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ヘリオス  作者: みおいち
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第1部 第9話

私が晃輝さんを好き? 


彼は条件に見合う、私にはもったいないほどのお見合い相手だ。彼にとって、この結婚に恋愛感情は無いし、私もそれは家のことほど大切ではないと思っている。


晃輝さんに会うと心臓が高鳴る。電話やLINEを受けた時でさえそうなるけれど、それは出会って早々に寝てしまったことへの羞恥、または、まだ相手をよく知らないのにお見合い相手という境遇で、緊張しているからじゃないだろうか。


返事が出来ずに考え込んでいると、驚いた顔をして優成くんが言った。


「無自覚ですか」


「優成くんごめんなさい。私本当に、よく分からなくて」


優成くんは再度、悲しそうな顔をして笑う。それが新緑の庭に溶け込んでしまうようで、苦しくなる。


「じゃあ、俺にもまだチャンスがあるってことですね。これ以上は、自分で自分の首を絞めそうなので、言うのをやめておきます」


それから立ち上がって私を優しく見下ろした。


「俺は必ず『龍歌』を完成させます。だけどすみません、今日はここで失礼します」


知ってるよ優成くん。貴方はお箏に関して執念の人だ。大事なときに上手く出来なかったことなんて、今までに一度も無い。






お互い忙しい合間を縫って、週末に晃輝さんと鎌倉に遊びに行った。迎えのセンチュリーに乗り込むと、ラッピングされた小さな箱を手渡される。


「プレゼント戦略だ。開けてみろ」


お礼を伝え、(はや)る心を抑えて丁寧に開けると、微笑んでいるラッコと目が合った。錫のような金属で出来た立体のそれは、光の異なる金属の貝を持って嬉しそうにしている。貝の上には、大粒の輝き。取り出してみると、ヘラがついている。帯飾りだ。


「晃輝さん……これ、ダイヤですか」


「そう。貝の部分はプラチナだ。凪にそっくりだろう。良い貝を渡しておかないと、どこかへ行ってしまうからな」


「……どこで買ったんですか」


今どきヘラのついた帯飾りは、あまり売っていない。ましてやラッコの形なんて、探すのに苦労したはずだ。


「特注した。知り合いがジュエリーデザイナーなんだ」


「とっ、特注ですか!時間かかったんじゃないですか!」


「凪と出会ってからすぐに注文した」


……晃輝さんには驚かされてばかりだ。




鎌倉は、海と自然と歴史と美食が楽しめる、贅沢なスポットだ。お寺もお店も見たいところはたくさんあるけれど、私は海が好き。


晃輝さんは私の希望を聞いてくれて、2人で由比ヶ浜を散策する。穏やかな海、少しだけ雲のかかった柔らかな日。トンビもカモメも飛んでいる。裸足になり、押し寄せては引き返す波に足を入れて遊ぶ。春の波はまだ、慣れるまでに時間がかかる。


男女で海に来たのなら、やることはこれよね。


「ねえん、アタシを捕まえられるかしら~」


ふざけた口調で晃輝さんから逃げる。


「……凪はときどき変になるな……」


そう言うなり、かなりのスピードで追いかけて来て、あっという間に捕まった。


「本気出したでしょう、ずるい!」


後ろから抱きしめられた晃輝さんからふざけて逃げようとするけど、力が強くて抜け出せない。


「俺から逃げられると思ったか。死ぬまで離さない」


その言葉に心臓がまた跳ねる。こんなのただの冗談なのにって、波の音が笑っているみたいだ。




お昼ご飯は古民家レストランに入った。畳の部屋に木の椅子は和洋折衷で、落ち着いた魅力がある。歴史ある歪んだガラスの窓から見えるお庭は、ツツジ色に染まっている。まさに日本の美。


見とれていると、雰囲気にぴったり合った綺麗なウェイトレスさんが、お品書きとお冷、おしぼりを持ってきた。


「どうぞ」


なんだか動作がゆっくりしているのを不自然に思って見ると、うっとりとした顔で晃輝さんを見つめている。


嫌だ。この人は私の結婚相手なの。貴女は綺麗なのに、そんな眼で見ないで。嫌だ嫌だ嫌だ!


「凪?」


呼ばれて晃輝さんの顔を見て、気づいた。


私はこの人が好きなんだ。








「自分の想いに気づきましたか」


応接室に呼び出しただけで、優成くんには言いたいことが分かったようだ。


「ごめんなさい優成くん。私、晃輝さんが好きだって気づいて……だから優成くんとは結婚できません」


そう言うとまた悲しみをたたえた顔で笑う。最近私は、優成くんのこんな顔ばかり見ている気がする。


「あの時、東雲さんを好きになったのかなんて、聞かなきゃ良かったです。そうしたら先生は、気づかなかったかもしれない……でも結局は時間の問題だったでしょうね」


「……本当にごめんね」


そう言うとまた、消えてしまいそうな笑みを浮かべる。


「でも良かった。凪先生が愛のない結婚をするなんて気が狂いそうだったけど、安心しました」


「……優成くん、お箏は続けるの?」


その質問に驚いたような顔をして、即座に答える。


「もちろんです。箏をやめるなんて、考えたこともありませんよ」


「私ともし居づらいなら、家元のお弟子さんに推薦してもいいよ。優成くんにはそれに見合う能力があるから」


途端に優成くんの顔に絶望が満ちる。


「俺を……追い出したいんですか」


「違います!優成くんは本当に、いつも頑張っているし、私に勇気をくれているから、だから優成くんが、一番望む状態でいて欲しいから!」






YouTubeのおかげかチケットは瞬く間に売れ、6月の演奏会は大成功だった。ひとりでMCを務める私が一番に登場すると、やっぱり若い女性のお客様が増えている。


3列目の中央に、晃輝さん。目が合うとロボットになったような面持ちで笑ってくれた。私より晃輝さんの方が緊張しているみたい。思わずそっと、帯飾りに触れる。


合間にYouTubeの紹介をして優成くんに出てもらうと、黄色い歓声が挙がる。もう8月の演奏会も満員御礼だけど、こちらでは2人でMCを務める旨も宣伝しておく。少しでも太く、長く、川崎流のこの糸をつなげたい。




優成くんは期待通りどころか、それ以上に「龍歌」を仕上げてきた。今回はお客様が多いのに、二人きりでいるような静寂。弾き終わって尚、暫くは物音ひとつしなかった。次いで割れんばかりの拍手が起こり、二人でお辞儀をしたまま、第一部の終了を示す緞帳が下りる。


優成くんの龍の歌は、悲しみの淵にある、心が引き裂かれるような歌。何と言って声をかけたら良いのか分からない。


「終わったね、お疲れ様」


優成くんの方を向くと、何でもないようないつもの顔をしてほほ笑んだ。


楽屋に下がるなり、直弟子の菅野さんが興奮してまくしたてる。


「2人とも凄かったわよ!幸福の絶頂にある龍を、悲嘆にくれた龍が、絶望を背負って尚、追いかけているみたいだったわ!」

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