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30 小さな出会いと別れ

 エミリと呼ばれている小さな女の子はずっとアビーの世話をしてくれていた。

 食べ物や飲み水を小さな匙で掬いせっせと口に運んでくれた。寝床を整え砂を敷き詰めた桶の排泄物もいつも綺麗にしてくれていた。


 エミリはアビーのことをルルと呼んでいた。

 リリアージュのことを忘れたわけではないが、アビーはエミリと一緒にいることが心地よかった。夜はエミリと一緒に寝ていた。


 アビーがエミリ母娘に助けられてから約半年が経っていた。

 街道は前日からの大雨で道が泥濘み、その中で何台かの馬車の車輪が嵌まり立ち往生していた。

 エミリと街道の側を散歩中に通りかかったアビーは一台の馬車が目に留まった。

 メディウム男爵家の馬車だ。そこにはメディウム男爵夫人が乗っていた。匂いも間違いない。


 アビーはエミリに「にゃーん」と鳴くと一目散にメディウム男爵夫人の元に駆けていった。

 エミリも走りアビーに追い付いた。

「まあ、あなた。良かったわ元気にしてたのね」

 メディウム男爵夫人は両手を広げ、駆け寄ってきたアビーを抱き締めた。


「ルルはおばさん家の猫ちゃんなの?」

 エミリは涙声になっていた。

「お世話をしてくれてありがとう。猫を連れて帰りたいのだけど、いいかしら?」

「うわーん」

 エミリはとうとう泣き出してしまった。


 娘の泣き声を聞いたエミリの母親が慌てて走ってきた。

 貴族女性に失礼があったら、大変な事になってしまうと思ったエミリの母親は顔面蒼白だった。

「申し訳ございません」

 エミリの母親は大きな声で謝罪し、地面にひれ伏した。


「お顔を上げてくださいな。何もありませんよ。猫のお世話をしてくれてありがとう。この猫はうちの娘がとても大切にしていた猫なんです。それより、こちらこそ娘さんを泣かせてしまってごめんなさい」

 メディウム男爵夫人はアビーを撫でながら、エミリの母親に優しく声をかけた。


「···はい」

 エミリの母親は小さく返事をし立ち上がり、エミリを抱き締め頭を撫で、貴族に対し失礼がなかったようで安心した。

「猫を連れて帰ってもいいかしら?改めてお礼をしたいから、あなたの名前を教えてくれる?」

「お礼なんてとんでもないです。猫はどうぞお連れくださいませ」

 エミリの母親は遠慮がちにうつ向いた。


「そう···」

 メディウム男爵夫人は使用人に紙とペンを用意させ、自分の名前を書いた紙と銀貨数枚を包みエミリの母親に渡した。

 エミリの母親は手の中の重みに目を見開き、メディウム男爵夫人の方を見たが、夫人は彼女の顔を見て優しく微笑んだ。

 エミリの母親は涙を滲ませ深く頭を下げた。


「猫に会いたくなったら、お母さんと一緒に家を訪ねてちょうだいね」

 メディウム男爵夫人はエミリの目線になって優しく語りかけた。

「遊びに行ってもいいの?」

「ええ、もちろんよ。きっと猫もあなたを待ってるわ」

 泣き止んだエミリにメディウム男爵夫人は笑顔で答えていた。

「バイバイ、ルル。また会いましょうね」


 馬車の車輪が泥濘から出たので、男爵夫人はアビーを抱いて馬車に乗り込んだ。

「アビー、一緒にメディウム男爵領に帰りましょう。今日はリリアージュのお墓にお参りに行った帰りだったの。来月は一緒にリリアージュの所に行きましょうね」


 アビーは男爵夫人の膝の上で大きな欠伸をしたあと、メディウム男爵家に着くまでずっと眠っていた。リリアージュに似た匂いのする温かい膝の上で安堵し彼女のことを思い出していた。


 メディウム男爵家に着くとアビーは馬車から飛び降り、玄関の扉が開くと同時にリリアージュの部屋まで走って行った。

 アビーはリリアージュの部屋の前でじっと男爵夫人を待っていた。

 男爵夫人はリリアージュの部屋の扉を少し開けて置くように使用人たちに申し付けた。

 アビーは殆どの時間をリリアージュの部屋で過ごし毎日ソファーで眠っている。


 アビーがメディウム男爵家に来てから約1ヶ月が経ち、男爵夫人と共にリリアージュのお墓参りに出掛けた。

 リリアージュのお墓に初めて訪れたアビーはじっと墓石を見つめ座っていた。

 男爵夫人が教会の中に入り、神父と話をしている間もアビーはずっとそこから離れることはなかった。


「アビー帰りましょう。帰りにあなたのお世話をしてくれていた母娘に会いに行きましょう」

 アビーは驚いたようにピクリと耳を動かし、男爵夫人夫人の足元に寄って来た。


 男爵夫人はアビーの世話をしてくれた母娘のことを秘密裏に調べさせていた。


 最初は親子三人で仲睦まじく暮らしていたらしが、一年程前に父親が疫病で命を落とし、母娘だけの暮らしになっていた。幼い娘は疫病に臥す父親の最期に立ち会えなかった。

 母親の身元は没落した男爵家の三女、父親はその男爵家の騎士だった。母親は元貴族だった。


 男爵家は没落後一家離散していた。両親は既に他界し、母親の姉たちはそれぞれ他家に嫁いでいるが、未婚の妹の面倒までみる余裕がなく、元々幼馴染みで仲のよい男爵家の騎士が三女を娶ることになり、娘を授かり平民に身を落とし家族で暮らしていたようだ。


 父親は臨時の傭兵の仕事や力仕事などで家族を養い、母親は家の近くにある宿屋兼食堂の手伝いをし家計を支えていた。

 少女は母親と一緒に仕事場にきていたようだが、ひとり淋しい思いをしていた。

 アビーを見つけ孤独な少女の心の拠り所になっていたのだろう。近所の人達は熱心に猫の世話をしていたことを語ってくれた。


 メディウム男爵夫人は母娘の状況を聞き、アビーを連れて帰ってしまったことを心疚しく思っていた。

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