外伝 第5話
驚いて一華を見ると、また赤くなったまま小さく震えている。
「一華、それどういう意味か分かって言ってる?」
「うん」
一華は俺の腕を掴んだまま、頷いた。
「俺、今日は酒入ってるし止まらないよ」
「うん」
これ以上赤くなれないほど一華は赤く小さくなっている。俺は一華を抱きしめた。
「着替えとか、持って無いだろう?まだ駅ビルがやってるから買いに行こう」
手を繋いで近所の駅ビルまで行く途中、一華はまだ赤かった。よほど勇気が要ったんだろう。
俺は一華に下着を買って来てもらって、本屋で合流した。さすがに広告で共演した2人で、女性の下着を選ぶことは憚れる。他もいろいろ見てから帰ると時間的にちょうど良い。これは昴と香織ちゃんの計略だろうか。
一華は慣れていないようで、懸命に俺にしがみついて来た。高く泣くように鳴く可愛い声が俺の血を逆流させ続ける。滅茶苦茶にして叫ばせたい衝動に駆られるも、一華は一度達するだけで怖がった。あまり経験がないんだろう、急いだら駄目だ。本能と戦って何とか優しく進めた。最後に細い腰を震わせて達した時の躍起な高い声さえ、一華は全てが甘く優しかった。
「大丈夫?辛くなかった?」
「うん」
まだ降りきっていない声で一華が返事をする。
「優成、好き」
俺は一華を引き寄せて抱きしめた。
「好き、好き」
「うん」
俺は一華を抱きしめたまま、髪を撫で続ける。
「好きなの。好き」
「うん」
一華には嘘はつけない。軽い気持ちで好きだなんて返せない。どんな時でも誠実に接したい。それが痛みを与えることになっても。
次の日は快晴だった。2人で準備した朝食を食べながら、俺は一華に言った。
「一華も会わせたい友達がいたら、俺、会いに行くから」
一華は俺を見ると、まだ恥ずかしそうに目を泳がせた。可愛い。
「ありがとう。私ね、友達ってあまり多くないの。私、話すのゆっくりで面白くないみたいだし、何もしてないつもりなんだけど、裏がありそうとか、計算しててあざといとか言われて」
サラダのレタスをフォークで一生懸命に刺しながら、そんなことを言う。
「一華は可愛いから、嫉妬されるんだろ」
「そうかな。分からないけど、同性の友達が少ない人は性格が悪いんだよって言われたこともあって、悩んでて」
「嫌なカテゴライズだね」
俺はウンザリして言った。
「人のことをよく知りもしないで、外見だけで判断する人間には、近づかなくてもいい。同性に嫌われるのは俺も同じだよ。俺も友人は多い方じゃないし、嫌味を言われることも少なくないけど気にしていない。だけど、一華は女の子だから辛いだろうね」
女性というのは和を重んじるから、同性に好かれるのは男性よりも大切なことなんだろう。
「俺は、嫌味や陰口を言われたら、どんどん言って自分を下げてろって思うよ。その間に俺は努力して高みに行くからって。性格が悪いね」
一華は笑った。
「分かる気がする。嫌味とか陰口を言っている人って、その時すごい顔してるから、自分は気をつけようって思う」
「そうだね」
「だから、私に良くしてくれる友達は、貴重だと思うし大切にしてる」
「それで良いんじゃない」
俺は微笑んで言った。
遠くから鳥の声が聞こえる。清々しい朝だ。
12月初旬の土曜日に、凪先生の結婚式に呼ばれて行った。色打掛を纏った凪先生は、いつにも増して綺麗だった。東雲さん改め、川崎さんの隣にぴったり寄り添って幸せそうに笑っている。
もう大丈夫だろうか。苦しい想いをして泣いたりしていないだろうか。頼むからずっと、幸せでいて欲しい。そうでなければ俺が、こんなに疼く胸の痛みを抱え続けてまで、貴女を諦めた意味がない。
俺は凪先生の弟子に混ぜてもらって、披露宴で6人で合奏をした。曲は門出に相応しい「寿歌」。俺のパートはメロディーが甘い。俺の演奏は、ちゃんと祝えているだろうか。悲しみを抱えていないだろうか。お願いだ、届いてくれ。幸せになって欲しいと思っているのは、偽りのない俺の本心なんだ。
「優成くん、本当にありがとう。私の今の幸せは、優成くんのおかげだよ」
披露宴から帰るゲストを送る場で、凪先生が俺にプチギフトを渡して微笑んだ。
「凪先生は大袈裟ですね。俺はまだ、育ててもらったご恩を返しきれていませんよ」
かけがえのない恩師に伝える。
「じゃあ、また私とときどき合奏してくれる?」
「勿論、喜んで」
憧れ続けた大きな眼を見て伝える。凪先生の隣にいる大柄の男が心配そうにこちらを見てくる。
「優成、長えよ、どけー!」
昴が体当たりして来て、俺は凪先生の隣に陣取っている新郎の方に身体をずらした。
「貴方は心配症ですね。俺はもう、どうにかしようとも思っていませんよ」
「俺の強敵は、いつまでも君だからな」
低い声でそんなことを言う。
「山田君には本当に感謝している。君の言った通り、凪にはまだトラウマが残っている。一刻も早く完全に治して幸せにするように、全力を尽くすよ」
トラウマと聞いて心が痛む。俺は憮然として言った。
「約束して下さい。必ず」
「今日やっぱり行っていい?」
家に帰ると一華から電話があった。
「今日は駄目だって言ったろ?」
俺は不器用だから、気分が落ちている時は、人に思うように優しく出来ない。
「でも、もう家にいるんでしょう?」
「俺、今気が立ってるから」
「じゃあ行くね」
一華は俺の返事も聞かずに電話を切った。
一華が来るなり、俺は玄関で乱暴にキスをした。こんなキスは一華にしたことがない。駄目だ、怖がらせる。そう思って無理に身体を離した。
「俺こんなだから、何をするか分からない。一華を傷つけるから帰って」
横を向いて言うと、押さえられない冷たい声が出た。これで怖がって帰るだろう。
一華が少し動いてドアの方に手をかけた。これで傷つけずに済むと思いきや玄関に鍵をかけて、俺にキスをしてきた。
「いいよ、傷つけても。私、大丈夫だから」
俺は俺に回した細い腕を無理に解いた。
「止めろ。頼むから帰って。今は俺、制御出来ない」
「制御しなくていいよ。私を、あの人だと思ってくれてもいい」
「止めろ!」
つい大声が出てしまう。
「それがどんなに辛いことか、一華は分かってないだろう。軽々しくそんなことを言うな」
何とか声を抑えて伝える。俺は一華を大切にして来たつもりだし、奈津の件で後悔した分、凪先生の代わりにしないように注意を払って来た。俺の心が一華に向かないだけで、一華は辛いはずだ。これ以上一華を苦しめたくない。俺なりに大事に育てたこの関係を、台無しにしたくない。
一華は泣きそうな顔で微笑んで、俺を抱きしめた。
「全部分かってるつもりだよ。大丈夫」
もう限界だった。俺は一華の腕を取ってベッドに連れ込み、獣のように滅茶苦茶に抱いた。一華は何度も高く甘い声で叫んでいた。辛いはずなのに一華は決して嫌と言わなかった。ただ俺に必死でしがみついて、嵐が過ぎるのを耐えていた。
「一華、ごめん」
どうにもならない苦しみの波が、肉欲が解消されたことにより引いて、グッタリした一華に俺は声をかけた。
「謝らないで。私が望んだことだから」
俺は一華の髪にそっと触れた。
「優成、ひとりで抱えないで欲しいの。辛い時は私にも分けて欲しい。私ね......このくらいのことは......大丈夫だから。むしろすごく、良かった......」
それだけ言うと一華は可愛い寝息を立てて眠ってしまった。……良かったって、言ったか。こういうプレイが、好きなんだろうか。……何だか顔が熱くなってきた。
年末はお互い忙しかったから、クリスマスはどこも行かずに俺の部屋で過ごした。一華に貰ったプレゼントを開けると、見覚えのあるロゴが目に入った。
「これは、ennuiの?」
「そう。私のとペアなの。重いかな」
そう言って一華は自分の首に飾られているネックレスを指にかけて、前に引いて見せた。リングのかかった同じデザインだ。
「重いなんてことはない。嬉しいよ、ありがとう。ただ……それも、開けてみて」
俺は一華に渡した箱を指さした。一華が慎重にリボンを解いて中を見てみる。
「わ、綺麗」
「貸して」
俺はその箱を借りて、中からアールデコ風の彫金のされた繊細なリングを取って一華の右の薬指にはめた。
「よく似合うよ」
「すごく綺麗。優成、これもennui?」
「そう。俺たちは広告以外にも貢献してるね」
一華は指輪をはめた自分の指を見てとろんと笑った。
「それから、これも」
俺は部屋の合鍵を一華に渡した。
「……いいの?」
「いいよ。いつでも好きな時に来て」
「ありがとう。優成、大好き」
何度か身体を重ねても、一華は純粋で可愛いままだ。
「一華、俺はいつまでもこんなでごめん。だけど一華のことは真剣に考えているし、一緒にいたいとも思う。待っていたらどうにかなるものじゃないかもしれないけど、それでも、もう少し待っていて欲しいんだ」
「うん、私、離れない。ずっと一緒にいる」
可愛い一華。俺は心まで、一華にあげることは出来るんだろうか。
「本日司会を務めさせて頂きます。佐々木昴です」
「山田優成です。よろしくお願い致します」
新春の演奏会では昴とMCを行った。
「優成、ありがたいことに、今日もすごい人だな」
「本当に。満員御礼、ありがとうございます」
そう言って客席を見渡し、一華に気づいてほほ笑むと、隣にいた顎鬚の男がニヤリと笑って投げキッスをしてきた。
どうして井口さんが、一華の隣にいるんだ。
「……成、おい優成!本番で意識を飛ばすな!」
昴に言われて慌てて我に返る。
「失礼しました。本日は美しいお客様があまりに多いので、つい見とれてしまいました」
客席から黄色い歓声が挙がる。
「お前は何人卒倒させたら気が済むんだ。そろそろ警察が来るぞ」
俺は相棒のアドリブに苦笑した。
「それは困りますね。捕まる前にさっそく始めましょう。一曲目はお正月に相応しい、この曲です」
今回は凪先生が結婚してから初めてということもあって、お祝い一色の演奏会だった。凪先生は川崎さんのバイオリンと共演し、割れんばかりの拍手をもらっていた。
俺は披露宴で披露した「寿歌」を6人で合奏した。この幸福感溢れる会場を、演奏が終わって拍手を頂いている中眺めてみる。井口さんが一華の小さい肩に腕をかけて何か話かけている。凪先生が作り出した新婚の甘い空気にチリっと亀裂が入ったような、嫌な気分になった。
「いつ来たの」
「ちょっと前。食事してから寄ったから」
川崎家で打ち上げが終わってから帰宅すると、一華がいた。
「今日はびっくりしたよ。一華、井口さんと仲良かったの」
靴を脱ぎながら玄関まで来た一華に言う。
「うん、井口さんね、私が読モを始めた頃から良くしてくれていて、ennuiの仕事をくれたのも井口さんなの。私、今日は別の友達を誘うはずだったんだけど、井口さんが優成の演奏会にどうしても行きたいって言うから」
2人で部屋に行きながら話をした。
「そう。食事も井口さんとして来たの」
「うん。井口さんね、優成に会いたいって言ってたよ」
演奏会での井口さんの投げキッスを思い出した。俺は別に、会いたくない。




