16 レモンメレンゲパイ②
よめって、何ぞ……。
いやいや、嫁だよね。わかってるよ、つまり、ノエさんと結婚してくれってことだよね……ってガルド親方、何を言ってるの? 私、まだ十七なんだけど!
……でも、ルシアさんは私と同い年で結婚してるんだったね。でもでも、この世界では十七歳で結婚するのが普通でも、私にとっては普通じゃないんだよ。
それに、私とノエさんは昨日会ったばかりなんだよ。今日で、二日目。それで結婚とか、あり得ないよね。
「親方、いきなり何を言ってんだよ」
ノエさんの呆れたような言葉に、全力でうなずく。そうですよ親方、何を言っちゃってるんですか。
「けどな、ノエ。お前がこんなに喋る女の子なんて今までいなかっただろうが。おまけにハーフエルフ同士で、歳もちょうどいい。その上、仲がいいとなりゃ、もう嫁に貰うしかないじゃろ」
「そんなわけあるか、大体まだ知り合ったばかりだぞ」
「ワシは、クラーラに会ってすぐに求婚したぞ」
「いや、その時に親方、おかみさんに殴られたんだよな?」
「それでも結局は嫁に来てくれたんじゃ、ノエもあきらめるな」
「だから……」
その殴られたって話、もっと詳しく! と、思ったけれど、今はその話じゃなかったね。
ノエさんが大きなため息をついて、椅子の背もたれのもたれ掛かった。ぐったりと疲れたような顔のノエさんとは対照的に、ゴルド親方はにこにこしている。
「結婚したら、二人でここに住んだらええ。とっくにここは、ノエ専用の工房になっとるしな。ワシは、鍛冶場で暮らすからの、新婚の邪魔はせんぞ」
「鍛冶場って?」
「親方は、魔道具師であり鍛冶師でもあるんだ。鍛冶場は街の中に作れない決まりがあるから、壁の外に鍛冶師の集落があるんだよ」
疲れてるのに、説明ありがとうございます。何だか、ノエさんってちょっと苦労性だよね。
でもそうか、ゴルド親方は鍛冶師でもあるのか。ドワーフは鍛冶師っていう先入観があったのだけれど、あながち間違ってはいなかったのかも。
「なあ、パンジー。考えてみてくれんか」
「親方、パンジーが困ってるだろ」
「けどな、こんないい娘には、二度と出会えんかもしれんぞ。ワシはな、ノエには長く一緒にいてくれる娘と結婚して欲しいんじゃ」
あ、ゴルド親方がどうしてこんなことを言い出したのか、ノエ先生の説明なしでもわかってしまった。
ゴルド親方はドワーフで、確か四百年くらい生きるんだよね。でも奥さんのクラーラさんは、人族だ。人族の寿命は短いって、マジカルディクショナリーに書いてあった。
いくら愛し合っている夫婦でも、一緒にいられる時間は長くない。多分、クラーラさんを見送ったあとでゴルド親方は、長くて寂しい時間を生きなければならないんだ。
ゴルド親方は、ノエさんにそんな思いをして欲しくないんだね。だから、同じくらいの寿命であろうハーフエルフの私と結婚して欲しいんだ。
でも私、九十年しか生きられないんだよね。どういう死に方をするのかは知らないけど、私の残りの寿命は九十年だ。人族の寿命よりは長いだろうけど、ハーフエルフにしたら短命だろう。ずっとノエさんと生きることは、私には出来ないんだよ。
マルロとうさんもリタかあさんも、兄貴気どりな近所の幼馴染たちであるユーゴさんやエドさんも、そしてゴルド親方でさえノエさんよりも先に逝ってしまう。ノエさんの親しい人たちは、ノエさんを残してみんなこの世からいなくなってしまうのだ。
この工房でノエさんは、どれくらいの時間を一人で過ごすのだろう。考えただけでもたまらない、きっと私なら耐えられない。
私にはまだ、結婚したいほどの想いなんて想像もつかない。けれど、そのあたりはちょっと脇の方に置いておいて、もしも私に本来のハーフエルフの寿命があったとしたら、ノエさんと結婚するのはアリだったかもしれないと思う。一人では耐えられない寂しさでも、二人なら何とかならないだろうか。
それに、結婚するということは……こ、子供とか? 生まれるかもしれないよね……。
うー、ノエさんとの子供って、ちょっと想像しただけでも恥ずかし過ぎるけど、それでもそうなったならこの先の数百年を寂しさとは無縁で過ごせるかもしれないのだ。
ハーフエルフとハーフエルフの子供ならやっぱりハーフエルフだから寿命もそれなりに長いだろうし、孫やひ孫だって生まれて来てくれるかもしれない。
賑やかになりそう、楽しそうかも。でも、私の寿命は残り九十年と決まっているわけで。
「ごめんなさい」
本当に申し訳なく思いながら断ると、ガルド親方のがっしりとした肩が目に見えてさがった。にこにこしていた顔が、今にも泣きだしそうな顔に変わる。そうか、だめかと呟く声にも先ほどまでの力強さはなかった。
「本当にごめんなさい」
「パンジーが謝ることじゃない」
「でも」
「ほら、親方。ずっと馬に乗ってて疲れただろう? 少し、休んだらどうだ」
そう言って親方を見るノエさんの目が優しくて、そして少し寂しそうだった。ガルド親方とノエさんは、血の繋がりはなくても確かに親子なのだと思った。
パンジーを送って行けというゴルド親方に、まだ明るいですし、すぐそこですからといくら言ってもだめだった。なのでノエさんに送ってもらって、コマドリ亭までの短い道を帰った。
「すまなかったな、親方が変なことを言い出して」
「いえ、それは別にかまわないのですけど」
『マドウグ ゴルドノミセ』の隣に一軒、いつも閉まってて看板も出ていないお店があって、その隣はギルさんの『アドレイドヨウヒンテン』で、その角を曲がって少し行ったらすぐにコマドリ亭だ。ほんの数分しかかからない道程だけど、その短い間にノエさんが説明してくれた。
エシャールには、ノエさんの他にもハーフエルフが幾人も住んでいるけれど、ノエさんと同年代はいないらしい。見た目は若くても百歳、二百歳を超えている方がほとんどなのだそうだ。
「まあ、百歳くらいの歳の差夫婦なんて珍しくないけどな」
「そうなの!?」
「親方とおかみさんだって、百五十くらい離れてるぞ」
「え、嘘」
「本当」
クラーラさんは人族だから、寿命は五十年から六十年だっけ。今、おいくつなんだろう……ノエさんが赤ちゃんの頃に結婚したみたいだから、少なくとも十九年前には結婚できる年齢だったってことだよね。
「おかみさんはもう、五十を過ぎてる。親方と結婚した時が三十五歳とかだったらしい」
「また読んだ」
「だから、お前の考えてることはわかりやすいんだって」
そこまで話したところでコマドリ亭に着いてしまったけれど、まだ聞きたいことがあった。私が立ち止まると、ノエさんも立ち止まった。どうやら、立ち話につき合ってくれるらしい。
「だったら、クラーラさんって……」
「もうそんなに長くは、生きないだろうな。エシャール生まれなら人族でも八十くらいまで生きることもあるけど、おかみさんは違うから」
「そっか」
ということは、ガルド親方は二百歳くらいなんだろうな。
ドワーフの寿命は、四百年前後。最愛の奥さんを亡くしたあと、親方は二百年も生きなくてはならない。もしかしたら、また別の誰かを好きになる可能性もあるのかもしれないけれど、なんとなくそれはないような気がした。
「親方がしつこくして、悪かったと思ってる。でも、許してやって欲しい。俺の魔力量が多いから、親方は心配してるんだよ。多分、俺は他のハーフエルフより長く生きるだろう。親方がいなくなったあとも、な」
ここは、魔力量で寿命が決まる世界なのだ。
魔力無限大なのに残りの寿命が九十年と決まっている私は、例外中の例外だ。保有魔力量が多ければ、それだけ長生きする。マジカルディクショナリーにも、エルフ族は個人差が大きいって書いてあったしね。
親方は、ノエさんが一人きりになることを心配しているんだ。だから同年代で、しかも魔力量が多いらしいハーフエルフである私に、会ったばかりなのにあんなことを言い出したんだ。すでに百年、二百年を生きてしまったハーフエルフでは、どれだけノエさんと一緒に生きてくれるかわからないから。
寿命が違うって、なんて残酷なんだろう。
前の世界みたいに人間しかいなければ、こんな悲しいことにはならないのに。
誰だっていつかは死ぬ、当たり前のことだ。
前の世界でだって、年を経れば旦那さんや奥さんに先立たれるのは当たり前のことだし、子供がいなかったり、いても遠くで暮らしていたりしたら独居老人になってしまうのも、悲しいけれど仕方のないことだと思う。
くるみベーカリーを閉めることにしたとおじいちゃんから電話を貰った時、私はすぐに一緒に暮らそうよと言った。幸いなことに仕事人間な両親が建てた家はそれなりに広くて、一階のあいている部屋をおじいちゃんとおばあちゃんの部屋にするのに問題はなかった。
お前たちに迷惑をかけるわけにはいかないと言うおじいちゃんを説得したのも、お父さんとお母さんに祖父母との同居を頼んだのも私だった。あの時の私は、単純に大好きなおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしたいだけだった。くるみベーカリーを閉めてしまうなら、それが叶うと思った。
おじいちゃんとおばあちゃんにこの家に来てもらってもいいでしょうと言った私にお父さんは、一人になってから引き取るよりも二人一緒の方がいいのかもなと言った。あの時、私はその言葉の本当の意味を理解していなかったのだと思う。
二人三脚でパン屋を営んで来た仲のいい夫婦のどちらかが欠けたら、残された方はきっと一人では生きていけない。お父さんは、もしそうなったらすぐに迎えに行くつもりだったのだろう。だけど私が一緒に暮らしたいと言い出したから、だったら二人とも元気なうちに同居を始めた方がいいだろうと、あのお父さんの言葉はそういう意味だったのに私は、おじいちゃんとおばあちゃんがうちに来てくれるということに浮かれて、ただ喜んでしまっていた。
おじいちゃんとおばあちゃんがあと何年生きるかなんて、考えたこともなかった。お父さんとお母さんだって本当なら、私より先に天に召されるはずだったのだ。
それに考えるのもいやだけど、もしかしたら春も……。
残されるのは、本当なら私だった。
大好きな人たちを失って、悲しい時を過ごすのは私だったはずなのに。
ごめんなさい、こんなところで謝っても届かないけれど。だけど私、リュシオンを責めたりはしたくないんだ。
あんなに必死で謝ってくれた、私が楽に暮らしていけるようにと最大限の心遣いをくれた神様を恨むなんてできないから。
お父さん、お母さん。おじいちゃん、おばあちゃん。それと、春。
悲しい思いをさせて、本当にごめんなさい。
だけど、それでもみんなの悲しい時間はせいぜい数十年程度だ。なのに、こちらの世界では百年単位なのだから、あまりにひどいよね。
ノエさんと結婚して欲しいと言った、親方さんの気持ちが痛いほどわかる。もしも私が親方さんの立場なら、もっとしつこくお願いしてしまったかもしれない。
寿命の違いは、残酷だ。
リュシオン、どうしてこんな世界にしたの?
「……ノエさんは」
「何?」
「ノエさんは、私と結婚しろって言われて嫌じゃないんですか?」
「パンジーなら、いいかと思った。結構サバサバした性格のようだし、お前とならやっていけそうな気がした。けど……」
「けど?」
「いや……とにかく俺は、親方とおかみさんを安心させてやりたいんだよ」
「だったら、嘘でも私が好きだからって言うべきじゃないですか」
「こういう大事なところで嘘はつけない」
私のこと嫌いじゃないけど、恋愛感情はないんだろうな。まあね、会ってまだ二日目だしね。一目惚れならまだしも、二日で好きになったと言われても私だって信じられない。
それに、元から私ではだめなのだ。九十年しか生きられない私では、ゴルド親方よりも先に死んでしまうのだから。
気が遠くなるほど長いと思っていた九十年が、なんだか急に短く思えてきた。




