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20 じれったい!

 生駒を誘ったものの、果たしてあの話をしてもよいものかどうか。  馨に詳しく聞いておけばよかったと思うが、今となっては後の祭りだ。

 生駒との約束の五時まで、まだ少し時間がある。

 瀬謡はおでんの湯気を眺めながら、パーティの日のことを思い出していた。


 ゲストハウスを見て回ろうと伊知を誘った。

「手始めに、離れに行こ」

 瀬謡は、先ほど立成が渡り廊下を通って離れに向かうのを見ていた。立成が馨とどんな話をするのか、と期待してのことだった。


 立成からの預かり物を渡したときの馨の反応。

 それは瀬謡の予想とは違っていた。受け取ることをためらうかと思っていたが、馨は、誰なんだろうと、案外うれしそうだったのだ。男性からのプレゼントなど、結婚して以来もらったことがない瀬謡と違って、馨はもらい慣れているのか、さっさと封筒を開けようとする。中身を見てはいけないと言われているというと、そうなの、とあっさり机の引き出しにしまいこんでしまった。それきりだった。


「離れって、渡り廊下の向こうね」

 離れ、つまり芳川がバーと呼ぶ吹き抜けの部屋に立成の姿はなかった。代わりに芳川と金谷、そして松任や何人かの客がいた。

「金谷さんが」

 瀬謡は小声で水を向けたが、馨は関心がない様子。しかし会話が進み、好きな車の話になると、

「金谷さんもアルファロメオを?」

と、馨も話題に入っていった。

 ただ、台詞がよそよそしい。

「ええ。車きちがいと言われています」

 振られ男の方も、馨の態度と辻褄をあわせるかのように、まるで初対面のような言葉遣いだ。


「私もそうなんですよ。でも、スピードは嫌いです」

「私は飛ばす方でして。正確には覚えていませんが、事故歴は大小含めると十回は下らないでしょう」

 そんなことをしらじらしく話している。

 案外ふたりは、事前に、アカの他人同士でいこうと打ち合わせをしてきたのかもしれない。


 芳川は事故歴自慢の話題には乗ってこない。 社会的立場のある人としては賢明な態度だ。

 松任も同様。ただしこちらは、はっきりと批判的な目を向けている。


「私は三十年間、無事故無違反。おたくとの違いは何かしら?」

 相変わらずの他人行儀だ。

「さ、馨、お部屋を見せていただこう」と、猿芝居のような二人を引き離した。


 立成に、首尾よく渡してあることをまだ伝えていない。どこかで早いうちに伝えなければ。瀬謡はそれが気になっていた。

 そして、馨の袖を引いてバーから出るなり言ってやった。

「金谷さんのこと、あたしが覚えていないとでも思っている?」

「ハハ。ばれてた?」

「当たり前だろ。なんなのよ、あの臭い芝居」

「いやぁ、驚いたわ。やっぱり、彼も来てたんだ」

「そんなこと聞いてないよ。なぜ知らん顔してるのかってこと」

「大人の世界ってところかな」

「なんだよ、それ。ばかばかしい」

 美咲はおもしろいものでも見るように笑っている。中年女性がじゃれあっているとでも映っているのだろう。


「なにをしてもいいってもんじゃないだろ。いい大人なんだから。それともなにかい。更年期になる前にもう一花かい」

 馨はだれかれなく男をくわえて、というわけではないが、もう少し地道な暮らしを、という気がない。

「いい加減にしなよ」


 早足にリビングを横切る。美咲は気を使ってか、テラスに出ていった。

「ちょっとぉ、うちの社員の前で変なことを言わないでよぉ」

「言われて困るようなことをしなけりゃいいのさ」

「ハハ、ごめん、チコちゃん。怒った?」

 階段を登りながら、馨は甘えた声を出す。

「あたりまえだろ」


 適当に入った部屋には誰もいなかった。

「あ、ここ、娯楽室ね」

 川沿いの北側の部屋で、バルコニーがついている。部屋の隅に折り畳みの卓球台が置いてあった。

 馨は珍しいものにでも触れるようにその縁を撫でながらいった。

「実はね。金谷さんと私は」

「いい仲なんだろ。それくらい、見りゃわかる」

「残念でした。ちがうわよ。幼馴染みたいなもの。ま、最近は少し付き合ってたっていえるかな。でも、それはもう終わっちゃったのよ。チコちゃんのお店に行ったときが最後の晩かな」

「あ、そう」

「彼には好きな人がいて、その人はもう結婚してしまったんだけど、まだ忘れられないみたいで……」

 ふうん、としか言いようがない。


「名前まで聞いたんだ。それまでは、大人なんだから好きな人がひとりやふたりいても当然だって、なんとも思わなかったんだけさぁ。名前を聞いてしまうと、急にリアルな気分になってしまって」

「で、別れた」

 フン、くだらない。

「その割に、今は傍にいたそうだったけどね」

「あれは、芳川さんへの社交辞令。久しぶりに顔も売っとかなきゃ。それに……、松任さんもいたし」


 もうどうでもよくなった。

 どうせ最後はいつものように、チコちゃんのところは仲がよくていいよねぇ、なんて半分小バカにしたように言われるのが落ちなのだ。

 さ、立成の姿を探そう。


「あ、もう興味なくなった? ま、私も金谷さんより立成さんの方に……」

 えっ。

 今朝、馨に渡したあの贈り物の封筒の中に、手紙が入っていたということなのか。


「はあ? あの禿親父に?」

「勘違いすると思った。そういうことじゃなくて、昔の知り合いじゃないかなって」

 煮え切らないこと、この上ない。

 いっそ、あの封筒は立成からのものだと言ってみようか。

 ところが、馨は、

「立成清次……」と、ブスリとつぶやいた。

 顔には嫌悪感が滲み出ていた。

「たいしたことじゃないんだけど……」

「なんだか知らないけど、聞いてみればいいじゃない」

「そうよね……」と、窓の外に視線を泳がせている。

「でも昔のことだし……」


 いつものことだ。

 複雑な人間関係が好きな馨は、健在なのだ。

 きっと立成にすれば、笑い飛ばすようなひと夜の出会い。あれは少々いたずらっぽいプレゼント。


「それに、もしそうだとしたら、どうするか……。あ、この部屋、鍵が掛かってる。いわゆる開かずの間ね」

 娯楽室の付属室か倉庫だろう。

 馨が扉をガチャつかせる。急に元気になった。この変わり身の早さ。馨の真骨頂でもあるが、疲れる。

「プライベートな部屋には鍵をかけてあるからって。あ、こら」

「だって、こういう部屋こそ興味があるじゃない。得体の知れない生き物を飼っているとかさ」

「いい加減にしな!」

 瀬謡は扉の鍵穴を覗き込もうとする馨を引き剥がし、娯楽室を出た。


 こじんまりとしたラウンジで、芳川が客と談笑していた。

「うわ、ここにもお風呂。素敵! ほら、ガラス張り! あ、露天風呂! すごーい!」

 馨がわざとらしい嬌声をあげた。


 その後、立成との接触はあったが、馨の旧姓である「井端という名の女性を覚えているか」、という自分で考えたアイデアは口に出せないままだった。

 今日である必要もないし、そんな話も、店での話題のひとつとしてとっておけばいい、と考え直したのだった。


 生駒が暖簾をくぐってやってきた。もちろん三条を伴っている。

 瀬謡はビールを出しながら、単刀直入に切り出した。

「須磨の海の家のことなんだけどね」

 告別式以来、生駒とはざっくばらんに接するようになっている。

 自分で言い出しておきながら、生駒は戸惑ったように、それが?と聞き直してくる。

 ずばり言おう。

「昔、須磨の海の家で、ある女性が殺されたんだ」

 生駒がハッと顔をあげた。

 そしてたちまち困惑した表情になる。


「あの事件、ご存知のようだね」

 生駒が須磨の海の家のことを気にしていることが、引っかかっていた。それはとりもなおさず、あの事件のことを生駒が知っているからではないか。生駒は、その上で、今回の事件を紐解こうとしているのではないか。

 瀬謡はそれを確かめようとしたのだった。


「ああ。僕が働いていた海の家でのことだろうな。昭和五十年の夏だった」

「そう。あの事件、その後どうなったか知ってる?」

 まさか、あの事件の犯人が生駒その人だというわけではないだろう。犯人なら今になって穿り返そうとするはずがない。

「いや。夏休みが終わると、僕は大阪に帰ってしまったし」


 だが、生駒の困惑した表情はなかなか消えない。

 生駒は当時のアルバイト生だという。なにを知っているというのだろう。

「時効になったと、ずいぶん前に聞いた」

「そうだね」

 例の人の輪が、現実にひとつふたつと結ばれた。

 思いがけないところで知人や懐かしい顔に再会する、ということを目の当たりにした。

 そして今、瀬謡の頭の中では、もうひとつの接点があのブログによってもたらされようとしていた。

 記憶の中からぼんやりと浮き上がってきたひとつの名前。

 それを誰かに話さずにはおれなかった。

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