⑦
なんだかとても嫌な夢を見ていた気がする。
夢の中の私は終わらない恐怖と快楽に気が狂いそうになっていた。泣きながら誰かにずっと「嘘つき、卑怯者」とひどい言葉を投げかけていた。
そんな私を──。
「浮かない表情ですね」
身支度の途中、鏡に映る私の表情を見てマリアが言った。自分では隠しているつもりだったが、どうやら上手くいってなかったみたいだ。
「……何だか怖くて、」
「怖い、ですか?」
「ええ。とても幸せなはずなのに、何だか不安で怖いの。もしかしたら、この幸せは全部夢なんじゃないかって…」
今朝見た夢のせいだろうか。私の言葉にマリアは少し考える素振りをみせた後、思いついたように言った。
「きっとそれは幸せ怖い病ですね!」
なんだその病気は。どうせマリアが勝手につくったものだろう、と呆れていれば、むくれた顔のマリアが鏡に映る。
「信じていませんね? 私が読んだ小説では──」
「また物語の話? 物語と現実は違うのよ」
「もう、お嬢様はすぐそう言いますけど、以前は私の話を信じてルーカス様の気を引こうとしたではありませんか。わざわざ記憶喪失のふりまでして」
「それは…」
マリアの言葉に思わず口をつぐむ。
以前、私はマリアが読んだ小説に影響を受け、『多忙なルーカスの気を引きたくて』記憶喪失のふりをした。まあ、結局、最初からルーカスにはバレていたのだけど。
「あの時のことを思い出すと、とても恥ずかしいわ。お父様とお母様にも全部正直に話すことになったし…あと、公爵夫妻にも」
「………たしか、ルーカス様と二人でお話しされたのでしたっけ。それにしても、旦那様と奥様はともかく、公爵夫妻がよくお嬢様の嘘を許してくれましたね」
「ああ、それはルーカスが事前に色々と話してくれたみたいで。私が謝りに行った時には、二人とも笑って許してくれたの」
むしろ、そこまでルーカスのことを想ってくれて嬉しいとまで言われてしまった。
嘘がバレた時は婚約解消されるかもしれないと怯えていたが、何とかその後もルーカスとの婚約関係は続いている。
「さすが、ルーカス様ですね」
マリアの言葉に頷く。それにしても、小説に影響されたとはいえ、婚約者の気を引きたくて記憶喪失のふりをするというのは、我ながらどうかしていた。
運良く周りの人達の優しさで何となったが、もしものことを考えると恐ろしい。
「恋って怖いわねぇ。変な噂にもなりかねないし、最悪婚約解消になっていたかもしれないのにあんな事するなんて……ルーカスはその辺は大丈夫だって言っていたけど、本当かしら?」
「……ルーカス様がそう言うなら大丈夫になるのでしょう、きっと」
そう言ったマリアの表情は、どこか暗い。その様子に少し違和感を覚えたが、彼女がパッと表情を切り替えたので、私も何も聞かなかった。
「今日もルーカス様にお会いになるんですよね!」
「ええ。だからあの耳飾り、出してちょうだい」
そう言ってマリアにお願いすれば、彼女はルーカスの瞳と同じ輝きを放つ、金色の耳飾りを私に差し出した。
「………綺麗、ですね」
「ええ。お気に入りなの。ルーカスが公爵家に行く日、私の耳飾りと交換したのよ」
あの日のことを思い出すと、思わず頬が緩んでしまう。離れたくないと泣く私に、ルーカスは耳飾りの交換を提案した。
この耳飾りをお互い身につけていれば、離れていても気持ちは繋がっている、と言って。
「いつか迎え行くから待ってて、って言って本当に来てくれるのだもの。私って幸せ者よね」
耳元で揺れる飾りは、あの日と同じぐらいキラキラと輝いていて、とても綺麗だった。
▼▼▼
その日、屋敷にやってきたルーカスをみて、会うまでのあの高揚感が嘘のように、私の気分は一気に下がった。
──魔術師として危険な仕事に就くことがあるのは、もちろん分かっている。それでも心配だから無茶しないでと、ルーカスにはいつも伝えていた。
なのに、今日のルーカスの身体には生傷がたくさんできていた。しかも、顔色も悪い。なので、いつも通り小言を言うと、彼はくすくすと笑った。
心配で怒っているのに、ルーカスは「エルーシアに心配されるなら傷ができるのも悪くない」と言う。その言葉に私はムッとして、彼に背を向ける。
「ねえ、そろそろ機嫌なおしてよ」
「嫌」
「もう無茶なことはしないって。ねえ、だからこっち向いて」
機嫌を取るようなルーカスの態度に、つい許してしまいそうになる。でもここで折れるのは何だか不服だと思い、黙りを決め込んだ。
「エルーシア、お願い」
その言葉に、しぶしぶルーカスの方を向けば、彼は私の唇にキスを落とす。突然はやめてっていつも言ってるのに、聞いてくれたことはない。熱くなる頬を隠すように、もう一度そっぽを向けば、ルーカスがくすくすと笑う。
「もう何回もしてるのに、いつまでたってもエルーシアは可愛いねぇ」
「〜〜もうっ!すぐからかうんだから…!」
その余裕のある表情を崩したくて、仕返しとばかりにルーカスにキスをした。
といっても、さすがに口は恥ずかしいので、頬にだけど。
予想外だったのか、目を丸くするルーカスに私はニヤリと笑った。どうだ、やられっぱなしの私ではないのよ。なんて考えながら、余裕の笑みを浮かべていれば、突然ルーカスに抱きしめられる。
「ルーカス? どうしたの?」
問いかけるが、返事はない。段々と私を抱きしめるルーカスの手に力が入って、苦しくなってきた。彼の背中を軽く叩けば、彼はようやく口を開いた。
「……ねえ、エルーシア。誓ってくれる?」
「誓う?」
「死ぬまで、いやたとえ命尽きても、俺たちはずっと一緒だって」
身体を少し離し、私の額に自身の額を押しつけてくる。縋るようなその瞳に目を奪われた。
この輝き、この光景を前にもどこかで見たような気がしたが、なぜか思い出せない。
「ルーカス…」
ふと、今朝見た夢を思い出した。夢の中の私は泣きながら、誰かをずっと憎んでいて、終わらない恐怖と快楽に気が狂いそうだった。そんな私を──ルーカスが笑いながら見ていた。
夢のはずなのに。知らないはずなのに。まるで自分の身に実際に起こった出来事かのように、頭から離れない。
「エルーシア?」
何も答えない私にルーカスが不安そうに尋ねる。
──大丈夫。あれは全部夢。悪い夢だから。
スカートの上でぎゅっと自身の手を握る。そして、意を決して私は口を開いた。
「誓うわ、ルーカス。私たちはずっと一緒よ」
ルーカスの目をまっすぐと見つめて言えば、彼の瞳が満足そうに細まった。その表情に、何故だかひどく胸がざわついた。
「ルーカス、」
「愛してるよ、エルーシア」
「……私も、愛してる」
私の言葉にルーカスが幸せそうに笑う。そして、どちらからともなく、唇を重ねた。
「………ああ、やっとだ」
そう呟いたルーカスの声が何だか泣きそうで、私もつられて泣きそうになった。
──頭の中で、何度違うという声が聞こえても、私は彼を愛している。だからきっと、これは間違いなんかじゃない。
「これで、ずっと一緒だ」
ルーカスのその言葉に、こくりと頷く。
死ぬまで、いや命尽きたとしても、私はルーカスと共にある。それがきっと私の幸せなのだから。
頭の中で囁く声を消すように、私はそっと目を閉じたのだった。
終
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本編はこれで一旦終わりですが、おまけを追加いたします。