武闘派悪役令嬢 023a
――失敗した。
ルフたちが食事を取っていた酒場に戻った直後、私はすぐに一つの事実を察してそう思ってしまった。
店の外からでも、私の耳はすべての声を捉えている。その音の中に、ルフとアイリらしきものは存在しなかった。つまり――すでに別の場所に移動してしまったということ。
「……アレのせいね」
私は先の少女のことを思い出して、大きくため息をついた。盗まれたものを取り返してやったのはいい。だが、いかんせん時間をかけすぎた。まあ、それほど早くあの二人の食事は終わらないだろうと、高をくくっていた私も悪いのだが。
――そんな反省をしつつ、酒場の中に入店する。
すぐに周囲を見回し、私は見知った男に目を留めた。その席のもとへ一直線に歩き進む。
そこにはテーブルにボードゲームを広げて、賭け勝負の相手待ちをしている男が座っていた。
「おっ? ……おお、もしかして、この前のお嬢ちゃんか? 怪しい格好だから、誰かと思っ――」
「以前に私と食事をしていた男は、どこへ行ったかわかる?」
「……なんでぇ、いきなり?」
「いいから、教えて」
男は不機嫌そうに眉をひそめると、テーブルをとんとんと叩いた。そちらに目を向けると、銀貨が数枚積まれている。何を言わんとしているか理解した私は、ポケットから6セオル銀貨を取り出して彼に投げた。
「話が早いぜ」
男は打って変わって笑顔になると、そう言いながら銀貨をキャッチした。そして何かを思い起こすように目を細めると、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「たしか……南の広場の店を巡るとかいう声が聞こえたな。この店から出ていったのはついさっきだから、まだそう遠くには行ってないはずだぜ」
「十分よ。感謝するわ」
「なぁ、お嬢ちゃん。せっかくだから、俺とゲームでも――」
「――時間がある時にでもね」
私はそう断ると、すぐに彼に背を向けて歩きだした。残念ながら今はゲームに興じている暇はない。一刻も早く、ルフたちを捕捉しなければならなかった。
「……修羅場ってやつか?」
違うわよ。野次馬ってやつよ。
などと背後で小さく呟いた男に対して、内心でツッコミながら酒場をあとにする。
――南の広場、ということはシジェ広場で間違いない。王都の道はだいたい把握しているので、私にとっては迷う心配もなかった。あの二人の足並みは遅いほうだから、たぶんすぐに追いつけるだろう。
そう楽観視した私は、早足に広場へのルートを辿ることにした。
――ただ、私は一つ計算違いをしていたのだった。
私は道に迷う心配はない。頻繁に学園を抜け出して、そこかしこをうろついているのだから当たり前だ。
だが、こっちが正しい道筋を選んでいても――
……向こうがまったく見当違いの場所に進んでいたら、接触できるはずもなく。
「……アイリも土地勘がないという可能性を忘れていたわ」
私はやるせない表情で、家屋の屋根の上から街の通りを眺めながら呟いた。
けっきょく南の広場に行っても二人を見つけることはかなわず、どういうことかと考えた私は、一つの可能性に思い当たった。つまり――あの二人は道に迷ったのではないか、ということだ。
故郷から都にやってきたルフは当然として、おそらくアイリのほうもこの街の道には詳しくなかったのだろう。学園やら貴族の屋敷やらでメイドとして働く少女は、王都の市民だけでなく地方から出稼ぎに来た子も多いのだ。彼女が後者のタイプならば、二人が道に迷っても不思議ではなかった。
「まったく……世話が、焼けるわねッ!」
そう言いながら、私は足に“気”と力を入れて跳躍した。建物の上から――通りの道を挟んだ、向かい側の建物の上へ。モルタルで固められた足場に着地し、さらに次の足場へと身軽に跳んでいく。
――ディレジア王国の街ソムニアに宮殿が建てられ、そこに王の住まいが移ったのが、たしか歴史書によると八百年ほど前だったか。
それ以降ずっと王都として栄えてきたこの街は、都市拡張をたえず繰り返してきた。城壁を外側に広げるのと同時に、建築物の居住数を高める増築も重ねてきたわけだ。至る所に高層化した建物が密集しているこの街は――実質的に“空の道”を造り上げていた。
私の身体能力ならば、通りの幅を飛び越えることは容易である。つまり――障害物や通行人に邪魔されることなく、無制限に街を移動することが可能だった。
ジャンプで建物の上を移動しつづけながら、通りや広場を見下ろして下界の様子を探る。
それを繰り返して、いったいどれだけの時間が経ったか――
「あ」
それなりにいい運動にはなるものの、さすがに飽きてきた頃合い――
とある寺院の尖塔の上から街を見下ろした時、彼方に金髪の男と黒髪の女のカップルを見かけた私は、即座に動きはじめていた。
高所から建物の上に飛び降り、そこからさらに跳躍を重ね、さっき目についた場所へ向けて空中を疾駆する。
追いつくのには――そう苦労しなかった。
「……ずいぶん遠くまで来たわね、坊や」
私は呆れたように笑いながら、誰ともなく呟いた。ルフたちの現在地は、最初にデートをしていた場所よりもかなり南のほうである。たぶん曲がるべき道がわからずにシジェ広場付近を通り過ぎてしまい、こっちのほうまで迷い込んでしまったのだろう。
ルフたちの真上に当たる建物まで近寄ると、私は二人のほうへ耳を澄ました。
「ここはソムニアの南地区らしいから……戻るなら北の方角に進めばいいのかな」
「さっきお聞きした方が言っていたのは、この通りですよね……?」
不安そうに話し合っている二人にため息をつきそうになりつつ、さてどうしたものかと私は思案する。このまま迷子になっているルフとアイリを眺めていても、正直なところあまり面白くはなかった。何か進展があってほしいところなのだが。
そんなことを考えていると、ふいにルフたちのもとに一人の男が近づいてきた。身なりが貧しく、松葉杖をついている中年の男性である。その姿を見ただけで、彼がどんな生活をしている人間なのかを察することができた。
――物乞いだ。
病気持ちや身体障碍者の中には、職に就けず物乞いで生計を立てている者もいた。おそらくルフの服装から金を持っていると判断して、施しを求めに来たのだろう。
「……お兄さん、よろしければお金を少し頂けませんか? パンを買うだけの銀貨がなくて、困っているんです」
「えっ……?」
ルフは明らかに戸惑った様子の声を上げた。ああいったタイプの人間に声をかけられるのは初めてなのだろう。
「どうかお恵みを……」
「いや、その……」
対応がはっきりしないルフに代わって、声を上げのはアイリのほうだった。
「――すみません、道を教えていただくことはできませんか? 少し迷ってしまいまして」
「道? ……どこへ行きたいんだい?」
「シジェ広場です。わかりますか?」
「……ああ、わかるよ」
男はにやりと笑みを浮かべると、ふたたびルフのほうへ顔を向ける。
「お兄さん、私が道案内するのがいかがでしょうか? その対価として……お金を頂けたら助かります」
「…………」
ルフは迷ったような表情を浮かべたが、誰かに道を先導してもらったほうが確実だと判断したのだろう。ゆっくりと頷き、「じゃあ、お願いするよ」と男の提案を了承した。
……意外な展開だ。まあ、これで迷子から脱出できるのなら悪くないわね。
そう思っていた私だったが――物乞いの男が歩きだしたのを見て、すぐに疑いが生まれた。そして、その答えに達するのには時間もかからなかった。
「……あいつ、足が悪いのは嘘ね」
男の歩行する動きに注視すれば、松葉杖にほとんど頼っていないことが察せられた。怪我や病気を偽ったほうが物乞いが成功しやすいため、わざとああいった演技をしているのだろう。ルフやアイリは、すっかり男の片足が悪いと信じ込んでいるようで、ときおり気遣いの言葉をかけていた。
まったく純真な子たちだ、と思いながら、建物の上を伝って彼らのあとを追っていると――
ふたたび、新しい疑念が湧き上がった。
それは王都の道を知っている私にとっては、気づかぬ道理のないことである。
「……ここから、向こうの通りに出たほうが早いので行きましょう」
そう言って、男は路地のほうを進みはじめた。大通りから外れる行き先。それの何がいちばん問題かというと――
「……そっちは貧民街よ」
私は睨むように、頭上から男を見下ろした。
古今東西の都市でスラムが発生するように、この王都でも貧民が多く密集する住宅地がいくつか存在している。男が向かっている先は、まさにそのうちの一つだった。
そして貧民街では職業に就いてない物乞いだけでなく、スリなどで糧を得ている犯罪者もいる。そんな危ないところにルフたちを誘導している思惑は――言うまでもなく悪意にほかならなかった。
「……男の見せ所ね、ルフ」
私は口の形を歪めながら、彼に聞こえないエールを送った。




