けていいのか?
この問いの答えの代わりに、彼女のぐずったような声が聞こえてくる。
「もぉ、はやくしてよぉ」
「分かった、分かったから」
意を決し、バッグのファスナーを開く。中は、いろんな物がごたごたと入り混じっていた。ハンカチからポケットティッシュ、財布、手帳など普通の物もあれば、女子特有ものもなのか、塗るんだか飲むんだか用途の分からないものまで入っている。その中身をあまり崩さないように注意しながら目的の白い容器を探せば、それはすぐに見つかった。
バッグの中身を正し、容器を持って風呂場へ。洗面台の奥には、光りの漏れ出るドアと、その先に見える肌色のシルエット。それを見て、さっきまで脳内に居座っていた妄想が蘇ってきた。
「あ、持ってきてくれた?」
妄想のあまり声をかけることをわすれていたが、僕の存在に気付いてくれた彼女のほうから声を掛けてくれた。向こうからは見えないのに、思わず首を縦に振った。
「あぁ、持ってきたよ」
「ありがとう、そこに置いといて」
言われるままドアの前にそっと置き、逸早くここを離れようと踵を返す。しかし、ドアの向こうから再び声を掛けられた。
「あ、そうだ。桐江君」
「こ、今度は何だ。また忘れ物か?」
首だけ振り返れば、ドア越しに白峰さんがこっちを見ているのが分かる。
「ううん、折角だから、桐江君も一緒に入る?」
「だッ!? はぃ、入るかボケ!」
吐き捨てるように言い、足早に脱衣場を後にした。
***
風呂を済ませると、途端に眠気が押し寄せてきた。浜辺でに花火がやはり体には堪えたらしい。気だるい気持ちを引き摺るようにして僕らはベッドへ倒れこんだ。
「こうしてさ、おんなじ部屋で並んで寝てると、なんだかわたしたち、恋人みたいだね」
寝返りを打つと、こちらを見つめる白峰さんと目が合った。彼女の言葉も相まってその視線に耐えられなくなった僕は、視線から逃れるように反対側へ寝返りを打つ。
「変な冗談は止めろ。君と恋人だなんてありえない」
「どうして? あ、もしかして、既に心に決めた人が?」
一瞬、詩織の顔が目に浮かぶ。
「いない。てか、どうしてそんな話に――」
「またまた~、そんなこと言って。ほんとはいるんじゃないの? ほら、柳瀬さんとかは?」
心臓がビクリと跳ねる。
「ば、ばか。あいつとはそんなんじゃない。ただの幼馴染ってだけだから」
たまに白峰さんは心の中を覗けるのではないかと思うときがある。少し不安になって、タオルケットを肩まで掛けた。
「ふふ、そっか、ただの幼馴染ね。じゃああの子は? 桐江君のクラスの学級委員長。あの子、可愛くて男子から人気だって噂だけど」
言われ、顔を思い出そうとするけれど、あまり上手く描けない。あの人とはまともに話したことがないから。
「可愛い、かもしれないけど、別にどうこう思ったことはないよ。あの人と個人的に話したことないし」
「そっか、桐江君、女っ気全然ないもんね。自分から行動するタイプでもないし。そんなんだから彼女できないんだよ?」
「余計なお世話だ」
「じゃあ、わたしは? わたしのことはどう思ってるの?」
その瞬間、先ほどの白峰さんの言葉が蘇る。『なんだかわたしたち、恋人みたいだね』、と。ただのおふざけ、悪い冗談だと分かっているのに、その言葉がしつこく耳の奥でこだまする。それを振り払う思いできっぱりと言い切る。
「ただの友達だよ。強引で我がままで一度決めたらテコでも動かない、が頭に付くけど」
「えへへ、それは大層な評価だなぁ。そんなに頑固かな、わたし」
後ろでころころと笑っている。それが更に僕の心をざわつかせる。
言われっ放しはやはり癪だ。僕は珍しく何か言い返したくなった。
「逆に白峰さんはどうなんだ? 噂では毎日のように男子から告白されては全部振ってるって話だぞ」
「あはは、毎日は言い過ぎだよ。でも、そうね。たまに呼び出されたりはするかな」
恥ずかしげもなく彼女は答える。これがモテる者の余裕なのか。
「んで、全員振ってるってことは、そっちこそ誰か好きなやつがいるんじゃないか?」
「うん、いるよ」
「えっ」
即答だった。半分冗談で訊いたのに、まさか本当に相手がいるとは。
……なんだろう、この胸の奥の気持ち悪い感触は。虚無感と焦燥感を同時に味わっているような。白峰さんに恋の相手がいようがいまいが、僕には関係ない話なのに。
「そんなに驚くなんて心外だなぁ。わたしだって女の子だもの、恋くらいするわよ。ちなみに、相手が誰か、知りたい?」
「……いや、やめとく」
逡巡の末、聞かないことにした。何となく、聞いたら後悔するような気がしたから。
後ろで白峰さんのあくびする声がする。随分長く話しすぎた。明日もあるし、そろそろ寝たほうがいい。
「もう遅いから寝よう。ライト、消すよ」
上半身を起こして振り返る。白峰さんがうんと頷くのを見て、ライトの紐を下へ引っ張る。カチッと音を立てて、視界が一瞬で暗闇に覆われた。
目を開いているのか閉じているのか分からない感覚。暗闇の中、僕は先ほどと同じように白峰さんに背を向けて横になる。つい今まで感じていた浮ついた気持ちも、目を閉じて横になるうちに落ち着いてきた。うつらうつらと、思考が僕の手から離れていく。
「……もう一つだけ、いい?」
その声に、僕は再び現実の世界に戻された。薄っすらと目を開けば、暗闇に慣れたのか、白い壁が微かに見える。
声は闇の中にその身を潜ませる。まるで気付かれたくないかのように。
「もし、もしもの話だよ? わたしが、朝陽君のことが……気になるなって言ったら、なんて返してくれる……」
「……」
「ごめん、聞こえてたら、さっきのはなしで。おやすみ」
白峰さんが寝返りをうつ。お互いがお互いに背を向けている。
さっきの言葉、どうせいつもと同じ悪い冗談だろう。そうに決まってる。白峰さんが僕のことを好きになるとしたら、その理由が見つからないから。そう思いたいけれど、冗談にしてはその声は随分と慎重だった。
『わたしが、朝陽君のことが……気になるなって言ったら、なんて返してくれる……』
静寂の中、微かな寝息が聞こえてくる。
一つ、また一つと彼女の息遣いを感じるたびに、胸が締め付けられるように痛んだ。




