15 悪徳と長髪
訪ねてきた刑事はパーティの模様と仕事にまつわる話を問うてきたが、生駒には話すことがあまりなかった。ただ、どうせ耳にするだろうからと、パーティの後半、金谷が酔って丸山に絡んだときのことは話しておいた。
伊知と金谷がどういう関係にあるのか、生駒は知らない。おでん屋の瀬謡の話では意味深な関係ということになるのだろう。
立成と芳川に連れられて天満宮の裏のおでん屋に行った日、人の輪の話題で盛り上がっているとき、瀬謡がこう切り出したのだった。
「じゃ、あたしもひとつ披露しようかな。生駒さんを紹介した金谷さん。実はね、馨がここに連れてきたことがあるんだよ」
生駒同様、立成はそれほど反応を示さなかったが、芳川が大げさに驚いてやった。
「パーティのとき、あっと思ったんだ。この人、お客さんで来たことのある人だって。それでそのとき、あ、これは言わないでおこ。プライバシーに関わる」
「もう十分侵害してる。そんな思わせぶりな言い方をしちゃぁ」
芳川は想像をたくましくしたのだろう。なるほど、と頷く。
「考えすぎちゃダメだって。ね、頼むよ。変に勘ぐらないで」
もう後の祭りだし、余計に意味深な仲だと白状したようなものだった。
瀬謡が後悔し始めたという口ぶりになった。
「それを邪推というんだよ。金谷さんはイベントプロデューサーでしょ。ある店のオープニングイベントで、一緒に仕事をすることになったんだって」
「悪あがきだ。もう僕たちは聞いてしまった」と、芳川が笑った。
生駒も茶目っ気を出して、伊知が夫と別居状態で会社兼住宅のマンションでひとり住まいだと披露した。
他人のプライバシーを噂するという失態をしでかしてしまったのだが、そこへまた芳川もとどめの一発。
「金谷さんは独身だし」
生駒は立成が気になった。
笑みを消し、黙ったまま。
しかし、口から出て行ってしまった言葉は、生駒も瀬謡ももう取り戻しようがなかった。
「タバコを買ってくる」
立成が、がたりと乱暴に椅子を引いた。
芳川の目が入口に向かう立成を追った。
「ちょっと西へ行ったところにコンビニがあるよ」
瀬謡に応えず、立成がビシャリと戸を閉めた。
「お、だれだ」
そのとき、生駒の携帯が受信音をたてた。
「噂の金谷さんからメールが来たぞ」
まんの悪い男だ。よりによって今頃メールを送ってくるとは。
「見せて」と、優が顔を寄せてきた。
「先日はどうも。しばらくしたらまた連絡します、か。ファックス届いてたんですね」
「そりゃ届いてるだろ。よろしく、と」
生駒は送信ボタンを押し、ポケットに携帯を落とし込んだ。
「ところでさ、伊知さんの事務所、この辺りだよね。店によく食べに来るんですか? もしかして、常連さん?」
「それもあるけど、元はといえば大学時代のサークルの先輩後輩」
「へえ! なんのサークル?」
「へへへ」
「もったいつけるような歳かよ」と、芳川の口は滑らかだった。
「二輪のツーリングサークル」
「あ、そうか。あの人のインタビューはそんな話だったね。まさか瀬謡さんも?」
「なぜ、まさかなんです? そう、ふたりとも二百五十CCのバイクでね。十日間の行程で、ふたりで北海道まで行ったのが最高の思い出。あたしが三回生、馨が四回生のときの夏休みだった」
生駒は、ふと思い出した。
「そういや、伊知さんと立成さんも、実は挨拶くらいはしてる。ある現場で、たまたまふたりに出くわして、紹介したんだ」
生駒は瀬謡に話しかけたのだが、おでん屋の女将はちょっと目を剥いただけ。
代わりに芳川が、「ほおぉー、そうなんですか」と、応えた。
「ええ、半月ほど前。ま、次の日には、互いに顔も思い出さないだろうっていう程度の紹介でしたけど」
芳川が首をかしげ、興味有りという目を向けてきた。
「芳川さんのインタビューを受けたんだってことが話題になって、ん? そうだ。そのとき、金谷さんもいたんだ、確か」
生駒は話を切るタイミングを逃してしまい、またしても言わないでもいいことを口走ってしまったのだった。
立成はなかなか戻ってこない。
瀬謡がスルリと話題を変えた。
「ね、芳川さん。予約のご連絡をくれた四日の晩、札幌だったんだってね」
「そうなんだ。顧問先が札幌に新店舗を出してね。祝賀会に呼ばれてたんだ」
「じゃ、あの電話、その真っ最中だったの?」
「いや、祝賀会は翌朝。前日から泊まることにしたんだ」
「大先生も大変だね。あの後、すぐに電話を掛け直したんだよ。繋がらなかったけど」
「あ、ごめんごめん。地下街にいたからかな。で、用はなんだった?」
「ご予約の日さ、大切なお客様だったら、ちょっといいお酒でも置いておこうかと思ってね。なにがお好み?」
「ほう。えらく親切なんだな。常連にはそんな気は使わないくせに」
「ハハハ。珍しく予約の電話なんかくれるからさ」
「うん。いや、ごめん。申し訳ない。あの件は中止だ」
その直後だった。
アナウンサーが「グランハイツ天神の植え込みで女性の死体が発見され……」と言い出したのは。
伊知と金谷のあるかもしれない関係。
生駒はこれを警察には話していない。伝えるとするなら瀬謡が話すべき内容だからだ。
ただ、あのパーティの日に伊知がとった行動……。
伊知は金谷を丸山から引き離すため、二階へ連れて行った。
そして、立成や芳川と入れ替わりに降りてきたが、よほど腹に据えかねることでもあったのか、以降、始終むつかしい顔をしていた。
一方、金谷の方はどうしていたのか。
少なくとも姿を見かけた記憶はない。あの電話以外は。
ああいう醜態を見せた後だから、いつのまにかそっと帰ってしまったのだろうか。あるいは会が果ててしまうまで、二階に隠れていたのだろうか……。
優と瑠奈との昔話は、一旦は尽きたようで、パーティの話題に移っている。
「いつも、あんなふうにご馳走を出すん?」
「さあ。時々駆り出されるのよ。うちの店のお料理を出すときは」
「あの税理士、それなりにグルメみたいやしね。こだわりすぎるのは、どうかと思うけど」
優の言葉には、微妙に棘がある。
「うん、まあ、そうね。このあいだもさ。札幌へ行く朝に電話したら、通じないのよ。なにしてたと思う? 忙しいなんて言いながら、わざわざ朝市に行ってたんだって。カニ味噌のビン詰めを宅急便で送ってきたわ。あんなもの、どこでも買えるのにね」
「あ、ルナも札幌に行ったん?」
「わっ、内緒だよ、これ」
「ハハァ」
「何がハハァよ。こら」
「ふーん」
「だからぁ」
「ま、いいやん。そういうことにしておくから」
「なんなのよ。そういうことって!」
「ね、芳川さんの例のお酒。すごいよね」
優はミラーサイトの件を持ち出すタイミングを計っているのか、芳川から話題をそらさない。
「ボトルの山は増え続けてるよ」
「あれ、趣味?」
「ほら、なんでもとっておきたい人っているじゃない」
瑠奈は自分の微妙な話題から、芳川本人の話題になったので安心した様子だ。
「例えば飛行機のチケットとか?」
「まあね。そのクチ」
「くだらないよね」
優の直接的な批判にも、瑠奈は、ハハハと笑って「そうそう」と同調している。
「音楽とかミュージカルや映画なんかの趣味はないのかなあ?」
「ないんだな、それが。特にクラシックはダメみたい。特にコンサートは。チューニングの時間がたまらなくいやだって」
「なんだそれ」
優がはっきりバカにしたような顔つきになった。
さすがにしゃべりすぎたと思ったのか、瑠奈は「さあ」とだけ応えて、店の仕事に戻るために席を立っていった。
優は瑠奈の後姿を見送って、長いため息をついた。
「フフン。ユウもミラーサイト、攻めあぐねてるな」
「ハア!」
「ところでさ。芳川と彼女はどんな関係なんだ?」
「さあねぇ」
「もしかすると、あれ、じゃないか?」
「ア・イ・ジ・ン?」
「そう」
「かもねぇ」
優は明らかにおもしろがっている。
「この店も」「うん。広すぎるし」「内装も立派過ぎるし」「だからさ」「それもおおぴらな」「なるほどなあ」「人生いろいろ」「ケッ」
瑠奈がレジの後ろで書類を覗き込んで従業員と話している。
「そんなことより、金谷はあれからどうしたんだろ」
「あー、もう! また、その話! ふう!」
「分かってるって。事務所に行けというんだろ。そういうことじゃなくて、パーティの日、あれから見かけた記憶がない。ユウは?」
「二階に連れて行かれてから? 見かけなかったよ」
つれない返事だ。
伊知の事件に金谷がどう関係しているのかを気にするのなら、目に見えた出来事だけが重要なのではない、と優は言うのだった。
「ああ、もちろんミラーサイトも絡んでくるんだろ」
「そう。悪徳税理士のパーティでの出来事も重要だけどさ」
いつのまにか悪徳税理士になっている。
「それにしても、おばちゃんとおっちゃんの紅葉色づく春ねぇ」
「伊知さんが喧嘩の仲裁をしたってことは……」
「だから、それは瀬謡さんの示唆のとおりやん。ね、そもそも、金谷さんてどんな人なん?」
生駒は金谷のむさくるしい風貌を頭に描いてみたが、
「正直に言うと、あまり知らない」と、応えるしかない。
「でも、仲良くしてるやん。友達とちがうん?」
「ああ、仲良くはね。でも、改めて考えてみると、なにも知らないんだよな」
「出身地、最終学歴、年齢、血液型、誕生日などなど」
「出身は確か神戸あたり。年齢は僕より少し上……」
そんなものだと思う。
親しくしていても、目の前に今いる生身の人間として付き合っているのであって、相手のそういった属性を掘り下げてみることはないし、ましてや心の中に踏み込んだこともなければ、古い過去を理解した上での付き合いでもない。
互いに疲れたなどと近況を話すことはあっても、その本当の背景まで吐露することはまれだ。
つまり、生駒にとって、金谷は真の友といえる相手ではないということだ。
「ふうん。でも、なにかないん? 話のきっかけになるようなこと」
「そうだな。あえて言うなら、あいつは金に困っているかもしれない、ということくらいかな」
「へえー」
「一度、金を貸してやったことがある。それだけの理由だけど」
「いくら?」
「十万円」
「たったそれだけ?」
「そう。だから余計に」
「他には?」
「うーん。懐中時計を使っている」
「なにそれ」
「関係ないか」
「それにしてもあの長髪のおっさん、あの夜、ノブとどんな話をしようと思ったんやろ」
こちらは長髪のおっさんに格下げだ。
生駒は首を振った。見当もつかない。
「おもしろいことになるぞって、言ったんやろ?」
「ああ」
「二階のどこかの部屋でひとり、暗い顔して臭い息を吐き、目だけ光らせて携帯電話をまさぐり……」
「想像しすぎじゃ」
「悪だくみ、やな、これは」
「決めつけるな」
「伊知さんと長髪のおっさんの関係が、もう少しすっきりすれば」
「ん、待てよ」
急に思い出したことがあった。
「思い出した。あったぞ。ふたりの接点が」
優が、声を落とせとジェスチャーをした。
瑠奈が客を案内して、知らん振りして脇を通り過ぎていった。
「ミナミのレジャービルの現場で……、あ、そうだ。そのときだ。立成さんと伊知さんを紹介したのは。金谷さんがふたりを紹介したんだ」
「は? 待って。それ、おでん屋さんでノブがした話? あの長髪のおっさんが、ふたりを紹介したん?」
「そうそう、そうだった」
「はあー、しっかりしてよね。情報は正確に」
「そんなこといっても、あのときはこんなことになるとは」
「で、そのとき、四人ともインタビューを受けた仲ってことを話したんやね?」
「そう。で、みんなでへえーってなって、名刺交換を……。いや、伊知さんは持ち合わせがないって……」
優が中指で睫毛の辺りを撫で始めた。
化粧けのない優ならではの癖だ。
考えごとをしているときに出てくる。
「ここで、立成さんがこの人の輪に登場か……」
優の思考が飛んでいく。
「ところでユウは立成さんをどう見てる?」
「頭が切れる。朗らかで楽しい人」
「へえ。珍しい印象だな。普通の人は怖いと」
「そお?」
「誤解されやすい。見掛けがあれだから、相手は腰が引けてしまって、わかりにくい気がするんだけど、実は非常に分かりやすい人」
「分かりやすい? 利己的な面は分かりやすいけど」
「利己的? あ、そうか。分かりやすいのはそういう面だけか」
「そつがなさすぎる。かえって裏がある感じ」
「なるほどねえ。かれこれ十年程になるけど、そんなふうに感じたことはないなあ」
「大丈夫かな、ノブは。それがキミのいいところやけど」
「ほっといてくれ」
「ほっとけないから付き合ってあげてるのよん」
「チッ」
「あの長髪は立成さんと古い付き合い。仕事の面で、相当な部分を立成さんに依存していた、と」
「勝手に想像するな」
「違うの?」
「ま、依存というのは言い過ぎでも、以前はそういう感じは少なからずあったかな」
「よし、推理ノートに書いておこう」
「推理ノートぉ?」
優の瞳が輝き始めていた。