⑤
その日も、ルーカスは私に会いに屋敷へとやって来た。
記憶喪失のふりをする前、何かにつけて「魔術師としての仕事が忙しい」と約束を破っていた男とは思えないぐらいの豹変っぷりだ。まあ、あの頃は私もルーカスと会うと気が重くなっていたので、それはそれでよかったのだけど。
いつも通りルーカスを出迎え、部屋へと案内しようとすれば、彼は突然こう言ったのだった。
「今日は花を見に行こう」
「は、花…?」
──ルーカスと花、似合わなさすぎる。
まさかの言葉に固まっていれば「以前はよく花畑でお茶をしたよね〜」なんて言われた。いやいや、初耳である。
「でもルークは忙しいから、今日もいつも通りお茶してお話する方が──」
「あ、大丈夫。今日は時間たっぷりあるから」
私が大丈夫じゃないのだけど。そんな私の心情は無視して、強引に手を引かれ、屋敷から連れ出されてしまった。
以前のルーカスなら、気安く触れようものなら即座に払い除けてきたというのに、この関係になってからは、事あるごとにスキンシップをとりたがる。
馬車に乗り込んだルーカスが、うきうきとした表情で話しかけてくる。記憶喪失のふりをしてから、彼にも楽しいとか嬉しいとか、そういう感情が存在するのかと感心した。──あと表情筋が動くことにも。
(……人間だから当たり前なのだけど、今までは"無"か"怒"しかみたことなかったから)
「俺の術で花畑をつくってもよかったんだけど、せっかくならエルーシアのお気に入りの場所に行きたいなって思って」
「私のお気に入りの場所?」
「あれ、それも忘れちゃった? ほらあの──」
そう言って、場所の説明をするルーカスに驚愕した。たしかに私にはお気に入りの花畑がある。気持ちが沈んだ時などは、よくそこへ一人で行っていた。
だけど、その場所についてルーカスに話したことはない。というか、マリア以外に言ったことがない。それなのにどうして彼が知っているのだろう。
マリアが話した? いや、ルーカスとマリアが話しているところなんて殆ど見たことない。
色々と考えていれば、不思議そうな顔をしたルーカスが顔を覗き込んでくる。
「どうしたの? 変な顔して」
変な顔とは失礼な。──そう思ったが、私は慌てて「何でもない」と笑った。
聞きたいけれど、聞けない。記憶喪失のふりをしてからは、そんなことばかりである。
「ほらみて、エルーシア。満開だ」
「わあ! とても綺麗!」
ルーカスと手を繋ぎながら花畑を歩く。彼が指差した方には、確かに私の好きな種類の花が満開に咲いていた。
以前、ルーカスに花が好きだと話をしたことがあった。てっきり私の話など興味がないと思っていたが、どうやらちゃんと覚えていたらしい。
やはり私のお気に入りの場所なだけあって、気分が上がる。ついつい夢中になってルーカスの手を離せば、後ろから慌てたような彼の声が聞こえた。
「エルーシア、走ると危ないよ」
「あ! ご、ごめんなさい、つい気分が上がってしまって…その、はしたなくて…」
「ううん、すごく可愛い」
ストレートなルーカスの発言に顔が赤くなるのがわかった。この状態になってから、彼はかわいいとか綺麗とか、そういう言葉をよく伝えてくる。
(前はそんなこと一言も言わなかったのに!)
なんと返せばいいのか分からず、赤い顔で黙り込んだ私の頭をルーカスがそっと撫でる。柔らかいその仕草と表情で、より一層照れてしまうからやめてほしい。
「少し休もうか」
ルーカスの言葉に頷いて、その場に腰掛けようとすれば、服が汚れないようにと、彼が魔術をかけてくれた。
「やっぱりすごいのね、魔術って。私にはまるで才能がないから羨ましいわ。あーあ、私もルークのように魔術が使えればよかったのに…」
「うーん。でも魔術師って危険な目に遭うこともあるから、俺はエルーシアに魔術の才がなくてよかったって思うけど」
「危険な目…」
たまにルーカスが生傷をつくっているのも見たことがある。確かに、希少価値の高い魔術師を利用しようと悪いことをする者も多いと聞く。それに魔術師の仕事にも危険なものが沢山あるって、お父様も言っていた気がする。
「そんな不安そうな顔をしないで。大丈夫だよ、俺、壊すことは得意だから」
壊すことが得意だと、危険な目に遭わないのだろうか? 私が頭の中に疑問符を浮かべていれば、ルーカスはにこにこと笑いながら「エルーシアは知らなくていいよ」と言った。
▼▼▼
暗くなる前に帰ろうと言うルーカスに、思わず黙り込んでしまった。
「そんな名残惜しそうな顔をされると、帰したくなくるなぁ」
「だ、だってとても綺麗だったから…」
それもあるが、最近は少しずつだがルーカスとの時間が楽しいと思うことが増えてきた。もちろん、彼の嘘話や過度なスキンシップには頭を抱えることはあるが。
(あんなに婚約解消したかったはずなのに、こんなのおかしいわよね…)
だけど、マリアと話していた時から薄々気づいていた。記憶喪失のふりをしてからのルーカスの態度に戸惑いつつも、少しだけ嬉しく思う自分がいることに。
記憶が戻ったってルーカスに言いたくないのは、以前の彼に戻ってこの関係が崩れてしまうのが怖かったからなのかもって。
(自分で始めたことなのに、こんなの都合が良すぎる……)
だけど、どんなに私達の関係が変わったからって、私達が不釣り合いな事実は変わらないのだ。
だから、婚約解消はしなくてはいけない。
(……仕方ないもの。私とルーカスじゃあ、何もかも不釣り合いすぎる)
浮かない表情をしてしまったのだろうか、ルーカスが私の頭を撫でる。こういう小さな触れ合いを嬉しいと思っている時点で、私はもう駄目なのしれない。
「じゃあ、最後にエルーシアにプレゼントをあげる」
「プレゼント?」
「うん、目を閉じて」
そう言うとルーカスは呪文を唱え始めた。最近のルーカスは何かにつけて私にプレゼントを贈ってくれる。
今度は一体なんだろうか?少しだけドキドキしながら目を閉じる。
「開けていいよ」
「わぁ…!」
目を開ければ、ルーカスの手の中にはカサブランカの花束がつくられていた。キラキラとした表情で見ていれば、彼はその中の一本を私の目の前に差し出した。
「ねえ、エルーシア。カサブランカの花言葉は知ってる?」
「花言葉? ええっと、確か「祝福」、「無垢」とかだったかしら…」
「そう。さすがエルーシア」
ルーカスも花言葉とか知っているんだ、なんて呑気に考えながら差し出された一本を受け取れば、彼は「じゃあ」と続けた。
すると、私の手の中にあるカサブランカの花が光に包まれ、真っ白だった花弁が、黄色へと色を変えた。
「黄色のカサブランカの花言葉は?」
「黄色のカサブランカの花言葉…」
黄色のカサブランカの花言葉って何だったけ。どうしても白いイメージがあるから、あまりピンとこない。思い出そうとしていると、ルーカスがくすくすと笑った。もう、正解を知っているのなら、笑ってないではやく教えてほし──。
「──『裏切り』だよ」
そう言い放つと、ルーカスは私の手の中にあったカサブランカを握りつぶした。ぐしゃり、と嫌な音がして花弁が散る。
呆気に取られる私を見つめるルーカスの表情は冷たい。この表情の彼はよく知っている。記憶喪失のふりをする前、私に見せていた表情だ。
目を逸らすように地面に落ちていく花弁を見つめていれば、ルーカスが「ああ、ごめんね」と明るい声色で言った。
「つい力を入れすぎちゃった。ほら、こっちの綺麗なのをあげるから許して」
そう言って白いカサブランカを差し出すルーカス。「純粋無垢なエルーシアにはぴったりだ」なんて笑っていたけど、私は何も言えずただ黙っていた。