15 レモンメレンゲパイ①
「そうかそうか、アスカム山から一人でなぁ。それで、今はコマドリ亭に泊まっとるのか」
女の子を連れ込んでいたと思われたままだとノエさんが困るだろうから、簡単に事情を説明してからコマドリ亭に帰ろうとしたら、土産のパイがあるから食っていけとゴルド親方に言ってもらえたので、喜んでご馳走になることにした。
甘いもの、ちょうど食べたいと思ってたんだよね。
こっちこっちとゴルド親方に導かれるままに階段をのぼったらそこは、キッチンダイニングみたいなスペースだった。片側がそのままキッチンになっていて、冷蔵庫や食器棚も並んでいる。
大きな掃き出し窓から日の光が降り注ぐので、とても明るい部屋だった。窓の向こうは、ベランダになっているみたいだ。植木鉢がいくつか置かれているのが見える。
窓とは反対側の壁には、扉が二つ並んでいる。あれって多分、私室の扉だよね。親方の部屋とノエさんの部屋なのだろうと思う。
つまりここは、ガルド親方とノエさんのプライベートスペースだ。こんなところに私が入っていいのかと思ったけれど、二人とも気にしていないようだ。
「パンジーは、そこに座るとええ」
「はい」
こじんまりしたダイニングテーブルに、椅子は三脚あった。並んで置かれた二脚は普通の椅子で、その対面の一脚はベンチのような横長の椅子だ。ゴルド親方が私に座るよう言ったのは普通の椅子の方で、横長の椅子にはゴルド親方がドカッと座った。なるほど、ゴルド親方に普通の椅子は小さすぎるよね。
ゴルド親方の茶色いリュックからは、大きなパイがホールで出てきた。直径が三十センチくらいはありそうだ、明らかにリュックの出し入れ口より大きい。
あのリュック、マジカルバッグなんだね。食べ物を入れてるってことは、もしかしたら時間停止機能つきなのかも。
「これは、レモンパイですか?」
焦げ目のついたメレンゲが乗っているパイは、前の世界でもお馴染みだった。レモンパイ、もしくはレモンメレンゲパイっていうやつだよね。これも、リュシオンがレシピを神託したのかな?
「うちのかみさんの得意なパイでな、ノエが好きだからいつもこうして持たされるんじゃ」
うちのかみさんということは、ゴルド親方の奥さんだね。持たされるって、どういうことなんだろうと疑問符が飛んだけど、それよりもノエさんがキッチンの前に立った方が気になった。
「ノエさん、手伝います」
お茶を淹れてくれようとしているのに、何もせずにのんびりと座っている訳にはいかない。こういうの、おばあちゃんから厳しく躾けられたんだよ。
「適当に皿とか出してくれ」
「はい」
食器棚には、可愛い食器がいっぱいあった。ガラス食器や陶器、あとは木製の素朴な感じの小鉢なんかもある。
これらの食器をノエさんやガルド親方が揃えたとは思えない。ということは、このキッチンの主はおかみさんなんだろうと思うのだけれど、おかみさんがここに住んでいるような気配がまるでないんだよね。おかみさん手作りのレモンパイがお土産っていうのもあるし、お仕事の都合か何かで別々に暮らしているのかもしれない。
お皿を探しながら横目でノエさんを見ていたのは、キッチンの使い方を知りたかったからだ。ノエさんはまず、ケトルに水を入れた。長方形の縦長の箱に斜め下に向けた管のような物がついていて、その管の下にケトルを置いてから、箱の上についている何か石のような物に触ると水が出る仕組みのようだ。
水を入れ終わると邪魔にならないようにだろうか、その箱をノエさんはひょいっと持ち上げて隅の方に置いてしまった。つまり、あの可動式の箱はどこか水源に繋がっているわけではないのだろう。もしかして、いやもしかしなくてもあれが水の魔道具ってやつなんだと思う。
そして、マジカルバッグの中の家にもあったIHヒーターらしき物の上にケトルを置いて、その前面についていた石のような物に触れた。
あの石みたいなのがスイッチなんだろうと思うけれど、押してる感じじゃなかったな。本当に一瞬だけ触れている感じ。
「どれでもいいんだぞ」
「あ、はい」
「フォークは、その引き出しな」
食器棚の前でノエさんがすることを見ていたら、迷っていると思ったのか声をかけてくれた。慌てて青い花の絵がついたお皿を三枚と、引き出しの中からちょうどいいだろう大きさのフォークを三本だす。
「パイ、切れるか?」
「はい」
ナイフを渡されたので、受け取ってテーブルに戻った。そして、大きなレモンパイを切り分けていく。
「おいしそう」
「そうだろう、クラーラのレモンパイは絶品じゃぞ」
「クラーラさん?」
「ワシの嫁さんじゃ」
「おかみさんだ」
「そうじゃ、ノエはおかみさんと呼ぶな。母さんと呼んでやればええのにのぉ」
ん? クラーラさんがノエさんのお母さんなの?
でもノエさんはガルドさんを親方と呼び、クラーラさんはガルド親方の奥さんで……え、どういうことかな。
もしかしてクラーラさん、ノエさんをつれてガルド親方と再婚したとか?
「ノエさんは、ガルド親方の弟子なんですよね?」
「弟子じゃが、生まれた時から面倒を見とるから息子同然じゃな。ワシとクラーラは子供に恵まれんかったせいもあってな、ノエを本当の子供だと思っとるんじゃ」
ああ、そういうことか。血の繋がりはなくても、赤ちゃんの頃から育てたなら本当の子供だよね。
ノエさんはハーフエルフなんだから、ご両親のどちらかがエルフでどちらかが人族なはずだ。いや、人族じゃない可能性もあるのかな。でもノエさんが獣人やドワーフの血を引いてるようには見えないから、やっぱりエルフと人のハーフなんだと思う。
どこかにご両親が健在で、魔道具師になりたいノエさんがガルド親方のところに弟子入りした、という線はなさそう。生まれた時から面倒を見ているとガルド親方は言った、つまりは赤ちゃんのノエさんを子供がいなかったガルドご夫妻が引き取ったってことだよね。ということは、ノエさんの本当の親は多分もう……。
うーん、そのあたりのデリケートな事情を聞いたらだめな気がする。気になるけど、私は昨日はじめて会ったばかりの他人だ。まだ友達とも呼べない関係では、ご両親は亡くなったのなんて聞いちゃだめだよね。
「母は、俺を生むとすぐに亡くなったそうだぞ」
上から降って来た声に慌てて顔をあげると、マグカップを三つ持ったノエさんが立っていた。
「別に隠してないから普通に聞け、気になるんだろうが」
「気になってなんか……なってるけど」
「なんだよ、それ」
マグカップを置いてから、ノエさんがレモンパイをお皿にのせる。
「母が人族だから父親がエルフなんだろうけど、どこのどいつかわからない」
「ノエの母さんはエレインさんと言ってな、きれいな人じゃったぞ」
「俺は覚えてないからな、死んだと聞かされても悲しいとかは別にない。親方とおかみさんがいたし、兄貴気どりで世話を焼きたがる幼馴染たちが近所にゴロゴロといたから、寂しいと思ったこともない」
「そうなんだ」
「ああ、だから気になるんなら聞いていいぞ」
ノエさんは、レモンパイをのせたお皿を私の前に置いてくれた。カップに入っているのは、紅茶かな? この世界の飲み物は常温が普通なのかと思っていたけど、ホットで飲む習慣もあるんだね。
「えっと、エレインさんはこの街の人だったんですか?」
「いや、違うの。ふらりとどこからかやって来て居着いたんじゃな、最初はコマドリ亭で働いておってな」
「コマドリ亭で?」
「ユーゴが小さくて手がかかる時期じゃったからの、ちょうど手伝いを探しておった頃にエレインが客としてコマドリ亭に泊まっておったんじゃが、働き口を探していると言うからそのまま働きだしたのよ。それで、しばらくしてエレインが妊娠していることがわかっての」
「お父さんが誰なのかは……」
「リタが聞いたが、言わんかったそうじゃよ。ノエは、コマドリ亭で生まれたんじゃ。エレインが息を引き取ったのもコマドリ亭じゃな」
「そうだったんだ」
ノエさんは、自分の出生の話なのにまるで関係ないとでもいうような顔でレモンパイを食べている。私は、紅茶を一口飲んだ。熱い、でもその熱さがなんだかホッとする。
「マルロとリタは、ノエをユーゴの弟にすると言ったんじゃがの、ノエはこの通りハーフエルフじゃろ? 寿命の長さが違うからの、ドワーフであるワシが引き取ることにしたんじゃ。ワシならマルロやリタよりも長く一緒にいてやれるからの」
なんだろう、なんだか涙が出そう。どうしてこの世界の人たちは、こんなに優しいんだろう。
「もっともその頃のワシは独り身じゃったからの、ノエの世話に悪戦苦闘の毎日じゃわい。近所の連中が手伝ってはくれたが、それでも大変じゃったのよ」
あ、子供がいなかったゴルド親方夫妻がノエさんを引き取ったという予想は、違ったみたい。独身なのに赤ちゃんを引き取るなんて、ゴルド親方ってすごいよね。
「それでの、慣れない子育てで苦労しているワシを見かねたクラーラがようやっと嫁に来てくれたんじゃ。クラーラはな、マーニーの商人の娘での、エシャールの生まれじゃないんじゃ。父親と一緒に商売に来ていたところをワシは一目惚れしての、何年も口説いたんじゃが色好い返事がなかなか貰えんかった。それがノエのおかげでワシは、世界一のカミさんを貰えたんじゃ」
「マーニーって?」
「ここから馬で二日ほど南に行ったところにある、港街だ。親方、パンジーは山育ちだから世間知らずなところがある」
「そうかそうか」
ガハハハと、ガルド親方は豪快に声をあげて笑った。無表情がデフォルトのノエさんも口の端がちょっとだけあがってる。あれって、笑ってるんだよね。
でも、ガルド親方自慢の奥さんはやっぱりここにいないっぽい。
「あの、クラーラさんは……」
「クラーラは、今はマーニーの実家で暮らしとる。人族にしては魔力量が多い方だったから大丈夫かと思ったんじゃが、ここで暮らしだして二年ほどで魔素中毒になっての。ノエのおかげでエルフの秘薬が手に入ったから回復したが、もうそれ以上はエシャールに住み続けるのは無理じゃった。だからワシは、数か月ごとにマーニーまで会いに行っとるんじゃ」
二歳のちびっこノエさんが頑張って作った魔力晶と交換して手に入れたという、エルフの秘薬。おかみさんが病気だったって、言ってたね。
そうか、そんな事情だったんだ……って、魔素中毒って何ぞ?
魔素中毒って常識なのかな、聞いたらおかしいのかなと思いつつレモンパイをいただいた。何これ、めちゃくちゃおいしいんだけど!
「魔素が濃い過ぎるところに長くいると、保有魔力量の少ない者は耐えられなくなってくる。それを、魔素中毒という。人族でもエシャールで生まれ育った者なら平気だが、おかみさんはエシャールの生まれじゃないからな。エリクサーが手に入っていたらおかみさんの魔力量自体を底上げできただろうけど、エルフの秘薬では元の元気な状態に回復させることしかできなかったんだ」
「……ノエさん、私の考えてることが読めてます?」
「お前の顔を見てたら、わかってないことがわかる」
「えー、私ってそんなにわかりやすいですか」
「わりとな」
「えー」
私とノエさんのやり取りが面白かったのか、ガルド親方がまたガハハハと笑った。ノエさんも笑ってるよね、口の端がさっきよりあがってるよ。
「それで、パンジーはこれからどうするつもりなんじゃ?」
「どうする、とは?」
「エシャールに住むなら、仕事を探すのかってことじゃ。いつまでも宿暮らしをするつもりじゃないんじゃろ?」
「考えてはいるんですけど、まだ決められてないです」
「パンジーなら、別に働かなくても魔力晶の収入だけでも余裕で暮らせるぞ」
「そうなのか、魔力が多いんじゃな。今時のハーフエルフでは、めずらしいの」
ん? ハーフエルフなのに魔力が多いとめずらしいの?
「昔なら、エルフはとんでもない魔力量だったらしいけど、そんな力の強いエルフは段々と少なくなってきているんだ。だから、ハーフエルフやクォーターエルフの魔力量も減ってきている」
「また読みました?」
「だから、わかりやすいって言ってるだろ」
ガハハハと、またガルド親方が豪快に笑う。ノエさんと私のやり取りって、そんなに面白いのかな。
「パンジーは、十七歳だったな。十七でその見た目ということは、随分と早く成長が止まったんだな」
んん? 成長が止まったってどういう意味? わからないことばかりだね……ノエ先生、説明をお願いします。
「正確には、成長が止まるんじゃなくてゆっくりになるんだ。エルフは、生まれてしばらくは人族と同じくらいの早さで成長するが、十代の後半から二十代の前半あたりで歳をとるのが緩やかになる。ごくゆっくりと老けていくが、それでもあまり変わらない容姿で数百年を生き続けるんだ。ハーフエルフは、エルフほど長生きじゃないけど、成長過程は同じだ」
「え、そうだったんだ」
ちょっと不思議に思ってたんだよね。何百年も生きるハーフエルフは人族より成長が遅くないとおかしいのに、十九歳のノエさんは十九歳に見えるし、こちらの世界の人からは子供に見えるらしいパンジーも私から見れば普通に十七歳だしね。だけどそうか、成長というか老化? が途中で緩やかになるんだね。それなら納得だ。
「お前な、自分のことだろ。どうして知らないんだよ」
「だって私、ずっとおじいちゃんと二人暮らしだったんだよ。おじいちゃんは、人族だったし。エルフの成長のしかたなんて、知らなくても仕方なくない?」
「そうかもしれないが、でもな」
「だとしたら私、もう成長しないのかな。もうちょと大人になりたいんだけど」
「いや、それは」
「大人になりたい」
「……希望は、ないこともないと思うぞ」
「本当に?」
「多分」
「多分かぁ」
んー、これは望み薄そう? 子供に見える容姿だとこの先、暮らして行きにくそうだよね。何か仕事に就くとしても、大人に見えた方がいいと思うし。
「パンジーは、そのままで可愛いからいいじゃろうに。ノエもあまり見た目が変わらなくなってきたから、この姿のままで数百年は生きるじゃろうな」
「ノエさんは、大人に見えるからいいだろうけど」
本当に、ノエさんくらい大人に見えたら何の問題もないのに。子供に見える私でも雇ってくれるところってあるのかな?
ノエさんが言うように、魔力晶を売るだけでも暮らしていけると思う。今日だって、一瞬で作った魔力晶で九万円になった。でも、ずっとそれだけっていうのもどうなんだろうって思うんだよね。
「なあ、パンジー。ノエは、男前じゃと思わんか」
「ノエさんは、美人さんです」
「おい、美人ってのは女に使う言葉だろ」
「だって、美人さんだし」
「お前、さっきは格好いいって言ったよな」
「格好いい美人さんです」
「おーい」
「お前たち、仲がいいな!」
これって、仲がいいのかな? 確かにノエさんには私、あまり遠慮とかしないでポンポンと言いたいこと言っちゃってるけど。
「パンジー、ノエの嫁に来てくれんか」
……ん、よめ?
ガルド親方の予想外過ぎる言葉に私は、一瞬その意味を理解できなかった。




