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クール

作者: サトマル

 俺は今、クールお届け便の荷台にぶっ倒れている。

 女房に後頭部をしたたか殴られ、狭くて暗くて生臭いこの場所に仰向けに伸びているのだ。殴られた感触から凶器は、かなり硬い…金属のような物だったと思う。俺の頭から流れ出た温かった血が、凍り始めている。あと数時間後には、俺の身体全体が、固く冷たくなるのだろう。

 だが、こんな窮地に陥った状況でも、俺は決して慌てたり取り乱したりはしない。何故なら俺は、クールな男なのだ。

子供の頃からそうだった…冷静に物事を見極め、的確に判断をくだした。

 幼稚園で飼っていたアメリカザリガニ。彼に俺の右手人差指第二関節を、彼の最大の武器である赤黒いハサミで挟み込まれた時も、俺は泣かなかった。その衝撃で尿意をもよおしたが、二分は我慢できたと記憶する。そして、廊下を濡らした後も、俺は冷静だった。中指を離さない彼を、自分の漏らした小便に浸して落とし―ハチの毒をアンモニアで消すヤツだ―何食わぬ顔で立ち去った。きっと今でも先生は、あの廊下からトイレに続いた水たまりは、俺の失禁ではなく、アメリカザリガニが便器に逃げ込んだ時にできたものだと信じているのだろう。

 ふふふっ、死を直前にしてまでクールでいられる自分がイカスぜ。

 ただ…冷凍トラックが揺れるたびに、お歳暮のタラバ蟹の箱が俺のこめかみをコツコツとこずくのがイカサない。こんなことなら昨日中に全ての荷物を届け終えるのだった。あああ、急カーブでタラバ蟹の箱が、左こめかみから頭を周回して、右こめかみに移動しやがった。

 今、俺の車を走らせているの、女房に違いない。ホットでクレージーな運転から、それとわかる。もちろん女房は俺のクールさに惚れたのだ。言葉少ない俺がたまに微笑みかけると、彼女の頬は赤らみ、恥ずかしそうに目をそらす。三年たった今でも新婚気分だ。俺のことを惚れぬいているのが、手に取るようにわかるぜ。

 そんな女房が何故、俺をこんな目に合わせるのかって?それは彼女がセクシーバイオレレンスナンバーワンな女豹だからさ。

 そして俺は、彼女のスイートハートに火をつけた牡鹿を知っている。ステーションショップ『パーラー・ゼウス』を住み家にした、短茶髪の鼻ピアス坊や。奴が彼女を見つめる邪な瞳は、女神を崇める狂信者のものだった。クールな俺は気にはしなかったが、いつしか我が愛しの妻は、奴に会うため、毎日のように出かけるようになった。どんな魔術を使ったか知らないが、奴はアフロディーテの心を掴んでしまった。一度燃え上がった恋慕の炎は、ポセイドンが七つの海の水を全て使おうが、消せやしない。その灼熱の炎は、自らが愛し抜いた夫さえも、焼き払おうとした。

 だが俺は、そんな彼女の浮気心を、恨んだり憎んだりしないぜ。サロメを愛してしまった、クールな男の末路。静かに…運命に身を任せるさ。

 しかし…俺はいったい、誰に話しかけているんだ?車が揺れるたび、俺の右脇腹をコツコツ突いてるこのタラバ蟹に?ああ、とうとうクールな思考が混濁してきやがった…最後に…最後に…タバコをクールにふかしたかった…ぜ…


あんた、ごめんよぉ。

あんたのこと嫌いでこんなことしたんじゃないんだよ、わかっとくれよ。冷凍ジャケなんかで殴ったりして、悪かったね、痛かっただろうね。そりゃ、あんたは何を考えてるか分からない、気味の悪い人だったよ。隣の吉田さんが陰で『能面さん』って呼んでたの知ってたかい?たまにその無表情の口が、ニヤリと歪むことがあったね、あれ、笑ってたのかい?鳥肌が立つほど不気味だったよ。だけどね、あんたみたいなのが、あたしにはちょうどいいんだよ。神経性胃潰瘍で、ガリガリの身体。安いタバコとキャベジン臭い息。面白みのかけらもない男だったけど、何の不満なんか無かったよ。本当だよ、基本、無視してればいいんだからさ。

 ああっ、なんて馬鹿なんだろうね。吉田さんにパチンコに誘われたんだよ。駅前の『パーラー・ゼウス三号店』。ハマっちゃたよ、ずっぽり大ハマリ。ジャンジャンバリバリ銀球がドル箱に溜まってく音。連チャン大逆転の快感を知っちゃうと、やめられなくなっちゃったんだよ。

 最初は勝ってたんだよ、ホントだよ…まぁ、とんとんだったかもね。でも、おかしいんだよね、気がついたらサラ金に借金作っててさ、自分でもびっくりしちゃったよ。吉田さんにも借りようとしたら、一昨日、一家で夜逃げしたでしょ?アタシどうしたらいいの?もう、にっちもさっちもいかなくなっちゃってさ。

 あんたの稼ぎが悪いから、なんて責めるつもりないんだよ。あんた、真面目に働いてたもんね。それだけが取り柄だし。届け先には、愛想のない不気味な男だってクレームつく時もあったけどさ。

 それにね、あたしが人並みの容姿とスタイルだったら、この身体でも何でも売るんだけどさ。パチンコ屋で何人か男の人に声をかけてみたんだよ。誰も見向きもしなかったよ。親のせい。こんなに不細工に産んだあたしの親。とーちゃんかーちゃんを恨んどくれよ。

 あ…ほら、これ、ラジオから流れてきた曲。よくパチンコ屋で流れてる曲だよ。ね、あんたにも聞こえるだろ?あははは、なんだか元気が出てきたよ。人生、やり直せる気がしてきたよ。あんたにかけた保険金で、あたしは生き返るんだよ。ありがとう、あんた。パチンコでしっかり稼いで、立派な墓をたてるから、成仏してね。あはは、なんだか気分いいよ、七が揃って連チャンに入った感じ。あんた、スピード上げるよ、あはははははは…


 秋晴れの山道を小型トラックがタイヤを軋ませながら走っていた。枯れ葉で車体が滑るのも気にせず、スピードを上げて走り続けている。

 アップダウンの続く短い直線にかかると、一段と加速した。腐った葉に混じった石にタイヤが乗り上げ、車体が上下に弾む。荷台のはめ込み式ノブがカタリと外れ、ドアが観音開きに開く。緩やかな坂道からその傾斜が増すにつれ、荷台からずるずると男の足が現れた。次に車が加速した瞬間、冷凍マグロのように固まった男の全身が車外に投げ出され、回転しながら坂道を滑り降り、そして、静かに止まった。男の後を追うように飛び出したお歳暮の箱からは、タラバ蟹がはみ出ていた。


 烏がせわしなく鳴いている。段々畑を分ける小道を、野良仕事を終えたトラクターが、リアカーを引きながら現れた。年老いた農夫が、男の顔を覗き込む。

「兄ちゃん、大丈夫け?」

男の開ききった瞳孔が徐々に生気を取り戻し始める。身体はまだ一直線のままだった。

「そげなとこで寝てっと風邪ひくべ?おらの家で温まってくけ?」

 男の唇がパリッと小さな音を立てて開いた。

「タ…タバコ…タバコを貰えませんか…で、できたら、メンソール入りの…」

「そげなださいシガレットは持ってないなあ。おら、ラッキーストライクしか吸わねえだよ。それよか温かい飯でも食うべ。今夜はカレーライスだよって、さっき母ちゃんからメールが来たからよ。それに、ちょうどフランスから届いたボルドーワインもあるべ」

 老農夫はカチンコチンに凍った男をリアカーに乗せると、着ていたカルバンクラインのコートを掛けてやった。土と汗とオーデコロンの香りが男を包む。

「…温かいなぁ」

 男の冷たく固まったいた頬を、熱い涙が溢れ落ちた。

 烏達はねぐらに帰って行き、リアカーを引いたトラクターはゆっくりと坂道を登って行く。山頂近くで小型トラックのヘッドライトがチラチラ煌めく。田舎道に残されたタラバ蟹はクールにVサインを決めていた。


                             END


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