36 バンスの家族
シエルバ伯爵家で代々執事として仕えてきた家門の者を代表し、長年勤勉に仕事をしてきた父が、退職後に再び呼び出された事に不安を感じていた娘のカミラは、迎えの挨拶も上の空になり父バンスの言葉を待っていた。
「カミラ、エクウス様が君の学園時代の成績を高く評価されて、君に執事の仕事を任せたいそうだ。だが、幼い子どもたちはまだ手がかかる。働くことになれば、シエルバ伯爵邸に住み込みとなるが、ディーノが帰ってきたら三人で話をしないか?」
「私にそんなお話が···私は子どもの頃からお父様の仕事を尊敬しておりました。私がっ···私が男だったらと、いつも悔しい思いをしてきました。女には役に立たないと揶揄わられてもたくさん勉強してきました。私···やってみたいです。執事をやらせて下さい。夫は必ず説得します」
「そっ、そうか」
バンスは上気して顔を赤く染めた娘のカミラを見ながら、カミラの夫のディーノに申し訳なく思っていた。娘は言い出したら聞かない。ディーノには折れてもらうしかあるまいと、バンスは小さな溜め息を漏らしていた。
ディーノの帰宅後バンスは娘夫婦と共に夕食をとり孫たちを寝かせると、大人たちだけで話し合うことになった。
「お義父上、私はカミラの夢を叶えてあげたい。しかし彼女の性格を考えると仕事にのめり込み、子育てという母親として大事な仕事が疎かになってしまいます。幼い子どもたちにさみしい思いはさせたくありません」
「···うむ」
バンスはカミラの性格を見抜ている婿に感服していた。
「私の勝手な考えなのですが、叶うならシエルバ伯爵家で私も一緒に働かせていただきたいのです。私がカミラを補佐することによって、彼女に母親としての子育てと執事としての仕事を両立させてやりたいと願います」
「ありがとう、あなた」
カミラは目を潤ませ頬を染めてディーノの手をとった。ディーノは頷き手を握り返した。
やれやれ私が案ずる事はないか···と思いを巡らせたバンスは一息つき、
「わかった。エクウス様に条件を出してみよう。こちらからの申し出を叶えていただければ良いお返事をしよう。ディーノ、君は今の仕事を辞めても悔いはないのか?」
「問題ないです。カミラの役に立てるのなら···商業ギルドの事務仕事の代わりなど誰にでも出来ますよ。カミラの代わりはいませんから。私はカミラと子どもたち以外に大事なものなどありません。あっ、もちろんお義父上もですよ」
「···わかった」
バンスは学園で首席だった優秀なディーノが、カミラにベタ惚れし、彼の才能を無駄遣いさせてしまっているのではないかと悩ましく思った。
早速翌日に先触れを出し、バンス一家はシエルバ伯爵家を訪れた。エクウスは快く一家を迎え入れ、子どもたちを侍女たちに預け、バンスと娘夫婦を応接室に招き入れた。
「バンス、良い返事を期待して良いのかな」
エクウスは家族全員で訪れたバンスに笑みを溢していた。
「はい。ただ、娘には幼い子どもたちがおります。私ひとりでは手が行き届きません。子育てを疎かにするわけにもいかず···誠に勝手な申し出とは思いますが、娘の補佐として娘婿のディーノ共々お雇いいただけると交代で子育てと執事の仕事が出来ると思います」
エクウスはバンスの思いもよらなかった申し出に少し戸惑い、バンス一家の手元の資料を確認した。
「はっ?ディーノ?グラス伯爵家の次男?君のような優秀な貴族令息がバンスの娘婿なのか?確か君は商業ギルドで事務の仕事をしていたと思うが?」
「はい、シエルバ伯爵さま。発言をお許し下さい」
エクウスは瞠目し手元の資料と目の前のバンスの娘婿を交互に見て頷いた。
「確かに私はグラス伯爵家の者でしたが、今はバンス様の義理の息子でございます」
「ディーノ殿、グラス伯爵家の次男なら高位の貴族たちから婿入りの話がたくさんあったのでは?」
「あったでしょうね。···でも私はカミラが一番なんです。彼女はとても美しく聡明な人です」
貴族の常識から外れたディーノの潔い考え方にエクウスはしばらく呆然としていた。
「···バンス」
「はい。ディーノは娘を溺愛しております」
「···」
戸惑いながらバンスに助けを求めるように彼の名を呼ぶが、エクウスはディーノの言葉がまだ呑み込めずにいた。
「ディーノ殿がカミラの補助とは···これはまた···んー」
エクウスは独り言を言いながら左手を額にあて上を向いたまま考えを巡らせていた。
「了承した。ただ、今までのように執事も侍女も長を設けずに仕事をしてもらうことになった。週に1度の話し合いで業務を分担することなる。ディーノ殿とカミラは二人とも執事として仕えてくれ。子育てについては出来るだけ配慮し侍女をつけ補助しよう」
「えっと」
カミラが漏らした言葉にエクウスは、
「何か、疑問でも?要望があれば遠慮はいらない」
「お、恐れながら。私たちにとってこんなにも好条件で雇いいれて下さるのかと」
「まだ、給金の話はしてないが···」
エクウスは冗談を言うように話した。
「給金の要望などございません。シエルバ伯爵家に仕えるのは家門の誇りです」
「バンス、···自慢の娘夫婦だな。では早速、我邸の離れに住まいを移す手配をしてくれ」
「かしこまりました」
バンスと娘夫婦は立ち上がり各々主人に仕える令の姿勢をとった。




