3 リリアージュの縁談
「お父様、私はもう成人していますし、持参金がなくても良いのなら喜んで嫁ぎます。高位貴族のシエルバ伯爵様にはご迷惑をかけないように精一杯尽くさせていただきます」
シエルバ伯爵から縁談を打診され、娘に告げたメディウム男爵は、リリアージュの言葉を聞いて胸を撫で下ろした。
伯爵の四度目の結婚に難色を示すかと思えば、家族や領民のことを考えてくれる娘が誇らしく思えた。
「リリアージュ、どうしても駄目になったら、いつでも私に言いなさい。君の帰って来る場所はここだからね」
「ありがとうございますお父様、でもきっと大丈夫です。シエルバ伯爵様の奥様はご病気で離婚されたようですもの。私はこの通り健康ですから」
「あなた、リリアージュを信じましょう。嫁ぎ先がみつかってよかったですわ。困ったことがあればいつでも母の私に相談するのですよ」
「ありがとうございます、お母様」
「僕だってお姉様の味方です」
「まあ、ありがとうルーカス。とても心強いわ。お勉強頑張ってね」
五つ下の弟のルーカスは胸を張って姉に話し大きく頷いた。
メディウム男爵は頭の中の不安を打ち消し、家族でリリアージュの縁談を祝うことにした。
数日後リリアージュは、シエルバ伯爵家に婚姻の返事をして帰宅した父に、執務室に来るように呼ばれた。
「リリアージュ、婚約の件だが、結婚式は三ヶ月後に決まったよ。伯爵家に慣れるために婚約が整い次第、君の都合でいつからでも屋敷に住んでいいそうだ。シエルバ伯爵様はまだ跡継ぎがいないからね。少しでも早く結婚したいのだと思うよ」
「わかりました。奥様がご病気でしたから仕方のないことですね。えっと···私···お父様に一つお願いがございます」
「なんだい?私にできることは何でもするよ」
「実は、嫁ぎ先に本を持って行きたいのです。女性が勉強するのは好ましくないと思いますが、伯爵様には見つからないようにいたしますので、どうかお許し下さい」
「ああ、それなら念のために本の表紙を変えて持って行くといいよ。シエルバ伯爵様は狭量な方ではないから見つかっても咎めることはしないと思うよ」
「ありがとうございます」
リリアージュは本を持って行くことを許してくれた父に感謝していた。
リリアージュはまだ会ったこともないシエルバ伯爵様の事を、悪いように言わない父親の事を信用していた。
シエルバ伯爵様は良い人なのかもしれない。
リリアージュはシエルバ伯爵家に慣れるために、二週間後に実家のメディウム男爵を出発することにした。
シエルバ伯爵家とメディウム男爵家は近く、馬車で半日もあれば着いてしまう。
リリアージュは弟のルーカスを宥め、手紙のやり取りと、伯爵様には外出許可をもらいたまには実家に帰って来ることを約束していた。
母はリリアージュの手を優しく握った後、お祖母様の形見であるペンダントを首にかけてくれた。
朱色の珊瑚をお花の形に細工したひと粒のペンダントはとても愛らしい物だった。
リリアージュは珊瑚のお花を掌に乗せいろいろな角度から見ていた。
「お母様ありがとうございます。大切にいたします」
リリアージュは満面の笑みで母にお礼を言った。
「リリアージュ、結婚しても貴女が私の娘であることには変わりありません。本当にどうしようもないと思ったら私に必ず相談しなさい。大きな声では言えないけれど、旦那様の愚痴ぐらいならいつでも聞きますよ」
母は笑って答えると「一緒に暮らせば色々なことがあるのよ」と口元を右手で覆い囁いた。
リリアージュは小さく頷いた。
リリアージュは、自分の恋愛感情に関係なく男爵家や領民のために結婚するのが、貴族の娘としての義務だと思っていた。
この国の一般の貴族の家庭では、表向きだけは仲睦まじく振る舞い、夫婦はそれぞれ愛人を持ち、子どもは乳母が育て、衣食住を与えるだけの希薄な人間関係の家族が多数だった。
メディウム男爵家は異質だった。
夫婦仲は良く家族でのおでかけや歓談、食卓は家族で囲みとても穏やかな家庭だった。
それぞれが思いやり信頼している。
男爵家の家族の誰もがそう思っていた。
二週間はあっという間に過ぎ、両親に育ててもらったお礼を言い、ルーカスを抱きしめ、リリアージュは新しい生活に向けて責任と希望を持って、シエルバ伯爵家に向かった。
伯爵邸に着くとエクウスが執務室から出てきて、リリアージュを玄関まで迎えに来てくれた。
「メディウム嬢、我が邸にようこそ」
「伯爵様自らのお出迎え痛み入ります。お初にお目にかかります。わたくしはメディウム男爵家の娘、リリアージュでございます」
リリアージュはカーテシーをして挨拶をした。
「私が貴女の夫になるエクウス・シエルバだ。明日にでも使用人に邸の案内をさせよう。今日はゆっくり部屋で休むといい。食事も部屋に運ばせよう」
「お心遣いありがとうございます」
「伯爵家にはゆっくり慣れてくれれば良い」
リリアージュは初対面にもかかわらず、気づかいをしてくれるエクウスに好感を持った。