四
化粧を直し終えた香織と僕は岡田先生の元へと向かう。ぐちゃぐちゃだった香織の顔はいつも通りの彼女に戻っている。
香織は「美少女復活!」と僕にVサインを向けてきた。いつもの明るい香織だ。もちろん、それが空元気である事も十分理解している。
「で、ホンマに岡田先生のとこに行くん?」
「お前、わかってて聞いてるやろ?」
「ふふふ。泉に行くつもりなんやろ?」
「わかってるやないか。でも、山田の死体がある場所や。もう入れへんかもしれん」
「あぁ、確かになー。でも、それ岡田先生に言うても入れてはくれやらんやろ?」
「そうやろなぁ。だから、泉には勝手に入るつもりや」
「じゃあ、何しに先生のとこに行くん?」
「聞きたいことがあるんはホンマなんや」
「聞きたいこと?」と香織は首を傾げる。全然予想がつかないといった表情だ。僕は「そうや」と頷き話を続ける。
「山田がどうやって死んでたか、どんな状態やったかを知りたいねん」
「うわっ、何それ。めちゃくちゃ気持ち悪い質問やん」
「そうや。だから、一人で行くて言うたんや。お前は今からでもテントに戻ってええんやで?」
「いや、あんたを一人には出来ん。すぐに黙って無茶するさかいにな、私も一緒に行くで」
彼女の瞳に強い意志を感じる。僕はこれは説得は無理そうだと諦めることにした。
そんな話をしている間に教師テントに到着する。テントの前では各クラスの先生が集まり会議を行なっている。この後の方針を議論しているようだ。
近くまで歩いて行くと先生たちが僕と香織に気づき、岡田先生を呼んでくれた。
「どうしたんや? 待機て言うたやないか…」
「どうしても聞いておきたいことがあるんです」
「なんや? 忙しいで手短に頼むで」
「はい。山田は泉のどこでどうやって死んでたんですか?」
「お前、何言うとるんや! そんなん聞かんでもえぇやないか」
「いえ、聞いとかなあかんのです。泉の中にいませんでした?」
「なんで知ってるんや? いや、泉言うてるんやからそう思うか。確かに泉の中に全身浸かっとった。でも、死因はわからんで。わしらも警察とかやないでな」
「それはそうやと思います。ただ、変なことありませんでした?」
「変…て…」
岡田先生は突然動揺し始める。それは何かに怯えているかのようだ。
「先生、はっきり答えてくださいね。山田の身体に髪の毛ついてませんでした?」
「うわぁぁぁぁ」
岡田先生は狼狽しその場にしゃがみ込んでしまった。他の先生たちが「どうしました?」とか「大丈夫ですか?」と言って駆け寄ってきた。
僕はその様子に確信した。「山田の身体に髪の毛が絡まっていた」ということを…。
僕たちは岡田先生を教師陣に任せてその場を後にした。そこからテントの方へは戻らずにあの森に向かった。
◇
泉へと向かい道を行く僕と香織。空は灰色の雲に覆われ太陽の光が閉ざされている。
香織の顔が少し強張っていた。「髪の毛」という言葉に昨日の恐怖が蘇ったのかもしれない。あんなことが起こったのだから当然だ。
彼女はそれでも「テントには戻らない、一緒に行く」と言った。彼女は一度決めたら梃子でも動かない。
泉が近づくに連れ香織は僕との距離を狭めてくる。あの自然のアーチが見え始める頃には僕の腕にしがみついていた。
「そんなに怖いなら帰れば良いのに」とは口が裂けても言えないので「大丈夫や」と頭をポンポンと軽く叩くと、香織はむくれていたが少し緊張が解けたように見えた。
自然のアーチの前まで来た時、アーチの向こう側からこちらへ歩いてくる人影が見えた。僕は咄嗟に香織を背後にまわらせる。
こんな時にこのような場所にいるのは教師たちか
怪しいヤツだけだ。教師たちなら怒られるし、怪しいヤツなら最悪だ。
暗い森の中から少しずつこちらに向かって歩く人影。一歩進むごとに少しずつその姿が露わになっていく。
「あれ? こんなところでどうしたんです?」
「え? 遥陽さん?」
泉から戻ってきたのは一人の男性だった。彼は全身黒ずくめの服に、サングラスをかけている。僕の母の親友である恵さんの弟で、とある事件をきっかけに知り合ったのだ。
「僕たちは林間学校に来てるんですよ」
「あぁ、そうなんですね。だから、香織さんもいるんだ。泉に来たんですか? でも、今は入らない方が良いですよ」
「わかってます。でも、行かなあかんのです。あそこに死んでるのは僕の友達やから。そして、あの髪の毛を放ってはおけん。このままでは、必ず香織に災が及ぶ。それだけは絶対に防がなあかんのです」
「状況はわかってる、か。昨日ここに来たんですよね? 朝山を登ってから今朝までの間で気づいたことや変わった事がありませんでしたか?」
「そうですね…。色々あったんで順に話します」
僕は登山中に祠が壊れ黒い靄が出たこと、泉に違和感を感じたこた、水道から髪の毛が出てきたことを遥陽に説明した。彼は顎に手を当ててそれを最後まで聞き終えるとアーチの先に目をやる。
「そういう事だったんですね。私は元々あの祠について相談を受けてここに来たんです」
「そうやったんですね。やのに、何でこの泉におるんですか?」
「それは祠にあった残滓がここに続いていたからです」
「残滓? どういうことですか? 私にはさっぱりや」
「香織。僕はあの祠で黒い靄を見たんや。で、それと同じモノがここにもあるってことや」
「そうですね。あの祠には長い年月ナニカが封じられていた。そして、昨日祠が壊れた時に封印が解かれたのでしょう」
「ナニカって?」
「それはまだわかりません…」
「そうなんですね。でも、何で山田くんやったんやろ?」
香織にはわからない話ばかりだった。僕も黒い靄や違和感を感じていなければ何一つわからなかったし、想像も出来なかったと思う。
「香織…、黙っていたことがあるんや。実は祠が壊れた時に黒い靄が視えたんやけどな。その靄は何かに吸い込まれるように消えたんや」
「何かにって…、まさか…」
「そうや。あの時、祠の一番近くにいた山田にやと思う」
香織はそこまで聞いてやっと理解した。祠に封じられていたナニカ、それは山田の中に入り泉へと移動した。そして、山田はそのまま…。
遥陽は僕の考えを読んだかのように言葉を紡ぐ。
「兎に角、この先に行くことはオススメしません。ただ見るに耐えないモノを見ることになるだけです。君が探しているモノはもうここにはいないのですから」
「えっ、おらへんのですか?」
「えぇ、私が着いた時にはいませんでした。いたのは長い髪の毛が身体中に巻きついた男子高校生が一人いただけです」
「そうですか…。じゃあ、どうしたらえぇんやろ…」
そう漏らし項垂れる僕に遥陽が明るく声をかける。
「1人で抱え込むものではありませんよ。これも何かの縁でしょう。こうなってしまった以上、私もこの祠の事件を解決しなければなりません。どうです、私の手伝いをしてみる気はありませんか?」
「お手伝いですか…?」
「そうです。あなたたちは友人の死を調べたい。そして、出来れば自分たちに降りかかるかもしれないモノから身を守りたい。そうですね?」
「そういうことになりますかね」
「私は祠を早く修復する仕事があるので、アレを一人で追うには時間が足りません。だから、手伝って欲しいのです。もちろん危険なことはありません。逐一情報を教えて頂くだけで十分です。どうでしょう?」
「確かにそれなら僕の目的は達せられる。わかりました、お手伝いします」
「良かった。ありがとうございます」
「でも、一つだけ条件があるんやけどえぇですか?」
「なんですか?」
「ホンマに危険なことはなしですよ。特に、香織に危険が及ぶようなことだけは絶対に認めません。えぇですね?」
僕の鋭い眼光に遥陽は一瞬息を呑む。サングラスで彼の瞳は見えなかったが想いは届いたように思う。
遥陽は口元を緩め「もちろん約束します」と僕たちにはっきりとそう告げた。
◇
僕と香織は遥陽と一緒にキャンプエリアに戻った。先生たちは見慣れぬ男に警戒したが、祠の修繕とお浄めの業者であることと僕たちの知人ということで何とか納得してもらえた。
遥陽が一度キャンプエリアをぐるっと見てまわりたいと言うので三人で順番に各地を練り歩いた。
彼は所々で立ち止まっては何かを眺めていたが、自身が納得すると次の場所へ向かって歩き出す。遥陽には一体何が視えているのだろうか。
一通り見終わったところで僕たちのテントがある場所へ寄ることにした。遥陽も一度当事者たちに会っておきたかったようだ。
「あっ! やっと帰っきたやん。二人でどこ行ってたんや。あれ、その人は誰や?」
石川さんは僕たちの帰りが余りにも遅いので居ても立っても居られなかったらしい。それでも、探しに行かずちゃんと待っててくれるあたりが彼女の真面目さを表している。
「ごめん、そこで知り合いに会うたんで話し込んでもたんや。この人、遥陽さんいうんやけどな。祠の修理に来やったんよ」
「そうやったんや。遅すぎるで二人で泉に行ってもたんちゃうかって話してたんやで」
「ははは、ごめんごめん。私らがそんな危ないことするわけないやんか」
香織はそう言い笑って誤魔化す。彼女の人柄なのか皆んなそれで納得したようだ。彼女が一緒に来てくれて良かったと心底思った瞬間だ。
僕は遥陽さんの視線がある方向で止まっていることに気づく。サングラス越しではあるが、何故か視線の先がわかった。
彼の視線の先。そこにいたのは髙橋奈美だった。
何か気になることがあったのかもしれないが僕にはそれが何かわからない。遥陽は僕の視線に気づくとただ微笑んだ。
◇
その後、岡田先生から下山し帰宅する旨の通達があった。山田の遺体は警察による現場検証があるとのことでそのままにして帰ることになった。
テントをたたみ、所定の場所に道具を片付けすると次々と下山していく生徒たち。僕たちも同じように後片付けを終えて下山しようとする。
僕たちは泉のある方角を一度振り返る。心の中で「ゴメンな」と言うと前を向いて歩き出した。
山道をくだっていると祠の写真を撮っている遥陽と会った。彼は僕に気づくと近づいてくる。
「少し良いですか?」
「僕だけにですか?」
「そうです。確証はないけど、情報として聞いてください」
「香織! 遥陽さんと少し話があるから先に行っててや!」
「りょーかい!」
彼女はそう言うと石川さんと髙橋さんと一緒に楽しそうに会話をしながら歩いていく。僕は周りに聞こえないように声を小さくする。
「で、なんですか?」
「髙橋さんに気をつけてください」
「髙橋さん? 何でまた?」
「確証はないので本当に気に留める程度の話です。彼女にアレの残滓が少し視えたんですよ」
「残滓が…。それって、あの祠から出たヤツの?」
「そうです。微かですが彼女からそれを感じました。あと、もう一つ。あの山にいた人間の中で山田くんの死に関わっている人がいます」
「どういうことですか? 誰かが殺したと?」
「いえ、そういう訳ではありません。しかし、あの現場にあった足跡に違和感がありました。あそこに入ったのは、山田くんと探しにいった先生方だけのはず。いずれも足が大きい人ばかりです。その中に、小さい足跡がありました」
「まさか…。それが、髙橋さん?」
「可能性はあります。アレはまだ見つかっていませんし、用心するに越したことはありませんから」
「わかりました。忠告ありがとうございます」
遥陽は念の為にと御守りと一枚の朱い札を渡してくれた。僕は遥陽に頭を下げると香織たちの元へと早足で向かう。僕は一刻も早く彼女と合流した方が良いという漠然とした不安にかられた。
◇
「あいつ戻ってけぇへんなぁ。ちょっと言うてたのに…。さすがにこの状況で置いてくのはマズイよな」
香織は僕が全然戻ってこないことに不安を覚え始めていた。山田の死がふと頭をよぎるが、そんな事は起きるはずがないと不安を振り払う。
「なぁ、あいつ戻ってけぇんのよ。私だけでもここで待つわ」
「いくら整備された山道言うても、さすがに一人は危ないで。うちも一緒に残るで皆んなは先に行って」
「わかった。じゃあ、任せるわ。ぼくと石川さんは先に行くから追いついてきてな」
「了解っす!」
二人は心配そうな顔をしていたが自身の疲弊もあり山を降りていった。この場に止まる香織と髙橋さん。香織は瞳をうるうるさせながら髙橋さんを見つめる。
「奈美ちゃん、ありがとー! 正直、一人は心細かったんよ」
「ううん。さすがに、単独行動は危ないでな」
「奈美ちゃん天使!」と言い髙橋さんの手を握る香織に彼女は「大袈裟」と笑う。
「ここは暑いであの木陰で待たん?」
「おぉー。奈美ちゃん、ナイスアイディア!」
二人は山道から少し逸れた所にある大木の下に腰を下ろし、水筒の水をゆっくり飲み喉の渇きを癒す。木陰と山に吹き抜ける風が火照った身体に心地よい。
ポツッ、ポツッ、ポツッ…。
「あれ? 雨降ってきた?」
香織は手を真っ直ぐ伸ばして雨が降っているのを確認する。最初はポツポツ手に当たる雫もすぐに本降りとなり、濡れないように折り畳み傘をさした。
「いやぁ、びっくりやな! こんないきなり降るんやね。さっきまで、めちゃくちゃ晴れてたのになぁ」
「そやね…」
「ん? 奈美ちゃん…? どうしたん?」
香織は髙橋さんの様子がおかしい事に気づく。さっきまではそんな事はなかったはずだ。
いつからや?
木陰に入ったときはそんな事なかった。
雨が降り出してからか?
「奈美ちゃん…、大丈夫?」
「う…、う、ん。大丈夫…」
「大丈夫言うけど…、どうしたらえぇんや…」
香織は僕が来ないか山道の方を見る。望みをかけたがその姿はない。焦りと不安がつのる。
「早よ、来てや…。お願いやから…」
香織はそう祈り雨が降り注ぐ山道を見つめた。
◇
僕は雨が降り注ぐ山道を傘をさして足早に駆け降りている。
先に下山している香織たちに追いつく為だ。突然の雨に降られなければもっと早く山を降りられたことだろう。
天から降り注ぐ雨とぬかるんだ地面に足を取られ速く走る事が出来ない。元より速く走る能力を持ちあわせてはいないのだが。
僕の胸には言い知れぬ不安が込み上げていた。それはどんどん強くなる。一刻も早く香織と合流しなければいけないと僕を追い立てる。
「なんなんや、この不安は。香織に何か起こるとでもいうんかいな…。頼むで…、無事でいてや」
僕はそう呟きながら山道をかける。道から外れた辺りに自然には似つかわしくない物をその目に捉える。水色とピンク色の傘だ。
僕には遠目でもわかる。あの水色の傘は「香織の傘」だ。彼女が「めっちゃ可愛いやろ?」と買った時に自慢していたのを良く覚えている。
「香織、無事やったか。良かった…」
僕がそう思ったのも束の間ピンクの傘が後ろへと飛び、僕の目には嫌なモノが視えた。
ピンクの傘の中から現れたのは「黒い靄」だった。女子高生の身体から滲み出ているように視える。
香織はこちらを見て手を振っていて、後方に全く気づいていない。
「あれは髙橋さんか? まさか、遥陽さんの言うてたんはホンマやったんか。香織ー! 逃げろー!」
「なんやてー? 雨でよく聞こえへんー!」
僕の声も香織の声も雨音に掻き消されて聞こえない。僕は香織がずっとこちらを見ていることから僕の声が届いていないと察する。
「しゃーないな。髙橋さん、堪忍な…」
僕はそう言うとポケットから朱い札を取り出すと右手の人差し指と中指で札を挟む。そして、走りながら手首を返して前方へと投げる。
「あの靄に当たれーーー!」
朱い札は放たれると一直線に黒い靄へと飛んでいく。香織は僕が札を放ったことで初めて状況を理解し後ろを振り向くと同時に恐怖で顔が歪む。
香織の眼前に迫る長い黒髪。靄はいつしか髙橋さんの短い髪を長く変容させていた。髪は光背のように広がった後、香織へと襲いかかる。
「いやーーーーー、助けてーーーーー!」
香織は叫び声を上げると両手で頭を抱えて目を閉じる。
「………、あれ?」
香織が目を開くと襲いかかる長い黒髪が幻であったかのように消えていた。目の前の大木にもたれかかったまま意識を失っている髙橋さん。
その髪も元の短いものに戻っている。
全て幻、白昼夢であったかのような錯覚に陥るが、木の幹に刺さった朱い札が現実を告げる。
「香織…、大丈夫か?」
「うん、私は何ともないで。私より奈美ちゃんやで…。さっきのはなんやったん…?」
「それは僕の家に帰ってから話すわ。取り敢えず、彼女を連れて下山しよ」
「せやな。このままっちゅう訳にはいかんよな」
「うん、山は降りた方がえぇと思うわ。そうや、これ着けとき」
「御守り? 私がつけてえぇの?」
「えぇ。何か僕よりお前のが狙われてる気がしてならん。取り敢えず、つけといてや」
「わかった、ありがと」
「で、奈美ちゃんやけど…。あんた、この子を背負って山歩けるん…?」
「それは僕も思ったんよな…。どうしよ…」
この後、僕は頑張った。兎にも角にも頑張った。髙橋さんを落とさないように慎重に歩いた。必死に山を降ったのだが僕の体力が保つはずもなく、最後まで運びきれなかったのは言うまでもない。




