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29 プッチンプリン

「社員のいらずらかぁ……」

 優が小首を傾げている。

 事務所の打ち合わせ机には、プッチンプリンがふたつ。

「パーティの日まで、一度も鳴ったことがなかったのかなあ」

 プチン。

「そこを聞いておかなくちゃ」

 確かにそうだ。

「聞いてみてよ」

「ああん? 誰に?」

「悪徳税理士に決まってるやん」

 あのサービス調査で、生駒は自分の役割は十分果たしたと考えていた。

「そんなつまらないことを」

「つまらなくないやん。少なくともあの税理士にとっては」

「ううん。建築家の大先生が原因を究明してくれようとしているんやから、ありがたく教えてくれるんとちがう?」

「彼にとっても、どうでもいいことやろ。もし、大切なことだったとしても、それを僕がしつこく聞くのが変だっつうの。おまえは何でまた、そんなことに首を突っ込むんだ?」

 やれやれというように首を振った優は、すでに黒いキャミソールに着替えていて、すがしがしい。

「忘れたん? ルナが嫌いやっていう音」

「は?」

「もう! 助手君!」

 こういう風に、ふたりで向かい合って座り、甘いものを口にしながら、他愛もないことを話すことが、生駒は好きだ。

 こういうときに、この娘を心の底から好きだと感じるのだった。

 好きだというだけでなく、もしかして、幸せという感触も味わうのだった。


「なんやねん。どっちにしろ、それってどうでもいいことやろ」

 目の前の姫は、プリンの最後の欠片をツルリと吸い込むと、フンと鼻を鳴らして、早速、携帯を取り出した。

「ルナに、もう一度ちゃんと聞いてみる」

 今のなんでもない穏やかな幸せとは、自分たちの今後のこと、ではない会話だからかもしれない。


 瑠奈によれば、確かに鳴り始めは例の我慢ができない音だったらしい。

 しばらく下の事務所で様子を見ていたが、頃あいを見て上がっていくと、音は同じように鳴ってはいるのだが、微妙に音階が上がっていたという。少しでも変わればなんともないそうだ。

「と、いうことなんやて」

「で、だから、それがどうした」

「そのパンチングメタルっていうの? ノブはそれを社員の不良分子が落下させようとしたと思ってるんやろ?」

「わからないさ。でも、まあ、それっぽい」


 優と向き合って、ここでこれまでどんな話をしてきただろう。

 いろんなところに出かけたりもするが、わざわざ出かけなくても、ここで、自分の家で向き合って話すことが、ふたりの幸せの根幹をなしている。

 それを生駒は最近つくづく思うのだった。

 どこそこのスーパーの野菜は悪いよね、というような何気ない日常の話題であっても。

 新聞の旅行の広告を見ながら、行きもしないのに、マチュピチュに行くんなら、まずはパリよね、というような話題であっても。


「違うかもしれないなあ。例えばさ、音を出すことが目的やとしたら?」

「はあ? そんな話、聞いたこともないぞ」

「あり得ないことはないよ。ルナを困らせようと、とかさ。あの子、その音を聞いたら卒倒するかもしれないって、だれかれなしに話してるんやから」

「妙なことを思いつくなあ」

「とーぜん。真剣に推理してるからね」

「変なやつ」

「なんとでも。ノブなんて、もう推理する気なんてないんでしょ」


 パパラッチで推理ごっこをしたときのことを思い出した。

 そして瀬謡に呼ばれて話し合ったときのことも。

 しかし、それらの出来事のリアリティは日が経つごとに薄れてゆくのだった。

「で、名探偵の推理によれば、どういう説が成り立つんだ?」

「そこが問題」

 うーんと、唸ってから、優はペロリと舌を出した。

「あの音でルナに恥をかかせようとしたのか、ルナを追い出したかったのか」

「分かってないんだな」

「分かるわけないやん。でも、だいたいはイメージできてる」

「はあ~、くだらない」


 こういう幸せ感は、いいところで切り上げることが肝心だ。

 だらだらと続けると薄れる。

 生駒は仕事に掛かろうとした。

「こら! 芳川のおっさんへ電話。ほら」

「だから、聞けないって」

「だったら、その子分」

 松任になら聞けるかもしれない。生駒のその一瞬の逡巡を、優が見逃すはずもない。

「彼女ならいいかなって、今、思ったやろ。ほらほら」

「へえへえ」


 しかし、松任の返事はそっけなかった。

 音の件については記憶にないという返事だけ。

「さ、この話は終わり。今日は忙しいんだ」

「忙しいくせに神戸までドライブしたり、手すりのビスを締め直しに行ったんだぁ」

「教養活動と営業活動の一環」

「せいぜいグレイトな仕事を取ってきて、私にもいいめをさせてね。期待してるよん。でもさ、誰かさんは知ってたんやな、きっと。あのパネルをいじれば音が鳴るって」

「しつこいな!」

「どうすればどんな音階の音が鳴るかってことも、正確に知っていたんだな。特定音階嫌悪症gisタイプの人を苦しめる音を出すにはこうするって」

「そういうことにしておこう」

 生駒はパソコンに向かった。

「こら、まだ続きがあるよん。というか、すばらしい情報があるんやでぇー」

「はあぁ。僕も仕事をせにゃならんのや」

 優は容赦なく後ろから声を投げてくる。


「さっき、トイレにいくついでに松任さんに聞いてみたんよ。例の、ほら、あの立成さんの伊知さんへのプレゼント」

「え?」

 優はあの話を松任にしてしまったのか。

「なぜ?」

 伊知の娘の耳に入れてしまうことに、どんな意味があるというのだ。

 それは人として、していいことなのかどうか、まだわからない。

 しかも、吉と出るか凶と出るか、分からないではないか。少なくとも今は、いざというときの弾として取っておこうと話していたのに。


「プレゼントのことは言ってないよ」

「紛らわしいことを言うな」

「伊知さんと立成さんの関係について、思い当たることはあるかって聞いてみただけ。そしたら、どうだったと思う?」

 見当もつかない。

「それって、ストレートに聞いたわけ?」

「当たり前やん。そういうことはあいまいに聞くことじゃないから」

「そうか?」

「松任さんはね、びっくり仰天、口パク状態」

「はあ……」

 なるほど、それで今の電話の愛想がなかったわけだ。

「でね。冒険かなとは思ったんだけど、ピアノの形をしたオルゴールっていう話も出してみたんだ」

「やっぱり言ってしまったのか」

「ううん。ポンと口にして反応を見ただけ。するとさ、なんだか怒ったみたいな顔になって、失礼しますって行っちゃった」

「はぁ? 要するに、どういう反応だったんだ?」


 松任は頭は切れるが、どちらかといえば硬い感じを受ける女性だ。

 はあ?なんなの、それぇー?と、笑って反応するのではなく、バカにされたと感じてビシリと背を向けてしまうような人だ。失礼しますって行っちゃった、というのは分かる感じがする。


「なんともいえない。私のぶしつけさに怒ったのかもしれないし、オルゴールに反応して不機嫌な顔をしたのか、あるいは反応したことを隠すために背を向けたのか。分からなかった。しっぱいー」

「せっかくの弾だったのに。何のためにそんなことしたんだ?」

「へへ。ごめん。でもさ、いま撃つべき弾だと思ってん」


 立成からのプレゼントということがどういう威力のある弾なのかは、生駒も目処がわけではなかった。

 でも、最初に撃ってしまう弾ではなかったのに。そういう気持ちが顔に出ていたのだろう。優は後ろから生駒の首に腕を回し、薄くなった頭頂部に顎を乗せてきた。

「誰もいないところで顔を見ながら話を聞く機会って、なかなかなさそうやし。ええい、このチャンスに聞いてしまえって。彼女なら、伊知さんと立成さんの秘密の関係を知っているかもしれないから、なにかボロッと」

「そんなに都合よくいくか!」

「そうよね」

「今日は気もそぞろって感じだった。親が殺されたんだから」

「うん」

「それになぜか、自分の親だということを、僕らに隠していたようだし」

「でも、気もそぞろって、それだけかなあ。私が受けた印象は、ちょっとニュアンスが違うかな」

「ん?」

「自分が伊知さんの娘だってこと、悪徳弁護士にも黙ってたりして。あの場でノブにばらされたらどうしようかって」

「隠したい相手は僕らじゃなく、芳川さん?」

「普通はそうでしょ。私達は彼女となんの関係もないもん」

「そりゃそうだ。でも、雇い主の芳川さんに隠しておくことにどんな意味がある?」

「私に分るわけないやん」

「おいおい、ならなんで唐突なヒアリングなんぞ」

「だから、なにか口走ってくれたらおもしろいかな、と」

「はあ……、いつまでも弁解するな」

「はーい」

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