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ヘリオス  作者: みおいち
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外伝 第6話

「話がある。土曜の14時に来られるか?」


バイオリンのアイコンの男からLINEが来た。演奏会が終わったばかりだから一華と会おうと思っていたのに、そんな中途半端な時間ではデートは出来ない。仕方がないが、かけがえのない恩師のご主人だ。俺は嫌々了承した。


14時に行くと応接室へ行くように言われた。ノックをして引き戸を開ける。


「失礼します」


「よお、優成!」


中に家元と川崎さん、それに最近気分を害された顎ひげの男がいた。


「俺は貴方に呼び捨てにされるほど仲を縮めた覚えはありませんが、井口さん」


「まあ呼び方くらいいいじゃないか、俺は君が気に入ったんだ、優成」


顔をしかめた俺を見て、井口さんは笑った。


「俺もこれから優成と呼ぼうか」


パコソンを前に置いた、顔の整った大男が口の端を上げて言う。


「冗談はやめてください、川崎さん」


「それじゃあ私も優成と呼ぶことにしよう」


家元も凪先生と同じ目を細くして笑った。


「家元まで、何なんですか。休日に俺を呼び出しておいて」


俺はウンザリしながら勧められた椅子に座った。


「こちらの写真家の井口さんがね、川崎流としての山田優成の写真集を作りたいんだそうだ」


「......は?」


家元に言われて思わず変な反応をしてしまった。


「俺はな、優成。こないだ君の演奏を生で聴いて、心底君に惚れたんだ。優成は川崎流を大事に思っているだろう。君の写真集が出たら、ますます川崎流は盛り上がる。良いアイデアだと思わないか」


「書籍が売れない今の時代、そんなものに需要は無いでしょう」


井口さんは手を頭の後ろに回して組んだ。


「君は自分の魅力を分かってないな。優成はご高齢のマダムから10代まで幅広く人気がある。これは確実にヒットするね。俺の腕が確かなのは知っているだろう。俺に任せてくれないか」


川崎流に貢献出来るのは嬉しくとも、これ以上忙しくなったら、一華に会えなくなる。


「でも俺は、川崎流の中では大した腕前じゃありません。ただ若手としてYouTubeやMCを引き受けているだけですよ。実力も無い俺が、諸先輩方を差し置いて川崎流の写真集というのは、筋が通らないでしょう」


「だから、川崎流だけじゃなくて山田優成の写真集なんだよ。君を選んだのは部外者の俺で川崎流じゃないし、師範の免許を持つ優成であれば、川崎流として前面に出てもおかしくないんじゃないか」


「その通り。私はやってみても良いと思うがね」


家元が頷いた。


「お言葉ですが、俺にはこれ以上時間がないんです」


「君のいつもの稽古に同行させてくれれば良い。余分な時間は取らないよ。YouTubeの撮影現場と、演奏会の撮影許可も貰えれば勝手に撮る。君の他に、君の相方の佐々木昴君と...」


「失礼します」


その時、ノックの音と声がして扉が開き、凪先生がお茶のセットを持って入って来た。


「凪先生、お茶なら俺がやりますよ」


俺は凪先生の手伝いをするために立ち上がって言った。


「山田君の茶はしょっぱいからな......」


「あはは!」


川崎さんが苦々しく言い、凪先生が声を出して笑う。その途端、井口さんが興奮して(まく)し立てた。


「あれ、もしかしなくても、川崎凪先生じゃん!俺、滅茶苦茶ファンなんですよ。サイン貰ってもいいですか?」


「井口さん、俺の時といやに態度が違いますね。俺じゃなくて凪先生の写真集の方が良いんじゃないですか」


「凪は俺だけの女だ。水着を晒すのは許さない」


「誰が水着だって言いましたか」


川崎さんに言われて思わず想像してしまい、顔が火照るのを打ち消すように言う。


「凪の写真集か......お父さんは100冊は買ってやろう」


何だか凪先生が入って来た途端、無法地帯になってきた。


「川崎凪先生の写真集も良いんだけどな、男しか買わないだろう。優成、君の写真なら女性は勿論、男でも買う奴がいると俺は踏んでいる。正直君には男も惹きつける魅力がある」


「その言葉、不快でしかないんですが」


「いや、あながち嘘でもないな。俺も山田君の魅力には惹きつけられている」


川崎さんが真面目な顔で言う。


「私、優成くんがライバルになったら、勝てそうにないんだけど」


「そこが山田君の怖いところだ。彼は強敵だよ、凪」


「私も山田君の魅力には、めろめろになっているよ」


家元まで茶目っけたっぷりに変な話をしはじめた。


「でもでも、優成くんには昴くんもいるから、晃輝さんの出る幕はないよ」


「そうか。佐々木君と山田君の仲は親密だったな。口惜しいが諦めるか」


「私があと30年、若ければな」


誰かこの非生産的な話を止めてくれ。




「まとめるとだな、俺は川崎流門下生としての山田優成の写真を撮りたい。撮るのは君の練習風景とYouTube撮影風景、それに演奏会だ。他に余分な時間は作らせない。衣装協力はプルフリに依頼しても良い。そうすれば優成は職場に顔も立てられるだろう。どうだ?」


「良い話だと思うけど、優成くん」


「そうそう、あと一つ。川崎凪先生と優成の『龍歌』を撮りたい。『龍歌』を弾いている時の優成は、たまらないよ。俺はあれが撮りたい」


その途端、そこに居た全員の動きが止まった。俺に気を遣っているんだろう。全くお人好しの集団だ。


「俺の他に入るのは、凪先生と昴ですか」


俺は場の雰囲気を変えるように話を変えた。


「まあその予定だね。許可が得られれば」


俺は本当に時間を考慮してくれるなら、と念を押して承知した。


「そうと決まれば、契約書を作らなければな」


何故だか不気味な笑顔で川崎さんがパソコンに向かう。


「貴方はそのためにいたんですか」


「勿論」


川崎さんは黒い笑顔を浮かべたまま、パソコンを眺めつつマウスをいじっている。不審に思って凪先生に視線をやると、俺の顔を見るなりまた声をあげて笑った。


「あはは!晃輝さんね、契約書マニアなの!」


「そんな認知度の低いマニアがいるんですか。変わった人ですね、川崎さんは」




玄関まで送ると、靴を履きながら井口さんは意味深に言った。


「一華はいい女だろう」



一華。どうして呼び捨てにするんだ。



「貴方は一華の何なんですか」


「さあね」


井口さんは俺と凪先生、それから川崎さんの顔を見比べて真面目な顔を作った。


「一つだけ言う。一華を君のストレス解消に使うな」


俺は何も言えずに井口さんを見つめ返した。


「心がないなら離してやれ。犠牲にするな。いいね」




一月の刺すような香りを運んで来る風が、俺は好きだ。川崎家からの帰り道、いつも柔らかい手を繋いでいる左手が今日は空いている。一華は友達の家に泊まりに行ってしまった。一華と付き合う前、俺はどうやって時間を使っていたんだろうか。今週末は時間があるのに会えない。


一華は俺と付き合っていて苦しくないんだろうか。一華の性格から考えて、心がない相手が恋人なんて辛いに決まっている。勝手だよな俺は。ただ今は、どうしようもなく一華に会いたい。


携帯の音で目が覚めた。一華から電話だ。


「一華?」


「優成、帰って来た?」


優しい声をきいて安堵する。


「ん、寝てた。一華は友達の家?」


「うん。話し合い終わったかなと思って。優成、写真集受けるの?」


どうして知っているんだ。


「よく知ってるね。井口さんに聞いたの」


「うん。あ、ちょっと待って」


電話口で物音と別の女性の声がする。暫く待っていると、一華とは別の声が話しかけてきた。


「こんにちは」


遠くで一華の声が聞こえる。どうやら無理に電話を取られたようだ。


「一華の友達ですか、初めまして」


「山田優成くんだよね。私、高校時代からの一華の親友の、豊橋真帆(とよはしまほ)。山田くんさ、本当に一華の彼氏?一華、全然会わせてくれないから、疑ってたんだけど」


利発そうな声がハキハキと言う。


「一華は嘘をつくような子じゃないでしょう。俺は紛れもなく一華の恋人です。会いたいならいつでもどうぞ」


「へえー。一華のことよく知ってるんだ。安心した。私、一華のこと大好きなの。大切にしてね」


そこまで言って声が変わった。


「優成、ごめんね」


「別にいいよ。一華、本当に、俺に会わせたい友達がいたら会うから遠慮しないで」


「うん。ありがとう」


一華は何か考えているような声で返事をした。


「それと、井口さんは一華の何」


声が少し低くなってしまったのが分かる。


「……優成、明日行ってもいい?」


「いいけど、泊まりの後じゃ疲れるんじゃない」


「お昼には真帆ちゃんの家を出るから大丈夫。会って話したいから」


一華は2時ごろに高級そうなクッキーを持ってやってきた。俺は肩にかかったいつもより大きめの荷物を持って部屋に運ぶ。一華の華奢な肩に触れたとき、心臓が騒いだ。


「真帆ちゃんは鋭いから、優成に会わせると私たちの関係が分かっちゃうと思って。そうなると心配をかけるから、だから会わせなかったの」


紅茶を飲みながら一華が言う。目が合うと心臓が大きく動く。指の末端まで体温が急に上がったような感覚になる。





俺は。





「井口さんのことは、後で分かることだろうから言っておくね。私たち、昔つきあっていたの」


聞いた途端、今度は心臓が絞られるように縮んだ。


「それは、いつ頃」


努めて冷静に聞く。


「もうずっと前。私、16歳ごろから読者モデルをしていて、井口さんに出逢ったの。井口さん、あの才能で気配り上手でしょう。だから憧れていて。20歳になった頃、恋人になったの」


「そう」


俺はコーヒーの湖面を見つめた。あの自信満々の男が、一華の隣にいて、一華を抱いていたのか。身体中の血が暴れて、平静を装うのが困難だ。


「だけど、井口さんその頃とても忙しくて、全然会えなかったの。私、井口さんの仕事に嫉妬して、嫌なことをたくさん言って、それで上手く行かなかった。だから別れたの」


周りは静かで穏やかな休日だ。それなのに心臓が煩わしい。俺はまた自分が矮小化してしまった感覚に陥る。コーヒーを喉に流し込んだ。


「当時は私、めちゃくちゃになったけど、井口さんは大人でしょう。だから変わらず良くしてくれて。私、やめてって、優しくしないでって、思ったし、近くにいたら忘れられないと思ったけど、そういう想いはいつの間にか無くなったの」


「そう」


一華は井口さんを嫌いになった訳じゃない。今でも彼を尊敬している。そのことが俺の癪に障る。醜い想いが心を充満させて、爆発しそうな自分が嫌になる。


「だから、優成が川崎凪さんを想う辛い気持ちも少しは分かるの。でも、私の痛みを時が解決してくれたように、優成もきっと大丈夫になると思うし、気持ちがわかる分、少しでも役に立ちたい」


そうだ、俺はこんなことで一華に腹を立てられる立場じゃない。自分こそ凪先生を引き摺ったまま、一華との関係を続けて来た。一華にもこんな想いをさせ続けて、苦しめて来たんだ。


「優成、大好き。心が痛くなって、滅茶苦茶になるくらい好きで、笑っていて欲しくて、そばにいたい」


俺を見つめた顔を見て、また心臓が大きく動く。俺の想いは、きっとそういうことなんだろう。だけどこれが、万が一勘違いだったらいけない。一華には軽薄な態度を取りたくない。もう少し、確かめさせて欲しい。俺は一華に長いキスをした。身体が熱くて、何故だか涙が出そうになる。




「井口さんは、一華をまだ好きなんじゃないの」


「まさか、井口さん妻子持ちだよ。奥さんと一緒にいるところを見ると分かるけど、文字通りね、デレっとしてるの。私にも今でも良くしてくれるのは、元から面倒見が良いのと、妹みたいなんだと思う」


一華が20歳の頃の恋人。その頃の一華も、可愛かっただろうな。一華の初めても、あの人が奪ったんだろうか。



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