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武闘派悪役令嬢 013 サイドストーリー001a


 ――息を切らしながら、少年は街中を走っていた。


 通りを駆ける途中で、男性の腕にぶつかって転げそうになる。「おい、気をつけろよッ」と怒鳴られる声に、彼は「ごめん、なさい」と苦しげに謝罪をした。

 まだ年若い、十歳の子供が相手だったからだろうか。男性は舌打ちしつつも、それ以上は責め立てることなく去っていった。


 ほっと安堵した少年は――ふたたび、足を動かしはじめた。

 人通りのある道で走ることが、よくない行為であることは承知している。それでも、今はどうしても急がなければならない事情があった。そう――“あいつら”を追いかけるために。


「ま――待ってよっ」


 少年は前に向かって叫んだ。

 その声の先にいる、三人の同じ年頃の子供たちは――首だけ後ろに向けると、にやりと笑った。

 何も言葉を発しなかったが、彼らの考えは伝わってしまった。――追いついてみせろよ、と。


 少年は内心で怒りと悔しさを湧き上がらせながら、三人のあとを走る。彼らは通りから逸れるように路地を曲がった。少年も同じように追いかける。

 そうして追走を続けて――体が疲労で動かなくなってしまった時。

 膝に手を当てて、激しい呼吸をする少年のほうを――三人組の子供たちは振り向いて見下ろしていた。


「お前、ほんっとーに体力ねーんだな」

「運動神経なさすぎっ」

「もっと体、鍛えたほうがいいんじゃね?」


 三つの声が、同時に嘲笑を浴びせてきた。

 ようやく息が整ってきた少年は、苦しげな表情で顔を上げる。眼前には、いつも自分をいじめてくる子供たちの姿があった。その三人のうち、真ん中のいちばん身長が高い子は――手に細長い道具を持っていた。

 ――金属製のペンだ。文字を書く時には一般的に羽ペンを使うが、貴族や文筆業の人間はこうした金属ペンを使うことがあった。もちろん高級品である。


 そして――その持ち主は、ほかならぬ少年のはずであった。


「――リット」


 いじめっ子のリーダー格は、指でくるくるとペンを回しながら、少年――リットへと声をかけた。


「おまえ、学校にこんなの持ってくるなんて……そんなに自慢したかったのか? 自分は金持ちだ、って」

「そ、そんなつもりないよ! ただ、父さんが……文字を書くにはいい道具が必要だって……」

「……ふん、生意気なやつ」


 不機嫌そうな顔で、リットからペンを奪った少年――イフェルは吐き捨てる。その様子からは、素直に物を返してくれるような気配が感じられなかった。


 ――街の子供たちに、読み書きや算術を教える都市学校。

 中産階級の子弟の多くは、十歳前後になるとそうした学校に通うことが多かった。都市で生活を送るうえでは、読み書きと計算ができなければ不利となる面も多いからだ。ある程度の資産を持つ家庭は、子供を都市学校へ行かせて勉強させるのが普通だった。


 王都で代書屋を営む父親を持つリットも、そうして学校に通っていた子供の一人だった。

 代書――つまり誰かの代わりに文章を書く仕事は、都市ではけっこうな需要があって実入りも悪くない。文字が書けない人、書けても筆跡が綺麗でない人、あるいは文面を考えるのが苦手な人。そうした人々の代わりに、書類の文章を執筆したり、手紙を書いたりする職業――それが代書人だった。


 そして父は、リットにも代書人として働けるようになってほしいと願っていた。

 だからこそ――子供ながらも金属製のペンを買い与え、学校に持っていかせたのだろう。


 けれども――

 高価なペンを学校で使っていたリットは、イフェルたちにとって気に食わなかったようだ。


「――なぁ、知ってるか? この向こう側」


 イフェルはニヤリと笑いながら、後方の壁を親指で指し示した。

 レンガを重ねて築かれた壁が、道に沿って左右にずっと広がっている。目を巡らせてみても――その壁ははるか先まで続いていた。

 街中にある“城壁”――そう呼んでも過言ではない。実際に、その壁は外から中への侵入を拒む役目を果たしていた。垂直にそびえ立つそれは、ざっと見てもリットの身長の五倍以上は高さがある。よほど大きなハシゴでも掛けなければ登れないだろう。


 ――ソムニウム魔法学園。

 王都にある、貴族や金持ちのための学校だった。爵位持ちの貴族の家柄や、それに近しい上流階級の出身、あるいは中産階級でもトップの資産家の子供たちが、この学園に通っている。城のような壁で囲われているのも、この向こうにいる人々の身元を考えれば納得の厳重さだった。


「知ってるけど……なに? 早く、返してよ……」


 リットは苛立ちを覚えながら答えた。こんなふうに、自分のモノなのに返してくれと言わなきゃいけない現実に腹が立っていた。きっと自分が強ければ、無理やりにでも取り返せるのに――


 そんな悔しさを抱く彼の気持ちを、イフェルは気にもかけていないようだった。ただ、その顔に浮かんでいるのは――弱い者をいじめて楽しむ、悪辣な嗜虐心だった。


「そんなに大切なら――」


 イフェルはペンを持った右手を、大きく振りかぶった。

 まるで――ボールを遠くに投げるかのように。

 その手の動きから、予測できる方向は――


「や、やめてよっ!」

「――取りに行ってみろよッ!」


 ――投げた!

 投げられた……!


 高く上のほうへ、そして山なりに。どこへ向けて放ったかなんて明白だった。そう――魔法学園の壁の向こう側、敷地内へ投げ捨てたのだ。

 ――中に入ってしまったら、拾いにいけるはずもない。

 一瞬で絶望感に包まれながらも、リットは空を見上げた。もしかしたら、壁を越えないでくれるかもしれない。そんな淡い、一抹の願いだけを胸に抱きながら。


 視線の先には、ちょうどその方向に太陽がのぼっていた。

 そして壁の上で、金属製のペンは煌めいていた。

 ああ、この軌道だとアッチに行っちゃうな……。


 リットがそう諦めた時――

 何か黒い影が、そこに現れた。

 壁の上に――まるで、下からジャンプして上がってきたかのように。


 その影は――空中に放られたペンを呑みこんだ。

 太陽の逆光で見えづらかったが……手で掴み取ったのだと理解したのは、少ししてからだった。


「…………え?」


 その声は、誰のものだったのか。

 イフェルのものか、それとも取り巻きの二人のものか、それともリット自身のものか。あるいは――全員か。

 いずれにせよ――呆然と見上げている少年たちの思いは一致していた。


 ――誰?

 ――なぜ壁の上に?


 魔法学園の中から、壁の上に現れたその影は――


 リットたちの視線を受けながら――


「えっ!?」


 跳び……降りたッ!?


 動揺がリットの脳を支配した。あの壁の高さは、人間が簡単に着地できるような距離ではない。もし飛び降りたとしても、まず手足を痛めてしまうレベルだった。そして打ちどころが悪ければ、骨折どころか――最悪は死。


 ――自殺行為だ。

 子供の目からでも、そう確信できる無茶な行動だった。

 だった――はずなのに。


「…………ッ!?」


 影が、舞い降りた。

 タッ……と、軽い音を立てて。

 衝撃など、まるでなかったかのように。


 いや――そんな衝撃など、無に等しいと言うかのように。


「な、ん……」


 なんなんだ。

 イフェルは、そう言いたかったのかもしれない。だが、言葉が口に出ない様子だった。


 人影は、イフェルたちのすぐそばに着地していた。

 つまり――三人組から離れて立っていたリットは、謎の人物とも距離を保っていることになる。

 そのおかげで……彼らよりも、少しだけ冷静に影を見つめることができた。


 ――まず目についたのは、その服装だった。

 ローブをまとい、フードを目深にかぶった姿。顔や体つきを隠しているのは明らかな格好だった。

 背は、成人男性としては低め、成人女性としては少し高め。どっちの性別でもおかしくない背丈なので、ぱっと見では判別できない。

 ――正体不明の不審者。

 そう表現するほかなかった。

 それ以外にわかることは――


 あった。

 直感で、わかってしまった。

 理解、させられてしまった。


 この人物は――


「ひ、ィぃぃっ!」


 悲鳴が、上がった。

 イフェルたちの声だった。

 彼らは泣き叫んで――逃げ出した。みっともなく、遁走した。


 まるで、狩人に狙われていることを悟った脱兎のように。

 あるいは、肉食獣に殺気を向けられた草食動物のように。

 そう――おとぎ話のデーモンを前にした、人間のように。


 そこにいるのは――絶対的な“強者”だった。


 理屈ではない。

 本能で、理解したのだ。

 イフェルたちが逃げ出したのも――納得だった。


「あ…………」


 リットは情けない声を上げた。

 恐怖で足が竦んでいた。

 目の前の人物。その影がこちらを向いて、口元をかすかに歪めたのを見て。

 逃げ出したい――そう思うのに、体が言うことを聞かなかった。


 リットは弱すぎた。

 イフェルたちのように逃げ出すこともできないくらい、弱者だったのだ。

 そう……もし野生の世界であれば、真っ先に捕食されて命を落とすような。

 そんな無力な存在が、リットだったのだ。


「情けない顔、ねェ……?」


 地を這うような声だった。怖ろしく、悪魔のような、そして――美しい声。

 そこで、やっとリットは気づいてしまった。

 眼前の、ゆっくりとこちらに近づいている影の正体が――女性であることに。


 女性?

 ……女性だ。


 まだ子供のリットでも、その奇妙さは引っ掛かってしまった。短い人生の記憶をすべて辿ってみても――この女の人に当てはまるようなタイプの女性はいなかった。

 気が強くて、男勝りな女性の大人はいた。

 けど――“この人”は違う。


 この人は、強い。

 どんな男よりも。

 いや――どんな“生物”よりも。


 今まで見てきた、何よりも。彼女は圧倒的に……強い。

 本能が――そう訴えていた。


「あ……の……」


 距離を縮めてくる相手。

 それに畏怖しながら、声を絞り出した時。

 すっ……と、女性は右手を差し出してきた。


「――これ」


 そこに握られているのは――言うまでもなかった。リットの金属ペンである。


「……あなたのでしょ?」

「は……は、ぃ」


 おそるおそる頷くと、彼女はふたたび唇を動かした。それは獰猛な野獣の笑みではなく――どこか上品さを感じる、淑やかで艶やかな微笑だった。

 ――恐怖が和らいでいった。

 そこにいるのは……たしかに女性だ。鋭い雰囲気はあるけれども、優しさのある女の人だった。さっき感じたのは……錯覚だったのだろうか。


 戸惑いながらも、リットは彼女からペンを受け取ろうとした。

 その瞬間、女性の手に触れる。


 ――硬さのある手だった。

 水仕事で荒れたもの……ではない。そんな日常的な行為で出来上がったものではないように思えた。もっと力強い……険しい行為を繰り返して、作り上げられた手だった。


 そんな女性の手のひらに触れて――

 リットの胸は、なぜか高鳴っていた。


 女の子に恋するような感覚――ではない。

 例えるなら……物語に出てくるような騎士に、あるいは英雄に出逢ったかのような。

 そんな気持ちだった。


「――あの」


 ペンを受け取りながら、リットは思わず口を開いていた。

 何を言うべきだろうか。

 そう考えて――思い当たったのは、至極普通で真っ当な言葉だった。


「あ……ありがとう、ございます。ボクのペン……返してくれて」

「気にすることもないわ。次からは、手放さないようにしなさい」

「…………」


 はい、とは素直に頷けなかった。

 学校では、いつもイフェルたちと顔を見合わせることになる。きっと、彼らはまた自分をいじめてくるだろう。それに対して抗い、撥ね除けるような力は――リットになかった。


「ボク……弱いから……」


 リットは俯き、目をそらしながら呟いた。

 右手でペンを握った拳の力は、ぎゅっと握ってもあまり強くなかった。同年代の子供と比べても、体力や腕力は低いほうだ。もし喧嘩をしたって、リットは簡単に負けてしまうだろう。相手が背の高いイフェルだったら――なおさらのこと。


 そのリットの表情、声色、しぐさから事情を察したのだろうか。

 目の前の女性は、ゆっくりと確かめるように尋ねてきた。


「いつも、あの三人にいじめられているの?」

「…………うん」

「あなたが弱いから?」

「うん……」

「じゃあ――」


 ――強くなって、殴り倒しなさい。


 それは、あまりにも直球な発言だった。ひねりも工夫もない、粗野で乱暴なアドバイスである。リットは呆れて言葉を失ってしまった。

 強くなって殴り倒す。それを達成すれば、確かにイフェルは恐れてちょっかいを出してこなくなるだろう。だが――問題は、それが成しえないということだった。


 体も大きくない自分が、イフェルを殴って倒す?

 ――無理、どう考えても無理。

 それは非現実的で、不可能なことだった。


「――簡単よ」


 リットが何も言わなくとも、心の中で考えていることは伝わっているだろうに――彼女は自信に満ちた言葉を紡ぐ。

 簡単なはずがない――そう言い返そうとした時、女性はゆらりと動いてみせた。

 少し後ろに身を引いた彼女は、右手の甲を下にして腰のあたりに持っていく。何かをやる構えのように見えた。


 彼女は微笑を浮かべて、リットに言い放った。


「こうすれば、いいのよ――」


 瞬間。

 女性の右腕が、わずかにブレた。

 そう思った直後――風のようなものが顔面を()った。

 衝撃自体は強くはなかったが、不意を衝かれたリットは「わっ!?」と悲鳴を上げつつ、後ろに転んでしまった。


 ――何が起こった?


 わからなかった。女性の右腕が霞んだ瞬間に、何かがリットの顔を叩いて倒したのだ。

 ……風が飛んできた?

 感覚を思い起こせば、それしかないように感じられた。彼女が小さな風を起こして、リットにぶつけてきたのだ。

 それは――


「……魔法、ですか?」

「魔法じゃないわよ」


 至った結論は、即座に否定されてしまった。

 魔法学園の内側から出てきたのだから、もしかして魔法使い――魔術師なのではないか。そして、さっき見せたのは魔法なのでは。……そんな論理的な思考が、間違いだと言われてしまった。

 だとしたら――今のは。

 いったい、なんだったのか。


 よろよろと立ち上がったリットに、女性は握りこぶしを差し出してきた。

 さっきは手のひらに触れたが――今度は、手の甲のほうがはっきりと見える。


 女性の手――には見えなかった。

 優美さ、上品さ、可憐さ。そんなものが、女の人には備わっているべきだと世間は言う。

 リットも十年に及ぶ人生で、さまざまな意見を目の当たりにして知っていた。乱暴なことや、汚いこと、そういったものは若い女子は避けるべきだと。女の子は、綺麗でお淑やかな存在であるべきだと。そうして“美しさ”を備えた女性が、世の中では賞賛の対象となるのだ。


 じゃあ――この“手”はどうだろうか。

 何かに拳を打ち付けることを繰り返したのだろうか。皮膚は硬そうで、力強さが感じられる。

 そして目を引かれるのは――人差し指と中指の付け根だった。

 そこだけ極端に衝撃が加えられつづけたのだろうか。部分的に皮膚が厚く、硬くなっている。つまり――胼胝(たこ)ができていた。


 日常的に酷使していなければ、ここまで無骨な手にはならないだろう。

 女性の繊手にあるまじき手を見て、リットは――


「……綺麗ですね」

「あら、お上手ね」


 ふふふ、と彼女は笑った。

 べつに、おだてているわけではない。本心だった。

 この手は、きっと何かの目的のために磨き上げられたモノなのだろう。一つのことを追求して完成したそれは――ある機能に特化している手だった。


 文字を書きやすくするために、こだわって形作られたペンと同じだ。

 機能美――それが女性の手には備わっていた。


「――体格で劣っていれば、相手に勝つことはできない。……あなた、本当にそう思う?」


 ふいに女性は尋ねてきた。

 リットは少し悩んだが、おずおずと答えてみる。


「……武器とかが、あれば」

「そう、それは正解の一つね。より強い武器があれば、相手を打倒しうる。あるいは――技術、知識、経験、そして運。いろいろな要素が混ざり合って、戦いの勝敗は決定されるのよ」

「……ボクには、ないものばっかりですね」


 リットは自嘲しつつ言った。格闘技なんてものとは無縁だし、喧嘩の知識も経験もない。きっと運だってないだろう。

 それでも――


「あなたがその気なら――あの三人に勝つ方法があるわ」


 女性は断言した。はっきりと、そう口にした。けっして無責任で出任せな発言には思えない、強い口調だった。

 ついさっき会ったばかりの、名前も知らない他人からそんなことを言われたとしても――普通は信じられないだろう。

 だが――リットは彼女に惹きつけられていた。

 ただ者ではないこの女性なら、あるいは本当に……自分をイフェルよりも強くしてくれるのではないか。

 そんな想いを湧き上がらせてくれる、不思議な女性(ひと)だった。


「ほ……本当、ですか?」

「ええ、嘘じゃないわよ。ただ……少しだけ“トレーニング”が必要だけどね」

「と、とれーにんぐ……」


 ごくり、とリットは唾を呑みこんだ。そう簡単に強くなれるとは思っていないが、しかしトレーニングとはどんな内容なのだろうか。もしかして――


「う、腕立て伏せ千回とか、ですか……?」

「そんなの必要ないわよ」


 女性は少し呆れたような声色で返した。どうやら筋トレは必要ないらしい。ちょっと安心だった。

 くすっと笑った彼女は、リットにその詳細を告げてゆく。


 ――お互いの時間が合う時に、一週間に一回の頻度で、この場所で会うこと。

 ――彼女が指示した行為を、毎日の空き時間に繰り返すこと。

 ――いっぱい食べて、夜はぐっすり眠ること。


 最後のはよくわからなかったが、子供が相手だから冗談で言ったのだろうか。とにかく、要するに。彼女に師事して鍛えてもらう、という内容だった。


「――約束、ちゃんと守れる?」

「……ま、毎日やるのが無理なことじゃなければ……」

「大丈夫、子供でもできることよ」

「……それなら……お願いします」


 少し不安を抱きつつも、リットはそう言った。

 女性は満足げに頷くと――最初の課題を言い渡す。暇な時に柔軟運動をすること。そして、腕を引いて、前に突き出す行為を反復すること。それが次に会うまでの宿題だった。

 指示されたそれらが、どういう効果をもたらして、どう役立つのか。――今はまだ理解できないけれども、きっと大事なことなのだろう。


「わかった?」

「は……はい……」

「……返事がいまいちね」


 肩をすくめた女性は、すぐに何かを思いついたように手を叩いた。ニヤッと笑いつつ、彼女はリットに耳打ちする。――返事の仕方を。

 それは初めて耳にする掛け声だった。意味がよくわからなかったが、とにかくその言葉を使えということらしい。戸惑いつつも、リットは拒否するわけにもいかず頷いた。


「――わかった?」

「……お……おす」

「もっと声を強く」

「――お、おすっ!」

「……ま、及第点かしら」


 女性は笑みを浮かべると、ぽんとリットの肩を叩いた。硬く、力強い手の感触に、びくりと震えてしまう。目の前にいるのが強大な存在なのだと、どうしようもなく思い知らされた。


 ――この人なら。

 きっと自分を強くしてくれる。


 その想いは、もはや確信となっていた。


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