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武闘派悪役令嬢 025b


 ――強くなりたい。


 ずっと、そう願っていた。

 最初は死ぬのを恐れ、脅威から逃れるために、力を欲していた。

 いつしか“気”の力は増し、五体には肉が付き、武は磨かれていた。

 当初の目的は忘れ去り、自身の強さを向上させることを楽しむようになっていた。


 ――もっと強くなりたい。


 だけど、強くなってどうするというのだろうか?

 手段が目的に転じてしまっている。

 その先に、はたして何があるのか。


 己の手足を刃と化し。

 わが肉を鋼へと変え。

 天下無双の力に至り。


 待っているのは――


 誰もいない境地だった。

 ほかの人間は、一人たりとも立っていない場所。

 峻険な山の頂にたどり着いた時、そこにあるのは楽園ではなく。

 何人も近寄ることのできない、ただ孤独の世界に過ぎなかった。




「…………」


 巨大な爪が迫っていた。

 人型だが、人間のそれとはまったく異なる怪物の手。

 その貫手を喰らえば、人体など容易に串刺しにされてしまうだろう。


 私はラボニが召喚したデーモンを、刹那の間に一瞥した。

 禍々しい、黒紫の肉に覆われた異形。

 もう何度、“夢の中”で対峙したのかもわからない相手だった。


 ――デーモンと人間が交わり、誕生した存在。


 ふと、あの時のラボニの言葉を思い出した。

 太古の人間は、このような化け物と子を()したのだろうか?

 姿かたちが違いすぎて、にわかには考えがたい。


 だが――

 たしか、そう。

 デーモンは階級が上になるほど、人間と容姿が近くなると文献にはあった。


 この目の前にいるデーモンが、せいぜい子爵級だとして。

 もし、侯爵や公爵ほどのクラスのデーモンがいたとしたら――


「…………」


 意識せずとも、私の左手が動く。

 下からねじり上げたアッパーが、敵の手首に食い込んだ。

 傾けた顔のすぐそばを、鋭利な爪が(かす)める。


 打撃で攻撃を逸らす――そんな高度な防御も、呼吸をするようにできていた。

 表情を変えず、息を乱さず、私は軽やかな動作で相手の胸元に踏み込む。


 ――正拳中段突き。


 その空手の基本技は、デーモンの肉体をえぐり取り、たやすく風穴を開けた。


「…………」


 しかし、こんな行為に意味はあるのだろうか。

 このデーモンと戯れつづけ、いったいどれほどになるか。

 夢の中の時間は曖昧だった。

 現実では起こりえないほどの戦闘回数を、私はこの幻の場所で繰り返している。


 練習にならないわけではない。

 自分の肉体運用を、技術を、最小化させ、最適化させ、洗練されたものへと変えるのには役立つ。

 だが――それだけだった。


 面白くはない。

 心は躍らない。

 いったいこの先に何が起こるのか、ワクワクすることができないのだ。


 私は欲していた。

 予想を覆すような強者を。

 思いどおりにならないような相手を。


 強い存在を――




 ――願う。




「…………」


 目を閉じる。

 いつもの夢の中。

 ホールで対峙するのは――あの弱いデーモンではない。


 高い爵位を持つ、(かしこ)き魔の君主。

 想像するのだ。

 想像し――創造する。


 ここは私の夢の中であり、常識に捉われる場所ではない。


 考えろ。

 想え。

 そして願え。


 人間に近しい姿でありながら――

 その肉体は人外の膂力を秘め――

 人々に畏怖され、崇められるほどの、圧倒的で超越的な武の化身。


「……ッ!」


 ――刹那。

 凄まじい気配が、私の全身を強烈に叩いた。

 その痺れと熱に、反射的に目を開ける。


 いつもは、見慣れたデーモンが立っている場所。

 そこに……影があった。


 人間……?

 いや、違う。

 そんな生易しいものではない。

 生物としての本能が告げていた。

 そこにいるのは――あらゆる存在を屠り去ることができる化け物であると。


 ――私より頭一つ分ほども高い身長。

 肌は日焼けしたように浅黒く、より人間に近しい色をしている。

 だが、その身にまとった筋肉は――明らかに人類と違っていた。

 ただ鍛えただけでは、とうてい実現できないような肉付き。

 それはまるで鎧のようであり――同時に武器でもあった。


「……悪魔か……鬼か……」


 古代の人が、そう形容したのも頷ける。

 男性形の、恐るべき力を宿したデーモンが……そこにいた。

 長く伸ばした黒髪は、毛の一本一本にさえ人外の魔力が籠っているように感じる。

 顔立ちは雄々しく、勇ましく、凛々しく。

 そして……漆黒の瞳は、視線だけで人を殺せそうなほど鋭かった。


 強い。

 次元が違う。

 この(デーモン)は……私の知る、何よりも力を持った生物だ。


 そう――




 この私よりも、はるかに強かった。




「来なさい……デーモンよ……」


 認めよう。

 私は弱い。

 この、目の前のデーモンに比べれば――赤子のようなものだろう。


 だけど――

 恐怖は抱いていなかった。


 この身が今。

 どうしようもなく震えているのは、怯えているからではない。

 胸に湧き上がる感情は、そう――




 ――歓喜。




「……ッ!」


 デーモンの足が動いた。

 それが見えた瞬間――すでに敵は目前に迫っていた。


 ……バカげた瞬発力だった。

 何かを考える余裕などなく。

 デーモンが無造作な動きで。

 されど常人には不可視の速度で。

 殴りかかってくるのに対し――


 私は……左腕でやっとガードするのが精いっぱいだった。


「……っ!?」


 雷に打たれたような感覚が走った。

 尋常ではない力の奔流。

 きっと……大量の火薬を爆発させた衝撃を、ただ一点に集中させれば、こんな感じなのだろう。


 暴力的な拳を防いだ、左腕の骨が――粉砕された。

 それだけで済むはずもなく、私は空中を舞っていた。

 いや……吹き飛ばされていた、というのが正しかった。


 砲弾にされた人間のような状態。

 すぐに、背中に何かがぶつかった。

 ホールの内壁――だが、私は察していた。


 そんなものでは、とまらない。

 大砲の弾を建物に打ち込めば、どうなるかわかる。

 そう――壁ごと破壊して貫くのだ。


 けたたましい音が響き。

 私の肉体は壁をぶち壊し、そのまま外に投げ出される。


 浮遊感。

 ホールは二階だったから、地面に落ちるまで時間はある。

 体中に痛みと、そして――充足感が広がっていた。


 なぁんだ。

 まだ……強くなっていいんだ。


 そう、山の頂き(最強)はもっと先にあるのだから……。




 私は薄れゆく意識の中、嬉しさを抑えきれず笑みを浮かべた。


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