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ヘリオス  作者: みおいち
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外伝 第10話

次の日は快晴だった。柔らかな朝日が部屋を温めている。新聞を取りに行き、一華と一緒にざっと目を通す。何枚かページを捲ると、見慣れたロゴが目に飛び込んできた。


「一華」


俺は一華に注意を促した。


Proofreaderのロゴの隣にennuiのものもある。それは一面丸ごと使われた広告だった。そのページを開けて目を奪われる。冒頭に見事な筆書きの文字が目立っていた。



「君よ、負けるな。胸を張れ」



その下には読みやすくも筆文字のようなフォントで、文章が書かれている。



君の演奏にどれだけ慟哭し、心を揺さぶられ、勇気づけられてきただろう。

君の写真にどれほど夢を見せられ、幸福を噛み締め、憧れてきただろう。

俺達が荊の道にいる君達に出来ることは、少ないのかもしれない。

だが、若者よ、負けないでくれ。嵐の中にいようとも、決して孤独ではないのだと気づいてくれ。そしてまた、その類稀なる能力で、夢を見せて欲しい。君達はこんなにも多くの人々に、愛されているのだから。




サインはまた筆書きでしてあった。


コピーライター 戸越匡孝




「戸越さん……。私、お会いしたことない」


「ennuiのコピーを書いてくれた人だね。俺も面識がない」


その下にはズラリと個人名や会社のロゴが並んでいる。かなりの数だ。一体、幾つあるんだろう。


「カメラマン 井口慶次。井口さんだね」




フルート奏者 東雲馨、MHK交響楽団、ウィーンの森交響楽団、田島楽器、楽譜のStrauss



「この辺は川崎晃輝さんの知り合いだろうね。あの人は顔が広いから」


一華は眼から涙をボロボロ(こぼ)し、慌ててハンカチを取りに行った。この広告が俺たちへ向けたメッセージであることは、どこにも書いていない。それでも、そこに載っている社名や個人名が、何より昨日の昴の電話が、如実にそう語っている。俺は一華を抱き寄せて広告を見続けた。



「お互い、勤務先が出してくれてる。良かった、クビにならずに済むかもしれない。ennuiもあるよ」



DOLL&TEDDY JAPAN、Proofreaderと、隣のennuiのロゴを指して一華に言った。一華は全身を震わせて涙を止められないでいる。



紅茶のLANKA、forbidden、KITCH、essay、Rainy Moon


「この辺は一華の知り合いかな」


一華は話せる状況じゃないようで、俺の腕の中で震えたまま何度か頷いた。ラベンダーが、かすかに香る。



全国箏曲協会、川崎流、山野流、箏の三条、着物のヤマムラ、着付こもの京、南劇、劇場光、京橋演舞場、仕出しのミツイ



箏で懇意にしてくれている会社名も並んでいる。自分だって大変だろうに、家元も凪先生も動いてくれたんだろう。



「優成、これは?」


一華が声にならない声で聞く。


「八戸印刷、これは昴の勤務先だ。居酒屋海流、昴と俺の行きつけ」


眼が潤んで文字が見えにくくなってきた。


「スーパーもあるよ」


「箏仲間の菅野さんのパート先」


「大学まである」


「はは、昴と俺の母校だ。馬鹿だな昴。連絡が無いと思ったら、こんなことにどれだけ時間を使ったんだ。……俺ちょっと……もう駄目だ」


新聞から目を離すと、一華に抱きしめられた。俺たちは暫く抱き合って泣いた。



「目が真っ赤だよ。大丈夫一華」


「優成も、人のこと言えないよ」


2人で酷い顔を見合わせて笑った。涙で汚れないように脇によけておいた新聞を、もう一度引き寄せる。


「優成、これは?」


「野々宮ホールディングと、春雪か。かなり大手だね。春雪は川崎流の取引先かな、分からない。これも、この辺の人や会社もよく分からない」


「知らないところで応援してくれる人が、こんなにいるんだね」


「そうだね。川崎さんや井口さんたちから打診を受けても、何名もの経営陣の決済がかかるはずだから、1社ごとに相当意思がなければ社名を出せなかったはずだ。だから、本当にありがたいことだよ」


俺は一華を抱き寄せた。


「幸せだね、私たち」


「そうだね。2人でこの波を乗り切ろう。感謝して、大切なものをちゃんと大切にして、誇りを持って生きよう」





普段あまりつけないTVが活躍する日々は、どうやら終わったようだ。広告が出された同日に川崎流のYouTubeが更新され、俺たちの家や職場周辺にいまだに報道陣が張り込んでいることを抗議してくれていた。


「なんで優成がこんな目に遭わなきゃいけないんですか」


「山田君はイケメンだし、お箏も上手いから、目立っちゃうのよ」


「イケメンでも箏が上手でも、俺たちと同じ人間ですよ。嫌なことをされたら傷つくし、今の生活だって不便に決まってる」


この回には昴の他に凪先生と凪先生の弟子仲間も出ていて、広告と同様何度もTVで取り上げられた。


「これはねぇー、日本の錚々たる会社を味方にしていますねぇー。業界も、お箏関係だけじゃなくて、本当にいろいろでしょう?大手や中小に関わらずー、飲食やら印刷業やら。しかもこの数ですよ。どうお思いになりますー?加藤さん」


TVのおっさん達がお茶の間仲間に話している。


「やっぱりねェ、日本人は伝統文化が好きなんですよねェ。ただの二股疑惑の記事で、ここまで大きい問題になるとはねェ」


「田口さんはどうでしょう」


「はい、この川崎流の皆さんがYouTubeで抗議されていたのを見て、私は涙が出ちゃいましたよ。ご最もじゃないですか。これをきっかけに、有名人のプライバシー保護についても議論が進んで、しっかり守られる社会になって欲しいですね」




そのうち都知事をインタビューした動画がTVに流れた。


「私は川崎流のファンなんですよ。何もしてないのに可哀想じゃない。張り込み中のマスコミはすぐに撤退するよう、警察にパトロール強化を呼びかけます」


週刊現状から謝罪文も出され、お陰で俺たちは、ようやく外に出られるようになった。




日常の生活が戻ってくると、止まっていた時間が遅れを取り戻すかのように忙しくなった。リモートではやり切れなかった仕事を詰め込み、延期していた写真集の撮影の開始も決まり、約束していた一華のご両親に挨拶に行く日も決めた。


「本当に帰るの」


「うん、ずっと空けていた家も心配だし」


一華は自分のマンションに戻ることになった。


「このままここにいてくれてもいいのに。職場だってここからの方が通いやすいだろ。家事も俺、ちゃんとやるから」


俺は何とか一華を引き留めようとして、その細い腕を取り格好悪い説得を繰り返した。


「そういうことじゃないの。私、ここで優成にちっとも不満なんか無かったよ。むしろとても楽しかった。だけど、このまま中途半端なの良くないと思って。家賃も払ってるし」


そう言って微笑んだ一華を、俺は胸に抱いた。少しでも離れていたくない。


「毎日一緒にいたから、寂しくなるよ」


「うん、私も」


「寂しくて死んでしまうかもしれない」


そう言ったら一華は吹き出した。


「何だよ」


剥れた俺を見て、ますます笑う。まだ寒い春になりかけの日にみつけた、木漏れ日のような笑顔……俺は一華が好きすぎて、気色の悪いポエマーのようになっている。


「優成は、好きな人に対しては甘えん坊だね。またすぐに来ていい?」


「勿論。ずっと待ってる」


「死なないでね」


「ちゃんと来てくれるならね」




真面目な一華と毎日一緒に暮らすには、方法は一つしかない。



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