パーティーの過去と、義夫の疑問
それは、いつもの夜だった。
依頼帰りの足で、町の宿に戻り、いつもの席で、いつもの料理を囲む。木製のテーブルの上に湯気を立てるシチューの香りが広がると、俺はちょっとだけ、世界に馴染めてきた気がした。
「義夫、今日は斥候の動きも手伝ってくれて助かった。飲み込みが早いな」
そう言ったのはランス。皮肉屋な彼からの素直な言葉に、少しだけ照れた。
「まあ、やってみなきゃわかんねぇからな!」
「お前のそのノリ、嫌いじゃないわよ」
ミリアがシチューを口に運びながら、珍しく肯定する。
ふと、カリナが静かに視線を落とした。
「……あんたたちさ」
俺はスプーンを止めた。
「前から気になってたんだけど。なんで、こんな強いのに、今みたいな隅っこで活動してんの?」
3人は顔を見合わせ、わずかに沈黙が流れた。
「強いか……皮肉だな」
ランスが笑ったが、その目に冗談の色はなかった。
「俺たちは、ただの訳ありだ。国家に嫌われ、居場所を失くした連中の集まり」
言葉を選ぶように、カリナが口を開いた。
「私は、王国の聖騎士団にいた。部隊長まで任されていたわ。でも、魔族の子供を庇って命令違反を犯した。その瞬間、全てを失った」
その手には、未だ手入れされた聖騎士の指輪が残っていた。
「私は……魔王の娘よ」
ミリアの言葉に、スプーンを落としそうになった。
「えっ」
「ハーフだけどね。母は人間。だから人間社会で暮らせる。でも、正体がバレたら最後。どこにも居場所なんてない」
「で、俺は貴族の嫡男だった。けど、政敵にハメられて反逆罪。今じゃお尋ね者さ」
3人の話を聞き終えて、俺は思わず言った。
「……でも、お前ら普通に強いし、いい奴らじゃん」
皆が黙った。
「過去がどうあれ、今のお前らは立派だろ。過去のミスで一生不幸って、おかしくね?」
「理想論だな、義夫」
ランスの言葉。でも、それは否定ではなかった。
俺はそこで、ずっと胸の中で引っかかっていたことを口にする。
「なあ。魔族って、本当に悪なのか?」
ミリアがわずかに目を見開く。
「魔族と戦ってきた人たちもいる。被害を受けた人もいる。だけど、それって全部、俺らの常識だけの話じゃないのか?」
「……何を言いたいの?」
「魔王って、ほんとに世界を滅ぼそうとしてんのか?」
誰も答えなかった。ただ、空気が、変わった。
「……この世界の当たり前を疑うのは、異邦人の特権かもね」
ミリアが、ぽつりと呟いた。
そしてカリナが静かに言った。
「義夫。あんたのそういうとこ……本当に厄介で、でも救われるわ」
その夜、パーティーの誰もがなかなか眠りにつけなかった。
宿の二階、狭い個室のベッドの上で、俺は天井を見つめながら考える。
この世界は、白と黒では割り切れない。善と悪の境界が曖昧で、立場によって正義も変わる。
……それでも。
「やってみなきゃわかんねぇよな」
呟いてみる。誰に聞かせるでもなく、ただ自分に言い聞かせるように。
その時、ノックの音がした。
「起きてるか?」
扉の向こうから聞こえたのは、ランスの声だった。
「ああ、入っていいぞ」
扉がきしみを立てて開き、ランスがいつもの飄々とした顔で入ってきた。けれど、その目にはわずかに真剣な色があった。
「お前さ、今日の魔王って悪なのか?って話、あれ本気か?」
「ああ。だって、話も聞かずに決めつけるのって、なんか違うだろ?」
「……そんなこと言ってられるのは、お前が知らない側だからだよ」
ランスの声が、低くなる。
「俺の兄貴は戦場で死んだ。魔族の奇襲で部隊ごと焼かれた。母親は泣き崩れて、家は没落。……それでも、魔族にも事情があるって言うのか?」
俺は何も言えなかった。
「……でもな」
ランスが目を伏せた。
「もし、お前の言葉を昔の俺が聞いてたら……たぶん、殴ってた。でも今なら、少しはわかる。世の中、単純じゃないって」
それが、精一杯の譲歩だった。
「ありがとな、ランス」
「礼を言うのはまだ早い。……お前が言う共存の可能性ってやつ、ちゃんと証明してくれ。口だけじゃなくてな」
「上等だ。やってみせるよ、俺は」
ランスが苦笑いを浮かべて部屋を出ていった。
その夜の会話は、確かに何かを変えた気がした。
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翌朝。
朝食の席で、カリナが静かに話し出した。
「今日、北の廃教会跡に行こうと思う。報酬は少ないけど、情報屋から聞いたの。最近、魔族の痕跡があったって」
ミリアが眉をひそめる。
「また魔族絡みか……」
「放っておけば、また誰かが巻き込まれるかもしれない。そうなる前に確認したいの」
カリナのその言葉には、どこか私的な情念が混ざっていた。
「行こうぜ。俺も気になる」
俺が言うと、ミリアとランスも無言で頷いた。
それは、訳ありだった彼らが、それでも前を向いて進もうとする意志の現れだった。
廃教会跡は、森の奥深くにひっそりと存在していた。
かつて聖教会の巡礼地だったらしいが、今は壁が崩れ、天井には大きな穴。野鳥の鳴き声すら消えるほどの静寂が支配する空間だった。
「……これは」
カリナが足元の石板を見て、息を呑んだ。
そこには、古代語で書かれた魔法陣の痕跡と、魔族の紋章が刻まれていた。
「なあ、これ……召喚陣じゃないか?」
俺が指差したその中心に、微かに赤黒い残光が残っていた。
「誰かが……最近ここで、何かを呼び出した?」
ミリアの声が震える。
そのとき、崩れた聖壇の裏から、気配を感じた。
「誰だ!」
カリナが盾を構え、ランスがナイフを抜く。
そして現れたのは、幼い魔族の少女だった。
怯えた目でこちらを見つめ、震えている。両腕には擦り傷、服も破れている。
「子供……?」
カリナの動きが止まる。
その瞬間、俺は理解した。
この子が、カリナの過去の原点なんだと。
言葉を失うカリナの横で、少女が小さな声で言った。
「こわく……ないの?」
その声に、俺は微笑みを返す。
「こえーに決まってんだろ。でも、まずは話してみなきゃ、何もわかんねぇだろ?」
その言葉に、少女がぽろぽろと涙をこぼした。
――何も変わらない日常の中で、俺たちは確かに何かを掴み始めていた。