4 シエルバ伯爵邸
翌日になりリリアージュは使用人に案内してもらいシエルバ伯爵邸を見て回っていた。
伯爵家自慢の図書室には外国語で書かれた本もたくさんあり、代々伯爵家当主の教養の高さが感じられる。
古書だけでなく、流行の小説なども充実していて、細やかな本の管理が行き届いていた。
「明日からは早速伯爵家に教師がお見えになり、伯爵夫人としての勉強が始まります。息抜きにどうぞ図書室をお使い下さいませ。本をお部屋にお持ちになっても結構です。ご希望の本がございましたら、遠慮なく使用人にお申し付け下さい」
「お気遣いありがとうございます」
「奥様、私たち使用人に丁寧な言葉は不要でございます」
「分かったわ。気をつけるわね」
「奥様はお優しい方ですね」
使用人は微笑み丁寧に頭を下げた。
最後に庭園と温室を案内してもらった。
季節の花が咲く庭園は軽く散歩するのに丁度良い広さだった。
庭の東側に四阿もあり、季節によっては花を愛でながら軽食やお茶を楽しむのも気持ちがいいだろう。
隣には小さな温室があり貴重な品種の花やランなどが植えられてあった。
春になったばかりの少し肌寒い今日みたいな日は庭園を歩いた後、温室のソファーでひと休みして癒されるのも楽しみのひとつになりそうだった。
実家の男爵家など物置小屋に感じられる程、伯爵家の邸は広い。広くて豪華だ。豪華といっても調度品は華美ではなく上品で洗練されたものばかりだった。
流石名門の伯爵家の邸である。
エクウスはリリアージュがゆっくりと過ごせるように、朝食と昼食は部屋に運ぶように使用人に言い渡し、夕食は二人で取る約束をしていた。
執務を早めに切り上げたエクウスは、リリアージュとの夕食を楽しみにしていた。
エクウスは控えめで清楚なリリアージュに好感を持っていた。
夕食の時間になりエクウスはリリアージュを自室まで迎えに行った。
婚約期間中でもあるので、彼女の部屋はまだ客室にしていた。
リリアージュは迎えに来てくれたエクウスのエスコートを受け、食堂に向かった。
初めて男性のエスコートを受けるリリアージュは恥ずかしくて下を向いてしまった。
「顔が赤いようだが、体調は大丈夫かな?」
エクウスが優しく言葉をかけてくれた。
「は、はい。大丈夫です。男性にエスコートされるのが初めてなので、緊張してしまって···」
エクウスは真っ赤な顔のリリアージュに、
「私も緊張しているよ」
と言って微笑んでくれた。
優しいエクウスの言葉にリリアージュは少し緊張が和らいだ気がした。
高位貴族である伯爵家の女主人としての教育は多岐にわたっている。
特に社交場において話相手の領地の情報や家族構成などは大切なことであった。
言葉に気をつけ相手に悪い印象を与えてしまうと、今後の取引などに影響してしまうこともある。
足の引っ張り合いとまではいかなくても、商売を行なう上で、同じような商品や作物などを取り扱っている者同士の仲は良くない。
相手の情報を探りつつ、付かず離れずの距離感を保つ。
領地経営をするのは夫であるが、社交場で妻が仕入れた情報で、得られる利益が大きく左右されることもある。
社交場においての妻の言動や情報収集は侮れない。下級貴族出身のリリアージュは伯爵夫人としての高度な会話術を身につける必要があった。
今まで社交場など高位貴族のご婦人たちの集まりに出席したことがなく、腹の探り合いをするような会話をしたことのないリリアージュにとって、歴史や地理、読み書きや算術を学ぶよりもはるかに難易度が高かった。
伯爵家の家事については執事長や経理担当の使用人たちの助言で、少しずつ執務に携わっている。使用人たちの給料や待遇、伯爵邸を維持するための経費、食材や備品などの費用、孤児院や教会への寄付等、男爵家に比べて金額も経費の種類も多い。
伯爵家の使用人たちに親切に接するリリアージュは彼等と打ち解けるのも早かった。分け隔てなく誰にでも労いの言葉をかけるリリアージュに使用人たちは信頼を寄せていた。
エクウスは執務の合間にリリアージュを訪れ、勉強の進み具合や体調を気遣ってくれていた。
やがて結婚式の日が訪れた。
婚約期間は短かったものの、早くから伯爵家に滞在していたので、リリアージュの部屋を客室から伯爵夫人の部屋に移すくらいで、使用人たちも慌てることもなく結婚式の準備に集中することができた。
結婚式はリリアージュの希望を叶える形で、シエルバ伯爵領内の教会で行い、披露宴も伯爵邸で身内だけの質素なものになった。
エクウスは王都で有名な大聖堂で式を挙げる事を望んでいたが、リリアージュは伯爵家の妻になるのだからと、シエルバ伯爵領の教会でとこだわった。
招待客は身内だけだったが、近くに住む領民たちは遠巻きに新郎新婦を見にやって来ていたので、教会の回りはちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。新郎新婦が現れると割れんばかりの歓声が上がった。
領民たちに新婦を御披露目出来たことに、エクウスも悪い気はしなかった。
貴族の結婚式の新郎新婦になど、なかなかお目にかかれないシエルバ伯爵領の領民たちは、心からエクウスとリリアージュを歓迎しているようだった。