一日の始まりは教室と一杯の紅茶から
窓から心地よい風が吹いている。
そんな広い教室の中を、
革靴がコツコツと床を着く音で満たす。
半分だけ開いている窓から見えるのは眩しいくらいの日差しだ。
けれど開いている窓からは何度も、
なんとも心地のいい風がゆったりと、
それでいて静かに良い花の香りを運んできている。
日差しと風に揺れる花のつぼみを眺めていると、
生徒の視線に気付いたので少しだけ咳払いをして、
話の続きをするために口を開く。
「えーそれでは授業の続きを開始する」
私はそう言ってゆっくりと歩きながら、
辺りを見渡して話を再開した。
「今日の授業でやる講話の内容は、
この大陸の現在に通じる、
始まりの話だ。
しっかりと覚えておくように」
そう前置きしてさっそく、眼があった生徒に問う。
「それでは唐突だがそこのオドオドした男子生徒、
大陸最大の厄災が起こったのはいつだったかわかるか? 」
私に声をかけられた男生徒は、(名はチェッロという)
少しだけビクビクしながらも、
「えっっと、厄災が起こったのは……いつだかはっきりと判っていません」
と言ったので、よし宜しいと軽く声をかけて、
厄災の事を語る。
教師用の教本は閉じたままで。
「先ほど、チェッロに答えてもらった様に、
大陸最大の厄災は起こった制定暦が不明である。
何故ならば、厄災前の記録が何も残っていないからだ。
そう口にした瞬間、一人の女生徒が手を高々と上げる。
(あの生徒は――クフェアか)
その顔は元気そのものだが、
何も考えてなさそうにも見えたので、私は。
「今手を上げた女生徒。
何故残っていないのか、等と訊くなよ?
少し考えれば厄災で消失した事ぐらい見当がつく」と、
そう私が口にした途端、元気良く手を上げた女生徒の顔は、
少しだけ悲しそうにしながらゆっくりと顔を俯かせていた
なので、
「但し、どうしても考察したいと言うのなら、
思った事や考えた事を用紙に書いたり、
口頭で訊きに来ると良い。
内容が良ければしっかりと返答も返すし議論もするかもしれんぞ」
と言っておいた。
手を上げていた女生徒の顔は観ずに話を進める。
「厄災で記録が残って居ないのでなんとも言えないが、
初代王家当主の話だと人口数は6000万人を超えていたそうだ」
(ちなみに私の話している今の説明は、
私が君らと同じ生徒だった頃に、同じように担当教員に言われた事がある)
「大陸は広大で地の質も良好
そんな大陸全土にある日、
突如として無数の欠片が降り注いだ。
そして、欠片がもたらした被害は大きすぎたものだった。
結果として、
残った推定人口数は400人くらいと言われていて、
災厄によって消滅、没落した貴族は上中下合わせて半数以上と伝えられている」
生徒がしっかりと聞いているかどうかを確認しながら話を続ける。
「半数以上もの貴族が崩壊してしまったので、
この災厄後、消滅や崩壊した部分を埋めるために新たな貴族が誕生したと言われている。
そして、その誕生した貴族は残った貴族と共にこの厄災後に町や大陸復興に尽力した。
その尽力した貴族は新旧合わせて十の数存在していて、
現在でも変わらぬ地位を持つ貴族として固定され、
その十ある貴族の事を十貴族という」
話を区切った私は、
毎度の事ながら、十貴族の話をする度に、
数人の生徒がニヤニヤとしていることに気付き咳払いをする。
「えー、今言った十貴族の中でも熱心に先導を取った貴族が、
私の一族であるアグウェイン家だと言われているが、
昨今の大陸の安定は、何もアグウェイン家だけによるものではない。
十貴族がまとまり復興や向上に向けたからこそ今の大陸が有る事を覚えておくように。」
このクラスの中には十貴族に関係するものも多いだろうが……私は、そんなことは気にせずに課題を出す。 」
生徒が露骨に嫌な顔をしているが気にせずに話を進める。
「その他の事は、何分、制定された暦が不明なので、
貴族図書館にもそれ以前の歴史は残っていないし、
実際のところはその時代を生きた当人達以外は誰も知らないだろうと私は考えている」
(仮に記録を残している可能性が一番高いのは王家だろうと思うが、
詮索するということ自体難しいだろうな)と言い終わったところで、
白髪ポニーテール結びの女生徒が、手を上げていた。
「それでは、そこの女生徒」
手を上げた女生徒 (クリマという)に発言を許可すると、女生徒は静かに、
「アグウェイン先生、十貴族の中に王家は含まれているんですか? 」と訊いてきた。
私は女生徒に少しだけ眼を向けて、
王家は貴族には含まれない事を発言した。
私の発言の後女生徒は当然、
王家は何故貴族に含まれないかと疑問に持った様で、
私から視線を逸らす事のないままに不満げな表情をしていた。
なので、王家について話を生徒に向けて話すことにする。
「先ず、王家というモノは貴族ではなくその名の通り、王族という扱いになる。
いつから存在していたのかなどの記述は把握できては居ないが、
災厄以前から存在してこの大陸中央部を引っ張って行っていた事が、
王として位置付く一つの要素として在り、
またそれ故に彼らが王家という名で強く、
この地に存在している理由なのだろう」
私は辺りを見回した後、
数人のポカンとした顔に気付いて。
(そもそも分かれた大陸の中で中々貴族以外があまり王族や当主を眼にすることもないゆえに、
王が何かを理解していないのかも知れないなと思ったので、)
「ちなみに王が何か理解出来ていない者の為に付け加えるが、
王とは国を統べる者の事を言い、
王族とは王の系譜を持つ血縁者、家族の事を言う。」と続けた。
まだまだ難しそうな生徒達の顔を見つつ、
腕に着けてある定刻判別計を見た私は、
丁度、終わりの時間を刻みつつあるのを確認したので、
「さて、もうしばらくすると終業時間なので、
私からの話は終了とする。」と零して、教室を後にした。
私が廊下に出て直ぐに、就業を知らせる音が学園内に響く。
音と共に一斉に他の教室からも生徒が扉の内から廊下へ溢れ出て来たので、
あまり面倒な事にならないように足早に廊下を歩き階段を降りて教員室へ向かおうとした。
が、いざ教員室に入ろうとした瞬間、
教員室の近くにある救護室の扉が勢いよく開いて、
「ポルトリアスさん
今日は何を教えてくれるんですか!? 」
と大きな声が私に刺さった。
少しばかりため息をついて、
大きな声の主に言葉をかけてやることにする。
「はあ、
学園内では先生と呼べと言っているだろう。
アリス・N・エトワール。
それと今日の訓練はまた基礎的な事から始めるが、
とりあえず先日の復習からだ。学園でやる事が終わったら、
いつも通り、あの場所で待っていなさい。 」
私はそう言って、
一度も生徒の顔を見ずに教員室の中へと入っていく。
窓から涼しげな風が入ってくる中で、
教員室の自分のデスクで次の授業の準備をしながら、
考え込んでいる私に、
たぬきのような頭と体系をした教師が話しかけてきた。
「お疲れ様ですアグウェイン先生!!
今日も落ちこぼれ達の世話は大変でしょう?
なんで理事長はアグウェイン先生にあのクラスを担当させたのか……」
ため息をつきながらたぬきは私の横から自らのデスクへと戻っていく。
たぬきを小さく眼で見送った後、
風に揺れているカーテンから眼を離して、
自らのデスクに飾ってあるお守りの【一枚の黒い羽根】を眺めて考えにふける。
私が教師として働いているこの学園は、
基本的にレベルの高い者が入園してくるが、
私が担任しているクラス、
【Z-0】通称落ちこぼれのどぶねずみにおいては他のクラスと違い、
様々なモノが集まっている。
表面上は確かにあのたぬきが言った様に、
少しばかり足りないものがあるクラスだが、
実際は、其れを補って尚余りあるような、
そんな特殊性を持って居るものばかりが集まっている。
先ほどのオドオドとしていた生徒、
チェッロを引き合いに出すとするのなら、
彼の魔力自体に先天性の、他からの魔力侵食に対しての魔力耐性を持っている。
通常なら生物が魔術を構築しようとして魔力を使うと、
自然に有する魔力によってある程度の抵抗が発生したり、
他者からの魔力によって妨害を受ける場合があるが、
チェッロはその抵抗や妨害を受けずに魔力を構築する事が出来るという具合だ。
その他にも魔力に水の力が付与している人間や、
鉄壁の防壁とも思えるほどに、
防御性に長けている魔力を持つ者等も存在していたりする。
この事実を浸透させる事が出来るのなら、
他からのZ-0の評価というのも大きく変わるのだろうが……。
クラス自体が悪用されるのを防ぐために、
いちZ-0が特殊性のあるクラスというのは私と理事長、
極少数の教員しか知らないというのが現実で在りもどかしさを覚えるのだが、
その中で最も腑に落ちない事があるとするのなら、
先程教員室前で会った生徒の事だ。
彼女もまたZ-0のクラスメイトではあるのだが、
彼女だけは他からの風当たりが人一倍強く、上位の貴族でありながら、
病弱で本当の落ちこぼれという烙印を押されているというのが、
私としては本当に我慢ならない。
あの子にはあの子の引き出しがあって当然なのだから。
そう思った所で考える事を切り上げて、
小型の水筒とカップと茶葉を用意した。
茶葉を入れるティーパックも念のためのスプーンも用意した。
が、砂糖が足りない事に気付いた。
暖かい紅茶でも入れようかと思っていたのだが、と砂糖を机の上の棚から取ろうと、
立ち上がろうと思っていたら――。
【トントン】と優しく肩、いや脚を叩かれた。
誰かと思って振り返った先に居たのは、
雪のように白い髪と同じく雪のように白い肌を持つ背の小さい少女だった。
その少女は小さな声で私に、
「おねえちゃんに、おべんと持ってきたの…… 」
とおずおずしながら言ってきたので、
「ああ、君はA-1に居るクリスタの妹さんかな?」と声をかけた後、
うんうんと頷いた少女を見て「それなら私と一緒にお姉ちゃんの所へ行こうか」と促して、
ゆっくりと椅子に沈んでいた腰を上げて立ち上がった。
教員室を出て歩く私の後ろを、
トコトコとついて歩くこの少女は、
リザシオン家の長女、クリスタの妹らしい。
らしいというのも確たる証拠が無いためなのだが、
眼つきの違いと対照的な他者への反応以外はよく似ているので、
間違いではなさそうだ。特にそっくりなのは水晶のような綺麗な眼と、
ほんの少しだけ白い髪に淡い様々な色がやんわりとにじんでいるようなそんな髪の色。
リザシオン家、
厄災後、暫くしてから貴族となった家系で、
元は農家が密集していた村の出らしいのだが、
貴族位は高くないモノの現存する穏便派貴族の中の一家ということで広まっていて。
故に、リザシオン家とは私も中々に付き合いを持っている訳で――「まえ、あぶない」
唐突に近くから聴こえた少女の声に、
ハッとして前を向くと、眼前には一人の生徒の姿が見えて。
「うわあああああああああ」生徒の甲高い声と共に私と生徒はぶつかった。
――――「痛いな。流石に」
身体になかなか強い衝撃を受けたが、
木造の床に頭をぶつける直前の女生徒を目視できたので、
少しばかり、よろけた女生徒を支えた後、時間が過ぎてから痛みを小さく呟いた後、
危険が襲ってくると考えて眼をギュッと瞑っている女子生徒に声をかける。
「大丈夫か?クリスタ。廊下や通路は何があるか分からないから易々と走るモノではないぞ。
と、いつも他の先生方からも言われている筈なんだが、何か言う事はあるかね?」
そう早口でまくし立てつつ、前方の女生徒の反応を待つ。
未だ焦っている前方の女生徒は、私の顔を見るなり火が付いたように慌てだして。
「ポルっち!!、今ウチから連絡があって、妹のフローラが何処にも居ないみたいで――!!」
なるほど、焦り過ぎて、探しているその妹が私の後側にいるのに気付いていないのか。
そう思って言葉を吐ききった後も焦りのひかないクリスタに対して私は雑に言葉を投げかけた。
「なあ、リザシオン家次期当主、クリスタ。
君はもう少し冷静に、慌てていても周りを良く見る力をつけるべきだ。」
慌てながらも今私の投げた言葉に聞く姿勢をとっているクリスタを見る限り、
彼女はやはり次期当主の器なのだろう。
例え、猪突猛進な部分が大きすぎる事があっても。
「ポルっち、それってどうい――う!?」彼女はどうやら私の後ろに居るお目当ての、
優しい妹を見つけたようだ。が――口を大きく開いたまま驚いている。
やれやれ、貴族らしくないぞと零して、
後ろに居る少女と眼の前の女生徒を遮っている私は、
お邪魔であることを重々に承知の上ゆっくりと横にずれて。
「二人でゆっくり昼食でも取ると良い。
何かあれば出来る限りは力を使おう。」そう言い残して二人の元を後にした。
元来た路を戻りながら教員室の扉を開けて、
出しっぱなしにしておいた茶葉をティーパックに詰めて、
指を鳴らして水筒の中に入っている水を温め、ティーパックを投入した。
お湯によって温められた茶葉の香りが淡く立ちのぼってくる。
少しだけ待ってなお香り付き、色付いた頃にカップに、
ゆっくりと鮮やかな琥珀にも似たソレをカップにゆっくりと注ぐ。
随分と雑な作り方だと茶々をいれられそうだが、いいのだ。
ここはゆったり落ち着いて疲れを癒せればそれで、いい。
柔らかくて甘い香りを感じながら、ゆっくりと口元にカップを運ぶ。
冷ますのを忘れていたので、
口を小さく開いてふーっと冷ましながらこれまたゆっくりと口に運んだ。
舌をじわりと火傷しそうなくらいの熱さが駆け上ってくるが、
今更そんなこと気にしていては時間も惜しい。
砂糖を入れていない紅茶であっても味はほの甘く、柔らかい。
こくこくと少し飲み終えたらソコに少しだけ砂糖を追加する。
琥珀色に淡い紅の深みが増したような色の紅茶をスプーンでゆっくりと混ぜて、
またカップを口元に運ぶ。
ほの甘い、紅茶だけの心地よさの中に、砂糖のほんのりとした甘みが、
くちびるから舌、身体の底にじんわりとしみていく。
ああ、今日も良い一日になりそうだ。
そう思いながらカップを口に傾けた時、
カップの中にはもう紅茶は一滴も残っていなかった。
我ながらまぬけだと思いながら、
水筒の中に残った紅茶をまたカップの中に注いでいく。
今度はさっきよりさめているから、
火傷をしなくて済むだろうと思いながら。
結局はおそるおそる飲んでしまう自分に呆れながら、
私の休み時間はゆっくりと過ぎて行った。
今日も、この世界に幸あれと黒い羽根を眺めながら、
今日の放課後の内容を練っていく。
この時間が終われば、また忙しくなるぞと胸に刻んで。
紅茶の無くなったカップと水筒からは、
しばらく心地のいい香りが続いていた。