ある男の邂逅
考えるって事がものすごくストレスになってる。
こうしてパソコンの前に座っていることすら苦痛だ、だからといって眠くもないのに布団にくるまっているのも空しい。
書き物をしようと思っても、一分とたたないうちに当てもなくふたばちゃんねるやニコ動を見ているのがオチだ、下手な絵を描こうとしている感覚に似ている。
何をしても楽しくない、何一つ新鮮なことはない、こんなとき遊びに誘ってくれる友田でもいればいいのだが、そんな気の利いた友達も居ない、身の回りには薄情でつまらない奴ばかりだ。
俺はこんなとき、ふと、春に行った尾道の風景を、その中でも特に尾道の向い側の島にある山の上から見た、本州側の景色を思い出す。
まだ解けていない雪、動かなくなりさび付いたロープウェイの残骸を背に、尾道の駅前からこの島を結ぶ駅前汽船
何もかもが完璧な景色に見えた、時代のある寺社仏閣に、銀色じゃない電車、何もかも失ってしまった自分が、それを失う前の景色を見ているようだった。
ここで、あの親ではなくだれか別の夫婦の間に生まれていたら、どんなに楽しい人生を送れたであろう、20になったばかりの俺はそこで人知れずため息をついて、麓で借りたDioに寄りかかったものだ。
こんなこと、もしもここで生まれた俺が、今の俺の実家である新宿や下宿先である川崎の武蔵小杉の景色を見ても、絶対に思わないだろう。
今の俺にはあの親がいて、あの実家があってこの部屋があり、時間の浪費にしかならない大学と人間関係がある。
こういう愚痴を言うと母親はいつも俺にがなり立てる
「そんなに嫌ならどこへでも行けばいいじゃない。」
あんたらさえ居なければこんなことにはならなかったんだ、あんたらからさえ生まれなければ、こんな惨めな人生を送らずに済んだんだ、実家から帰る時、俺と親はいつもそんな口げんかをして別れる。
ここで生まれた自分の姿を思い浮かべることは現実逃避だろうし、ここは景色がよいだけの場所かもしれない、ただ、景色すらよくない場所よりも、景色ぐらいよい場所の方が良いことには変わりない、0か1か選択を迫られれば1を選ぶのは当たり前だろう。
逃げたい、もう俺は精一杯だ。
納得できる物が一つもない現実には1秒たりとも身をゆだねていたくない、今までの過去を全て清算して、どこか別の場所で、別の人間として生きてゆきたい・・・。