25 不慮の事故
エクウスは酒場から男が去った後もしばらく酒をのみ、男との最後の話題に考えを巡らせていた。
酒に酔い、いつの間にかうたた寝をしてしまったエクウスは、酒場の店主に声を掛けられハッとした。
会計を済ませ店を出る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
待機していた護衛は御者に馬車を回すように報せた。シエルバ伯爵邸に到着するのは夜中になるだろう。シエルバ伯爵領は比較的治安は悪くはないが、宿の手配が出来ていないので、不安はありつつもこのまま馬車を走らせ伯爵邸に帰るしかなかった。何よりエクウスが帰宅を希望していた。
護衛の1人は先に馬で駆け、伯爵邸に主が帰宅する旨を伝えに行った。
エクウスが伯爵邸に着くと遅い帰宅時間にもかかわらず、執事長と侍女長など十数名が玄関ホールで出迎えに出ていた。
「旦那様、お帰りなさいませ」
「奥様は体調が優れず寝室にいらっしゃいます」
トニーは自室に向かうエクウスに囁くように報告した。
深夜の帰宅になったので、いつもなら冷静に受け流していたが、今日は酔っているせいか、エクウスは妻が出迎えなかったことに無性に腹がたった。酒場での男の話がよみがえった。
「わかった」
エクウスは頭に血が上っていった。
――バーン
エクウスは夫婦の寝室の扉を乱暴に開けると妻に向かって声を荒げた。
扉を開ける音に驚いたリリアージュはベットに上体を起こし立ち上がろうとしていた。薄暗いランプの中で彼女は青白い顔で窶れて見えた。
「子どもの産めない女など不要だ。今すぐに出ていけ」
酒に酔っているエクウスに逆らっても仕方がないと思っているリリアージュは「かしこまりました」としか言えなかった。朝になれば冷静になった彼と話をしてみようと。
「地味で陰気なおまえの実家の援助も今日で打ちきりだ。ははははは」
「···はい」
リリアージュはエクウスの酔いと怒りが収まるまで素直に従うしかなかった。
エクウスはリリアージュの顔色の悪さと痩せている姿を見て息をのみ、たじろんだ。
リリアージュは酒に酔い足元が覚束ないエクウスを支えようと手を差し伸べた。
「触るな!」
と大きな声で、リリアージュの手を振り落とした。
「すみません」
「おまえの顔など見たくない」
そう言うとエクウスは、リリアージュの両肩に手を置き力任せに突き飛ばした。
強い力で突き飛ばされたリリアージュはベッドの脇にあるチェストの角で後頭部を強打した。
エクウスはリリアージュに振り向くこともなく、ふらふらとした足取りで自分の寝室に歩いて行った。
エクウスは自室の寝室に行きながら、
「トニー、私は直ぐに休む。明日は昼食時までは起こしに来ないでくれ」
エクウスは睡魔に襲われ、服を乱雑に脱ぎ捨て下着姿でベットに入った。
昼近くになりエクウスはしつこくドアをノックするトニーによって目が覚めた。二日酔いで頭痛と吐き気がし体調が悪い。
「なんだ!騒がしい!」
エクウスは唸るような声を上げた。
「旦那様。奥様が···。お目覚めになりません!」
トニーはガタガタと震え、声を絞り出すように言った。両手は固く握りしめてられていた。
「わかった。直ぐに行く」
異変を感じたエクウスは下着姿の上に側にあったナイトガウンを羽織り夫婦の寝室に向かった。
「これは···どういうことなんだ···」
言葉にならないような声を上げ、エクウスは両手で顔を覆い膝から崩れ落ちた。
リリアージュは後頭部から血を流し、ベットの脇にあるチェストにもたれ掛かるように息を引き取っていた。彼女の膝には猫が寄り添っていた。
「どうして?···どうして直ぐに知らせない!もう、昼ではないか!今朝は···ローザを呼べ」
エクウスはトニーに命令すると他の使用人たちを下がらせ寝室の扉を閉めた。
エクウスは立ち尽くし呆然としていた。ひとりになり昨夜の出来事について記憶を辿っていた。家に帰って来た記憶にあるものの、リリアージュと話をしたのか···ああ、確か出迎えに出てなかった彼女にひとこと言ってやろうと寝室に···まずい。
エクウスは震え出した。
「旦那様、お呼びでございますか?」
ローザはエクウスしか見ていなかったので、現状がわからず、いつもの調子で答えていた。
「ローザ、リリアージュの朝の支度をした者を呼んでくれ。トニーは主治医を迎えに行ってくれ」
「···」
「どうしたローザ、答えろ」
「朝の支度には誰も来ていません」
「なんだと!どうなっている?」
「奥様は、ご自分で支度をされるとおっしゃられたので···」
ローザはやっとチェストにもたれ掛かるように座り込んでいるリリアージュを見て、膝から崩れ落ちた。
「ああ···ああ、奥様、どうして···旦那様、申し訳ございません!」
ローザは真っ白になった顔を床に擦り付けエクウスに何度も謝罪していた。
「ローザ。お前は下がって自室で謹慎していろ!いいな!一歩も外に出るな!他言無用だ。逃げたらお前の家族共々容赦しない」
ローザは震える膝に手を当てなんとか立ち上がり、自室に下がった。
「旦那様、主治医をお連れしました」
「入ってもらえ」
ローザが退室した後エクウスはリリアージュを抱き抱えベッドに寝かせていた。
「奥様は早朝にお亡くなりになられたと思います。それと、どうやらご懐妊されていたようです」
主治医の診断を聞きエクウスは気を失ってしまった。




