外伝 第2話
「マジかよ!マジかよマジかよマジかよ!大口契約じゃんかよ山田君‼︎」
上司である溝口課長は、興奮して俺に抱きついた。
「え?プライベートでやんの?頼むよ、1回きりとか何回でもとか、その辺は山田君の好きにしていいからさ、仕事でやってくれよ。報酬も山田君が独り占めしてもちろんいいからさ、本当、お願い‼︎Proofreaderの名刺持ってってくれよ。俺らのブランドとennui、絶対相性いいんだわ!頼みます山田様!」
仕事で出来るなら俺も都合が良い。週末に箏の練習も出来る。東雲さんを通してProofreaderの山田優成としてなら引き受けると伝えると、それならProofreaderに衣装を頼みたいと、願ってもない話が来た。
課長に伝えるとデスクの前で忙しなくぐるぐる回り、何処から出したのか朱色に金粉のかかった派手な扇子を広げて不気味な舞を舞い始めた。変な人だな、あまり近づかないようにしよう。
「悪かったよ、有給取得の時、嫌味言って」
ennuiに持って行く衣装は、先方から依頼されたイメージを元に俺と女の子のモデルの分を俺が幾つか選んで、先輩の須藤さんにチェックしてもらっている。金の卵と言われる須藤さんは以前は俺と同じ部署にいたが、今はProofreaderの靴部門である新規立ち上げブランドに異動している。
「一体何年前の話をしているんですか」
「まあ良いから聞けよ。俺、山田があんなに箏が上手だなんて知らなかったんだよ......ネックレスをするなら、このシャツの方が首元が開くからいいな......」
そう言って須藤さんは、ハンガーにかかった俺が着る候補のシャツを吟味している。
「YouTube見て仰天した。罪悪感で夜眠れなかったぞ。まったく、先に言っといてくれよ」
「俺は箏が上手です、って?」
「山田、何色のネックレスつけんの?ゴールド?ああこの写真?その色味なら生成りの方が映えるな......。
そりゃ、言えないよな。本当に、俺が悪かったよ。お前その容姿で仕事もデキるだろ。女からキャーキャー言われてよ。嫌味の一つも言いたくなったんだ」
「そんなの、言われ慣れてるので気にしていません。それに、嫌味を言う人間が悪人な訳じゃないことくらい、承知しています。俺は新人の頃から、本気で先輩を尊敬していますよ」
須藤さんは口は悪くとも、仕事に関しては男でも惚れそうになるほどの能力とセンス、情熱を兼ね備えている。
「お前さあ、色目使うのは女限定にしておけよ。綺麗な顔しやがって、天然かよ。いつか男に食われるぞ、マジで」
稽古の日、また家元に呼ばれた。
「アンコール企画なんだが、合奏部門で1位になったのが、君と凪の『龍歌』だそうだ。あれは年配の方にも若者にも人気がある。......次の演奏会で弾いてくれるね」
本来、俺の意志の確認はそこに入らないはずだ。家元が一言「弾け」と言えば弟子は動く。それを敢えて確認したのは、つまりそういうことだ。
「分かりました。練習しておきます」
「頼んだぞ......君も難儀な男だな」
「承知の上です」
よりによってあんなに俺の想いが露呈されてしまう曲で、凪先生と合奏とは。お客様も趣味が悪い。
「君はプルフリの人なんだね。どうして歴史の長い川崎流のYouTubeで、新進気鋭のプルフリが衣装協力しているのか不思議だったんだが、そういうわけか」
撮影担当のカメラマンに握手を求められ、そんな話をされた。ミディアムショートの髪に顎ひげを生やした、いかにもアーティスト風情の彼は井口さんと言い、その道では大人気の実力者なんだそうだ。
俺がYouTubeに出ていることが会社に知られてから、課長の達っての願いで俺たちは演奏撮影の際にProofreaderの服を纏っている。
俺が悩み抜いて選んだ服を凪先生が着て演奏するのは、至上の喜びだった。凪先生が着た服は放送直後に売上が急増するのが常だったから、凪先生がYouTubeに出なくなって、社内では残念がる声が多く聞かれた。
「俺はあのブランド、好きだよ。細部まで気合いの入れ方が違うよね。特にドレープの美への執着、あれは最高だ」
井口さんは、俺たちのブランドのことをよく調べている。会話の一つ一つに、プロとしての心意気が見え隠れする。
「そこに立って」
言われて指定された場所に立つ。俺は被写体に関しては素人だ。果たしてこんな俺で役に立つんだろうか。
「君はいいね、立っているだけで既に絵になる。中性的だが変に女性的でもない。磨き上げられた王子様タイプだね」
男に王子様と言われても気色が悪い。俺はさらりと受け流すことにした。
「それで、どうすればいいですか」
「山田君は俺のいう通りにポーズを取ってくれれば良いよ。俺とただ、話をしてくれ。君は芸術家で、感情を表現するのに長けている。俺はそれを引き出すトリガーを見つけて引けばいい。それだけのことだ。音楽をかけても?」
自信満々の井口さんは、まるで自分が最上のような顔をして笑った。
「自分の演奏は聴きたくないだろうし、他の流派やライバルのも嫌だろうから、これを」
音楽がかかると聴いてすぐに分かる。3年前の12月の演奏会で披露した、凪先生の演奏。
「ああ、良い表情だ。そのままこっちを見て」
「......貴方は一体何を」
何処まで知ってやっているのか、性格が悪い。
「彼女の演奏は神々しくて魅力的だね。俺は箏なんてただのチントンシャンかと思っていたけど、君を撮ることになって、君たちの演奏を聴いて、すっかりファンになった。......少し左を向いて......ああいいね。俺たちも君たちも、情熱を100%注ぎ、命懸けで表現している芸術家だ。今まで箏を馬鹿にしていた自分を恥じたよ」
そこで井口さんはカメラを調整しながら話を続ける。
「君は最近家元に師事するようになったそうだけど、前の先生はどうだった?こんなに若いのにこの演奏力、正直俺は彼女に驚愕したよ」
井口さんは何か別の思惑を含んだ表情で、俺に聞いた。軽い質問のようで、彼の戦略に組み込まれている。
「川崎凪先生は、俺にとっては神のような人です」
人間如きに決して手が届かない、高みにいる憧れの人。シャッターが切られる。
「ふぅん、君は好きな人いるの?」
「......いやに話が飛びますね」
眼が、真剣そのものだ。俺の心の隅々まで曝け出そうとするような眼。
「その好きな人を思い出してみてよ」
答えてもいないのに、いる前提で話が進む。
「例えばさ、その人を抱きしめたところを、想像してみて」
思い出してしまった。あの人を胸に抱いた、あの人が東雲さんを想って泣いている時。辛いのか嬉しいのか分からない俺の想いに凪先生の壮絶な苦しみがなだれ込んで来て、あれほど混乱した時はない。
井口さんは何度もシャッターを押す。
「視線はここに。その人のぬくもりも、想像してみて。どんなだろう。熱いのか、苦しいのか。そうだ、そのまま少し笑って」
一瞬を切り取るようにフラッシュが何度もたかれる。これはまるで拷問だ。東雲さんめ、あの人に関わると、碌なことがない。
「いい写真が撮れたよ。君は素晴らしいね、ennuiのモデルそのものだ」
女の子のモデルと背中合わせで座り、写真を撮ったことはあまり覚えていない。凪先生の箏の音と、想い出を掻き出すように俺に刺した井口さんの会話が胸に響いて、切ないような苦しいような、悶絶した想いでいっぱいになってしまった。
井口さんは嬉々として写真を撮っていた。
「山田君は顔に出るね」
ただ重ねるように言われた相手の子の白い手が、思ったより小さくて柔らかいことだけが印象に残った。
「山田君、お疲れ様でした。ちょっとお茶して帰らない?」
ようやく解放されて各方面に挨拶をし、帰ろうとすると、モデルの女の子から誘われた。少し舌っ足らずの話し方。写真選びなどでまた何回かお世話になると聞いたし、これから特に予定もない。会社に直帰の連絡をして、近くのカフェに向かうことにした。
彼女は岸一華。身長162㎝、副業の読者モデル。俺の1歳下、凪先生の1つ上の25歳。彼女の写真を参考に、俺が選んだ新作の服が良く似合っていた。可憐ですぐに壊れてしまいそうな印象の、ふんわりした女の子。
岸さんはロイヤルミルクティーを飲んでいた。柔らかい色合いとかすかな甘い香りが、この子には似合う。読者モデルだから色々なタイプの男にも慣れているんだろう。俺に付き纏って来る様子もない。居心地の良い相手だと思った。少なくとも疲れを増幅させることはない。
それでも、カフェでは当たり障りの無い話をして早々に別れた。無理に井口さんにこじ開けられた凪先生との思い出で、少し心がくたびれてしまった。




