七夕の日の帰りの電車でクラスの女子が急に七夕の話をしてくるんだが、お前は星になりたいのか!?
「はーーっ、疲れたなあ」
部活帰り。
ハンドボール部に所属している俺、松下光はフラフラになるまでしごかれた。いつも通り駅までの道を、いつも通り力無く歩く。
初夏の夕方。先月、夏至は過ぎたが、午後6時とは思えないほどのこの明るさは、昼の眩しさみたいに照り輝いている。
そして、暑い。部活で汗まみれになった身体が悲鳴をあげるほど、ジメジメムシムシとしていて、疲弊しきった身体を更にいじめる。ワイシャツが肌に引っ付くのが、なんとも気持ち悪かった。
つい先日まで春を感じるほど快い暖かさがあったのに、現在はもう酷暑の夏の中である。
そうこうしている内に、駅に着いた。
いつもの電車の中は、冷房が効いているものの、やはり人が多いゆえに熱気が盛んで、落ち着こうにも落ち着けなかった。
足を踏んで、踏まれ、小さく謝りながらあたふたとしているところで、隣に立っていた同じ制服の女の子と目が合った。
クラスメイトの町田さんだ。こんな情けない姿の自分を見られて何だか恥ずかしい。
と言っても、彼女は実際普通のクラスメイトで、そこまで親密に話をしたことは無く、『こんにちは』程度の仲だったので気は楽だった。
なので、俺や彼女がどんなに無愛想な態度をとったとしても全然平気で、大して気にならなかった。
だが、神様はそんな斜に構えた俺を嘲笑うかのような、いたずらを仕掛けてきた。
電車の急ブレーキと共に、俺と彼女の物理的距離が一気に近くなったのだ。
ついさっきまで平気な態度をしていた俺の身体が『自分汗臭くないかな?』などしょぼくれたことを気にし始めたことが、なんとも気に入らなかった。
「松下くん」
「はいなんでしょう!?」
唐突に話しかけられるとは思ってもなかったので、変な声が出た。
かなり近くにいる顔から声をかけられるのはシンプルに驚く。こっちは冷静さを維持するのに精一杯だって言うのに。
「今日、七夕だね」
えっ。
俺の脳内は白い細糸がぷつんと切れたかのように、急停止した。
七夕ってあれだよな。織姫と彦星が1年に1度、会ってイチャイチャする……。
こんな時、こんな状態でそんな話題を……?
これは俺の考え過ぎなのだろうか?
彼女は、7月7日という美しい日付に距離が近づいたことを、意識して話しているのではないか――?
「そうだね、まあ俺にとっては無関係ナコトダケド……」
空のリア充のことが頭をよぎったからか、緊張感と焦りで終盤はボソボソと早口になってしまった。
なぜ俺はこんなにキモイんだ!
友人の翔太にこんな話をしたら、2日間は笑われるであろう。どうして俺はこんなに、異性と関わるのがヘタクソなんだ。
「七夕って、不思議だよね。『七』を『たな』って読んで、『夕』を『ばた』って読む。なんだか、とんでもない熟字訓みたいだよね」
「さ、五月雨みたいな?」
「そうそう!」
確かに、言われてみればそうだ。あまりにも、当て字臭がする。
「でも確か、七夕の元の字は『棚』に『機』で、『棚機』。機織りをする逸話があったみたいで、その時期が7月の夕方だったから『七夕』の字が当てられたみたいなことを本で読んだよ」
「そうなんだ! 松下くん、そういう雑学に詳しいんだねぇ。知らなかった」
そんなヒロインみたいなセリフ言わないでくれぇ!
「あー! 本で思い出した! 私、図書室の前に飾ってある笹の葉の、短冊に願い事を書くの忘れちゃった!」
俺もだ。
そういえばすっかり忘れてた。3日前まではハッキリ覚えていたのに、直前になると忘れるのはなぜなんだ。
せっかく、恋愛成就を翔太と共に願おうと考えていたところだったのに。
教室に飾ってある小さな笹の葉にすら書けてない俺が言うのはなんとも情けない話であるが。
「ねえねえ、今、松下くんに願い事を伝えても、叶うかなあ?」
はい??
ちょっと待ってくれ。
なんだその揺さぶり方は。
もう、意識していると言っても良いのではないだろうか?
神様が電車を暴れさせているのだろうか。度々訪れる急ブレーキでますます彼女との物理的距離が近くなる。
「な、なんで僕に? 僕なんかじゃ叶えられるとは思わないよ……?」
『僕に叶えられる』。俺が言うには太陽と地球レベルで遠い、縁のない言葉だ。
もう既に、この頃の俺の脳内はオーバーヒート気味であった。
ええい、こうなったらどんな結果になっても良い。
どうせ七夕。1年に1度の甘酸っぱい体験だ。
彼女が俺に意識があると仮定して、どんな願い事でも叶えるって言ってやる!
「いや? だって松下くん、さっきから七夕に詳しそうなんだもん!」
えっ……?
「私の願い事はね、家で飼ってる犬が、早く芸を覚えることかなあ!」
なんだよ、それ。
先程まで電車をガタガタさせてた例のヤツが、急に電車の速度を上げ、彼女と俺の距離を離した。そして、天上からゲラゲラと嘲笑う。
俺は心の中で天に向かって中指を立て、冷静さを取り戻しながらも、半分怒った愛想笑いを彼女に見せた。
やっと電車のスピードが落ちてきて、落ち着いて話が出来ると思った瞬間だった。
「じゃ、私ここで降りるから! また明日ね」
彼女は颯爽と電車のドアからホームへ降りて、手馴れた手つきで改札を抜けていった。
なんでこんな疲れ切った身体にとどめを刺すようなことをしてくるんだよ……。
過去最高に格好悪い、恥ずかしい、情けない、そんな体験をした。
俺は、二度と甘い期待をしない、強い男になろうと思ったのだった。
七夕について主人公と同じ目線で書きました。感想などありましたらお待ちしております。