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前編:大正時代の始まりから第一次世界大戦まで

1912年7月30日、明治天皇が崩御した。

それを受けて皇太子の明宮嘉仁が践祚し、「大正」と改元した。


一方、第2次西園寺内閣が成立していたが、陸軍は、外満洲・東印※に駐屯させる4個師団の増設を強く政府に迫った。

※インドネシアのこと


しかし…


「断る!」


「なんだと!認められないなら私は辞める!」

「それに君たちは金がないと言いつつ、海軍拡張には予算を出しているじゃないか!」


周囲がざわめく。


「…それでも認められない。これは私の内閣の方針だ」



西園寺はこれを拒否するも、上原勇作陸相が辞任し、

陸軍は軍部大臣現役武官制を盾にその後任を推薦しなかったため、西園寺内閣は崩壊した。


後継者選びは難航し、結局第3次桂内閣が成立した。


しかし、尾崎行雄ら野党勢力が桂内閣を批判し、「閥族打破・憲政擁護」を掲げる運動が全国に広がった。

第1次護憲運動である。

ついに不信任案が出され、桂内閣は総辞職。

山本権兵衛が後任の首相となった。


しかし、山本権兵衛は桂太郎と同じく藩閥に属していたため、第1次山本内閣の支持率は低かった。

立憲政友会は山本を支持したが、議席数は過半数を割っており、初期の山本内閣は不安定だった。

山本は軍部大臣現役武官制を廃止し、支持率を上げた。


一方桂太郎は新党の「立憲同志会」を立ち上げ、首相に返り咲くことを狙っていたが、正式に発足する直前に死去。

また、西園寺も引退した。


同志会の不安定化により政友会に党員が戻り、過半数を回復。

山本内閣が安定するかに見えたその矢先、シーメンス事件が発覚。

おまけに衆議院と貴族院が対立し予算案は不成立となり、混乱の責任を取り山本内閣は総辞職。


後継者選びは第2次西園寺内閣崩壊後よりも難航した。

伊藤博文、山縣有朋を初めとする元老はもう年寄りであり、元老の次の世代である桂太郎は死亡し、西園寺公望は引退。

そして山本権兵衛は辞職し、寺内正毅は現職の朝鮮総督であり、乃木希典は政治家には向いていない性格だし、

清浦圭吾は予算案を不成立にさせて山本内閣を崩壊させた張本人。

かといって政党から出しても藩閥勢力や貴族院、野党の攻撃により不安定となるに違いない。

貴族院議長の徳川家達が候補となったが、一族の反発により辞退。


最終的に選ばれたのは大隈重信だった。

彼は大の政友会嫌いであり、同じく政友会嫌いの山縣有朋に誘われ、総理となった。

自由民権運動の象徴ともいえる彼が総理となっては、野党も迂闊に攻撃はできない。

ライバルの星亨は既に死んでおり、第2次大隈内閣は絶対的な権勢を誇ったのだ。


こうして1914年4月16日、第2次大隈内閣が発足した。

そして6月28日、サラエボ事件が起こった!

セルビア人ガヴリロ・プリンツィプの手により、オーストリア=ハンガリーの皇太子のフランツ・フェルディナントが暗殺された事件だ。

さらに…


「オーストリアがセルビアに宣戦布告しただと…」


「両国はサラエボ事件以来モメていましたが、とうとう戦争になったみたいですね…」

「オーストリアはドイツ・イタリアと同盟を組んでおり、セルビアはロシアと仲が良く、ロシアはイギリス・フランスと事実上の同盟を組んでいますよ」


「これは大変なことになるぞ…」


7月28日、第一次世界大戦が勃発した。


そして8月、日英同盟を結んでいたイギリスから参戦を求められた日本は


「ドイツの山東権益を奪い取るチャンスだ!」


と考え、イギリスを中心とした連合国側で参戦した。


参考:連合国はイギリス、フランス、ロシア、イタリア、セルビア、ブルガリア、日本など

中央同盟国はドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国


青島の戦いに勝利した日本軍は、中国に対し山東省のドイツ権益を継承する為「対華5カ条要求」を提示。

以下がその内容である。


ドイツが山東省に持っていた権益を日本が継承すること

芝罘または竜口と膠州湾から済南に至る鉄道(膠済鉄道)を連絡する鉄道の敷設権を日本に許すこと

山東省の港湾都市を外国人の居住・貿易のために新しく開放すること

満鉄・安奉鉄道の権益期限を99年に延長すること(2004年まで)

福建省における鉄道・鉱山・港湾の設備(造船所を含む)に関して、建設に外国資本を必要とする場合はまず日本に協議すること


(当初は21ヶ条に上ったが、中国側が拒絶した為5ヶ条まで削減された)


さて、第一次世界大戦により巨額の利益を上げた会社がある。鈴木商店だ。

鈴木商店は世界大戦が勃発してすぐに物資を買い集め、造船・鉄鋼業に進出した。

世界大戦の主な戦場となったヨーロッパの工業生産が低下したため戦場にならなかった日米に注文が殺到。

買い集めた物資を転売した鈴木商店は三井を抜き、日本一の商社となった。


日本は大戦景気に沸き、GDPは1920年には3,647.91億ドルに達した。

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