武闘派悪役令嬢 025a
――本を日常的に読む学生というのは、はたしてどの程度いるのだろうか。
私は図書館へ向かいながら、ふとそんなことを考えた。
ミセリア以外に本を読んでいる学生の姿は、ぶっちゃけ数回しか見たことがない。なぜ読書がそれほどまで不人気かというと、たぶん本を確保すること自体が大変だからだろう。そもそも図書館は貸出不可の書物が多く、プライベートで本を読んで楽しむのならば、街の本屋から自費で買ってくるしかなかった。
そして出版物というものは、この世界ではかなり値の張るものである。一枚刷りの新聞程度ならば安価だが、きちんとした体裁の本となると相応の額となるのが普通だった。私のように仕送り金の多い学生なら本をいくらでも買えるが、大多数の子女たちはそうでもないのだろう。
……そういえば、ミセリアはひと月にどれだけ本を購入しているのかしら?
あの子の実家はわりと金持ちらしく、仕送りはかなりあるようだ。その一方で、服飾などに金をかけている様子はまったく見られなかった。もしかしたら――お金の大半を書物につぎ込んでいるのかもしれない。
「……っと」
そんなことを考えているうちに、私は図書館の扉の前に着いてしまった。
ここに来るのは、久しぶりのような気がする。
司書のリベル・ウルバヌスは一般授業を担当しているわけではないので、なかなか顔を合わせる機会がなかった。
挨拶がてらに、少しだけ会話をしてもいいかもしれない――
そんなことを思いながら、私は図書館の中に入っていった。
「……おや」
すぐに来館者に気づいたのか、カウンターで何か書類を記していた青年は声を上げた。
彼は笑みを浮かべると、落ち着いた口調で話しかけてきた。
「……お久しぶりですね、オルゲリックさん。今日は本を探しに?」
「ご機嫌うるわしゅう、ウルバヌス先生。ええ、少し調べものがございまして――」
会話の途中、私はわずかな違和に気づいて眉をひそめた。カウンターの向こうで座っている彼は、以前とちょっとだけ気配が違っている。過去の記憶と照らし合わせながら、注意深く観察すると――
「…………」
「あ、あの……どうかされましたか?」
こちらの目線に、どこか怯えるような反応をウルバヌスは見せる。
私はカウンターの前まで近寄り、彼を真正面に見据えて――
手を伸ばし、その上腕をがしッと掴んだ。
「……ひっ!?」
か弱い女子のような悲鳴を上げるウルバヌス。
しかしながら、この手から伝わってくる感触は――たしかに男性的な筋肉のものだった。
司書の仕事で、肉体労働の量がいきなり増えるはずもない。ということは、つまり――
「何かしていらっしゃいますのね?」
「……よ……夜に、腕立て伏せを少し……」
猛獣に追い詰められた動物のように、ウルバヌスはぎこちない表情を浮かべながら答えた。
以前にジョークで言ったことを、どうやら彼は真に受けたらしい。
まあ運動不足だと不健康だし、さすがに以前の彼は貧弱すぎたので、筋肉をつけることは悪いことではなかった。
私はニコっと笑うと、掴んでいた彼の腕をぱっと放した。
「あら失礼。以前と比べると、ずいぶん健康的な腕になられたと思いまして」
「あ……あはは……」
「これからも存分に、体を鍛えてくださいませ」
私はそんな言葉を残して、ウルバヌスとの会話を終えた。
…………。
いやいやいや、筋肉質な図書館司書なんてヴィジュアル的にナシでしょ?
冷静な思考が「ないわー」と頭の中で呟く。彼が肉体を鍛えるのにハマって、モリモリマッチョマンにならないことを私は祈るばかりだった。
――そんなこんなは置いといて。
私は書庫から一冊の古めかしい本を取り出すと、それを読書スペースに持っていく。前にもデーモンに関する書物を読んでいたが、今回は少し趣を変えていた。本の内容は――古詩やおとぎ話をまとめ、注釈をつけた文学集である。
関係のなさそうなところは流し読みしつつ、その本のページをひたすら繰ってゆく。
そして、ふいに「畏き魔の君主」という記述を見つけて目を留めた。
少し文を遡って確認すると、どうやらおとぎ話の一つのようだ。
――あるところに男がいて、彼は敵国に故郷の村を滅ぼされ、家族も失ってしまった。男は復讐を願ったところ、その声に応じて魔界からデーモンが現れた。偉大なる魔界の支配者の力を借りた男は、敵国をたやすく滅ぼし、みずからが新たなる王になり上がった。しかしデーモンは、復讐を果たした男のもとから消え去ってしまった。強大な後ろ盾を失ってしまった男は、すぐに反乱を起こされて殺されてしまった。
要約するとそんな感じだが、とくに目新しくもないありがちな物語である。悪魔の力に頼り、あとでしっぺ返しを食らうというパターンの物語はいくつもあった。おそらく教訓的な意味も込められているのだろう。
ただデーモンが出てくる複数のおとぎ話を見てみると、共通点が一つ見られた。それは登場の仕方である。先の物語のように、“願い”に反応して人の前に姿を現すという描写のある作品が大半を占めていたのだ。
それだけだとメフィストフェレスのような悪魔に近い印象だが、狡猾な策士という描かれ方はあまり見られない。むしろ逆で、圧倒的な破壊をもたらす武力の化身というのが主流だった。
そして成立年代の古い物語ほど、デーモンの存在は畏敬すべき貴人のような表現がなされている。
そう、まるで現代の貴族のように――
「ほう……古い本に興味があるのかね?」
背後から、そんな声をかけられた。
むろん近寄ってくる気配には気づいていたので、それに驚きもしない。
わずかに笑みを浮かべると、私は顔をそちらへ向けた。
「――あら、こんにちは。……ラボニ先生」
そう挨拶すると、初老の眼鏡をかけた男性は穏やかな表情を浮かべた。
――フェオンド・ラボニ。
歴史学などを担当している彼とは、授業で何度も顔を合わせている。そして……“夢の中”でも数えきれないほど。もっとも後者は、私しか知りえないことだけれども。
デーモンを現世に喚び出したがっているラボニだが、少なくとも学園で姿を見るかぎりはいたって普通の教師だった。振る舞いや語り口は紳士的で、尊敬すべき人柄としか言いようがない。とても犯罪行為に走るような人物とは思えなかった。
とはいえ人の内心など、そう簡単に理解できるわけもない。
表には出さない胸の内で、何を考えているかはわからなかった。
「……それは、古代詩などをまとめた文学書かな」
「大正解ですわ。さすが先生、お詳しいのですね?」
「歴史を研究する身としては、文学にも精通してなければならぬからね」
ラボニは微笑しながら話す。
おっしゃるとおり、文学は歴史にも深く関与する学問だった。その成立した時期や、文章の描写から、当時の世相をうかがったりすることができる。ゆえに歴史学が専門の彼が、文学にも詳しいのは当然の道理だった。
「しかし……なぜ、そんな古い詩に興味を?」
「興味がありまして。わたくしたちが“デーモン”と呼ぶ存在が、はたして当時はどのようなものと考えられていたか」
「…………っ」
ラボニの笑みが消える。
目を見張った顔は、まぎれもなく驚いている様子だった。
だが――次の瞬間、生まれたのは。
――まるで無邪気な子供のような、屈託のない笑顔だった。
「ほう……! めずらしいことに興味を持っているのだね……! それは私も、ずっと昔から疑問に思っていたことだよ」
「デーモンについても研究なさっていたのですか?」
「ああ、それなりにね。過去の書物を漁りつづけ、調べつづけ……彼らのことを探求してきたものだ」
「よろしければ、先生の知識をお聴きしても?」
そう尋ねると、彼は「うむ!」と嬉しそうに頷いた。
「よいかな。きみたち若者がデーモンという単語を聞くと、邪悪なる異世界の存在、という印象を抱くかもしれないが……」
「違いますの?」
「真実はまったく異なるのだ。千年以上前、つまり古代の時期に成立したと思われる詩や物語を読み解けば……デーモンがただ人間の敵として存在していたわけではないことがわかる。人間よりはるかに強く、逞しく、そう……上位的存在として、彼らは世界に降り立っていた」
「わたくしたち人間は、デーモンに支配されていたと?」
「そう解せなくもない。人間がデーモンに打ち勝つ――そのような描写は、古代詩の中ではいっさい見当たらないからね」
数百年前に成立した騎士物語の中には、主人公の騎士が邪悪なデーモンをやっつけたりするようなストーリーがあったりするが――
どうやらデーモンが実在したとされる古代時期に書かれた物語には、そうした人間の優位性は描かれていないらしい。もし当時、デーモンが人間を服従させるような上位種として存在していたのならば、人間がデーモンを打倒するような物語がないのも頷けることだった。
「――私は五年ほど前に、この国の南端にある遺跡を調査したことがある」
「遺跡……?」
「古代に建てられたとされるものだ。発掘品はほとんどなかったが――遺跡の奥にあった壁画が素晴らしいものだった」
「何が描かれていたのですか?」
「中心におそらくデーモンと思われる、力強い男性形の人物が描かれており――それを崇めるように、多数の人間たちが周囲に描かれていたのだよ」
「……まるで、神様みたいですわね」
「そう……! そうなのだよ。彼らはけっして“悪”ではないのだ。勝手に後世の人間たちが、デーモンの在り方を捻じ曲げたのだよ」
ラボニは興奮した様子で、さらに言葉を続ける。
「そして……もっと重要な事実があるのだ。古代の文学や書物に記されている――いや、“記されていない”という事実が」
「…………?」
「魔法だ。魔法だよ、オルゲリックくん。当時のどの作品を見ても、人間が魔法を使うような描写がいっさいないのだよ。デーモンが超常の力を振るう姿があるばかりなのだ」
「古代人は、“東方”の人々が使うとされる身体強化の魔法を使っていたのでは?」
「その可能性もなくはない。だが、この国や西のフェオート王国で“気術”に言及した古い資料が過去にほとんどないことから考えると、当時は魔法そのものが存在しなかったと考えるほうが自然だよ」
あっ、ちゃんと気の力の名称を把握しているんだ。
さすがこれだけ研究熱心な学者なら、東の国の魔法技術についても知っていて当然か。
だが――古代に、魔法も気の力もなかったのだとしたら。
いったい、どこからやってきたのだろうか。
答えの見つからない私に対して、ラボニはにやっと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「われわれの持つ、魔法の力がどのように脈々と伝わってきたのか……わかるかね?」
その質問に、目を細める。
魔法。それはある日、とつぜん目覚めるような力ではない。努力で得られるようなものでもない。
そう……才能。そしてはっきりと言ってしまえば、遺伝によるものだった。
由緒ある貴族の家に生まれた子供は、もちろん力の強弱はあるものの、ほぼ確実に魔法が扱える。平民の血が混じっていないかぎり、両親が魔術師であれば子供も魔術師なのが理だった。
では――その魔法の才は、どこからもたらされたのか。
貴族の血脈。それを、はるか昔まで遡って、行き着くのは――
「――東の国には、こんな伝説がある」
ラボニは饒舌な口調で言葉を紡ぐ。
「古の世を支配した皇帝は、人の身でありながら人を超越した力の持ち主であった。彼は半鬼半人の存在であった。――とね」
「……鬼?」
「東方では、デーモンのことを“鬼”と呼んでいたようだ」
と、いうことは――
私たち、西方の民の……超常の力を扱う人間の始祖は――
「悪魔と人間が交わり、誕生した存在。……それが、われわれ魔法を使う貴族の源流だと私は考えている」
――半魔半人。
だから“魔法”か。
……説得力はある。
私たちがデーモンの血を引いた、半魔の人間の子孫などということを信じられる者がどれだけいるかは疑問だけれど。
「……ラボニ先生」
真実はわからない。
彼の妄想とこじつけに過ぎないかもしれない。
だが――そんなことはどうだっていい。
「わたくしたちの祖先かもしれない、偉大なる魔の種族――」
ラボニがデーモンに多大なる興味を持ち、そして現世に召喚しようと企んでいる。
その事実だけで十分だった。
きっと、この情熱的な研究者であれば――成し遂げてくれるはず。
「――いつの日か、この目で見てみたいものですわ」
そう言うと、彼は不敵な表情を浮かべた。
自信を持ち、臆することなく、堂々と――ラボニは言った。
「強く想えば、きっと叶うだろう。数多の物語のように、“願い”を抱けば……ね」




