番外編 ディーノ・グラスの説得
数日前グラス伯爵宛に、伯爵領の領主代理として領地を任せている次男のディーノから、結婚したい人が出来たと手紙が届き、詳しく話を聞くため彼を王都のタウンハウスに呼び出すことにした。
ディーノは女性に関心はなく、直接令嬢を紹介したり何度も見合いの話をしたが全く興味を示さずにいた。
グラス伯爵はディーノの心を射止めた女性に興味を持たずにはいられなかった。
ディーノがタウンハウスに帰宅し、挨拶もそこそこに伯爵は妻を伴って応接室で彼の話を聞くことにした。
「ディーノ、結婚したい女性とはどちらの家名のご令嬢なんだ?」
「····母上はよくご存じかと···カミラです」
伯爵夫人は嬉々とした様子だった。
「家名は?どこの娘さんなんだ?」
「カミラは平民です。彼女の父親は一代限りの男爵位です」
「·······」
グラス伯爵は瞠目していた。
「ちょっと待てディーノ、私の所で留め置いているが君にはたくさんの家から縁談が来ている。その中のご令嬢では不服か?」
「はい、カミラ以外は考えられません」
「なんと···次男といえど我が伯爵家は貴族以外との婚姻など認めることなど出来ぬ」
「僕は、カミラの家の婿養子になります」
「なんだと!そんな勝手なこと!···許すわけがない!」
つかみどころのない笑顔のディーノと、興奮冷めやらぬグラス伯爵の会話は全く噛み合わないでいた。
「そうですね···では父上。カミラ以上のご令嬢がいらっしゃれば縁談に応じてもいいですよ。分かりやすくいえば義姉上以上のご令嬢ということになりますね」
「そんな娘など···この国では、なかなか···」
「では、カミラのことを調べて下さい。彼女が書いた学園の卒業論文を借りてきたので、どうぞお読みになってみて下さい。僕は三日程滞在しますのでそれまでにお願いします」
「了承した」
伯爵はディーノがテーブルに置いていった論文に目を向けた。
『領地民の識字率上昇による低下層の雇用の活性化が及ぼす領地経済の発展への影響について』
伯爵は論文の題名を見て息をのみ言葉を失っていた。
論文の題名に深く興味を持った伯爵は、執務室に戻りカミラの論文を読むことにした。論文の内容は教育、衛生、雇用、弱者への経済支援などの項目に分かれており机上の空論ではなく、具体的な内容に目が離せず、伯爵は食事もそこそこに時間を忘れて読み切った。
論文を読み終えた伯爵はディーノを執務室に呼んでいた。
「ディーノ、これは本当に彼女が書いた論文なのか?」
「はい、名前もちゃんとここに。カミラでしょ。こんな題材の論文を僕には書けるわけないです」
ディーノは論文の題名の下に書かれてある愛しいカミラの名前を優しく撫でるように指差した。
一気にカミラの論文を読み終えたグラス伯爵は論文を机の上に広げたままディーノに問いかけていた。論文には所々折り目が付いている。
「カミラの論文は素晴らしいものだ。しかし論文を読んだはずの教師たちから然るべき対応はなかったのか?」
「まぁ、教師たちは読んでいないと思いますよ」
「なっ、どうしてそんな扱いに」
「ああ、それはカミラが平民で女性だから···だと思いますよ」
ディーノの言葉に伯爵は両手を握りしめ片手で机を叩いた。
「教師の怠慢か?それならば私が学園長に一言注意せねばっ」
「父上、無駄ですよ。カミラはおそらく首席だったと思いますが、彼女の学業の評価は常に下位の方ですよ」
「·····」
「カミラの同学年に公爵令息がいましたし、成績表なんて爵位順のようなものです。成績が良くても平民は王宮の官史になれる訳もないし、就職には学園を卒業したという事実さえあれば良いという考えです」
「それでは学園の試験や成績表など意味がないじゃないか」
「はい、ですので少し話はそれますが、僕は平民になり一度自分の力を試してみたいのです。伯爵領代理は弟のモリスに譲り、僕はカミラの家で彼女の父親と一緒に暮らし、シエルバ伯爵領の商業ギルドで働くつもりでいます」
「いや、ちょっと待て、話が入ってこない」
伯爵は執務室の扉の近くで呆然と立っていた執事に「妻を呼んでくれ」と唸るような声で命じていた。
伯爵が夫人にディーノとの話の内容をかいつまんで伝えると
「まあ、いいではないですか。ディーノとカミラの子どもたちには、グラス家が持爵している子爵位を継がせましょうよ。ふたりの子どもたちならきっと優秀ですよ。今から楽しみで仕方ありませんわ。それに、グラス家でも奇才なディーノが貴族令嬢の婿養子になるなんて、いくらお金を積まれても我が家の優秀な頭脳を他家に渡すのは嫌ですわ」
伯爵と対照的に夫人とディーノは微笑みを交わしながら頷いていた。
「父上、母上、僕はグラス家に生まれてきたこと、三人も男子を生んでくれたことを、今はとても感謝しています」
「まあ、ディーノ。貴方から感謝されるなんて、これもカミラのお陰かしらね」
「·····」
確かに、今までのディーノから感謝の気持ちなど聞いたことがない。幼い頃からどこか冷めた顔をして何事にも無欲で無関心、ただ淡々と日々を過ごしていた子が、たった数ヵ月でこんなにも情緒ある息子に変わってしまうなんて···
唯一妻だけには頭の上がらない伯爵は、開き直ってディーノの結婚を祝福することにした。
「ディーノ、カミラさんを近いうち私たちに紹介しなさい。どんな娘さんなのか会って話がしてみたい」
「よかったわね、ディーノ。カミラなら大丈夫よ。きっとお父様も気に入ってくれるわ」
「父上、母上、ありがとうございます。是非彼女に会って下さい」
後日、伯爵夫人たちによってドレスアップされたカミラを見た伯爵は、気品と知性が溢れる彼女の佇まいに瞠目していた。
そしてディーノはカミラの美しいドレス姿見て、目を見開いたまま息をするのも忘れ倒れそうになっていた。
伯爵夫人とカミラのドレスアップに協力した侍女たちは、満面の笑みで伯爵とディーノの様子を見ていた。




