③
──住み慣れた我が家のはずが、何だかとても居心地が悪い。
あの後、突然やってきたルーカスを出迎えて部屋へと通せば、なぜか彼は向かい合わせではなく、隣同士で座るよう指示をした。
やんわりと断ったが、彼の魔術で強制的に座らされた。その後、お茶を用意するようマリアに伝えにいこうとした私に「必要ない」といって、これまた魔術でティーセットを出してしまった。
(……魔術ってなんて便利で素晴らしいのかしら)
──彼が魔術師であることを、今日ほど恨んだことはない。
「……」
「……」
気まずい空気の中、隣に座るルーカスを見れば、ニコニコと笑みを浮かべている。
そのまま無言で距離を詰めてくるので、軽く制止しようとすれば「あれ? 前に俺に触れられて光栄だっていってなかったけ」なんて言われてしまい、黙って受け入れるしかなかった。
(こんなことになるなら初日に、あんな態度とらなきゃよかった…!)
手を握ってべったりとくっついてくるルーカス。思わず悪態をつきそうになるのをぐっと堪えて、私は重い口を開いた。
「そのルーカス様、本日はどのような──」
「ルーク」
「え?」
「ルークって呼んで。エルーシアはいつも俺をそう呼んでいた。あと、敬語もやめてね」
「で、ですがっ…」
「でも、何? 記憶がないからといって、別に変える必要なんてないよね?」
有無を言わさないような声色と笑顔でそういわれてしまい、つい頷いてしまった。
「……ルーク」
「なあに、エルーシア」
素直にルークと呼べば、満足といった様子でにこやかに返事をする。一度たりとも彼のことをそう呼んだことはないので、違和感しかない。
「その、ルークは今日どうしてここへ?」
「可愛い婚約者の顔を見にきてはだめ?」
「……だめ、ではないけれどあなたは忙しい人だから」
こんなところで油を売っている暇はあるのかと、そうやんわりと問いかければルーカスは「問題ないよ」と笑った。
今まで忙しさを理由に私との約束をすっぽかしていた男とは思えない、いい返事だ。
「それに、ローゼ夫妻から君の記憶喪失を理由に、婚約解消について話をされてね。もちろん断ったけれど、エルーシアの気持ちを確かめたいなって思って」
突然の発言に、思わず飲んでいた紅茶を吹き出しそうになってしまった。
「まさかとは思うけれど、エルーシア。俺との婚約解消したいなんて、いわないよね?」
ルーカスの鋭い視線に思わず生唾を飲み込む。
「も、もちろんよ! でも、そ、その、あなたは数少ない魔術師で、公爵家の人間だし…記憶喪失の私よりきっともっと他に相応しい相手がいるのではないかって」
「そんなの関係ない。俺にとっては君が全てで、君以外の人間と結婚するなんて、ありえない」
「エルーシアも同じ気持ちでしょ?」と、まるで突然かのように言われてしまい、思わず頷いてしまった。
私のことを冷ややかな目で見ていたルーカスがまるで嘘のように、今の彼はおかしい。これでは本当に私のことが好きみたいじゃないか。
「で、でも、ルーク。私、あなたのこと何も覚えてないのよ。お父様やお母様は私とルークが幼少期を一緒に過ごしていたっていうけれど、とても信じられなくて…」
「ローゼ夫妻の話は本当だよ。──昔のエルーシアは泣き虫でよく怖い夢をみたって、俺の部屋まできてさ。そんな日は夫妻にバレないようこっそり二人で一緒のベッドで眠ったんだ」
どこか楽しそうに嘘の思い出話をするルーカス。
(嘘ばっかり。泣きながら部屋まで行った私をすぐに追い返したじゃない)
彼の嘘に呆れながらも、私は話を合わせる。
「そう、だったの。何だか恥ずかしいわ…」
「ふふっ、昔のエルーシアは泣き虫で可愛かったな」
「ははは…」
「俺が公爵家に引き取られた日もエルーシアはとても泣いていて。別れるのが本当に辛かったのを覚えてるよ」
また嘘だ。あの時、ルーカスは泣いている私など無視して、そそくさと馬車に乗り込んでいった。
「その時に渡してくれた耳飾り、今でも大切につけているよ。──ほら」
「覚えてる?」と、自身の耳につけられた飾りを指さすルーカス。キラキラと輝くソレは私の瞳と同じ翡翠色をしている。
───まだ、持っていたのか。彼がその耳飾りを身に着けているところを一度も見たことがなかったので、てっきりとっくの昔に捨てられたものだと思っていた。
もちろん耳飾りのことは覚えている。だけど、私は申し訳なさそうな表情を浮かべて、首を横に振った。
「その…ごめんなさい…覚えていなくて…」
私の言葉にルーカスは一瞬悲しそうな泣きそうな表情を浮かべたが、すぐに「気にしないで」と笑った。
その表情すら彼の嘘かも知れないというのに、胸がズキリと痛んだ気がした。
▼▼▼
そろそろ時間が…というルーカスを見送ろうとすれば、「そうだ」と彼がゴソゴソと何かを取り出した。そして、目の前に差し出されたのは、彼の瞳と同じ金色の耳飾りだった。
何か、と聞けば「プレゼント」だという。あのルーカスが私にプレゼントだなんて、明日の天気は大荒れに違いない。
「折角だからエルーシアの気持ちが少しでも晴れるよう、魔術をかけてあげる」
そういってルーカスは何かの呪文を唱え始めた。光に包まれた耳飾りは、キラキラと輝きはじめた。魔術が全く使えない私からすれば、どんな魔術を使っているのか見当もつかないが、この光景は綺麗だと思った。
「身につけてくれる?」
魔術をかけ終わったルーカスが、耳飾りを私の手に差し出した。正直なところ受け取りたくはない。しかし、拒否するわけにもいかないので、黙って受け取る。
「どう、でしょうか…?」
渋々耳につけて、ルーカスに見せれば、彼の表情がぱっと明るくなった。
「すごく似合ってる。綺麗だ、エルーシア」
愛しそうに私のつけた耳飾りを撫でるルーカスを見ると、思わず目を背けたくなった。
「ねぇ、エルーシア。もしこの先──君の記憶がずっと戻らないままだとしても、俺の気持ちは変わらないよ。だから安心して? 俺達はずっと一緒だ」
私の耳飾りに触れたまま、ルーカスはそう告げるまるで心の底から私を愛しているかのような表情で。
あまりにもひどい彼の変わりように、もうとっくに痛くないはずの頭がズキズキと痛む。
(──ねえ、ルーカス。もしかして、記憶を無くしているのはあなたの方だったりするのかしら)
痛む頭を誤魔化すように、私はそっと目を閉じた。