3 エシャールの街
森の中を歩いたのは、たいした時間ではなかったと思う。途中で何度かマジカルディクショナリーで方向を確認したけれど、矢印は変わらず一本道の先を指していた。
迷う事のない道程は、知らない場所に対する不安を和らげてくれた。そして、また少し喉が渇いてきたなと思う頃に森を抜けることができた。
木々が途切れて開けた場所に出ると、小高い丘のような場所だった。そこから遠くに街が見えたことには、やはり少しほっとした。
街を見下ろしながらリュックを出して、お茶を一口飲んだ。ごくごくと飲んでしまわないのは、日本茶はもう手に入らないかもしれないからだ。
他の街を知らないから断言はできないけれど、何だかすごく大きな街のような気がする。ここからでは、街をぐるっと囲んでいるのであろう壁の端が見えない。もっと高い場所からなら全体が見えるのかもしれないけれど、この丘程度の高さでは無理のようだ。
リュックをマジックバッグに戻してからもしばらくの間、森を出たところで街を見下ろしていた。疲れたから一休みしたのではなく、躊躇してしまって足が動かなかったのだ。
街が見つけられたことにはほっとした、だけど違う不安が胸に広がる。だってあの街は、これまで十七年生きて来た世界とは全く違う場所なのだ。
怖くないわけがない。
状況を説明してもらえて、能力や装備をしっかり貰って来たのだから、よくある異世界転移の主人公たちよりもずっと私は恵まれていると思う。大抵は、いきなり転移して何が何だかわからないままに手探りで道を切り開いていくよね。
そんなのに比べたら全然まし、全然やっていけるはず。わかっていても、怖いものは怖いんだよ。
「よし、行こう」
わざと声に出すことで気合を入れた。そして、所々に短い草が生えている土の道を歩きだす。わざと遅くもなく、速くもない一定のスピードで進んだ。止まってしまわないように、だけど走ってしまわないように。
門が見えて来た。多分木製の、所々を金属で補強された二メートル以上はありそうな大きな両開きの門が今は閉められている。そして、その門の前に誰かが立っていた。
第一異世界人、発見。
止まっちゃ駄目だと自分で自分に言い聞かせながら足を必死で動かして近づいて行くと、第一異世界人は革の防具らしきものを身につけて、長い槍を持っているのがわかった。もっと近づくと顔立ちも見えてくる。
三十代くらいだろうか。彫りが深い顔、髪は茶色い。目も茶色みたいだ。背が高い、太ってはいないけどがっしりしてるから大きく見える。
門番さんだろうとは思うけど、あんなに大きな男の人に話しかけるのはさすがに勇気がいる。門まであと少しという所で私は、とうとう止まってしまった。すると、門番さんの方から話しかけてくれた。
「いらっしゃい、お嬢さん。初めて見る顔だね」
門番さんが笑顔で話しかけてくれたから私は、何とかこんにちはと答えられた。リュシオンが言っていた通りに日本語が通じるみたいだ。もしチート能力で自動翻訳されていたとしても、わからないのかもしれないけれど。
言葉が通じたことと、門番さんの優しげな雰囲気のおかげで少し落ちつけた。残りの数メートルは走って、門番さんの前に立つ。
「身分証は、持ってるかい?」
そうだ、身分証!
忘れてた、確かリュシオンが授けてくれるって言ってた。バッグの中だろうか? 身分証、身分証と思いながら手を突っ込む。
すると、何か固いものが指先に当たった。出してみたら、金属のタグのような物がぶらさがったペンダントだった。
「見せてもらうね」
門番さんが手を出したから、はいどうぞとばかりに差し出した。やはりこれが身分証らしい、タグに文字が書かれているのを門番さんが確認している。
「出身は、アスカム山か。アスカム山の中の集落か何かかな?」
「えっと、おじいちゃんと二人で暮らしてて」
確かリュシオンがそんな設定を言ってたはず。
「そうか、おじいさんは狩人か。そんな昔気質の狩人は、今ではめずらしいね」
「そうなんですね」
何が昔気質なのかわからないけれど、とにかく頷いておく。
「それで、おじいさんと一緒に山をおりて来たのかな? おじいさんは、どこに……」
「いえ、おじいちゃんが亡くなったので」
そういう設定だったはずと思って言ってみたのだけれど、私の言葉を聞いた途端に門番さんが顔色を変えた。
「まさか、一人で山を下りて来たのか?」
門番さんがいきなり大きな声を出すからびっくりして、返事ができなかった。
もしかしたらもしかして、アスカム山から一人で下りて来るのって、そんな驚かれるようなことなのかな。多分、三十分くらいしか歩いてないから、そういう意味ではたいして疲れてないんだけど、疲れたふりをするべき?
「ああ、十七歳なのか。十二、三歳かと思っ……いや、ごめん。可愛いって意味だぞ」
どうやら身分証には、年齢も書かれているらしい。いや、年齢じゃなくて生年月日とかなのかな? 先に確認しておくべきだったと思うけれど、もう遅い。
「しかし、あんな遠くからよく無事に来れたな。マジカルバッグを持っているみたいだけど、それにしても……そうか、冒険者でもなさそうなのにどうして女の子がズボンをはいているのかと思ったら、山道を歩くにはその恰好の方が確かにいいな。賢くて頑張り屋だな、お嬢さん」
あ、この門番さんものすごくいい人だ。
会ったばかりの私の身の上を可哀そうに思ったのか、ぐすぐすと鼻をすすりながら涙ぐんでいる。そんな顔すると、ちょっと若く見えるね。三十代かと思ったけれど、もっと若いのかもしれない。
しかし、この世界は女の子がズボンなのは珍しいっぽい。スカートかぁ、制服以外はいつもパンツスタイルなんだけどな。
それに、マジカルバッグって特別な物じゃないんだ? 私が身分証を出すのを見ただけで気づけるってことは、きっとそんなに珍しい物じゃないんだろう。
さすが、剣と魔法の世界。
「それじゃあ、これからはこの街で暮らすのかな? 山で女の子の一人暮らしは、さすがに無理だもんな」
「はい、そのつもりです」
「俺の名は、ユーゴだ。よろしくな」
「私の名前は、トウ……」
「パンジーか、可愛い名前だな!」
ユーゴさんは、私の身分証を見てそう言った。私の名前は、どうやらパンジーらしい……。
リュシオンめ、今度会ったら絶対に殴るっ!
「パンジー、俺の家は宿屋でな。この大通りをまっすぐ行って、六番目の角を左に曲がったところにある青い屋根の建物がそれだ。古い宿だけどな、親父の料理が美味いのは保障する。お袋は、ちーっとばかしおせっかいでうるさいかもしれんが、仕事が終わったら俺も帰るから安全も保障するぞ。よかったら、住む所が見つかるまで泊まってくれ。宿賃、安くするよう親父に言っとくから」
「はい、ぜひお願いします」
よかった、さっそく宿のあてができた。何のあてもなく探して、変なところに泊まっちゃうのは嫌だものね。
やっぱり優しい人だ。第一異世界人がユーゴさんでよかった、ユーゴという名前の響きが日本人っぽいのもちょっと安心できる。
「では、エシャールにようこそだ、パンジー。歓迎する」
そう言ってユーゴさんは、木製の門を開けてくれた。
「う、わぁー……」
門の向こうには、ファンタジックな街が広がっていた。
何これ、何かキラキラしてるんだけど!
空気の中に光の粒みたいなのがある? もしかして、これが魔素とかいうやつかな。
思わずぽかんと口を開けて固まっていたら、くっくっと、ユーゴさんが笑う声が聞こえた。
「休みの日でよかったら、街の案内してやるぞ。危ない所もあるから、今日は真っ直ぐうちの宿に行って休んだ方がいい」
山育ちの田舎娘が初めて都会に来たの、丸出しだったね。へへって感じで振り向いたら、ユーゴさんは目を細めてくすくすと笑っていた。
やっぱり若いわ、この人。三十代だなんて思って、ごめんなさい。ご両親と一緒に住んでいるみたいだから結婚もまだなんだろうし、二十代なのは確実だね。それに、よく見ると整った顔をしてる。俳優さんにいそう、こんな感じの人。
「はい、そうします。ありがとうございました」
「ああ、また後で会おう」
ユーゴさんに軽く頭を下げてから私は、最初の一歩を踏み入れた。二歩目からは、ちょっと小走りだ。
だって、だって!
建物が可愛い、絵本の中に入ったみたい。あちらこちらに花が植えられている。あそこの出窓のところ、黄色い花が溢れそう。
可愛い、すごく可愛い。
ふんわりパステルカラーだったマジパンの妖精界がこんな感じだった。
お店がたくさんある、人もたくさんいる。大通りって言ってたから、街のメインストリートって感じなのかな?
あそこを歩いてるきれいな女の人、耳がとがってる。エルフなのかハーフエルフなのかは、私ではわからないけど。
あっちの人は、まさかの猫耳だよ。リュシオンの好きな猫耳少女じゃなくて男の人だけど、もしかしたら猫じゃなくてヒョウとかかも。黒い耳が格好いい。
でもよかった、誰もパンジーみたいなバトルコスチュームは着ていない。女性は、ワンピースが多いな。ブラウスにスカートの人もいるけど。みんな、おしゃれで可愛い服を着てるよ。
ズボンだから、冒険者なのかなって思える女の人もいた。普通の服にユーゴさんがつけていたのと同じような革の防具をつけている。バトルコスチュームでも、ビキニアーマーでもないね。本当によかった。
しかし……ここ、美形率が高くない?
全員が全員、美男美女ってわけじゃないけれど、格好いい人もきれいな人もいっぱいいる、ユーゴさんも落ち着いてみれば恰好よかったし。
パンジーそのままな私ってば相当な美少女だと思うんだけど、そんなに目立ってないね。もしかして、リュシオンはちゃんと私のリクエスト通り『普通』な女の子にしてくれたのかな……いや、パンジーなのは絶対に普通じゃなかったわ。
とりあえず、宿を探すことにする。この道をまっすぐ行って、六つ目の角を左だったね。あんなにいい人なユーゴさんのご両親がやっている宿なら安心して泊まれるよねと思いながら歩いて、六つ目の角を曲がって、玄関扉の上に『コマドリテイ』と看板が出ている青い屋根の三階建ての建物を見つけた。
コマドリ亭か、名前も可愛いし建物も可愛い。ちょっと洋画に出てくるような、外国の古いアパートみたいだ。扉にベッドの絵が描かれた木の板がぶら下げられているけれど、あれは宿のマークなのかな?
さて、行きますかと歩き出そうとして気づいた。
私、無一文だった!




