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武闘派悪役令嬢 001


 ――夢を見た。


 恐怖と苦痛にあふれた、気分の悪い悪夢だ。ある時は暗殺者の凶刃に首を掻き切られ、ある時は気が触れている学友に炎の魔法で焼き殺され、またある時は魔本から召喚されたデーモンに心臓を貫かれた。死のイメージはあまりにも鮮明で鮮烈で、まるでこれから起こることを予言しているかのようだった。


「……あー」


 ベッドで仰向けになったまま、私は重苦しいうめき声のようなものを上げた。同じような夢を見るのは、いったい何度目だろうか。

 ちらりと窓のほうに目を向けると、私の心境とは対極の清々しい光が差し込んでいた。もうすっかり朝である。


 最悪なほど目が覚めていたので、私はすぐに体を起こして身支度をすることにした。顔を洗って、服を着替える。高貴な淑女であれば侍女でも仕えさせて、たっぷり時間をかけて身嗜みを整えるのだろうけど――生憎と“私”はそんな生活に耐えられるほど“お嬢様”な性格ではなかった。


「んー……」


 化粧台に座って、櫛で髪を梳かしながら鏡を眺める。

 十代半ばの金髪少女がそこに映っていた。やや吊り目気味で鋭い印象を抱くが、整った顔立ちは十分なほど可愛いと言える美少女だった。

 ……などと言うのは、はたして自画自賛になるのだろうか。


 くだらないことを考えながら、髪に櫛を通す。この金髪はやたらと癖が強く、放っておくとなぜか巻き髪のようにカールしてしまうのだ。もはや呪いではなかろうか。そんなに“本来の髪型”に戻したいのか。あんなドリルみたいなの、ぜったい嫌だぞ私は。


「……よっし」


 いつもの白い長手袋(オペラ・グローブ)まで装着して、身支度完了。

 一人ですべて済ませた私は、部屋の戸口の前に立った。これから朝食へ行くわけである。


 ゆっくりと、大きく、深呼吸をする。

 イメージするのは、かつて第三者の視点から眺めた“この少女”の姿。

 名前はヴィオレ・オルゲリック。高慢ちきで高飛車で生意気な、ディレジア王国の西側辺境を支配するオルゲリック侯爵のもとに生まれた三女、すなわち格式高い家柄のお嬢様――


 ドアを開けた。廊下で待機していたメイドが、慌てたように頭を下げる。朝は部屋の中に誰かを入れることを拒んでいるため、使用人はいつもこうして私が出てくるのを待っていた。


「お、おはようございます、ヴィオレお嬢様!」


 やたら強張った声色で挨拶をするメイドに、私は笑みを浮かべた。少し見下すような、自分の立場に絶対的な自信と優越感を抱いているような、そんな貴族的な表情を意識的に作り――


「あら、おはよう。……さっそく今日の予定を教えてくださるかしら?」

「は、はい。正午から治安判事のモーティマー卿が、お屋敷にいらっしゃることになっております。それ以外の来客のご予定は、今のところございません」


 あの人か。また領地内で起きた問題について、父と話し合うつもりなのだろう。

 領主の屋敷、というものは意外と頻繁にひとがやってくるものだった。来客をもてなすことは貴族としての義務であり、侯爵の娘である私も当然ながら会食に参加しなくてはならない。なんとも面倒くさいことである。


「正午から……なら、朝食で補わなきゃいけないか」

「は、はい?」

「いえ、ただの独り言ですわ。……わたくしは食堂へ行きますので、あとは頼みますわよ?」

「か、かしこまりました!」


 頼む、というのは私室のベッドメイキングや掃除だった。だいたいいつも、私が朝食へ行っている間にその手の雑用をこなさせていた。

 もうすっかり慣れたメイドとのやり取りを終えて、私は廊下を一人で歩きはじめた。本来ならば侍女をつねに従えているくらいの身分なのだが、付き人なんてあまりにもうざ……じゃなくて、気楽なほうが私は好きなので、両親に強くお願いして侍女なしで生活していた。まあ世間体というものがあるので、外出するときはどうしても使用人を控えさせないといけないんだけど。


 食堂へ向かう途中、幾人ものメイドや従僕と顔を見合わせる。そのたびに深々と頭を下げられるのにも、もう嫌になるくらい慣れてしまった。


「――おはようございます、お父さま」


 食堂に着いた私は、食卓の上座席に座っている男性に挨拶をした。彼は眺めていた手紙から、視線を私のほうへと向けると、「ああ、おはよう。わが愛しのヴィオレよ!」などと人の好さそうな笑みを浮かべて言う。わが子が可愛いのはわかるが、口に出すのはどうかと思いますよ、父上。


 私の父であるオルゲリック侯爵は、もう五十近い年齢のいい年したおじさんであった。その歳からも察せられるとおり、私はこの家でいちばん下に生まれた末っ子である。姉はみんな嫁に行ってしまっているし、兄たちも王都のほうへ仕事で赴任してしまっているので、食事はいつも私と両親の三人でおこなっていた。

 やがて母も食堂に降りてきて、家族の朝餉が始まる。


「――ヴィオレ」


 朝食が始まってすぐ、母は冷たい表情で私に声をかけてきた。


「なんですの、お母さま?」

「あなた、まだ“魔法”が上達しないのですか? 侯爵家の令嬢として、努力が足りないのではないのかしら」

「あら! わたくし、いつも森のほうで稽古をしておりますわよ? あの大木の傷をご覧になってくださいまし。魔法を打ち付けた跡が、はっきりとございますわ!」

「それはわかっていますが……あなた、人前ではいつも魔法を失敗しているではないですか。『今日は調子が悪い』などと言って。……本当に大丈夫なのですか?」

「まあ、心配させてしまって申し訳ありませんわ。人の目があると、どうしても緊張してうまくいかず……わたくしの性格のせいでしょうか?」


 しょんぼり落ち込んだ仕草をする。申し訳なさアピールである。

 でも口と手は動かす。パンを食べてスープを飲んで、給仕におかわりを頼む。もっと栄養摂取が必要である。


「やはり高名な魔術師を雇って、付きっきりで指導を――」

「いえ、それには及びませんわ! だって、わたくし一月後には王都の学園に入学するのでしょう? そんな短い期間だけ先生をお呼びするのなんて、とても失礼ですわ」

「ですが、入学してから学友に恥を晒してしまうのは――」

「あら? 魔法学園では初歩の初歩から勉強がスタートするのでしょう? 皆様と一緒に学びながら魔法を上達させれば、恥ずかしい思いをすることもないはずですわ」


 ごめん、ママ。まじめに心配してくれているのはわかるんだけど、こちらにも事情というものがありまして……。

 会話しながらおかわりの料理も平らげた私は、給仕にもう一度おかわりを頼む。スープには鶏肉をたっぷり盛るようにと言付けして。私にはタンパク質が多めに必要なのだ。


「ですが、もしも貴族のともがらに遅れをとってしまっては、侯爵家令嬢として――」

「ま、まあまあ。ヴィオレも頑張っているのだから……」

「あなたは黙っていてください」


 ひえぇ、いつになく怖い母上……。私と同じような吊り目で睨まれた父は、情けなくも押し黙ってしまった。尻に敷かれる夫というのは、もの悲しいものである。

 結婚するっていうのはやっぱり大変だなぁ、などと他人事のように思いながら、私はもぐもぐと食事をする。お肉おいしい。


「よいですか、ヴィオレ。名声、評判というものは貴族にとって、魔法を扱う者にとって、とても重要なのです。それに――向こうでは、あなたの“婚約者”もいるのですから。あの方の恥にもならぬよう、尽力しなければなりません」

「まあ、いっそう努力しなくてはなりませんわね……!」


 ぶっちゃけ、そんなものどうでもいいです。というか、数回顔を見合わせたくらいで情なんてぜんぜん湧きません。

 いやまあ、この世界だとそうやって婚姻が決まるのも普通なんだろうけど――“自由恋愛”のほうが良いのだ、私にとっては。


「……ところで、ヴィオレ」

「あら、どうかなさいました?」

「あなた、食べすぎると太りますよ」

「まあ! いつもこれくらい食べておりますが、脂肪になどなっておりませんわよ?」


 なぜならば――






「……すべて、わたくしの血肉となっておりますの」


 私はニィ、と笑って言った。

 ――栄養を取り入れた私の体は、早く動かしてくれと慟哭するように叫んでいた。




   ◇




 人は死んだら、無に帰すのだと思っていた。


 だが、どうやら違ったらしい。私という精神は滅びることなく、なぜかこの世界に存在することが許されていた。

 私が“私”であることを自覚したのは、三歳だったか四歳だったか。まあ、けっこう幼いころだった。


 地球ではない、異なる世界。魔法の存在する世界。それはまったく未知の世界――では、なかった。理解しがたいことに。

 私はこの世界のことを、ゲームの知識として知っていた。諸々の名称や世界の様子を観察したうえで、どうやらそれは勘違いではないと結論付けざるをえなかった。いわゆる乙女ゲームと呼ばれるそれの中に、私は存在していた。登場人物のひとり、ヴィオレ・オルゲリックとして。


 ……ゲームの世界に飛んだ、という前提が間違いで、もしかしたらこの世界がそもそも本当に存在していて、神のような存在が「ゲームとしてプレイした」という認識で私に知識を植え付けていたりするのかもしれないが――

 まあそんなこと考えても仕方あるまい。とにかく私は、知識があるということは間違いないのだ。


「ふー……」


 ため息のようなものを吐きながら、私はひとり森のほうへ向かって歩く。母と話していた、例の魔法練習場が目的である。


「魔法学園、ねぇ」


 私は朝食時の会話を思い出しながら、ぽつりと呟いた。

 ゲームの舞台は、まさしくその学園であった。主人公の女の子は、そこに通いながら物語を紡いでゆくのである。そして知り合った男の子とともに、沸き起こる事件に巻き込まれ関わりながら最終的に解決し、エンディングを迎えるのである。


 ファンタジーらしく、ほのぼのふわふわとした作風――ではない。

 やたらと設定に凝っていてリアル志向で、そしてシリアスと鬱とグロをふんだんに盛り込んだ、18禁のくせにエロはほぼ皆無のニッチな乙女ゲーなのである。いや、だからこそ面白いし好きだったんだけどさ。


「はぁー」


 今度は本当にため息をつく。

 その主人公こそが、この私――ではない。

 ヴィオレは、主人公の学友だった。広い辺境を治める侯爵家令嬢という、貴族としての格が違う彼女は、やたらと人を見下しまくる性格の人物だった。そして、小貴族とも言える出自の主人公をとにかく嫌い、ひたすら馬鹿にして蔑むことを繰り返すのだ。ようするに嫌なやつ、いじめ役である。


 じゃあストーリーが進めば和解するのか、というとそうでもなかった。ほとんどのルートでは、事件のなかで被害にあって悲惨な死を迎えるのだ。とある貴族の子息を狙って学園に侵入した暗殺者に、偶然にも姿を目撃してしまって口封じで殺されたり、あるいは小動物を殺しまくるサイコパス系の学生魔術師に目を付けられて、弄ばれるように理不尽に焼死させられたり、図書館の書庫最奥に眠る魔本を使って魔物の力を得んとするヤバい教師が召喚したデーモンに、惨たらしく胸を抉られて心臓を抜き出されたり……考えるだけで頭が痛くなってくる。あのグロスチル、けっこうトラウマなんだよ。


 もちろんメインではないサブキャラルートで、なんかけっこういい感じに円満な終わり方をしているのもあるのだが、まあそうなる保証はないわけで。

 そして私という駒が不在なことによって、あの不穏な学園で良からぬ大事件が起きてしまって解決もされない、なんてことになったら大惨事なわけで。

 だから――私は決めたのだ。


「よし……」


 自分を、鍛える。

 危機が迫った時に、それを回避できるように。

 障害に阻まれた時に、それを乗り越えられるように。

 起きそうな不幸の芽を、早々に摘んでしまえるように。


「…………」


 かつて父が……もとの世界での父親が、私に言った。

 武術は、身を守るすべである。空手家であった彼は、そう私に教えて小さいころから空手を習わせた。

 もちろん当時の私は、女の子として成長するにつれて武道に対する関心など持てなくなり、中学に上がるころには空手をやめてしまっていた。


 だが、この世界に来て考えなおしたのだ。自分の身を守るならば――“これ”がいちばん、最適なのではないかと。


「…………」


 成人男性の胴ほどの太さの樹木が、眼前にあった。

 その木の、私の胸当たりの高さ部分の幹は、樹皮が剥がれ落ちてボロボロになっていた。まるで何度も、魔法で風の槌を打ち付けたかのように。


 私はそれを見据えると、右手の手袋を外してポケットにしまう。

 一瞬だけ手の甲を見遣ると、特徴的なたこができていた。かつての父の手にもあったそれは――“拳だこ”と呼ばれる。


「すぅ……」


 息を吸う。

 魔術師は、大気に漂う魔力を体内に取り入れ、具体的な形のイメージを作り、杖を通して外へと発現させる。それが魔法である。


 体内の保有量、魔力に帯びる性質、魔法行使の練度、何もかも人それぞれだ。才能と努力によって、魔術師の能力は変わってくる。

 でも、ヴィオレという少女に才能はあっただろうか。そう考えたとき、ゲームでの描写からは魔法にろくな期待ができなかった。どれだけ家柄がよくとも、魔法は並みレベルだった。


 だから別の方法を求めた。

 いろんな本を漁って、私は東方から伝わる特殊な魔力利用術があることを知った。杖を通して火や風を起こすのではなく、魔力を体内に循環させて身体能力を高める、肉体強化術。それは東の地では、気術や呼吸術などと呼ばれているらしい。


 これだ、と思った。

 格闘に特化した魔力利用、それはこの国で主流の魔法と違って汎用性が薄いが――ただ、わが身を守ることには長けていた。

 だから選んだ。その代償として、まともに普通の魔法を扱うことができなくなってしまったが、構わなかった。命は何よりも代えがたいのだから。


「はあぁ……」


 呼吸を繰り返すと、五体に魔力――いや、気が浸透するのが感じ取れた。

 強い力を感じた。自分の身に、エネルギーがあふれていた。

 体は昂っていた。けれども、頭は凍てついたように醒めていた。神経が冴えわたる。今なら体を思いどおりに動かせる。そんな確信が湧いていた。


「――――」


 構え。

 拳を握る。握り方は、生前の父から教わった。それは敵を打ち倒す武器であり、同時に敵から身を守る防具でもある。


 歯を適度に食いしばる。下顎の固定は、頸部の固定でもあり、同時に体の軸の安定にも作用する。そう習った。実際に今の私は、一寸もブレずに構えを保持していた。


 ……ありがとう、お父さん。私は空手のよさを、この世界に来てやっと理解した気がするよ。


「ッ」


 ――体を動かした。

 足の指先から、踵から、下腿から、大腿から。伝わってきた力を腰に、そして肩から上腕、前腕へと乗せてゆく。


 力を籠める先は――右の拳。

 今の握力は、おそらくリンゴを一瞬で粉々にするレベルだろう。あるいは――もっと硬いものさえ、容易く破壊できるに違いない。

 全身に宿った気が、体の運用に従い、目に見える力となって右手に収束していた。


 それは魔法の炎でも氷でもないし、風でもない。私が全身全霊をもって発現させたのは――拳という形。


「――――」


 打ち付けた。

 音が鳴った。

 それは耳をつんざくような、大気を轟かすような、激しい力による炸裂音だった。


 拳とは、これほどの威力を秘めているのか。

 ――私は驚くと同時に、まだ見えぬ可能性を見出した。


 きっと、これは始まりにすぎない。まだ私は、初歩を踏み出したにすぎない。だって、前世の父は何十年と空手を続けても、まだまだ自分は未熟なのだと言っていたから。


「……ふっ」


 私は小さく笑った。

 木の葉が大量に頭にかぶさるが、それも気にならなかった。

 やがて、悲鳴のような音が鳴り響いた。

 直撃から間を置いて、思い出したかのように――樹木は体を斜めに傾け、そして地に伏していった。


「ふふふっ……」


 私は、倒れたそれを見下ろした。いや――見下した。

 私は勝者だった。敵を打ち負かしたのだ。目の前にいるのは敗者だった。

 私はどうしようもなく確信してしまった。


 ――勝てる、と。

 プロの殺し屋だろうが、気違いな学生だろうが、人外のデーモンだろうが。

 この拳ならば――乗り越えられる。


「くくくっ……」


 おっと、いけないいけない。

 お嬢様らしい笑い方をしなければ。

 高慢ちきで高飛車で生意気な――ヴィオレ・オルゲリックらしく。

 私は高らかに、自意識過剰に、悪役令嬢らしく――






「おーっほっほぉ! わたくしに敵うモノなど、どこにもありませんわぁ! 何が襲い掛かろうと――木っ端微塵に打ち砕いてさしあげますわよッ!」


 こうして、私の悪役令嬢(ストライカー)ストーリーは始まるのだった――


私はようやくのぼりはじめたばかりだから

このはてしなく遠い乙女坂を……



悪役令嬢の戦いはこれからだ……!


ご愛読ありがとうございました。



という一発ネタでしたが、連載化しました。


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