⑥
馬車までの道のり、私は先ほどのルーカスの言動が気になって、ふと歩みを止めた。
「どうしたの、エルーシア」
隣を歩いていたルーカスが、不思議そうな表情を浮かべる。
「エルーシア?」
ルーカスの問いに答えることもせず、私は自分の手の中にあるカサブランカの花束を見つめる。もしかして、ルーカスは私の嘘に気づいている? それとも私を試しているだけ?
どちらにしろ、ルーカスは私を疑っている。それならもう全てを正直に話して、終わりにするしかない。そう思い、私は口を開いた。
「……ルーク、あの」
「花束、嬉しくなかった? まあ、仕方ないか。記憶喪失のふりをしてまで離れたいぐらい嫌いな男からのプレゼントなんて、気持ちが悪いだけだよね」
「なっ──」
次の瞬間、私の手の中にあったはずの花束が消えた。おそらくルーカスが魔術で消したのだろう、だけど今はそんなことより──。
「いつ、から嘘に気づいて…」
「最初からだよ。婚約解消のために記憶喪失のふりをするなんて、エルーシアって時々大胆なことするよね。まあ、演技は下手だし詰めも甘いけど」
そう言って笑うルーカスの態度に、私の口からは情けない悲鳴が漏れた。全て気付いていて、今日までずっと彼はあんな事を続けていたというのか。
緊張か、恐怖か。足が震えて立っていられず、その場に座り込みそうになる私を、ルーカスが支えてくれる。しかし今の私には、彼の冷たい体温がただただ恐ろしい。
「寒いの? 震えてるけど」
「な、んで」
「落ち着きなよ、呼吸が乱れてる」
「だって、ルーカス、あなたっ!」
声を荒げる私をよそに、ルーカスはやけに落ち着いている。そして、優しい手つきで私の背中を何度かさすってくれる。
「ねぇ、エルーシア。あの日、君が俺を呪ったときから俺はずっとおかしいんだ」
あの日とは、私がルーカスに声をかけた日のことだろうか。だけど、私は彼のことを呪ったりなどしていない。そもそも、私には魔力がないのにどうやって彼を呪うのか。
返事をしない私を特に気にもせず、彼は言葉を続けた。
「エルーシアの素直でお人好しなところ。可愛くて、愚かで、大好きだけど、時々めちゃくちゃにしてやりたくなる。君を泣かせて、壊して、穢して、俺だけのものにしたいってずっと考えてた。だけど、エルーシアはこんな俺を受け入れてくれないって分かってたから、必死に抑えて、いっそ、離れた方が幸せになれるかもなんて思ったこともあった──まあ、無理だったんだけど」
彼の言葉の全てが理解できなかった。そんな私を気にすることなく、ルーカスはにこりと微笑むと、私の頬を撫で上げた。そして、そのまま頬、唇、と順に降りていく彼の手が首で止まった。
「記憶喪失のふりは楽しかった? 自分のせいだとはいえ、流石にそこまで嫌われてたなんて悲しかったな。──でも、いいんだ。エルーシアにならどんな嘘をつかれても、何をされても。君から与えられるものなら、たとえ痛みだとしても愛おしい」
うっとりとした表情でこちらを見つめるルーカス。彼の言葉に、行動に、何も返せない。ただただ浅い呼吸を繰り返すことしかできない私に構うことなく、彼は言葉を続けた。
「だけど──俺から離れるのだけは許さない」
地を這うような低い声。首に触れるルーカスの手に力が入って、思わず身体が強張る。
「誓って、エルーシア。もう二度と俺から離れようとしないって。俺ももう馬鹿な真似はやめるからさ。これからは死ぬまで、いやたとえ命尽きても君を離さない。だからエルーシア、君も誓ってくれるよね?」
そして、ルーカスが呪文のようなものを唱え始めた。まずい、何の魔術を使うつもりかは分からないが、本能が彼の問いに頷いてはいけないと、告げている。
「ルーカス、落ち着いて、お願い…」
「落ち着いてるよ」
「嘘をついたのはごめんなさい、だけど、ルーカス。こんな事は間違ってる、ねぇ──っ!」
言葉を遮るかのように、ルーカスが私を強く抱きしめた。そして、懇願するように自分の額を私の額に押しつけてくる。
「愛してるんだ、エルーシア。──君もそうだろう?」
「わた、しは…」
ルーカスの事は好意的に思っている。家族愛や友愛ではなく、恋愛感情として彼に惹かれている。だけど、彼のこの暴力的な想いに、愛には応えられない。彼が私に与えてくれる愛と同じものを、私はきっと返すことができない。
だから───わたしは、私は…
「……ルーカスの想いには応えられない」
その瞬間、私と彼の唇が重なった。拒絶の意思をこめて彼の胸を叩けば、舌先に鋭い痛みを感じ、口内に血の味が広がる。
「……っ、ルーカス、」
「この関係になって、エルーシアも前より俺のこと意識してくれたと思ってたんだけど…」
「気のせいだったか」なんて笑うルーカスの言葉に思わず顔が赤くなるのがわかった。
図星だ。優しいルーカスの態度に胸は高鳴ったし、以前とは違う彼に惹かれていた。
だけど、こんなことをされて素直にそれを認めたくはなかった。
「………ルーカスなんて、大っ嫌い」
そう言って目の前のルーカスを睨めば、彼の顔から笑顔が消えた。
「じゃあ、愛してるっていうまで離さない」
その瞬間、ルーカスの瞳が妖しく光る。まずいと思った時にはすでに遅く、視界が暗くなり、意識が遠のいていく。
完全に意識を手放す瞬間、ルーカスが何かを言っていた気がしたが、私の耳には届かなかった。