魔王との対話
燃える夕陽を背に、巨大な渓谷の前で義夫たちは立ち止まっていた。
そこは、魔族の領土――深紅の断崖。
「この先が……魔王の居城か」
カリナが盾を構え、警戒を強める。空気が重い。ただ立っているだけで、肌がピリピリと焼けるような緊張感があった。
「戻るなら今のうちよ」
ミリアが冷静に言うが、誰一人として下がらなかった。
「冗談。ここまで来て、今さら引き返す奴いないだろ?」
義夫が笑う。その軽さに、全員がほんの少しだけ肩の力を抜いた。
そのときだった。
空が割れるような音と共に、巨大な黒翼の影が舞い降りた。
「迎えに来た。ザイヴァ様が、お前と話をしたがっておられる」
そう告げたのは、かつて一度遭遇した魔王軍の四天王――エルシア=ミュレア。堕天族の美女であり、魔王の側近にして中立的存在だ。
「へぇ、意外と歓迎ムード?」
「勘違いしないで。これは好奇心よ。あなたが何者か、魔王様は確かめたいだけ」
エルシアに導かれるまま、義夫一行は魔王城の奥へと足を踏み入れる。
広間に通された義夫の前に、ようやく本物が現れた。
――魔王、ザイヴァ=ノル=アーク。
その姿は人間のようでありながら、背に黒く染まった魔素の触手のようなものが蠢いている。眼差しは深海のように冷たく、同時に温かさもあった。
「来たか、境界の者よ」
「……あんたが、魔王」
「そう名乗るようになったのは、必要に迫られてのことだ。悪として在ることで、人の世界と隔たりを保ってきた」
「でも、本当は違うんだろ?」
義夫の問いに、ザイヴァは静かに頷いた。
「この世界は、限界を迎えつつある。資源も、命も、感情すらも枯渇しつつある」
「だから壊す?」
「いや――再構築する。魔族と人間の争いを終わらせ、新たな秩序を築く。それが我が望みだ」
それは、理想だった。
けれど、理想だけで世界は動かない。義夫はわかっていた。
「それって、結局誰かが犠牲になるんじゃねーの?」
「犠牲を最小限にする方法を、我は模索してきた。だが、人は理解しない。魔王という存在がある限り、彼らは変わらぬ」
ザイヴァは義夫を見つめた。
「だからこそ、お前に賭ける。お前ならば、人と魔の境界を越えられる。誰よりも、わからないから始めることができる者だ」
その言葉に、義夫の心がざわついた。
こいつは――本気で世界を変えようとしている。
「俺が……鍵ってわけか」
「選べ、義夫。お前が我と共に歩むなら、共に未来を作ろう」
選択を迫られる、その時。
「勝手に話進めてんじゃねぇぞ!」
扉が破られ、怒声と共に現れたのは――王国軍の勇者、ベルン=ゲイルだった。
「魔王と話すなんて、貴様、裏切り者か!?」
義夫の眼が鋭く細まる。
「……ああ、やっぱ来たか。めんどくさいタイミングで」
「魔王と結託するなど……勇者の名が泣くぞ、佐藤義夫!」
ベルン=ゲイルの剣が、怒りと正義の名のもとに義夫へと振り下ろされる。
「……話を聞けっつってんだろ」
義夫は跳ねるように身をかわす。その動きは以前よりも鋭く、迷いがなかった。目が覚めていた。
「お前、前に比べて――速いな?」
「成長期なんだよ、俺も」
義夫が手にしたのは、魔族の鍛冶師に手入れしてもらった短剣。王国製のような輝きはないが、手に馴染んでいた。
「お前、俺の何を知ってんだよ。最初から失敗作扱いして、偽物って決めつけて……それで世界が守れるのか?」
「黙れ! 魔族に与する者に正義はない!」
ベルンの剣が再び振るわれる。その一撃を、義夫は真正面から受け止めた。短剣が折れそうになるが、踏みとどまる。
「違うだろ。正義ってのは、やってみて、それから考えるもんだろ!」
ザイヴァが静かに目を細める。
「……それが、お前の在り方か」
その瞬間、ベルンの背後から音もなく影が現れた。黒衣の四天王――ノワール=ヘルグリムが、無言で剣を抜く。
「貴様……!」
カリナが間に割って入り、盾で斬撃を受ける。
「まだやる気か、ノワール……!」
「我らが主に手を挙げる者、すべて敵。それだけのこと」
戦場は一気に混迷へと変わる。ミリアは魔力を練り、ランスは影に潜って動き出す。小規模ながら、戦争が始まった。
義夫は、剣を握り直した。
「ザイヴァ! あんたの言ってること、全部信じるってわけじゃない」
「……ほう?」
「でもな、一つだけわかる。やってみる価値はあるってことだけは、確かだ」
そう言って、義夫は背を向けた。
「まだ俺は、どっちにもつかねえ。つくとしたら、自分自身の信じた方だ」
「その選択、我は尊重しよう。境界の者よ」
ザイヴァは、初めて微笑んだ。
「生きて帰れよ、義夫。世界は、まだお前を知らない」
戦いは混沌のまま、幕を引いた。義夫たちは辛くも戦場を離脱し、深紅の断崖を後にする。
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夜の森で焚き火を囲みながら、義夫は仲間たちに言った。
「世界が変わるかどうかなんて、正直わからない。でも……」
「やってみなきゃ、わからないってことだけは、本当だからな」
パチパチと音を立てて燃える火の中、義夫の眼には、確かな決意があった。




