武闘派悪役令嬢 026b
どうにも最近は、少し顔を合わせていなかっただけで他人が懐かしく思えてしまう。
その感覚はやはり“夢”のせいなのだろうか。寝ている間の出来事をすべて記憶しているわけではないが、それでも夢想の経験は私の脳に深く刻まれていた。いまや私にとっては、一日は二日分に値するものと化しているのだ。
胡蝶の夢、という言葉が頭をよぎる。
現実と夢のどちらが本当の自分なのか? 荘子はこう言った。万物斉同――と。
不可思議で曖昧な世界であろうと、そこに主体である“私”がいるかぎりは、私は私なのである。
だから夢の中の私も。
記憶として残っている前世の私も。
いま酒場のカウンター席で座っている私も。
いずれも万物斉同――この私であることに変わりなく、疑問など抱く必要もない。
「――姐さん」
隣の席に、金髪の屈強な男性が腰掛けてきた。
私はポケットから銀貨を取り出すと、酒場の主人から見えるようにカウンターの上に置く。すぐに気づいた店主が、こちらに近寄って銀貨を受け取った。
「ワインを一杯、持ってきてくれる?」
そう注文すると、「こりゃどうも」と隣から上機嫌な声が響いた。
――しばらくして、木製のコップに注がれたワインがやってくる。
私はそれを隣の男――アルスに手渡した。今日はおごりである。
「遠慮なく頂くぜ、姐さん。……にしても」
「にしても?」
「いや……なんか、いつもと雰囲気が違うような気がしてな」
曖昧なことを言いながら、彼はワインに口をつける。そして少し間を置いて、からかうような口調で言った。
「物憂いような感じで……そう、恋する乙女のように見えたぜ」
アルスは軽く笑うと、ワインに口をつける。
その冗談の言葉は、あんがい間違いではなかった。強く惹かれ、忘れることができず、ずっと想いつづけている強敵――それは恋と表現しても差し支えないだろう。
私は微笑を浮かべると、横目で彼の様子を眺めながら口を開いた。
「最近……素敵な男性と触れ合う夢を見るわ」
「ぶっ!?」
アルスが口の中のワインを噴き出した。……失礼な男ね、まったく。
どうせ私が異性といちゃつくことなんて、想像できないと思っていたんでしょう。
……まあ、そのとおりなんだけど。
「ど……どんなヤツなんだよ、素敵な男性って?」
「……逞しくて、雄々しくて、そして恐ろしい……悪魔のような強者よ」
「はぁ? ……あー……ああ、そういうことね」
アルスは納得したようにため息をついた。それだけで理解できるのは、私と彼との付き合いがあってこそである。
「で――その男と、姐さんは殴り合いをしているってわけか」
「……少し、違うわ」
私は自分の酒を飲みながら、アルスにそう返す。
肉体は触れ合っているが――殴り合ってはいない。
迫りくる攻撃に対して、ダメージを抑えるよう防御する。
それだけで――精いっぱいだった。
殴打を繰り出す余裕などない、一方的な戦力差。
疑いようのない、弱者と強者の構図。
それが夢の中の、私と“彼”の関係だった。
「……手も足も出ない、圧倒的な相手よ」
「ほう……? 姐さんがやられてる姿なんて、想像できないけどなぁ」
アルスは早々にコップのワインを飲み干すと、こちらに笑みを向けて言葉を続ける。
「でも……姐さんが誰かと戦って負ける姿は、一度でいいから現実で目にしてみたいぜ」
「いやな趣味ね、あなた」
軽口とともに、私はアルスと笑いあった。
いつもスパーリングでボコボコにされている彼にとっては、私を打ち負かすような存在に興味があるのだろう。
もっとも――
私が敗北を喫しているのは、ただ夢の中に過ぎない。
そう、夢は夢。
現実ではない。
「……叶わないからこそ、夢なのよ」
「――なるほど、そいつは言い得て妙だ」
私の強がりを含んだ発言に、アルスはどこか感心したように頷いた。
そして……沈黙が流れる。
雑談の話題がなくなり、双方とも笑みを消した。
しばらくして、アルスはゆっくりと口を開く。
「……昨日の夜、シジェ広場の北にある酒場でうわさを聞いた」
――本題だ。
それもある程度、有益そうな情報である。私は目を細め、話の続きを促した。
「西の訛りのある男が、ソムニウム魔法学園のことについて尋ねていたらしい。おそらく外国人だな」
つまりは、フェオート王国の人間なのだろう。使用言語は同じでも、国をまたぐと方言や訛りが相応に存在していた。レオドのように上流階級の出身だと、他国の発音やアクセントを身につけている場合もあるが――貴族以外の外国人だとそうはいかない。
わざわざ他国から王都ソムニアにやってきて、魔法学園について探る男。
それを私は――ずっと前から、網を張って待っていた。
アルスにも協力してもらい、以前から各所の酒場で「そういう男」が現れたかどうか定期的に確認を取っていたのだ。
そして、たしかにソイツはやってきた。
時期としてはずいぶん早いが、レオドの変化も影響しているのかもしれない。体を鍛え、戦う技術を備えはじめた彼の在り方は、ともすれば「消すならさっさと消したほうがいい」という思惑を招くものだった。
「……で、姐さん。そいつは何者なんだい?」
「秘密よ、秘密。……もう一つ、お願いしたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「タダ働きじゃなければ、な」
アルスは笑みを浮かべながら答えた。
暇と金を持て余しているわけではない彼に、無償で働いてもらうわけにもいかないだろう。私もそれを理解していたので、内ポケットから一枚の硬貨を取り出した。
半リブリー金貨――宿代を含めても一週間は王都で悠々と遊べる金額である。その金貨を目にしたアルスは、気分のよさそうな口笛を鳴らした。
「本業がおろそかになりそうだが……姐さんのたっての依頼だ。引き受けるぜ」
「ありがとう。それで、頼みたい内容は――」
私は金貨を彼に渡しながら、仕事の内容を説明した。
それは普通の人間なら、怪しすぎて引き受けないような頼み事だったが――
不審がる顔つきながらも、アルスはやるべきことを把握して頷いてくれた。
うまくいけば、数週間後。
月末に開催されるダンスパーティーのイベントの日の夜に。
情報にそそのかされて学園に侵入した暗殺者と、楽しい時間を過ごすことができるだろう。
――今から“ダンス”をするのが楽しみだった。




