外伝 第12話(最終話)抱えて、進む
「ああ、それなら心配ない」
「そんなもん?」
話しながら稽古場へ着くと、大勢の撮影陣や出版社の担当者がいるのがまるで気にならない様子で、凪先生が箏を準備していた。
「優成くん、出て来られたんだね。良かった」
花のような笑顔を俺に向ける。
「凪先生、凪先生も大変だったでしょうに、いろいろと本当にありがとうございました」
俺は近くへ行き、心を込めて頭を下げた。
「どういたしまして。私はほんの少しのことしかしてないの。晃輝さんとか昴くんとか、男性陣が頑張ってくれたから。それよりもこれ、変じゃない?」
凪先生は羽織っているファジーホワイトのニットカーディガンを、両腕を横に広げて見せた。Proofreaderの新作だ。
「とても良く似合いますよ。あ、ちょっと待ってください。ボタンはこうした方が......」
「待て!」
俺が凪先生の着こなしを直そうとすると、ハスキーな声に静止された。
「山田君は油断も隙もないな。俺の凪に触るな」
振り向くと、川崎さんが入り口に寄りかかって腕を組んでいる。
「そんなに独占欲が強くて大丈夫なんですか」
呆れてそう言いながら大男の近くへ行き、再び頭を下げる。
「川崎さん、大変お世話になりました。あの広告は川崎さんの主導ですね。本当に、感謝しています」
途端にはーっと息を吐いて、川崎さんは呟く。
「全く山田君は。これじゃ怒れないじゃないか。俺は『お飾りの夫』と言われた恨みを晴らしたかっただけだ。これで暫く川崎流にはちょっかいを出して来ないだろう。......とにかく元気そうで良かったよ」
「......やっぱり根に持っていましたね」
その言葉には返事をせず、ニヤリとヨーロッパのマフィアのように黒く笑って俺の肩を叩くと、またシャッター音がした。
「井口さん、川崎さんは被写体じゃないんじゃないですか」
「いや、この間の会見と言い、その前の写真集の打ち合わせと言い、晃輝君との構図も面白いなと思ってね。2人ともイケメンだけど、タイプがまるで違うだろう」
2人の仲が以前より親し気に見える。広告の件で互いに協力し、俺側と一華側の先頭を切ってくれたのが手に取るように分かる。
「何なら脱ぎましょうか、井口さん」
シャツを引っ張り、川崎さんが左の口角だけを上げて笑う。
「......露出狂ですか」
ボディービルダーめ。
「いいね、優成も脱いだらどうだ。イケメン2人の半裸。需要があるだろう」
「俺もイケメンだぜ」
昴が威張って話に入って来る。
「そうだ。俺もカメラ界のイケメンだ」
井口さんがあご髭を撫でてポーズを決める。
「私もお箏界のイケメンだよ!」
井口さんが言ったことばに、凪先生が被せるように言った。貴女まで脱ぐ気か。また想像してしまい下を向く。
「いや、凪はイケメンじゃない。可愛いラッコだ」
「酷い、なんで私だけ人間じゃないの」
「山田君から貝をもらうのはやめなさい」
「人の話聞いてる?」
「おっ、夫婦喧嘩か?川崎流は面白いところだな。もっとやれ!」
......何だかまた無法地帯になって来た。誰か止めてくれ。
昴とのYouTube撮影の後、今日は凪先生との「龍歌」も写真集用に撮影する。良い機会だということで、凪先生が門下生の視聴希望者も事前に呼んでおいた。写真集の撮影風景を見たいからか、いつにも増して大勢のギャラリーが集まっている。
「おい、こんなにたくさんの人の前で、本当に大丈夫なのか優成」
昴が心配して俺の肩に手をかけて聞く。
「演奏会の時はもっと人がいるだろう」
「だけどさお前」
「知らない感情じゃないから大丈夫だ」
そう、未知の感情を表現するのは困難を極めても、「龍歌」の表現に必要なそれは、長年俺が嫌になるほど付き合って来たくされ縁だ。
「優成くん、準備はいい?」
「すみません、もう少し待ってください」
「珍しいね。お好きなだけどうぞ」
俺は箏の前に座ったまま、呼吸を整える。
一華、君に癒してもらった傷口を、今は開かせて欲しい。君が俺の近くにいると分かっているから、その笑顔だけで癒されると分かっているからこそ、出来る技だ。
経験した痛みは、いつまでも消えない。俺の中の深淵まで根を張って、俺の一部になっている。呼び起こすのは簡単だ。
一華、俺の部屋を君は、甘酸っぱいと言ったね。俺はこの長年抱えていた痛みと同じものを一華に与えていたかと思うと、罪悪感で身体が冷たくなる。だけど一華、俺はこの想いを決して忘れない。これがあったからこそ君は、俺の「龍歌」に惹かれて、俺を見てくれたんだろう。
だからこの、俺の大切な歌を、俺も君も満足出来る状態で弾くために、俺の中の出口が見えずに辛かった想いを、気が狂いそうになるほどの痛みを、もう一度、前面に引き起こすんだ。
弾き始めてもいないのに、井口さんが何度もシャッターを切っている。
「凪先生、お待たせしました」
「はい、それじゃ、始めます」
凪先生のメロディーから「龍歌」は始まる。良い音だ。俺が一番慣れた、全信頼を寄せている音。この音に乗るのは簡単で、気持ちが良い。心が身体と自然に切り離されたような感覚で、俺は弾いた。
呼吸を整えて意識を戻す。ギャラリーのあちこちからすすり泣きが聞こえる。合奏は上出来だった、我ながらそう思う。
「また上手になったね、優成くん。私、引っ張られそうになったよ」
凪先生が俺に上気した顔で微笑みかける。返事をしようと思うと、背中にドシンと何かぶつかった。
「優成!好きだぜー!」
昴に後ろから抱きしめられた。弾みで少し前屈みになる。女の子たちの黄色い声があがる。
「何だ、このデジャヴは」
井口さんがひたすらシャッターを押している。
「全く優成は、俺を置いてどこまで遠くに行くんだよ!なんで幸せの絶頂で、こんな深い闇が表現出来るんだ!お前は人間じゃない。神だ!太陽だ!」
「俺はどう見ても、太陽ってタイプじゃないよ」
「いいや、高みに行き過ぎだ。太陽だ!」
あきれて苦笑すると、凪先生が悪戯っ子のような笑みを浮かべて、嬉しそうに言った。
「それじゃ、優成くんは昴くんのヘリオスだね」
あれから何度季節が巡っただろう。俺は小さく柔らかい手を引いて、川崎流本家の庭に来ている。
「あそこに座ろうか」
「うん」
花水木がよく見えるそのベンチは、俺のお気に入りだ。2人で腰掛けた途端に、高く元気な声が俺を呼ぶのが聞こえた。
「ゆうせんせい!」
両手いっぱい広げて駆けてきたその子を抱きしめる。
「今日も可愛い服を着ているね。よく似合うよ、プリンセス」
彼女はProofreader kidsの、光沢ある青いドレスを着こなしている。
「ゆうせんせい、おとうさんがひどいの。わたし、ゆうせんせいとけっこんするっていったら、すごいおこるの」
これは大変なことになった。そう思うや否や、彫刻のような整った顔をした大男が近くにやって来て、今にも俺を刺し殺しそうな顔をして睨みつけた。
「幼児にまで手を出すとは、いい度胸だ山田君。君は相変わらず油断も隙もないな」
「小さい子の話に何を本気で怒っているんですか、川崎さん」
ウンザリして言うと、川崎さんの隣でくすくす笑っている凪先生が助言した。
「逃げた方がいいよ優成くん。晃輝さんね、翠に『お父さんと結婚する』って言われるのがずっと夢だったのに、それを優成くんに取られちゃったから、機嫌が悪くてマフィアみたいになってるの」
「おかあさんは、わたしがゆうせんせいとけっこんしてもいいでしょう?」
膝の上に乗せた5歳の女の子が、凪先生をじっと見つめて尋ねる。凪先生の時間を巻き戻しただけのような、凪先生と瓜二つの子。
「残念だけど、優先生には一華ちゃんがいるから、翠とは結婚出来ないの」
「すい、じゃあぼくとけっこんしよ?」
隣にいた普段大人しい俺の子が、いきなりプロポーズをするから俺は吹き出した。
「え、いいの?」
「うん。ぼく、すいのことだいすきだし、ぼくとけっこんしたら、ぼくのおとうさんともいっしょにいられるよ」
……それでいいのか。俺は自分の笑いを止める手段が見つからず笑い続ける。
「やった。やくそくね!」
凪先生と顔を見合わせて笑う。ふとその横を見ると、川崎さんがますます殺人者のような顔つきになっている。
「二代続けていい度胸だな山田君。奏真は君とそっくりな容姿だけでなく、性格まで似たようだ。さて、どうしてくれようか」
「まずいぞ、マフィアに殺られる。2人とも逃げろ!あっちに昴先生と大晴がいるから、助けてもらうんだ!」
きゃーっと嬉しそうに叫んで、2人は手を繋いで昴とその長男のいる方に向かって逃げて言った。3人の子は年が近く仲が良い。3人一緒に凪先生に箏を教わっていて、凪先生が出産や育児で大変な時は、週末に俺や昴が教えている。
俺は川崎さんに抱っこされている、翠よりも小さい女の子に話しかける。川崎さんの端正な顔を受け継いだその女の子は、何かの紙を大事そうに小さい手で抱きしめている。
「杏ちゃんは何を持っているのかな」
「あのね、けいにゃくちょ」
「……契約書?」
「うん」
俺はまた吹き出してしまった。こんなところまで似たのか。
「山田君」
再び殺意を感じて姿勢を正す。
「ああ、ごめんね。杏ちゃんがあまりに可愛くて。契約書、面白いの?」
「うん、じが、いっぱいなの」
「杏は晃輝さんにそっくりでしょう?ところで、一華ちゃんは大丈夫?」
おかしそうに笑う凪先生が俺に聞いた。一華と凪先生は、ママ友として気が合うのか頻繁に会っている。
「はい、難産だったので心配でしたが、明日退院です。今日はすぐ失礼して、この後病院に寄って様子を見てきます」
「良かったな。女の子は可愛いぞ」
川崎さんが契約書をじっと見ている子を、溶けてしまいそうな顔で見つめながら言う。
「旭と同い年だから、仲良くしてくれると嬉しいな」
凪先生がいつものように神々しく微笑む。
「旭君はどうしました」
「初めての男の子だから、ばあばが離してくれなくって、あっちに」
凪先生が指した方を見ると、家元の奥様がまだこの世に生を受けて数ヶ月の男の子を、眼を細くして抱っこしているのが見えた。
「それじゃ、俺はこれで失礼します」
「一華ちゃんによろしくね」
俺は笑って会釈をし、身体いっぱい使って追いかけっこをしている奏真を呼んだ。
「奏真、そろそろおいで。お母さんと妹に会いに行こう」
(完)




