第1部 第8話
「お嬢は山田を贔屓しすぎじゃね?」
「ああ、お嬢の直弟子の?それはほら、顔だよ顔。いくら歴史の長い川崎流の跡取りと言っても、お嬢も年ごろだから」
「マジか。あいつ、顔だけは良いもんな。実力より顔かよ。俺ら頑張ってんのに、やってられないよな」
こんな妬みを廊下で耳にして、思わず声のした稽古場に入って行き口を挟んだ。
「山田君は何年も、休みの日でも自主練に来ていますが。あなた達はお稽古の日なのに、練習せずに無駄話ですか」
青くなって練習を始めた門下生を見て、ため息をつく。
YouTubeは大成功だった。晃輝さんや川崎流の名前のお陰で、私たちの初回の動画は瞬く間に視聴数100万回を超えた。その恩恵の多くが優成くんから来ていることは間違いない。
だれこの青髪の人!チョーイケメン\(//∇//)\
見た目もいいけど演奏もサイコー
ヤバいイケメンすぎ...おことならいたい
結婚して❤️
あなたのお琴になりたい
こんな優成くん向けの熱烈なコメントが、連日届くようになった。
私は優成くんに、定期演奏会のMCも一緒にやってもらうよう、書類を見せてお願いした。
「お仕事もあるから忙しいと思うけど...ちゃんと相応の報酬は出すから。このくらいでどうかな」
私は演奏会のとき、誰が聞いても分かりやすく楽しいように、MCを務めている。
「お嬢様がそんなことをしなくても」
やり始めた時は古い門下生さんから非難めいた声もあったけど、高みに鎮座して神々しく演奏するのは、本流だけで良いと思う。特に若手は汗水流して新しいお客様を連れて来ないと。
優成くんは差し出した報酬の書面を見ずに返答した。
「光栄です。凪先生のMCは、俺、以前から分かりやすくて好きでした。一緒に出来たらとても嬉しいです」
「良かった。6月の演奏会はもう間に合わないから、8月からお願いします。チラシに顔写真を載せても良い?」
優成くんは快く了承してくれた。確かに実力もあるし、時の人の優成くんを目立たせない手はないけれど、罪悪感もある。
「優成くん、広告塔に使ってごめんね。嫌なこと言われたりするでしょう?」
「それは、なくはないですが、得るものの方がずっと多いですよ。いい経験です。大体、人を落とさないで自分が上がればいいんです」
優成くんの、このまっすぐなところが好きだ。演奏でつまづいたところがあっても、決して心折れず、逃げずに粘り強く努力を重ねて上手くなった。この姿勢に私も、どれだけ影響を受けて来たことだろう。
正直、あの告白の後、優成くんと話すのは気が引けた。だけど彼は、私を成長させてくれ続けて来た大切な人のひとりだ。いつだって真摯に向き合いたい。
「優成くん、あの話はちゃんと考えるから、少し待ってくれる」
告白されて次に会った日、そう言うといつもの顔で優しく頷いた。
「凪先生のその誠実なところも好きです。俺の気持ちは本物なので、忘れないで下さい」
晃輝さんからは毎日、電話かLINEが来た。少しずつ、晃輝さんのことを知っていく。音楽の他の趣味は、筋トレ。「筋肉は裏切らない、契約書の次に」だそうだ。契約書作成も趣味なんじゃ、と茶化して聞いたら、それは仕事にしたいと本気で言っていた。
晃輝さんのLINEや電話の通知が表示されるたびに、心臓が跳ねる。身体を重ねてしまったからだろうか。
「YouTubeは上々だな」
私はベッドの上にごろんと横になって、ふわふわのラッコを抱っこしながら晃輝さんの電話を受けた。
「ふふふ、お主も悪よのう」
「……俺は時々、凪の思考がどうなっているのか、頭の中を覗いてみたくなるよ」
冗談はさておき、販促に協力してくれた晃輝さんの功績は大きい。私は再度、心からお礼を告げた。
「変化の速い時代だ。YouTubeから来た客は、8割方すぐに離れていくと思って研鑽を続けた方が良い」
言われてはっとする。舞い上がっているだけじゃ駄目だ。日々邁進し、技を磨いて、変化の波に乗らないと。
「髪、傷まない?」
「今のところ平気です。トリートメントもしてもらってるので」
優成くんは、格式ある演奏会の前になると髪色を戻す。今回は8月のチラシの写真撮影があるので、早めに黒髪に戻っていた。
えっ、ちょっ、黒髪まじセクシーなんだけど!
黒髪エロい!卒倒する!
染めなくていいです!そのままで素敵!
アタシはどっちも好きよ❤️
YouTubeのコメント欄が、また激しく沸いている。
髪を青くするのも、若者向けのカジュアルな演奏会の前だと知っている。彼なりにプロモーションの一部としてやっているんだろう。優成くんはいつも、お箏と川崎流の繁栄を考えてくれている。
6月の演奏会では、優成くんを第ニ奏に2人で「龍歌」を弾く。ダイナミックなテンポの速い若者好みのこの曲は、観客受けが良い一方で、かなりの技術力を要する。今までも2人で何度か弾いたことがあるけれど、今回はYouTubeをやってから初めてなので、一見さんのお客様も来られるだろう。それを考えても申し分ない選曲だ。
稽古場で久しぶりに、2人で合わせてみる。私が弾く時は門下生のギャラリーが多いけど、優成くんがいると更に女性が増える。
序盤。最初の悠々と龍が飛翔するシーン。派手で堂々とした龍の登場。雷鳴の嘶き。手運びは難関だけれど、優成くんと私なら敵なしだ。
中盤。龍の切ない歌。環境破壊を嘆いているのか、恋の歌か。孤独と絶望の合間に垣間見える、ひとときの幸福。美しい旋律にのせる、龍の想い。
ふと第ニ奏の音がブレる。それが何度か続く。こんなことは滅多にない。珍しいと思うや否や、音が止まった。
「優成くん?」
振り返ると切なそうな、苦しそうな顔をしていた。
「どうしたの?」
「いえ、すみません。俺ちょっと、外の空気を吸ってきます」
そう言って、ギャラリーがいる中大股で廊下に出て行った。見ると周りの門下生さんたちも、惚けたような顔をしている。
やがて私の直弟子の菅野さんが諭すように言った。
「先生、演奏が変わりすぎたのよ」
「えっ、私?」
「そうよ。あんな色っぽい演奏をされたら、誰だって当てられるわよ。ましてや山田君じゃ......。見てくださいよ皆の顔」
やがて急にお弟子さん達が興奮して、口々に話しかけてきた。
「先生すごかったです!泣きそうになりました」
「ゾクゾクしました」
「やべえっす、何すかその色気」
私が色っぽい?形容されたことのない響きだ。とにかく私の演奏が変わって混乱させたのなら、優成くんに謝らなくちゃ。
優成くんは庭のベンチに座って、咲き始めたばかりの花水木の花を見上げていた。その姿がどことなく壊れそうで、あまりに綺麗で、声をかけるのを躊躇う。
「優成くん」
私に気づいた優成くんは、自嘲の笑みを浮かべた。
「すみません凪先生。練習を勝手に中断させてしまって」
「違うの。私の演奏が変わったからだって。混乱させたみたいで、ごめんなさい」
ゆっくり首を振って否定の意思をはっきり示してから、隣に座るように促された。
「俺、嫉妬したんです。先生のあの演奏とそれを引き出した相手に。......駄目ですね。やっとの思いで凪先生の演奏に近づけたと思ったら、またすぐに遠ざかる」
「優成くんは全然駄目じゃありません!私は小さい頃からお箏しかやっていないけど、優成くんは別のお仕事もしているでしょう?お箏を始めたのだって大きくなってからでしょう?優成くんは確かな実力もあるし、人一倍努力していたの、私、知ってる!」
それでここまで来られたんだから、驚異的だ。私が逆の立場だったらきっと出来ない。
優成くんはふっと壊れそうに笑い、お礼を告げてから私の方に向き直って、苦し気な顔をした。
「凪先生のあの演奏を引き出したのは、東雲さんですね。東雲さんのことを、好きになったんですか」