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5 紹介リング

 瀬謡はカードケースから生駒の名刺をより出した。

 生駒にメールを入れようと思ったのは、立成の知人であることを聞いていたからだ。立成と共に客として来てくれるかもしれない。


 引き戸ががらりと音をたてて開いた。

「ようっ」

と、顔を出したのは立成だった。

「今日はやけに早いね」

 先日の立成の妙な頼みのことがたちまち頭をよぎり、魔女の宅急便は、とあやうく言いそうになった。巨体の後ろに誰かいる。

 続いて扉をくぐってきたのは、なんと三条優だった。

「うわぁ、うれしい。三条さんじゃないですか。先日のパーティでご一緒しました瀬謡です。ああっ! 生駒さんも。これはこれは!」

 生駒がパーティに連れてきた女性社員の名を覚えていてよかった。

 次に顔を出したのは芳川だ。

「あれ? 予約、今日だったかな? なんだ、四人って……」

「いや。今日は事の成り行き」

 瀬謡は精一杯の笑顔で頷いた。

「皆さんで、ようこそ」

 生駒がはにかんだように笑って、カタリと椅子を引いた。


「僕は指定席に」と、芳川が一番隅の席に着く。

 三条が立成や芳川の上着を、壁のフックに掛けてやる。

「ごめんね。使って。あ、鞄はそっちの棚に。ね、生駒さんに今メールを送ろうとしたところ」

「なんて?」

 パーティのときと違って、生駒は砕けた調子でいう。店の雰囲気がそうさせているのだとすればうれしい。

「ご挨拶。すみよしにも来てくださいねって」

「立成さんと芳川さんに連れて来られました」

「このおふたりは、うちの店のえべっさんみたいな人でしてね」

と、立成と芳川にもかわるがわる笑顔を向ける。

「なるほどね。僕にとってもそうであってくれたらいいけど」


 生駒は案外話し好きな男のようだ。

 四十八歳という年齢と設計事務所を開いているということくらいしか知らないが、ちょっととぼけたところのある男だ。


「で、今日はどういう風の吹き回しなんだい。この組み合わせは」

 立成にはいつもの芋焼酎の水割りを、他の三人にはビールを出しながら聞くと、立成が説明してくれた。


「ふうん。なんだかうれしいね。この店がそのマンション計画の仲立ちになったっていうのは」

 顔をほころばせて、

「じゃ、これ、前祝のサービスだよ」と、それぞれの皿にジャガイモを入れていく。

「先日はありがとうございました」

 改めて芳川に礼をいうと、必然的に数日前のパーティの話題になった。


 パーティは、もとはといえばこの店での会話が発端になったものだった。

 一年以上前のことになる。

 ブログなるものが流行っているらしいということから、興の乗った芳川がやってみると言い出したのだ。

 では内容をどうするか。

 瀬謡と立成も加わって案を出しあった。

 毎日多くの人に会う芳川ならではもの。単なる雑感のようなものではありきたり。

 あるテーマに沿って話してもらった内容を掲載すればどうかということになった。

 そしてインタビューされた人が、次の人を紹介する。いわゆるリレー形式。

 ブログをネタにした「人の輪」のようなものである。

 そして瀬謡は、店の宣伝のためにと、その一番手として名乗り出たのだった。


 インタビューのテーマもその場で決めた。

 音をテーマに、とは立成の案。

 色をテーマにしたい芳川と、奥行きのある話が期待できるのはどちらか、ブログを読んで情景を思い描きやすいのはどちらかなどと、けんけんごうごうの末に決まったのは、好きな音、気になる音、思い出の音、というテーマだった。


 インタビュー時の食事代は芳川持ちということも決めた。

 瀬謡にしてみれば、毎回のインタビューはこの店でと言ったつもりだったが、残念ながらそれはあてが外れた。芳川は、梅田のイタリア料理店をインタビュー会場にしたのだ。すみよしでインタビューが行われたのはほんの数度だけ。

 瀬謡は今日もまたその愚痴をいう。


「だって、ここは不便だろ。それに、お互いに横向いて座るんじゃ、インタビューの調子が出ないじゃないか」

 芳川とのこのやり取りも毎度のこと。決まり文句を言って、互いの親交を確かめているのだ。


 三条が話に加わってくる。

「それで生駒が十八番目で、次に立成さんを芳川さんに紹介しようとしたんですね」

「そう。そしたら、なんと、ふたりはこの店で以前からの知り合いだったし、立成さん自身が人の輪ブログの立案者のひとりだったというわけさ」

「瀬謡さんから立成さんまで、十九番目でひと回りしてきたわけですか。世間は狭いというのか、なんとも不思議ですよね」

「ああ、わしも鳥肌が立ったよ」

「また大げさなこといって」


 立成が楽しそうに、改めて乾杯するようなしぐさを見せて、三条に説明する。

「それでな、芳川先生に記念になるようなパーティでもしたらどうかと持ちかけたんだ」

「そうなんですか」

「キリのいい二十回目を記念して。で、キリ番の二十人目はここの常連の松任さんということにしたんだ。芳川事務所で働いている女性でね」

「うわ、それ、ずるいですね。立成さんは誰も芳川さんに紹介しなかったということですか」

 ずばりいう。


「きついなあ。誰かを紹介するというのはなかなか難しいものなんだよ。特に仕事抜きの完全なプライベートでは。しかもパーティを控えたキリ番。ここで失敗するわけにはいかなかったから」

「でも、それまでの人はみんな頭を捻って、自分の知り合いを紹介してきたんでしょ」


 まだまだ若い女性の、しかも美人の特権だ。

 瀬謡は少しうらやましい。三条が微笑みながら言うと、それがたとえ相手に少々失礼かなと思うようなことでも通る。

 立成も笑顔だ。頭をかきながら返す言葉を捜している。


「日本人てさ、なんの利害関係もなかったら、余計に不審がるというか、自分と相手の距離が測れないというか。芳川先生はそうじゃないけど、お相手が……」


 この議論はあきらかに立成の負け。

 どう弁解しようとも、立成が自分たちで決めた紹介リングというシステムを放棄したのは、間違いなかったのだから。

 しかし、実際は立成の責任だけでもない。

 立成もこの店で何度も会ったことのある松任が、自分へのインタビューはなかなか順番が回ってきませんね、と半ば催促するようなことをおもしろがって口にしたからだった。


 瀬謡は立成のために助け舟を出しておく。

「でも、あれでよかったんじゃないかな。松任さんは、音というテーマにぴったりだったしね。それに話の内容もキリ番にふさわしかったよ」

 松任歩美とは、芳川の事務所で働いている秘書的な役割の女性だ。

 年齢は三十少し前。豊中市にひとりで住んでいる。

 サイドビジネスとしてピアノ調律師の仕事もしているらしいから、芳川は松任をある程度は自由にさせているのだろう。


「人の輪ねえ。いわゆる、因縁というやつかぁ……」

 三条が瀬謡の言葉に納得したのか、頬杖をつき、アジの南蛮漬けを割り箸の先でつつき始めた。

 少々だらしない格好。

 生駒が立成や芳川の目を気にして、その白い肘を小突く。まるで授業中に居眠りしている級友を起こそうとしているかのように。

 なかなか可愛い雰囲気を持ったふたりだ。

 単純な上司と部下の関係ではないのかもしれない。芳川はテレビに気を取られているが、立成はちらりと三条の様子に眼をやった。


 瀬謡はこの可愛い娘を引き立ててやろうと思った。女性客を大切にしなくてはね。

「三条さんも大変ですね。毎週、社長のお守りじゃ。先日のパーティに続いて今夜も」

 立成や芳川に誘われて来たのだったら、生駒の責任ではないし、立成や芳川にしても、おでん屋のママに言われる筋合いのものでもない。

 でも、三条の反応を見てみたい。瀬謡はそんな気分だ。

 きっと三条は、ほんとに大変ですよ! などと笑うだろう。そして場が和やかな艶話にでも変化すればおもしろい。


 ところが、

「そうなんですか? 私はこれで普通なのかと」

と、三条はまじめな顔で首をかしげた。

 本気でそう思っているわけでもないだろうから、話題を繋ぐ軽い冗談なのだろう。

 案の定、仲良しなんだね、と言う前に、立成に先を越されてしまった。

「おお! うらやましい! 生駒さん。こんないいお嬢さんを部下に持って」

「はぁ」

 それ以上の言葉が、すぐには出てこないようで、建築家はあわててビールを口に持っていく。


「普通は嫌がられるんだよ。女子社員に夕飯を食いに行こうなんて誘うと。しかも週末となりゃ、へたするとセクハラ!って言われかねない。いやぁ、三条さんに乾杯!」

と、またもや乾杯のポーズ。会釈して返す三条。どこまでいっても自然な笑顔。


 やっぱり生駒と三条の関係は……。

 そんな詮索じみた目を、生駒はこんな言葉でさらりとかわした。

「ところでさ。瀬謡さんが紹介した二番手の伊知馨さんていう人。実は知り合いなんだ。因縁なんてちょっと不気味なものじゃなくて、やっぱりきれいな人の輪だよ」

「へえ!」

 生駒は三条に向かって言ったのだが、それはさっき彼女がつぶやいた言葉への、ずいぶん間の開いた反応だった。

 ただ三条が驚くより、周りが驚いていた。芳川が口に持っていきかけたヒラテンを取り落として汁のしぶきをシャツに引っ掛けていた。そしてもちろん、最も驚いたのは瀬謡だった。

 思わず、

「いやぁ、ますますうれしいわあ」と叫んでいた。


 芳川には縁もゆかりもない人というつもりで、自分の友人を紹介したのだった。それがこうしてひとつの人の輪を描いている。

「生駒さんと馨はどういう関係? 馨はあたしたちより少し年上だけど」

 あたしたちという部分に力をこめて、生駒への親しみを持たせたつもりだ。


「数年前、ある店舗の内装デザインをしたんだけど、什器や備品を伊知さんの会社から購入することになってね。あの人、ディスプレイ業でしょう。いろいろ教えてもらうことがあって、今もちょくちょく電話をね。輸入品の代理店を紹介してもらったり」

「へえぇ。十九人目と十七人目で巡ってきた人の輪か」

 瀬謡はとてもうれしかった。こんなちっぽけなおでん屋が人の輪の中心にあるということが。


「そんな小さなリングしか、この店の周りには回っていないんだな。流行らないわけだ」

 芳川が憎まれ口を叩いたが、誇らしいことに変わりはない。

「あ、そうともいえるか」と受け流しておいて、生駒にだけ土手焼きをつけてやる。


 他愛のない会話がおでんの湯気とともに漂っていた。


 三条が大声をあげた。

「この近くやん!」

 テレビニュースのアナウンサーの声が急に耳に届いてきた。

「今日の午後三時ごろ……、死体が……、ディスプレイ業の女性らしいと……」

「なんだって!」

「ディスプレイ業!」

「まさか馨じゃないだろうね!」

 夫が厨房から飛び出してきた。

「見に行ってくる!」

「勘定は後で」

 芳川も後を追っていった。

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