36 私、実は。娘の独白
瀬謡のおでん屋は重苦しい空気に包まれていた。松任自身の口から、ひとつの真実を聞く日だ。
金谷が死んだ今となっては、松任が先日言い残したであろうことを聞いておかねば気が休まらない。
そう考えて、瀬謡は生駒や三条と相談して松任を呼んだのだった。
「実は私、私生児でして」
おでんの湯気までも一瞬凍りついたようになった。
松任は口に出してしまったことで、胸のつかえが取れたのか、すらすらと話し始めた。
松任歩美は比較的裕福な家庭で幸せに過ごしてきたのだが、高校二年生のときの交通事故で少しずつ歯車が狂い始めてきたという。
「音楽大学への進学はもちろん、ピアニストの夢を断念することになった忌まわしい事故でした。入院生活も……」
生駒と三条が居住まいを正した。
「実は、入院中にお見舞いを頂きました。サンゴ礁の写真集でした。私はそれがとても気に入り、暇さえあれば眺めていました。でも、それが誰からのものなのか知りませんでした。しかし、やがてある日、親戚の人が、とうとう教えてくれました。私の実の父親からの贈り物だと。そして、馨も本当の母親ではないのだと」
瀬謡はテレビを消した。
「それ以降、私の目に入る世界はすっかり様変わりしてしまいました。退院後、すぐに家を飛び出しました」
松任は言葉を切り、今から言うことを整理するかのように、ビアグラスから立ちのぼる泡を見つめた。
「ピアノは断念せざるを得なくなりました。それだけでも落ち込んでいるときに、今日まで両親だと思っていた人が実は違う、ということを聞かされてしまったのです。自分は馨の姉、美弥子の子だったです。美弥子はいわゆる未婚の母だったそうです。しかし、私がひとつになるころに、不幸な事件で命を落としてしまったのです。そして残された子供を引き取り、自分の子として育てたのが、妹の馨夫妻だったのです」
実は、瀬謡にとって松任のこの話は予想外ではない。
それは、三条がひとつの仮説として披露してくれていたものだったからだ。
三条はそれをこう説明してくれていた。
そもそも、松任さんと伊知さんには、母と娘の間にあるはずの愛情とか親しみや信頼、といったものが感じられなかったよね。けんかしていて知らん顔しているというより、もっと冷めた他人同士のような関係……。
しかもね、先日ここで松任さんは伊知さんのことを「本当の」母親って呼んだでしょ。それってどうもおかしいなと。
あえて「本当の」と表現したことで、もしかすると本当の母親じゃないのかもしれないなって感じられるのよね。
ところで、松任さんはおいくつでしょう。 実はルナに聞いてあるのよ。
三十一です。昭和四十九年九月生まれ。例の事件の一年前に生まれたのね。
ねえ、瀬謡さん。その頃は伊知さんと親しくされてましたよね。
瀬謡さんが大学三回生、伊知さんが四回生の夏、念願の北海道ツーリングをしたとおっしゃいましたね。その年なんです。
ほら、おかしいでしょ。
伊知さんのおなかが大きくなってました?
そう。松任さんは伊知さんの子供じゃないのよ。
ここまでの話のどこかに嘘が混じっていない限り。
瀬謡の話に嘘はない。
瑠奈にしても恋敵の年齢をきちんと芳川に確かめていただろうから間違いはないだろう。
三条の推理はまだ続きがあった。
じゃ、誰の子か?
亡くなったお姉さんの子を引き取ったと考えられるのよね。普通に考えて、その可能性が高い。
殺されたお姉さんとは井端美弥子さん。 姓は井畑のまま。
当時のことなんだから、結婚すれば姓は変わるのが一般的よね。
美弥子さんは未婚の母だったのよ。
結婚していないんだから、父親は生まれた子を引き取らなかったということなのね。
そしてその父親とは、美弥子さんと海水浴に来た男性……。
ノブの記憶によれば、明らかに恋人同士だったんだから。
美弥子さんが稀に見る奔放な女性だったら分からないけどね。
その男性はもともとは妹、つまり伊知馨さんの恋人ってことになってはいたけど。
三条の推理には説得力があるようなないような。
ただここまで説明されて、瀬謡にもいろいろなことが見えてきたような気がしていた。
しかし仮説を聞くのと、本人の口から真実を聞くのとでは、断然重みが違う。
瀬謡は固唾を呑んで松任の次の言葉を待った。
松任の話は続く。
父と、母の馨は大変な決断をしたと言います。彼らの結婚直前のことでした。
父と母は、自分たちの子供を産まないと決めたというのです。私をたったひとりの実の子として育てるためにです。
母は自分の姉の子ですからまだしも、父にとってはいわば全く血の繋がりのない子です。自分の子を作らないというのは、辛かったことだろうと思います。それでもずっと、他人の子である私を可愛がってくれました。それは今でも変わりません。私にとって、甘えることのできる本当の父親なのです。
でも、母の方は……。
正直に言いますと、あの交通事故にあう以前から、私は母を疎ましく思うようになっていました。厳しいことを言うくせに自分には甘いというか、ずるい女性だと思い始めていたのです。
いわば何回目かの反抗期です。
コンクールでの優勝という栄冠で、恥ずかしながら自信過剰にもなっていました。
そして実の子でないということを知ってからは、徐々に母の顔を見るのもいやになってしまいました。母の私に対する厳しさはそのせいだと思ってしまったのです。
その反動もあって、私は実の両親のことを知りたいと思いました。
実の母はそれまでも何度か耳にしたことのある伯母で、顔を覚えていなくても、写真などを見てそれなりに親しみを抱いている人でした。私はなんとなくうれしく思いました。
でも、実の父親の名前は誰も教えてくれません。
戸籍には養子と書かれているだけですし、出生届の父親の欄は空白でした。
その父親も、唐突に写真集を贈ってはきたものの、それ以降はまったく接触はなし。
私はいつまでも、くよくよとそのことを考えていました。
育ててくれた父への愛情は変わりませんでしたが、名前も知らない実父への関心も少なからずあったのです。
悶々とした気持ちを抱えて、私はとうとう家を飛び出してしまいました。そして一年ほどの間、知人や友人の家を転々としました。
やがては家に戻り、結局は進学することになりました。
ところが、私が家を空けている間に、父と母の関係がまったく冷え切ってしまっていたのです。
私は自分を責めました。私のことで両親の愛情に亀裂が入ってしまったのだと。
生まれてきたことによって両親を、特に父を苦しめ、家を飛び出したことによってふたりを引き裂いてしまったのです。
とはいっても、母への反抗心はなかなか収まりませんでした。大学には通うものの、私は殻に閉じこもっていたのです。バカな人間だったと思います。
それでも社会に出てからは、私も少しずつ変わり始めました。
母へのわだかまりが薄れていきました。家出をしたときのような憎しみもなくなっていきました。
でも、もはや以前のように自然に母や父と接することはできませんでした。
そしてやがて、母は家を出て行き、仕事場で暮らすようになりました。父や私と顔を合わせることに、いたたまれなくなったのでしょう。私もそれを機に家を出て、ひとり暮らしを始めました。
こうして私たちの家族は、完全にバラバラになってしまったのです。
私が両親との関係を修復する前に、たった三人の家族は、もう家族とは言えない状態になってしまったのです。そして両親は半年前に正式に離婚しました。
ひとつの家庭の、なんの変哲もない幸福とは、なんともろいものなのでしょう。
わずか数年ほどの間に、ガラガラと音をたてるように崩れ去ってしまった幸せ。
忌まわしい交通事故がひとつのきっかけではあります。
事故で私が入院している間に届いた匿名のお見舞いの品……。
あれがなければ、私が両親の子ではないということを耳にすることもなかったでしょう。
あのふたつの出来事さえなければ、幸せなひとりっ子として愛され続け、音楽大学に進み、もしかするとクラブ活動でもして、楽しい学生時代を過ごしたことでしょう……。
ピアニストになるという夢を成就していたかもしれません。
もちろん両親も、私のことで頭を悩ませたり、攻撃的に相手を責めたりすることなく、互いの愛情を今もなお育み続けていたことでしょう……。
今、私は芳川さんのところで雇っていただくことができました。
芳川さんはとてもよくしてくださいます。私は幸せです。
ただ、そんな小さな幸福を感じて、ようやく遅ればせながら、両親がいかに辛い気持ちでいたかということが身に沁みてきたのです。
そして、すべての責任は、私の弱さ、身勝手さにあったのだということに気がつきました。
両親に申し訳ない気持ちで一杯です。
今にして思えば、子供の頃も、あの反抗的だった頃も、そして現在も、父や母が私を愛してくれていたように、私も両親を本当に愛していたのだということに気づきました。
先程も申し上げたように、実の父に対して、どんな感情もないかといえば嘘になります。正直に言えば、知りたいと思います。
でも、今、知りたいというのは、当時の漠然とした興味からではなく、きっと怒りの気持ちからなのでしょう。
捨てられた娘としての怒り。
私の家族をむちゃくちゃにした原因を作ったことに対する怒り。
伯母の美弥子に私を産ませておきながら、亡くなるやいなや姿を隠してしまった男……。
私にとって、無責任で憎むべき男なのです。
先日のパーティ、実は私、始まる前からとても緊張していました。
久しぶりに母と会うから。
お客様のひとりとして親しく接しなくてはいけないということがプレッシャーだったのです。
それに、母を、娘として皆さんにご紹介してもいいものかどうか……。
母からは、そのことについて連絡はありませんでした。私の方からもしませんでした。そんなことさえ、どうしていいか分からないくらいに、母と私の関係は疎遠なままだったということなのです。
でも私、あのパーティの日、自分の方から今日こそは謝ろうと思っていました。
しかしそれは……かないませんでした。
松任はようやく口を閉じ、眼を閉じた。
掛ける言葉もないまま、瀬謡は松任のまぶたが震えているのを見つめていた。
そんな辛い出来事が、あの家で起きていたとは……。
馨と親友だと言いながら、なにも知らなかった。彼女の行動的な性格がその不幸を外部からは見えなくしていたとしても、自分がもう少し気の利く女だったら、それに気づいて少しでも馨を癒してあげることができたかもしれないのに。
瀬謡は自分の鈍感さと思いやりのなさに、やりきれない思いがした。
「母が殺されたときになっても、私は皆さんに、伊知が私の母だということをお伝えしませんでした。実家の方から瀬謡さんに案内がいき、生駒さんにも出席していただくことが出来たのですが、私自身は情けないことに……。でも、先日、事務所で生駒さんがそのことを話されて、ようやく芳川さんにも伊知が母親であることを話せました……」
松任が眼をあげた。
「すみません。先日はどうしてもこの話をすることができませんでした。私、犯人を捕まえるのに大切な話ではないと思い込もうとしていました。身勝手な私を許してください」
謝ってもらう筋合いではないし、むしろ慰めの言葉を掛けてあげる立場なのだが、瀬謡はなにもいえなかった。




