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武闘派悪役令嬢 019b


 その店は、大通りにも匹敵するくらい賑やかな空間だった。

 週末は休息日とする労働者が多いので、時刻が昼間でも客の数はかなり多い。お湯割りの酒なら平民でも安価に飲めるため、市民の飲酒は非常に一般的な娯楽だった。


「さ、騒がしいな」

「酒場はそういうものですわ」


 店内の雰囲気にけおされた様子のルフに、私はそう動じることなく答えて、空いているテーブルを探す。

 が、盛況なこともあって二人用の席が見当たらない。独りで飲み食いするならカウンター席なり相席なりすればいいが、いちおう“デート”なので二人で向かい合ったほうがいいだろう。


「……あら、あそこが空いているわね」


 ふと空席を見つけた私は、そこへ向かって歩きだした。後ろのルフも、あわてて追従する。だが、すぐに心配そうな声をかけてきた。


「なあ……隣の男は大丈夫か?」


 彼が指している人物は、目立っているので簡単にわかった。

 空いている席の、隣のテーブル。そこに厳つい顔の男が、ボードゲームを広げて銀貨を積んでいたのだ。見ればわかるとおり、賭け勝負で稼いでいる者なのだろう。


「なあ! だれか俺と勝負しねえか!」


 男は声を荒らげるが、どうやら勝ちすぎて対戦相手が見つからないようだ。ボードはたぶん三棋(ミル)ゲームのものだろう。運要素が低いので、よほど得意な人間でなければカモにされるのがオチだった。


「べつに気にすることもないでしょう」


 私は平然と店内を進んだ。そもそも絡まれたとしても、私にとっては脅威でもなんでもない。まあルフが遠慮する気持ちはわからなくもなかったが。

 私たちが目的のテーブル席に腰を下ろすと、すぐに店員が近づいてきた。身なりのいい姿だったので、上客だと思ったのだろう。十代前半の少年が、猫撫で声で尋ねてきた。


「いらっしゃいませ! ワインやミードやシードルなど、いろいろお酒がありますよ!」

「ここは食事も出してくれるはずよね?」

「パンとスープでしたら。あっ、その……残念ながら白パンは置いてませんが」


 申し訳なさそうに言う給仕の少年だが、私にとってはふすま入りのパンのほうが好きだったりする。だって栄養価が高いし。

 パンとスープを二人分お願いしたあと、私は居心地が悪そうにしているルフに聞いた。


「ファージェル様、お酒にはお強くて?」

「……い、一杯くらいなら大丈夫だろう」


 つまりアルコールはそれほど得意ではないようだ。まあ体質は人それぞれなので仕方あるまい。

 そういうことで、できるだけ飲みやすい酒を頼むことにした。


「赤ワインを温めて、味付けしてもらえるかしら?」

「グリューワインですね。砂糖を使うなら、少し値段が高くなりますが……」


 私は12セオル銀貨と、さらに数枚の小銀貨を重ねて給仕に手渡した。


「小さいのはあなたが取っておきなさい」

「あ、ありがとうございますっ」


 少年は喜色満面で一礼すると、小銀貨をポケットに入れて店の奥へと去っていった。

 オーダーの様子を眺めていたルフは、感心したように口を開いた。


「……ずいぶん慣れた様子だな」

「それほどでもありませんわ」

「…………」


 酒場もとある事情があって巡り慣れているので、注文のやり取りは慣れたものだった。もっとも、ルフにとってはそれが不審で仕方ないのだろう。疑うような目つきだった。


「――とりあえず」


 そう仕切りなおした彼は、財布から銀貨を取り出した。が、私は手で制して遠慮する。


「わざわざ気にする金額でもないでしょう」

「さすがに12セオル以上なら、ほとんどの学生は気にすると思うが」

「わたくしにとっては大したことありませんわ」

「……金持ちらしい発言だな」


 ルフは苦笑したが、本人だって結構な仕送りをもらっているはずである。他人の小遣い事情など調べたことはないが、上級貴族ならばほかの学生に劣らないよう取り計らって当然だった。


「――なあ、お嬢ちゃんたち」


 ふいに、横から粗野な声をかけられる。そちらに視線を向けると、賭けで稼いでいた例の男がニヤニヤと笑みを浮かべていた。

 用件は考えるまでもないだろう。


「俺とゲームで遊ばないかい? もちろん……賭けでな」

「ボードゲームはチェスくらいしか知らないわよ」

「なぁに、ルールは簡単だ。教えるぜ」


 といっても、初心者が対戦してもカモられるのは目に見えていた。だから私は、代わりに右手を差し出すことにする。キョトンとした男に、私は軽くほほ笑んで尋ねた。


「もっとシンプルな勝負なら受けて立つわよ。たとえば――腕相撲とか」

「……っ!」


 提案を耳にした直後、男は焦ったように椅子から立ち上がった。そして慄いた口調で、私に問いかけてくる。


「……服装が違うからわからなかったぜ。アンタ……以前にグレンたちと力比べしていた怪力女だな?」

「あら、あの時にいたの?」

「テーブル席から眺めていたぞ。グレンの野郎、酒場で酔うたびにアンタのこと話のネタにしているからな。今でも覚えてるぜ」


 けっこう前のことだが、どうやらいまだに印象に残っているらしい。まあ男を力でねじ伏せられる女性などそうそういないので、当然といえば当然かもしれない。


「……力比べってなんだ?」


 私たちの会話を聞いていたルフが、胡乱な目つきで尋ねてきた。私はいちど彼のほうを向くと、ニッコリと笑顔を浮かべた。


「乙女にはいろいろ秘密がありまして」

「お、おとめか……」


 なんでその単語を反復するのよ? 私が乙女じゃないって? ええ?


 ……と思ったが、表情には出さないことにする。


「――ところで」


 私がふたたび横に顔を向けると、男はびくりと緊張したような顔色を浮かべた。ビビりすぎである。


「あなた、週末のお昼時はよくここにいるの?」

「……まあ、な。客が多い店だから、最初は賭けゲームに乗ってくれるやつも見つかりやすいんだよ」


 勝ちすぎて途中から対戦相手が減ってくるけどな、と男は肩をすくめる。

 私は少し考えたあと、ポシェットから6セオル銀貨を取り出して――親指で高く上に弾いた。宙で回転するコインを、男は反射的な動きで手の中にキャッチする。


「……おん? なんの金だ?」

「そこにいるお坊ちゃんが、もし酒場で困っていたら助けてやってくれる?」

「ははぁ……なるほどね。お安い御用だぜ」


 男は上機嫌な様子で頷き、銀貨をポケットにしまった。

 これでもしルフがトラブルに見舞われても、男が近くにいるかぎりは助けてくれるだろう。


「――どういう意味だ」


 蚊帳の外だったルフが、納得のいかなそうな表情で質問してきた。私はそれに対して、気楽な調子で答える。


「ファージェル様が“デート”で酒場を訪れるなら、用心棒がいたほうが心強いでしょう?」

「……ボクが女性を守れないとでも?」

「そういうわけではありませんわ。ただ酔っ払いに絡まれたりした時に、対応してくれる人がいたら面倒が少ないでしょう?」

「…………まあ、それはそうだが」


 暴行などの犯罪行為に巻き込まれるか、というと可能性は低いだろう。客の大半は市民なので、法に触れるような行動はできるだけ避けるはずだ。

 ただ人間ならば、酔いで自制心が薄れることもある。若い男女のカップルを見かけて、品のない言葉を投げかけたりする男が現れるかもしれなかった。そういう時に酒場に慣れた味方がいれば心強いだろう。


「……ずいぶん、ボクのことを配慮してくれるんだな」

「勘違いしないでくださる? あなたではなく、あなたの恋人を心配しているだけですから」


 ルフは一瞬、呆気に取られたような表情をすると、おかしそうに笑った。


「……きみは面白いな」

「褒め言葉として受け取っておきますわ」

「褒めているよ。きみほど不可思議な人はいない」


 普通の学生とはかけ離れた存在であることは自覚している。この世にはない知識と経験を保ち、独自の思想と価値観で生きてきた私は、多くの人間にとって奇妙な存在として映るだろう。ともすれば、それは狂人の域である。


 ――もっとも、狂気は表に出さなければ狂気ではない。

 ミセリアが常人とはズレた思考回路を持っていながらも、いちおう学生生活を送れているように。潜めているかぎりは、不思議な人物に留まるだけだった。


 だが――ミセリアやレオドに対して、自分の本性を曝け出した時のように。

 もし侯爵令嬢を演じることをやめた私を、あなたが目の当たりにしたら――どう感じるでしょうねぇ?


「――――お待たせいたしました」


 ふいに少年の声が響いた。ようやく注文したものがやってきたようだ。給仕は慎重な手つきで、陶器の皿とワイングラスをテーブルへと置いた。

 ふつう酒場では割れる可能性のある食器を出さないが、たぶん上客なので特別に提供してくれたのだろう。私も木製の皿やコップは苦手なので、なかなかありがたい配慮だった。


「……温めたワインは久しぶりだな」 

「熱を加えているので飲みやすいはずですわ」

「なるほど」


 私たちはグリューワインに口をつけた。

 温度が高いため、渋味が少なくまろやかな飲み口である。少量の砂糖の甘味、およびレモン汁の酸味が混ざり合った葡萄酒はフルーティだった。酒の飲み方としては王道ではないが、こういったカクテルもたまには悪くないだろう。

 そして鼻と舌の感覚が捉えるのは、いくつかの香辛料の複合だった。真っ先に気づくのはシナモン、あとはタイムと月桂葉か。さすがに香辛料は希少なのでわずかしか使用されていないが、それでもワインの香りや味を引き立たせていた。


 ルフは一口ゆっくりと味わったあと、顔を綻ばせて言った。


「悪くない味だ。たまに飲むなら、こういう甘い酒も楽しめる」


 と、ワインを褒めたあと、パンとスープに目を落として苦笑する。


「……食事は正直なところ、質素すぎるが」

「酒場はお酒がメインですから、仕方ありませんわよ」


 全粒粉のパンに、少量の豚肉と豆および野菜の入ったスープ。平民にとっては十分なメニューだが、彼にとってはいささか物足りなく映るのだろう。学園の食堂で出されるランチやディナーと比べたら、さもありなん。


 ――そんな会話を交わしつつ、私たちは食事を進めて。


 パンの硬さに苦心しながらなんとか胃袋に収めたルフは、大きく息をついてから口を開いた。


「……迷惑でなければ、もう少し付き合ってくれるかな」

「かまいません。どんなところをご希望ですの?」

「女性が喜びそうなものを売っている店を探したい」

「……銀細工や工芸品を扱うアクセサリー店。リボンやレースを扱う手芸用品店。あるいはもっと実用的なものなら、帽子屋や文房具屋など。いろいろありますわね」

「巡らせてもらっても大丈夫かな?」


 そう尋ねるルフは、やや気兼ねした様子の顔色だった。世話になりっぱなしという思いがあるのだろう。

 ――時間はまだある。街を散策するのには差し支えなかった。


 たまには、悪くはない。こういうデートも――本当にたまになら。




「――日が傾くまでは、お付き合いしましょう」


 だから私は、そう答えた。



・脚注


《三棋ゲーム》


 ナイン・メンズ・モリスのこと。起源をローマ時代にまで遡る戦略ボードゲームであり、ミルゲームやカウボーイチェッカーなどとも呼ばれる。3つの駒を直線に並べて「ミル」を作るたびに相手の駒を取り除いていくゲームであり、これもチェッカーと同様にバリエーションが豊富なボードゲームとなっている。



《白パン》


 ふるいにかけられた、混ざりもののない小麦で作られたパン。言うまでもなく高級品で、一般市民はあまり口にできなかった。

 多くの人々は、ふすまの混ざった黒みのあるパンを食べていたが、保存のためにかちこちに焼き固められている場合が多かったようである。ぶどう酒やスープ、あるいは水などでふやかして食べるのが一般的だった。



《グリューワイン》


 スパイスワインとも呼ばれる。赤ワインと各種スパイスやハーブ、甘味料、場合によってはフルーツなどを混ぜて、鍋で温めて作るカクテルの一種である。

 香辛料はクローブやナツメグ、シナモン、メース、ショウガや胡椒、あるいは月桂樹やタイムなどを使い、砂糖や蜂蜜などで甘味付けをするのが一般的である。オレンジやレモンなどのフルーツも使われることが多い。

 このようなホットワインはヨーロッパの広い地域で見られ、時代を遡れば西暦20年頃のローマ帝国時代にもスパイスと蜂蜜で味付けしたワインのレシピが記述されている。


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