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11 海の家とおでん

「ああ、なんだか潮の臭いがしません? 海の家のことを思い出したからかな」

 丸山が夢見るような口ぶりでいう。

 ときどき、風向きによっては大阪市内でも海の匂いがすることがある。

 台風前の、なんとなく不穏な空模様のテラスで過ごすひととき。

 金谷が、へえー、須磨の海の家でバイトか、と言って芳川に眼を向け、思わせぶりに笑った。芳川は目をぱちくりさせ、話題に入る間合いを計っているようだ。


 その間も、生駒の回想は続く。


 雨の日の手持ち無沙汰なこと。朝から雨と決まっておれば休みなのだが、午後から雨が降ってきたような日には、客はどんどん帰ってしまい、バイトたちにはなにもすることがなくなってしまう。

 そんな時は、雨に打たれてポツポツと穴が開いたように跡が残っていく浜の砂を眺めながら、のんびりとした気分で過ごすことになる。

 丸太の柱にもたれ、物好きな連中が雨の中を泳ぐのを眺めながら佇むとき、自分は毎日ここで優雅なときを過ごしているという、一種の優越感さえ感じてしまうのだった。


「あの臭い。なんともいえませんでしたよね」

 海の香りと漁具の臭い。

 おでんやうどんダシの匂い。

 そして浮き袋のビニールやゴムの臭いが入り混じり、なんともいえない海の家の臭いとなる。

 砂と塩にまみれた日々。生まれて初めてノミに喰いつかれたのもあの海の家でのことだった。


「丸山さん、須磨駅の前に市場があったでしょう。そこへ買い出しに行かされませんでした?」

「ええ、ええ、行きましたよ。おでん種とかを」

 丸山がうれしそうに応える。

「あれって、今思うと変でしたよね。私のところはどういうわけか、あの大きなおでん鍋そのものを持って買い出しに行かされたんですよ。行きはまだしも帰りなんて、重いのなんのって」

「そうそう、僕のところも。ダシはひたひただし、ジャガイモやらコンニャクやらがぎっしりで」

「あれを両手に抱えて須磨駅の階段を上り、改札口の前を通って、また階段を下りて海の家まで運ぶなんてね。砂が入るから途中で地面に置いて休憩するわけにもいかず。万一ひっくり返しでもしたらと、冷や汗ものでした」

「僕もそうでした。本当に大変でしたねぇ」

「腕力がない私にとっては、一種の試練でしたよ。いや、一人じゃなくて二人で行ったんだったかな」

「うーん」

「もう、あまり覚えてないけど」

「ひどい仕事でしたねえ。一度なんか、台風の後で屋根の上まで登らされました。めくれたトタンを張り直せって。おかげで僕は指を切ってしまいました。今なら、さしずめ労災ですよ」

 ああ、そんなこともあった。

 どこの海の家も台風の後は、傷んだところを直すので大忙しだった。台風が過ぎるや否や、大量の客が押し寄せてくるのだから。


「僕のところの大将は、本業は漁師だと言ってましたよ。ときには、エビやシャコなんかをもらったりしました」

 エビをもらったときは驚いた。

 まだ生きている十センチばかりのエビがぎっしり入ったビニール袋を、帰り際に持って帰れと渡されたのだ。

 餌だ、余ったんだ、と大将はいう。

 エビで鯛を釣るとはこういうことか、と実感したものだ。


 そんなことを取りとめもなく話していると、

「蒸し暑い。そろそろ一気に降ってきそうな気配ですな」

と、立成がスキンヘッドをハンカチで拭いながらやってきた。


 そこで生駒は気がついた。

 金谷の姿は見えず、芳川がひとり、後ろの手すりにもたれて丸山とのやり取りを聞いていた。


「すみません、芳川さん。つい昔話に夢中になってしまって」

と、無視し続けていたことを詫びた。

 いえいえ、と芳川はやんわりと笑った。


「こちらはどんな盛り上がりでしたか? 列車轟音? 靴音? おふたりともロマンチストらしからぬテーマですなあ」

 立成は誰がインタビューでどんな話しをしたのか、全員の分をそらんじている。

「よく覚えてますね。司会者は大変だ。ピアノも弾かなくちゃいけないし」と、生駒は茶化す。

 丸山が勢い込んで説明した。

「生駒さんも僕も、須磨浦の海の家でアルバイトをしていた、ということで盛り上がってましてね。懐かしい話をいろいろと」

「ん? 須磨の?」

「立成さんは須磨に海水浴に行かれたこと、あります?」

 丸山の子供っぽい問いかけに、

「まあね」と、ちらりとだけ丸山に眼をやり、生駒をギロリと睨みつけた。

 つまらない昔話をしてなにが楽しい、とでも言いたげだ。いつも未来形の話をしろ、というのが立成の口癖なのだ。


 もちろん丸山は、そんな立成の信条を知るはずもない。ちょうどやってきた伊知と瀬謡らにも、無邪気に同じ問いを投げかける。

「伊知さんは?」

「ええ、まあ、小さいときは」

「芳川さんは?」

 しつこい。

 芳川は複雑な表情で立成に顔を向けた。言わずもがなではないかというのだろう。

「実家が須磨にありましたから……」

「あ、そうだったんですか。へえ! いいところですよねえ」

 芳川が微妙にやれやれという顔をしたことに、丸山は気づかない。

「それでね、生駒さん」

 また始めるのか、と生駒は少々げんなりしたが、丸山はとんでもないことを言い出したのだった。

「そこで、人殺し事件がありましてね」

 まるで、楽しい思い出を語るときのように、声高らかに。


 人殺しなどそうそう身の回りで起きることではない。

 不謹慎ではあるが、へえ!とか反応してもよさそうなものだったが、立成も芳川も黙っている。

 瀬謡がさっと伊知と顔を見合わせたが、やはり黙ったまま。生駒もとっさに返す言葉が見つからなかった。

 丸山は周りの空気が読めないのか、説明を始めようとした。

「その事件というのは」

 言い出すやいなや、伊知が止めた。

「いい話題じゃないよ、あんた」

 その口調は、ハッとするほどきついものだった。

 立成はといえば、こちらも露骨に丸山を睨みつけている。

 さすがに丸山は、はぁ、と生返事をして首をすくめてしまった。


 妙な具合になってしまった。

 この場を誰が繕うか、と牽制しあうような沈黙が流れる。

 しかし、絶妙のタイミングで、天から冷たいものが落ちてきた。

「あ、とうとう降ってきた」

「うわ!」

 ポツンと額に雨粒があたったと思うやいなや、バラバラッと音をたてて大粒の雨粒がテラスを打った。

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