26 給料を払え
翌日、生駒と優は、兵庫県立美術館で開かれている展覧会を見たついでに、丸山の店を覗こうとしていた。
国道二号線沿いにあるコンビニエンスストア「エムストップ」新在家店。
丸山がオーナーとして所有している店は他に数店あるが、いずれも父親の遺産として手に入れたもので、店の経営そのものは他人に任せてある。
ただ、この新在家の店は、丸山自身が脱サラして始めた商売であると聞いていた。
「あ、ここ、ここ」
交通量も多く、入りやすい広い駐車場を持っていた。いい立地だ。
生駒は車を左に寄せて、駐車場に入ろうとした。
数人の若者が入口あたりにたむろしている。と、パラパラッと車に近寄ってきた。数人が駐車場に入るのを阻むように立つと、そのうちのひとりが運転席の横まで回りこんでくる。大学生といったところだ。
「なんだ、こいつら。ん?」
用があるらしい。
手にビラのようなものを持っている。頭を下げつつ、ガラス窓をコツコツと叩く。
窓を開けてやると、
「すみませ~ん」と、ビラを差し出してきた。
「この店に入られることを止めるつもりはないんですが、これを読んでいただけませんか」
受け取ると、若者たちはさっと進路を開けた。
生駒はビラを優に渡し、駐車場に乗り入れた。
「さ、いてるかな」
車を降りようとすると、優が、
「ちょっと待って。ほらこれ」と、ビラに視線を落としている。
ビラには「丸山店長は正規の給料を支払え!」というタイトルがついていた。
コピー用紙に白黒で印刷しただけの、にわか作りのもの。
細かい字でびっしりと埋まり、なにやら訴えているが、どうもアルバイト生と店長である丸山との間に給料支払いを巡っての争いがあるらしい。
「ふうん。さ、行こう」
丸山は店のレジに立っていた。
「あ、生駒さんじゃないですか」
「こんにちは。近くを通りかかったんで、覗きにきました」
生駒と優はくるりと店内を回る。お茶のペットボトルとチョコレートの箱をレジに持っていった。
「ありがとうございます。先日はどうも」
丸山がにこりとした。
「こちらこそ」
「おーい。生駒さんも来てくれた」
丸山がバーコードをスキャナーに読み取らせながら事務所に呼びかけると、祥子が顔を出した。
「どうも」とこちらも同じようににこりとする。しかし、なんとなくふたりとも表情が硬い。
生駒は代金を渡しながら言ってみた。
「表にビラを配っている人がいますよ」
きっと、そのことでイラついているのだろう。
「そうなんですよ。まったく困ったやつらです」
丸山は苦々しくいう。
「給料を払えって、書いてありますよ」
ビラを見せた。
丸山はちらりと眼をやっただけで、レシートを切り、つり銭を差し出してくる。
「そうなんですよ。でもね、あんなやつらに払う金はないですね!」
と、突然、丸山は声高に言うなり、腰に手をやってふんぞり返った。大げさなリアクションに、思わず生駒は他の客がいないかと振り返ってしまった。
「ここ数ヶ月、あいつらアルバイトのやることに、はらわたが煮えくり返る思いだったんです。どいつもこいつも、ルールを守らないやつばかり。もっとも許せないのは廃棄処分の商品を食べていたことです」
「はぁ」
「おにぎりを」
なんとなくかわいらしい商品名が出て、丸山の剣幕とのギャップを感じてしまった。
生駒はビラに眼を落とした。
確かにその単語が行間に見えている。
「生意気な学生らでね。いい大学に入って、大きな企業に就職が決まっているからといって、なんでも自分の思い通りになるわけじゃない。そういうことを、僕は教えてやっているんですよ!」
「んー、でも、それとこれとは……」
「廃棄処分のものといっても、僕の資産であることには違いないんです。ちゃんと本部にも確かめましたよ。それを奪ったということは、れっきとした犯罪です。実は、あいつらには伝えていませんが、警察に被害届を出してあるんです。そのうち出頭命令がいくでしょう。そうすればきっと肝を冷やすはずです。それがきっかけであいつらの他の悪事が暴かれでもしたら、それはそれでおもしろいし、自分としても社会のお役に立てたというものですね! このところ頻発する万引きも、あいつらの仕業だと分ればなおいいでしょう」
丸山が一気にまくし立てた。
饒舌な男だということは分かっていたが、相槌を打たせる隙もない。
「それってやりすぎじゃ……」
優が口を挟んだが、耳に入らないのか、無視してアルバイト批判を連発する。
「それくらいしないと、あいつらは自分が悪いと思わないんです。だいたいね。何かといえばすぐにつるみたがるのが、あいつらの悪い癖だ。なんでも集団交渉に持ち込めば、こちらが折れると思っている。大人をバカにしちゃダメだということも教えてやらなくちゃいけない。甘やかされて育っているから、こういうことになるんでしょう。それに親も親で……」
祥子はいつのまにかドアの向こうに引っ込んでしまった。
「でも、丸山さん。いくらなんでも、それは」
優が少し大きな声を出した。
こちらも怒りに火がつき始めている。
生駒はまあまあと優を抑えると、
「廃棄処分のおにぎりって、賞味期限が過ぎたもののこと?」と、確かめた。
「そうですよ。それでも、れっきとした僕の資産です!」
丸山は生駒に反論されたと思ったのか、叫ばんばかりの勢いだ。
吹けば飛ぶような虚勢。
脆弱な神経。
生駒は、そんな印象を持った。
「ビラには、その分は反省して弁償したと書いてありますよ」
「当たり前じゃないですか!」
「廃棄処分となった瞬間に、資産価値はないんじゃないですか?」
「生駒さん、それじゃあ、なんですか。賞味期限切れのタダのものを僕が売っていたとおっしゃるんですか? 違いますよ。あいつらは本来それを欲しかった」
「はあ」
「で、店員の立場をいいことに、賞味期限が切れた瞬間に自分のものにしたわけです。代金をとって、なにが悪いんです?」
「普通、廃棄のものは店の人が食べたりするんじゃないんですか?」
優が食い下がった。
「廃棄処分の直前までは、ちゃんと値段のついていたものです。それに、廃棄処分のものを従業員が食べるなんて、とんでもない! そんなことは絶対にしませんよ。少なくともうちの店では! そんなことが常態化したら、アルバイトが廃棄処分になった瞬間のものを仲間に横流しして、本来の商品が売れなくなってしまう」
ビラにはひとりの女性学生が、六百円そこそこを弁済したと書いてあった。
生駒と優は思わず顔を見合わせた。
「さっき、表には八人くらいアルバイトがいましたけど、全員が?」
「もう、うちのアルバイトじゃないです」
「はあ」
「正確に犯罪を犯したと分かったのは三人です。でも、どうせ全員が似たり寄ったり。あいつらはすぐに口裏を合わせるんです。一日中携帯で連絡を取り合ってね。全員一緒にクビにしました」
どうもこの男は、そのことも気にいらないらしい。
アルバイト同士の仲がよいことに、いわば嫉妬しているのかもしれない。
「実はね。あのうちのひとりは大手銀行に就職が決まっているんですよ。あんなやつが就職したら、その会社の信用に関わるでしょう。で、教えてやったんです。そこの人事部にね。就職が内定しているこの男は、こんなことをするやつだって」
「そしたら?」
「もちろん感謝されましたよ。これが、正義ってものでしょう」
「ひどいことを」
優の堪忍袋の緒が切れかかっていた。
外の大学生たちが敷地内に足を踏み入れているのが目に入った。
丸山が飛び出していった。
生駒と優もそれに続く。「帰ろう」
丸山が走っていく。
「貴様ら! 不法侵入だぞ!」
女子学生が驚いてぴょんと飛び上がった。
あわてて敷地内に入っていた足を引っ込める。
「いいか! 今度その足を歩道から一歩でも踏み入れたら、警察に通報するからな!」
肩を怒らせて睨みつける丸山。負けじと学生たちも睨み返す。
その様子を横目に、生駒と優は黙って車に乗り込んだ。
「くそったれ!」
優が怒りに任せて、ドアを乱暴に閉めた。
「所詮、小さい男なんだ」
丸山が走り寄ってきていたが、見えなかったことにして生駒は車を発進させ、さっさと国道に出た。
優は収まらない。
「なにが正義や! 自分の程度の低さを棚に上げやがって。ウグググッ、腹の虫が収まらへん!」
「やれやれ。海の家の話どころじゃなかったな」
「あの腐れマシュルームの声なんか、二度と聞きたくない! クソ! あのボケ!」
そこへ、立成から連絡が入った。
「芳川さんの事務所にいるんだけど」
今から来られないかという。
「いいですよ」
パーティの日、途中から鳴り始めた音の正体を、一緒に突き止めようということらしい。
「たぶん、手すりじゃないかと思う」
生駒はそれはありうる、と応えておいた。
常に自在レンチとドライバーセットは車に積んである。それで間に合えばいいが。
「くそう。あのフニャフニャの低脳のカスめぇ」
まだ怒っている優を乗せて、生駒は阪神高速に乗った。
「小さい奴ほど、正義なんて振りかざして、イキがるもんだ」
芳川のゲストハウスの異音調査など、生駒が出る幕ではないが、伊知の事件のこともあって、芳川の顔も見ておきたいという気持ちがあった。




