武闘派悪役令嬢 024b
「……で、ルフに説教をしてやったと?」
食堂棟の二階ホール。その窓際のテーブル席でチェスボードを広げながら、私はフォルティスと雑談を交わしていた。
話題となっていたのは、ルフのうわさにまつわる顛末である。女遊びの激しさをわざと演じていたこと、平民のメイドと本気で恋をしていたこと、そして――貴族の身分を失ってでも彼女を選ぶと言い放ったこと。
それを包み隠さず話したのは、単純にフォルティスの人柄を信用してのことだった。彼は軽はずみに、友人が不利になるようなことを口外するタイプではない。それに古臭い価値観を重んじる主義でもないので、おそらくルフに対してはある程度の共感を示しているはずだった。
私は紅茶で唇を湿らすと、チェスの駒を動かしながら言葉を返した。
「……わたくしとしては、発破を掛けたつもりですわ。甘い考えは持たずに、覚悟して道を歩みなさい――と」
「ふぅむ……」
フォルティスはため息が混ざったように呟くと、チェスの盤面を睨むように見下ろした。私のほうが優勢に進めているので、次の手にかなり悩んでいるのかもしれない。
あるいは――ルフのことについて考えているのか。
故郷では縁のあった友人として、いろいろと思うところはあるのだろう。それに道理を違えた恋というのは、フォルティス自身にとっても他人事ではなかった。私だけが知識として知る“世界”において、本来の彼は婚約者よりも別の女性を好きになっていたのだから。
「…………」
フォルティスはうつむいたまま無言だった。その瞳はチェスボードに視線を向けているが――どこか遠いところを見つめているようにも感じられる。
じっくりと長考した彼は――次の一手を動かしながら、私に言葉を投げかけた。
「――ルフとは、デートをしたんだな」
「……はぁ?」
私は間の抜けた声を上げてしまった。まさか、話がそこの部分に戻るとは思っていなかったのだ。
たしかに、ルフを脅してデートをさせたことについては説明していた。だが、そこはとくに掘り下げるような点でもないのではなかろうか。
相手の意図を測りかねた私は、疑うような目つきでフォルティスの表情をうかがった。
「……人物評を確かめるために彼を誘っただけでしてよ。深い意味はありませんわ」
「ああ……わかっているさ」
真剣な面持ちで頷いたフォルティスは、すぐに言葉を付け加えた。
「ただ――俺たちは一度もデートをしたことがない、と思ってな」
私は口にしようと持ち上げていた紅茶のカップを、おもわず静止させてしまった。
まさか……そんなことを気にしているとは、考えもしなかったのだ。
婚約者、という間柄は親が決めたことであり――
彼も私には大した感情を抱いていない――そう思っていたのだが。
「――そうですわね」
私はようやく紅茶に口をつけ、ただ事実に同意する言葉だけを返した。
それで話が終わるのなら、それまでのことだ。
だが、もしフォルティスがそれ以上のことを言うのならば――
「ヴィオレ」
彼が名前を呼ぶ。意志を感じるような声色だった。その先の言葉を予想するのは――ゲームの展開を考えるよりも難しい。
私は思考を巡らせつつも、チェスの次なる一手を指すために駒を掴んだ。
その時だった。
フォルティスは何気なく……私に言葉を投げかけた。
「――今度、デートをしようか」
私はまた、途中で動きをとめてしまった。
わが耳を疑いたくなったが、脳はしっかりと言葉を認識している。
「……いいだろう、たまには」
空中に持ち上げた駒を――次なるマスに着地させることなど忘れ。
私はゆっくりと、無言のまま、彼の発言の意味を咀嚼する。
デートするということ――それは一般的には、仲の睦まじい間柄を示す行為だった。
そして私たちが婚約者同士ということを考えれば――
私がルフとしたような、ただのお遊び程度の外出とは比べ物にならないほどの意味を持つことだろう。
だからこそ――
「俺はしてみたい……お前とのデート」
はっきりと、聞き間違えることなどない、そんな誘いを受け――
私は湧き上がった感情を、抑えることをやめた。
――バキッ!
乾いた音が響き渡った。
それがチェスの駒をへし折ったことによるものだと気づいたのは、おそらく目の前にいたフォルティスだけだったろう。
木製の駒など、少し力を入れただけで壊れてしまう。世の中は脆く弱いものばかりだった。もっと強いものが……私は欲しいのだ。
「ヴィオレ・オルゲリックとのデート……」
私は真っ二つになった駒を、丸ごと手の中に握り込んだ。
そして笑みを浮かべながら、フォルティスに語り掛ける。
「できるわよ」
高ぶる感情を“気”に変え――その右手に籠めた。
筋肉は膨大な力を生み。
皮膚は頑強の鋼と化す。
「する方法が一つだけある」
それは――
「――無理やりデートに連れていく」
私は拳に、あらんかぎりの握力を宿らせた。
力の発現によって――チェスの駒は一瞬で砕かれ、無価値な木片と化す。
「嫌がる私の首根っこをひっつかまえて――引きずり出せばいいのよ」
この手の力に曝されたものは、形を保つことさえできない。
ただ握力だけで――チェスの駒は押し潰され、原形がないほど破壊されていた。
もし、私が握り込んだものが人体の四肢であれば――
結果は言わずもがなであろう。
「拒否するなら引っ叩き、張り倒し、ぶん殴り――服従させる」
嫌も応もなく。
そう――暴を以て暴に易うべし。
誰よりも、何よりも強い力があれば。
どんな欲望だって、叶えられるのだ。
「そうすれば、フォルティス――」
私はニィッと笑顔を歪めた。
とびっきり満面の笑みを。
わが婚約者へと向けて。
「デートもダンスも……思うがままにできるわよ」
――右手の力を抜き、拳を広げる。
粉々になったチェスの駒の残骸が――盤上に砂のようにこぼれ落ちた。
人間の命をたやすく奪うような、圧倒的な暴力の誇示。
フォルティスは表面上は無表情を取り繕っていたが……耳を澄ませば、その心臓が激しく高鳴っていることがわかる。
彼は――恐れ、怯え、慄き、臆していた。
その様子を一笑した私は――椅子から立ち上がって背を向ける。
何も言うことがないのなら、これ以上は相席するのも時間の無駄だった。
ホールから退出するするために、歩きだした私は――
「――ヴィオレッ!」
フォルティスの叫び声に――後ろを振り返った。
彼は額から汗を流しながらも、私の顔をはっきりと見据えている。その瞳には、強い感情の色が宿っていた。
「……どうなさいました? デートのことですの?」
私は口調を戻して、素知らぬ顔でそう尋ねた。
彼は何かを言わんとしかけたが、すぐに思いとどまったように閉口する。そして苦しまぎれのように、その言葉を絞り出した。
「チェス……」
「……はい?」
「チェスの駒……あとで弁償しなきゃダメだぜ」
――本当は別のことを言いたかったのかもしれない。
だが、はっきり告げるほどの勇気はなかったのだろう。
それでもいい。私を呼び止めただけでも――彼は十分な勇者だった。
そう……婚約者として認めてやってもいいくらいには。
「――そのとおりですわね」
私はフッと笑い――その場を立ち去る。
――暇な時に、デートくらいはしてやってもいいだろうか。
そんなことを、ちょっとだけ思いながら。
ツンデレ。




