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31 卵とキスの南蛮漬け

「先日はありがとうございました。暑い中をご参列頂きまして」

「このたびはご愁傷さまです。お力を落とされないよう」

 瀬謡は、松任を慰める言葉が見つからなかった。

「やっぱりあなた、馨の娘さんだったんですね」

 お悔やみの言葉としては妙だとは思いながらも、他に声のかけようがない。

「はい……」

 松任は悄然として下を向いたまま。

 話があると来ておきながら、なかなか用件を切り出さない。

 もちろん馨の、この女性にとっては母親の事件のことだろう。自分なりに犯人の目星をつけているのかもしれない。それを話してよいものかどうか、今になって迷っているのかもしれない。

 そこへ、

「こんにちは」と、勢いよく店の戸が開いて生駒と三条が入ってきた。

 松任が話をしに来るというので、誘っておいたのだ。

 差し出がましいとは思ったが、もし事件の核心に迫る話を聞くのなら、ひとりでは荷が重い。


 松任はもっと驚くと思ったが、意外にもさして気にとめていないようで、

「あ、こんにちは」

と、自分の隣に座るようにと、椅子の上に置いたバッグを棚に移してやる。

「生駒さんたちにも声を掛けたんだよ」

「いいですか?」と、生駒がさりげなく松任の顔を覗きこんだ。

「もちろん。皆さんが事件のことについて話し合われていることは、塊田さんから聞いています」

「話し合うってほどでもないんですが、どうしても気になることがあって」

生駒はそう弁解したが、松任はこれにもそれほど反応を示さない。


 きっと、自分が今から話そうと思っている内容を反芻することで頭が一杯なのだろう。

 それを先に吐き出させてあげたほうがいいようだ。

「じゃ、さっそくお聞きしましょう」

 瀬謡はざっくばらんに水を向けた。

「はい。どうお話しすればいいのか、悩みまして……」

 ようやく本題に入ったが、

「事件に関係するのかどうかも分かりませんし……」と、なかなか前に進まない。


 それに、松任の眼が潤んでいた。

「これからお話しすることは、警察にも話していません。取り乱していたということもありますが、母の、馨の、なんと言いますか、名誉に関わることかなとも思いましたので。でも、私は毎日悩みました。どなたかに話そうか。瀬謡さんは昔からの母のご友人ですから何かご存知かもしれない。お話ししようか。でも、これ以上、嫌なことは知りたくはない。そんな考えを行ったり来たりしました。そしてやっと、このままでは私の気持ちの整理がつきそうにないということに気がつきました。やはり誰かに聞いていただきたいと考えたのです。しかし、まさか祖父や父に話すことはできない内容なのです。ですから今日、瀬謡さんに連絡を差し上げたのです。生駒さんも母とご懇意だったとか。ぜひご意見を聞かせていただけたらと思います」

 生駒が姿勢を正した。


「パーティの後半、私が疲れて二階の部屋で休ませていただいていたときのことでした」

 松任の口から出てきた話の前半は、馨と金谷のやり取りと、それを見聞きした松任の感想。

 これは十分、想像できることだった。

 後半は、馨と立成、あるいは姉の美弥子と立成のなんらかの関係について。

 こちらも、生駒や三条との無責任な想像話として、出ていた内容だった。そしてなにより、すでに立成自身から、三十年前、美弥子と海水浴に行ったのは自分だと聞いている。


「あの、いかがでしょうか? この話、警察にしたほうがいいでしょうか?」

 松任がおずおずと聞いてくる。

 瀬謡はなんとなく違和感を感じた。

 松任の暴露話はそれはそれで衝撃的だったが、結局のところ、馨と立成と金谷の関係について瀬謡らが想像し、立成に確かめたことを補完する意味合いしか持っていなかったからだ。

「そうだねぇ」

と、言葉を濁して生駒に眼をやると、表情を変えまいと意識しているのか、こわばった顔をしている。三条は相変わらず、のほほんとおでんをつついているが。


 松任に見つめられている。

 その目には、切羽詰ったときに見せる光があった。

「話した方がいいんじゃないですか」と、奥から夫が声を掛けた。

「はい……」

 松任は頼りなげな返事をして立ち上がった。

「あれ、もう帰るのかい?」

「はい。どうも今日はありがとうございました」

 ますます違和感が募った。

 たったあれだけのことを話すために?

 いや、殺された母親のことだから慎重にというのも分からないではないが、どうも大げさではないか。

 それに、唐突に帰ると言い出したことにも、なにか理由があるような気がした。

「もう少しゆっくりしていけば?」

「いえ、急ぎますので」

 あわてたように財布を取り出す。

 隠していることがある。話そうと思っていたが、やめたのだ。

 瀬謡の直感はそう告げていた。


「勘定はいいよ。今日は」

「そういうわけにはいきません」

 それじゃ、と千円札を一枚、カウンターの上に置くと、松任はそそくさと表の引き戸を開けた。

「ちょっとお待ちよ。まだ話し足らないことがあるんじゃない?」

「いえ」

 普通、そう言われたら、後ろ髪を引かれるような素振りのひとつも見せるものではないか。

 しかし、松任は出て行こうとする。

「お気をつけてね」と、言うしかない。

 しかし、その声に、

「松任さん、あなた、たったそれだけを言いに来たの?」という、三条の声が重なった。


 松任の耳に聞こえていないはずはないが、一旦開けた戸を閉めようとはせず、振り返って誰にともなく会釈をしただけで外へ出て行った。

「変なの。もっと大事な話があるのかと思ったのに」


「ちょっと三条さん、言いすぎよ」

 瀬謡はたしなめようとしたが、その言葉に力はこもっていなかった。自分自身が拍子抜けしていたからだ。

「だってさぁ」

 三条は皿の卵を、箸でつついて転がしている。

「冷めないうちに食べなよ。さ、生駒さん、お皿が空っぽだよ。何か出そうか」

 瀬謡は陽気に言って、落胆を押し隠そうとした。

「てっきりもっと違う話が出ると思ってたんだけど」

と、三条が箸をぷっつりと卵に突き刺した。

「だよな」と、生駒もいう。

「ふたりとも、なぜそう思うのさ」

「スライド上映の少し前、伊知さんが瀬謡さんにこう話していました。あいつ、許せない。私たち家族をむちゃくちゃにして」

 生駒は、コロとヒロウズとレタス巻き、と皿を出してきた。

「あれって、どういう意味なんです?」


 瀬謡も、その言葉はもちろん覚えていた。

 あのとき、何の前触れもなく、唐突に馨はそう言ったのだった。そして怒りのこもった目で会場を見渡していた。

 独り言だった。ただ、その真意を聞くタイミングではなかった。

 他人がすぐそばに来ていたから。そう、松任が。その後ろには芳川と立成も。

 それに気づいて、あわてて馨は笑顔を作っていたが、松任だけではなく、芳川や立成の耳にも届いていたことだろう。そして、生駒と三条の耳にも届いていたのだ。


「どうって……」

 結局、馨が死んでしまった今となっては、その言葉の意味を確かめることはできなくなってしまった。

 立成に向けた言葉だったとしても、それははるか三十年も前、自分とではなく美弥子と海水浴に行ったことを指していたのだろうか。


「松任さんも聞いていたわけでしょ。母親の言葉を。その意味について、当然、聞かせてくれてもいいものだと思わない?」

 三条が、キスの南蛮漬けを注文した。

「そうだね」

「だいたいの想像はしているけど」

「え!」

 三条がニコリとした。


 瀬謡の頭の中にも、勝手な想像が駆け巡っていく。

「瀬謡さんはもしかするとご存知かも、と思うんですけど」

 質問を投げられた。

「伊知さんと松任さんは、親子でありながら、その素振りを見せなかった。理由はなんなんです?」

 傍聴席にいたはずが、いきなり検察から証言を求められたようなものだ。

 もちろん、分からない。告別式で松任の姿を見るまで、自分も知らなかったことなのだ。

 黙って首を横に振った。

「じゃ、私の仮説を聞いてもらえます?」

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