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12 2つの音

 松任は、愛想笑いを浮かべながらあの話を聞いてからというもの、立っているのも辛くなっていた。

 普段感じることのないほどの怒りがこみ上げていた。怒りと共に、自分の心の中にこれほど大きなわだかまりがまだ巣くっていたことも驚きだった。


 そして急にバカバカしくもなってきた。

 普段は仕事を怠けたいという気になることさえなかったし、人と一緒にいることも苦でもなんでもなかった。しかし、今はひとりになりたいと思った。

 どうせ今日のパーティは芳川のお遊びじゃないか。得意先を接待しているわけでもない。

 そんなことを考えてしまうこと自体が、いつもと違う自分のようだった。


 きっと、想像以上に疲れているのだ。

 コンパニオン役に徹してほとんど何も口に入れていない。少し食べよう。少しは気が休まるかもしれない。と、サンドイッチを皿に取った。しかし、三口ほど食べたところで皿を置いてしまった。

 喉を通らない。慣れないものを着ているせいか、軽い嘔吐感さえある。


 人たちの話し声が遠くに感じる。

 耳鳴りがしている。

 小さくなったざわめきの中でひとり立ち尽くしている自分が、浮いた存在のように感じてきた。

 思い切って借りたこの派手な着物。見世物になった気がして、いたたまれなくなってきた。脇を通った女性が「レンタル」と呟いたような気がした。


 と、肩に手が乗せられた。芳川だった。

「顔色が良くないな。少し休めよ」

 言葉は穏やかだが、目にはいつもの優しさがない。

 自分のふがいなさを責められている。松任はそう感じた。

「すみません。大丈夫で……」

 が、足元がふらついた。

「ほら」

「すみません」

 ここで倒れるわけにはいかない。指示に従ってリビングを抜け出すと、二階の客室のベッドに倒れこんだ。


 悔しかった。

 芳川の前でふがいない姿をさらしてしまった。

 そんな些細なことに涙が頬を伝い、それがまた情けなかった。


 瀬謡は空を眺めた。

 激しい雨が降り続いている。風も徐々に強まってきている。


 客たちはリビングとバーに別れて集っていた。

 料理や酒や菓子や果物は、ふんだんにある。

 パーティが始まってから、かれこれ二時間ほど経つというのに、客たちはさほど退屈することもなく、見知らぬ人との出会いを楽しんでいた。

 誰に強制されるわけでもないのに、手品を披露したりダンスをする客もいて、パーティを盛り上げるのに一役買っていた。

 インタビューを受けても良いと考えるほどの人だから、社交的な人が多いということなのだろう。


 突然、リビングの中がざわついた。

「防犯ベル?」と、声があがる。

 どこからか、唸り音が聞こえていた。

 甲高い音で鳴り続けている。ビーン、ビーーンと、不規則に大きくなったり小さくなったり。

 下の階から聞こえてくるように感じたと思えば、上の方から聞こえてくるようにも感じる。

 芳川事務所の社員が小走りに出て行った。


「念のために見に行かせました。どこかの会社の社員が、セキュリティを間違って作動させてしまったのでしょう」

 客たちを安心させようというつもりなのだろうが、芳川自身が落ち着かない様子だ。

 顔色が心なしか白い。

 和気藹々と進んでいた会が、強い雨のせいで居心地が悪い方へと微妙に変化し始めている。それを主催者であるこの男は、誰よりも感じ取っているのだろう。

 そんなとき、ひとつの事件が起きた。


「おい! ふん、とはなんだ!」

 和やかな雰囲気の中では違和感のある声音。

 瀬謡がバーを覗くと、金谷が赤い顔をして丸山という男を睨みつけていた。

 徐々に人が集まってくる。部屋中の視線を浴びて、丸山が金谷をなだめにかかった。

「ここで蒸し返すことはないでしょう。落ち着いたらどうです」

 金谷はチラッと他の客たちに視線を投げたが、振り上げた拳の下ろしどころがない。すでに大声を上げてしまった後だ。

「気に食わんな!」

と、さらに怒声を浴びせる。


 丸山の連れの女性がビクッとした。

 丸山も紅潮した顔をしていたが、声音は妙に落ち着いていた。

「気に入ってもらおうなんて、思ってませんよ」

 突然、不敵に笑う。挑発だ。

「なにぃ!」


 しかし金谷の後の言葉は続かない。

 形勢は完全に不利。

 こんな場では大声を出した方が負け。世論を敵に回すようなものだ。

 バーの中がざわついた。瀬謡は、この場を納めるべき立場の芳川と立成を探したが、姿はない。


「金谷さん、ちょっとお話があるんですが」

と、ここで仲裁が入った。なんと、馨だ。

「こちらにいらしてください」

 微笑みながら手招きし、多くの視線を受け流しながら、螺旋階段を堂々と登っていく。

 金谷が必ずついてくるという自信に満ちた足取りで。

 二階に着くまで、振り返りもしない。


 一同の目が、金谷に戻る。

 二階の手すりにもたれた馨が、そしてバーの客たちが見守る中、金谷は舌打ちをして丸山の前を離れた。

 こうなってしまっては、この場にはおれまい。

 金谷は、なんだくそ、と毒づき、部屋を横切っていく。

 足がふらついている。虚勢に満ちた目。自分は酔っているので大目に見てほしいというアピールなのかもしれない。

 螺旋階段を登っていき、馨の姿と共に消えた。


1129 芳川ブログ9

今回のインタビューに、弊社の社員、松任歩美が始めて同席しましたが、彼女が言うに、音の世界は人の心に強い影響を与えるというのです。

好きな音も嫌いな音も。

特に原風景として心に残っている音は、その人格を形成する要因の一部にもなりえると。

大げさな、とは思いますが、一理はあるのでしょう。

私も、ますますこのブログインタビュー、楽しみになってきました。


さて、九人目は丸山徹さん。

急成長を遂げているコンビニエンスストア、エヌストップの経営者。

神戸市内に三店舗、芦屋市内に二店舗所有されておられるフランチャイジー。


お題は「列車の轟音」です。


最初はレールが軋む音がする。

キーンという金属的な音だ。

かすかな音。


しかし力のない音ではなく、確実に鼓膜を振るわせるパワーを秘めている。

しばらく耳をすませていると、その金属的な音が規則性を帯び、連続的に聞こえてくる。

キン、キン、キン。

徐々に音量が増してくる。

やがて金属的な響きが薄れ、徐々にゴトンゴトンという鈍角的な音が混じってくれば、もう近い。


キーンという音ははるか遠くから、鉄のレールそのものを震わせて伝ってきたのだが、ゴトンゴトンという音はレールや枕木や砂利、または地面そのものを振動させた音だ。

もちろん列車の振動音でもある。それがレールに乗って伝わってくるという感じだ。

そして、少し遅れて空気を伝わった音が聞こえてくる。


一気にその音量が増し始める。

そうなれば、もう、恐怖の体験は間近に迫っている。


音はぐんぐん大きくなり、クライマックスへの期待がいやがおうにも高まる。

初めての子なら、もうだめだ!と逃げ出す。

その直後、一気に列車が頭上を駆け抜けていく。


そう。

昔、線路沿いに住んでいた子供なら誰もが体験した線路の下の肝試しです。

子供のころ、これが好きでして。

わざわざ電車に乗って、恐怖の体験ができるところまで行ったものです。


線路の下の隙間が低ければ低いほどいい。

すぐ真上を列車が通る恐怖を味わおうとするわけですから。

足掛かりがあって線路のすぐ下まで登れるようなところでもいいわけです。子供が三、四人、登って入り込める隙間があればさらにいい。冒険心をくすぐられます。

手を伸ばせば列車が通るときに腕ごと持っていかれそうなくらいのところが最高ですね。


また、線路の隙間が下から見えるところじゃないと意味がありません。

列車が、ドガガガガッと通り過ぎていくのが下から見えないと。

いわば鉄橋みたいになっているところです。臨場感が違います。

私の子供のころはたまに蒸気機関車も走っていました。

こいつは列車が通過するときに熱い水滴が降ってくるんです。これがまたたまらなく少年の冒険心を刺激しましたね。


まだ、条件はあります。

ダイヤの密なところ。三十分待ってやっと一列車、ではダメですよね。

それと、貨物列車が頻繁に通る路線がいいですね。あれは長いのでお得です。

快速電車が停車するような大きな駅の近くはダメです。列車のスピードがないから。

そしてもちろん、大人に見咎められないところ。そういう条件です。


お察しの通り、一番むつかしいのが最後の条件です。

田舎の方に行けばいくらでもいい場所はあるのでしょうが、当時の神戸でもそれなりに線路は管理されていて、なかなか入り込めるところはなかった。

ということで、穴場は地域の人のための歩行者通路。ここなら、堂々と列車の通過を楽しめます。

高さがあり過ぎるのが不満なのですが、探せば天井の低いところもあります。例えばJR神戸線の灘のあたりとか須磨のあたり。

現在もその条件に当てはまるかどうかは知りませんよ。子供時分にわざわざ行ったところです。


今、大阪では伊丹空港のジェット機の離着陸を間近に見るスポットが人気ですよね。

ま、あれの列車版ですね。ロマンチックでもなんでもないし、いい大人がガード下でそんなことをしてたら、変質者と間違えられて通報されるのが落ちでしょうけど。


音というテーマにふさわしいかどうか分かりませんが、心に残り、刺激的だったなあと今もまだ思える音、ということでガード下で聞く迫力の列車通過音の話をさせていただきました。

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