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7 マジカルバッグ


 食事を終えて、部屋に行こうと立ち上がると、リタかあさんにお湯はどうすると聞かれた。なんのことか最初はわからなかったけれど、旅の汚れを落としてから休んだ方がよくないかいと言われて、ピンときた。


 異世界もので定番の、あれですね。

 お風呂の代わりにたらいのお湯で体を拭いたり、髪を洗ったりするやつ。


 ということは、この世界にお風呂は普及していないのだろう。もしかしたら街にお風呂屋さんがあるのかもしれないけれど、もしそれもなかったらかなりショックだ。

 お湯は、たらい一杯で二百円だそうだ。お願いしたらあとで持って行くよと言われたので、先に階段をあがった。

 二階の角部屋の扉をもらった鍵を使って開けたら、そこは六畳ぐらいの広さのベッドと小さな机と椅子が一脚あるだけのシンプルな部屋だった。食堂と同じで、壁はクリーム色で床は板張り。窓には、モスグリーンのカーテンがかかっていた。

 日本のホテルのような高級感はないけれど、清潔そうなのがうれしい。私一人なら、この部屋で十分だ。

 そこで初めて私は、森で着替えた時に外して以来ずっと肩に掛けっぱなしだったマジカルバッグをおろした。食堂でご飯を食べている間もお尻の方に回しただけで外さなかったんだよね。


 だってもしこのバッグを失くしたら終わる、いやホントに。

 失くさないか怖いなー、でもさすがにずっと持ち続けるなんて出来ないし。


 ベッドに座って、手に持ったままのマジカルバッグをまじまじと見る。この形のバッグは、メッセンジャーバッグって言うんだっけ? A5サイズのファイルがすっぽり入る大きさで、肩に斜めにかけるタイプ。素材は、布だね。帆布っぽい感じ。すみれ色で、端の方にすみれの花の刺繍がある。

 すごく可愛いと思うけれど、マジパンのグッズみたいでちょっと微妙だ。いや、本当に可愛いとは思うんだけどね。


「さて、と」


 これからどうしようかな?

 お湯が届いたら顔を洗ったり体を拭いたりしたいけど、その先はどうしようか。少し眠りたい気もするけれど、わからないこと、知りたいことが多すぎて眠れない気もする。

 気分が高揚していると、体がいくら疲れていても眠れないよね。今がまさにそんな感じ。

 マジカルディクショナリーで色々と調べようか、五ミリサイズの魔力晶も作らなきゃだよね。いや、魔力晶は一瞬で出来るからあとでいいかも、それよりも……なんて考えていたらノックの音がして、お湯を持って来たよとリタかあさんの声が聞こえた。


「終わったら、たらいは廊下に出しといておくれね。夕飯の時間になったら呼びに来るから、それまでゆっくり休むんだよ」

「はい、ありがとうございます」


 部屋の中央にたらいを置くと、リタかあさんは出て行った。お風呂代わりだからもっと大きなのを想像していたのだけれど、リタかあさんが持ってきてくれたたらいはちょっと大きな洗面器ぐらいのサイズだった。

 まあ、そりゃそうだよね。これ以上大きいたらいにお湯を張ると、重くて持てないよね。お湯をわかすのも大変だろうし。

 でも、これだと顔は洗えても髪は厳しそう。シャンプーの泡、このお湯の量じゃ絶対に落としきれないよね。

 ちなみにシャンプーとリンス、洗顔料は旅行鞄の中にしっかり入っていたりする。おばあちゃんの家にあるのと私が使っているのが違うから、いつも持って行ってるんだ。おまけに化粧水と乳液まであるんだよね。

 なのに、肝心のお風呂がないとか!

 うーん、どうしようかなと思いながらお湯でバシャバシャと顔を洗った。マジカルバッグからハンドタオルを出して顔を拭いて、それからちょっとだけ迷ったけれどカーテンを閉めてから服を脱いで、ハンドタオルをお湯で濡らして体を拭いて、髪も体と同じように拭いてみた。

 いくらかさっぱりはしたけれど、ずっとこれだけだと耐えられそうにない。やっぱりお風呂に入りたい。湯舟につかるのは無理でも、せめてシャワー。

 食事は問題なさそうだけど、お風呂は問題ありありか……。


「そうだ、トイレ!」


 服を着てからたらいを廊下に出して、そのまま走り出そうとして思いとどまった。鍵、かけなきゃ。というか、いくらトイレを見に行くだけの僅かな間でも大事なマジカルバッグを置いて行くことはできない。

 一旦、部屋に戻ってマジカルバッグをしっかり斜め掛けにして、鍵を持って再び部屋を出た。鍵をかけてから、階段を下りてすぐに食堂とは反対の方に曲がる。

 表から見ただけではわからかったけれど、コマドリ亭の建物はL字型になっていて、窓から見えたあいている中央部分は中庭のようだ。リタかあさんが教えてくれたトイレの場所はL字の頭のあたり、食堂とは反対側の廊下の一番奥だった。

 トイレの扉は、二つ並んでいた。奥の方が青い字で『オトコ』と書いてある木札がさがっていて、手前の方には赤い字で『オンナ』と書かれた木札がさがっている。

 男女で別れているようだ、もちろん『オンナ』の方の扉をそっと開けて、そして扉を閉めた。

 匂いは、心配していたほどではなかった。それはよかったのだけれど。


 床に丸い穴があいているだけのトイレでございましたよ……。


 うーん、これもそのうち慣れるのかなぁー?

 どうしても嫌悪感はあるけれど、トイレに行かないわけにはいかない。日本だって今は洋式の水洗が当たり前で、私もそれしか使ったことがないけれど、昔は違ったそうだし。

 とりあえず、部屋に戻ろう。トイレは、まだ今のところ大丈夫だし……だ、大丈夫だし!

 麦茶、二杯も飲むんじゃなかったかなぁぁーー?

 いやいやいやいや、もう日本に帰れない以上はそういう問題じゃない。これからだって麦茶は飲みたいし、紅茶やコーヒーだって飲みたい。慣れるしかないんだよね、慣れるしか……。


 慣れるかなぁぁぁーーー?


 部屋に戻ってバッグを外して、再びベッドに座った。えっと、何をしようと思ってたんだっけか。マジカルディクショナリーで色々調べるんだっけか。


「マジカルディクショナリー、マジカルディクショナリーっと」


 マジカルディクショナリーを出そうと思って、マジカルバッグを膝の上に置いた。そうしてマジカルバッグを開けたら、目につくのは青い空だ。


「そういえばリュシオンがこの中に家を入れたって……」


 マジカルバッグに家が入ってるとかは、異世界ものの小説やアニメでよくあるから驚かない。もっとも、大抵はマジカルバッグの中から家が出て来るんだけどね。

 でも、この場合は家が外に出て来るのではなくて、私が中に入るんだよね。どうやってこの中に入るんだろう? 出したい物は、出したいと思うだけで取り出せるんだから、もしかしたら入りたいって思うだけで入れるとか……。


「……え?」


 何度かまばたきしてみた、だけど見えているものは変わらない。よく晴れた青い空、緑の草が風にそよぐ、見渡す限りの草原。そして、目の前には白い壁に紫の屋根のなんとも可愛らしい家。


 気づくと私は、二階建ての一軒家を見上げていた。


 ああ、うん、大丈夫。こういうの、今日だけで三回目だし。

 一度目は、気づくと白い空間だった。二度目は森の中、三度目は草原の一軒家。さすがに三度目ともなると驚きませんよ、ええ。驚くより、ちょっと呆れ気味ですよ。


 頭上には、快晴の空。

 その色合いは、バッグの中に見たのと同じだ。


 多分、というか絶対に、ここはマジカルバッグの中で、これががリュシオンが入れておいたと言っていた家なんだろう。少しくすんだ紫色の屋根がその証拠だ。家まですみれ色にこだわるとか、リュシオンもなかなか徹底している。


「……」


 まあ、ありがたいと言えばありがたいよね。

 運よくコマドリ亭に泊まることが出来たけれど、もしかしたら宿を見つけられなかった可能性だってある。そんな時にこの家があれば困らない、リュシオンの気遣いに感謝だ。

 その家は、正面に五段ほどの短い階段があった。階段をあがると周りを木の柵で囲まれたウッドデッキみたいなスペースがあり、その中央に上部に半円形のぞき窓がついたおしゃれなデザインの白い扉がある。

 このウッドデッキ、いかにもロッキングチェアとか置かれていそう。それか、毛の長いもふもふな大型犬が寝そべっていたりしそうだね。

 ドアノブの回すと、鍵なんかはかかっていないようですんなりと開いた。扉の先は、いきなり大きな部屋だった。吹き抜けになっていて、正面の壁の左寄りに奥に続くのであろう扉があって、入ってすぐの右手には二階に続く階段があり、二階の廊下とその奥に個室だろう扉が三つほど等間隔に並んでいるのが一階からでも見える。

 二階に個室があるなら、ここはリビング的な部屋なのだろうか。窓がいくつもあって、そこにはやはりと言うべきか、すみれ色のカーテンがかかっている。家具と言えるような物は何も置かれていないけれど、大きな部屋の中央あたりに見覚えのある荷物が置いてあった。

 私のリュック、旅行鞄、お土産の紙袋、水玉模様のブランケット。着なかったからポイっとマジカルバッグに放り込んだ、コートと帽子と、下着もあるね。それに銀貨とマジカルディクショナリーと、ボーリング球サイズの魔力晶の周りにビー玉サイズの魔力晶がいくつも転がっている。

 マジカルバッグはない。そりゃそうか、ここがマジカルバッグの中なんだから。というか、マジカルバッグの中だから、中身があるのか。

 つまり、マジカルバッグに物を入れるとこの家の中に入るようになっているのだろう。保管場所がこの位置なのか、変えられるのかわからないけれど。

 部屋のど真ん中に置かれている荷物を片付けたいけれど、それには家の中を確認してしまわなければならないだろう。二階も気になるけど、先に一階だ。

 入って正面の左寄りにある扉を開けてみると、そこはキッチンだった。リビングほどじゃないけど、ここもかなり広い。


「なに、これ……」


 食事をするためだろうか、ダイニングテーブルらしきものが中央にドーンと置かれていた。椅子は、四脚ある。壁際には、水道の蛇口、シンク、IHヒーターらしきもの。日本でお馴染みのキッチンと大差ない設備が揃っている。家電だって、オーブンに冷蔵庫、それにこれはまさかの炊飯器……?

 冷蔵庫を開けてみたけれど、中には何も入っていなかった。オーブンや炊飯器も中は空っぽ。扉付きの食器棚もあったけれど、これまた中身は入っていない。食料棚なのか、何かの道具を置くための物なのかわからないけれど、食器棚の隣にあった大きなオープンシェルフにも何も置いてなかった。


「なんだか、家具付きのマンションみたい」


 いや、家具、家電付きのマンションに行ったことはないのだけれど。でも、テレビで紹介されているのを見たことならある。それが確か、こんな感じだった。

 キッチンには、入って来たのとは別の扉があった。そちらを開けてみたらそこにあったのは、これまた日本の家にあったような鏡つきの洗面台と、またもや扉が二つ。


「洗面台があるということは、もしかして」


 洗面台の横にあった扉は、スライド式だった。開けてみると、そこには……。


「お風呂!」


 湯舟もシャワーもちゃんとある、待望のお風呂がそこにあった。素材は何だろう、タイルやプラスチックではなさそうだ。何か白っぽい石みたいな物で継ぎ目もなく風呂場全体が出来ているようだけれど、よくわからない。

 でも、こんなちゃんとしたお風呂があった喜びで素材の謎なんてどうでもよかった。最悪、たらいのお湯で体を拭くしかできないかもしれないと思っていただけに、これは嬉しすぎる。


「お風呂があるということは、もちろんあるよね?」


 私はすぐに風呂場を飛び出すと、お風呂の隣にあった扉を開けた。こちらは普通に開き戸タイプだ。


「やっぱりあった、トイレ!」


 こちらも日本の家にあったような洋式トイレがあった。やっぱり謎の白っぽい何かで出来ているけれど、ちゃんと水洗みたいだ。


「よかった、本当によかった。まさか、トイレとお風呂がこんなに嬉しいなんて」


 なんだか、涙でそう。ううん、ちょっと泣いたよ。

 一階は、これで全部見て回ったみたいだった。私はトイレを出て、キッチンを通ってリビングまで戻ると、入り口を入ってすぐのところにある階段を上った。

 三つある扉の一番手前を開けてみたら、そこは予想通りに個室だった。ベッドに小さなテーブルと椅子が一脚、それに大きなクローゼット。コマドリ亭の部屋よりも広くて、ゆったりした感じだ。

 他の二部屋は、最初の部屋と広さは同じくらいだったけれど、家具は何も置かれていなかった。多分、私が好きなように使っていいということなのだろうと思う。


「この家、十分に暮らせる」


 食材なんかは何も置いてなかったから籠りっきりというわけにはいかないけれど、それでもこの家の設備なら日本と大差ない暮らしが出来そうだ。

 なんだろう、なにかものすごくホッとした。安心して、体中の力が抜けたみたいになった。ふらふらと階段を下りて、最初の部屋まで戻った。

 おじいちゃんのパン、ちょっとだけ食べていいかな? 照り焼き丼をお腹いっぱい食べたばかりけれど、甘いパンが欲しい。

 お土産の紙袋の中には、種類ごとにジップロックに入ったパンがいっぱいある。チョコレートの棒を真ん中に入れて焼いたミニクロワッサンをかじると、サクサクとした歯ごたえとバターの香りのあとからチョコの甘さが広がって、口の中が幸せだ。

 おじいちゃんのパンはいつだっておいしいけれど、今は本当に心からおいしい。

 リュックから緑茶のペットボトルを出して、三分の一ほど残っていたのを一気に飲み干した。麦茶があるんだから緑茶もあると思う。もしなかったとしても、いくらチビチビと飲んでもいつかはなくなるのだから、もう飲んでしまうことにしたのだ。


「おいしい……」


 おいしいものがあって、この家があれば生きていけると思った。お金にも困らなさそうだし、何よりも優しい人たちに出会えた。


「そうだ、パンに時間停止の魔法をかけないといけないんだよね」


 リュシオンからのメッセージにあった、マジカルバッグの中は時間停止していないから食料を入れる時には時間停止の魔法をかけろって。

 確かにこの空間に時間停止機能がついていたら、私の時間も停止してしまって動けないよね。

 パンはまだたくさんあるし、ゆっくりと食べたいから魔法をかけておこう。時間停止の魔法のかけ方と思いながらマジカルディクショナリーを開けば、そこにはまたもやリュシオンからのメッセージがあった。






 菫香さんへ


 家は、気に入っていただけましたでしょうか?

 この空間は、創造した僕以外には菫香さんと、菫香さんが許可した者しか入れませんので安心してください。

 日本で生活していた菫香さんにこの世界の設備ではつらいかと思い、色々と用意しておきました。

 それぞれの使い方は、マジカルディクショナリーで調べられます。

 僕のミスでこんなことになってしまい、本当に申し訳なく思っています。

 菫香さんがこの世界で快適に過ごせるよう、僕も頑張ります。

 時間があいたら様子を見に行きますので、よろしくです。


 リュシオンより






 リュシオンの思いやりが、今はただただありがたい。私がこの世界で九十年生きないとリュシオンが困るということはわかっているけれど、それでもね。

 今度会ったら一発殴ると思っていたけど、許してあげようかなと思った。


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